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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第一章 魔法魔術研究所
31/133

31 衝突

 白み始めた空の下には、彼らの他誰もいなかった。

 大勢いるはずの養成所はしんと静まり返り、二人分の息遣いと、時々杖同士がぶつかる音だけが響く。

 レツは意識して踏み込み、杖を突き出した。それをかわしたルイが足払いをかけてくるのを避けようとして、レツの足は前へ行くか後ろへ行くか迷った末に前を選んだ。跳躍したその膝頭がぶつかるすんでのところで、ルイは魔法で壁を作ってぎりぎり防いだ。だが不完全だったらしく、結局受け止めきれずにもみくちゃになって一緒に地面に転がった。

 すぐに立ち上がろうともがいたが、ちょうど起床の鐘が鳴ったのでそこで二人は大きく息をついた。


「お前、今のなんだよ?」

「何って……だって、魔法も武術も受け身だって言われたから」

「攻めるのと捨て身は違うだろ」


 ルイは立ち上がると髪をかきあげた。朝日で汗が光っている。


「暑い。まだ春だろ?」

「こっちはこんなもんだよ。風が吹く分、サイベンよりは涼しいけど」


 二人は寮へと歩き始めた。

 授業に慣れるまで中止していた朝の自主練習を、二人はようやく再開した。授業中はお互い別のパートナーと組んでいるので、二人で手合せするのは久しぶりだった。

 養成所は三日授業を行うと一日休みを挟むことになっていたが、しばらくの間はその休みも授業の予習や復習にあてなければならず、自主練習はずっとお預けをくらっていたのだ。


 寮の建物に入り、部屋へと続く廊下を歩く。起床の鐘が鳴ったとはいえ、まだ寮の中は静かで、時折小さな物音が漏れてくるくらいだった。二人も話すのは止めにして、黙って進む。

 部屋の前に辿り着く。まだ中の二人は眠っているだろうと、レツはなるべく音を立てないように慎重に扉を開いた。


「おかえり。朝早いね」


 二人の予想に反して、クィノは起きていた。既に顔を洗ったらしく、しっかり目が開いている。クィノの声に、ザロも目を覚ましたようだった。


「クィノこそ早いじゃないか。いつも二回目の鐘までは寝てるだろ?」


 ルイの指摘に、クィノは赤毛を弄りながら曖昧に微笑んだ。


「いや、二人とも朝早くから何してるのかと思って」

「魔法と武術の練習だよ。研究所にいた頃から日課なんだ」


 レツは答えたが、彼が聞きたいのはどうやらそういうことではないようだった。相変わらず髪を弄りながら言葉を探している。


「話があるなら食べながらにしよう。授業に遅れる」


 クィノはルイの提案にうなずいたが、結局朝食の席では何も言わなかった。食堂が混雑しているのと、ひっきりなしに誰かがルイに話しかけるので、落ち着いて話す雰囲気ではなかったからかもしれない。

 四人は朝食を済ませると、そのまま教室へと向かった。


 講義の授業に関しては研究所も養成所も同じ形だが、教える人間が研究員ではなく、教育が専門の教師である分、とても分かりやすい。そして何より普通に接してくれるのがレツには有難かった。課題の内容や実技が良ければ笑顔で褒めてくれるので、慣れなくて少しこそばゆい。しかしそれが嬉しくないわけがなく、余計にやる気も出るのだった。

 研究所では、ルイは授業中はレツと別行動することがほとんどだった。講義の時に隣り合って座るくらいだが、それも会話をするわけではない。だが、彼はここではペアを組んだクィノと常に一緒に行動していた。

 一緒に行動すること自体はクィノも賛成のようだったが、一つ問題があった。


「ルイの隣にいると落ち着かない」


 クィノがそう零すのも無理はなかった。ルイのところには入れ替わり立ち替わり人が訪れる。特に魔法の実技や薬学の実習など、椅子に座っていない授業の時はひどいのだ。あまりにひどい時は先生が制止するが、一時的なものであまり効果はないようだった。

 もう養成所に来てから日が経ったのに、減るどころか噂を聞いた別のクラスの生徒が休憩時間にやってくることもあり、まだまだ収まる気配はなかった。もしかしたら一年間ずっとこんな感じかもしれないとレツは思った。


 対してレツの方はというと、予想していたとおり、あまり関わりたがる人はいなかった。だが先生達が他の生徒と同じように接してくれるからか、目の色のことで大っぴらに避けられることもなかった。そのため、レツはほとんどの時間をザロと、落ち着かなくてルイの隣から逃げてきたクィノと一緒に過ごしていた。おかげで二人と大分打ち解けることができた。

 そんな風に過ごしていたので、知らない生徒から話しかけられた時は内心レツは驚いた。


「なぁ、俺とやってみようぜ」


 魔法の実技の授業中、一人の少年に声をかけられた。かなりの大柄だった。ザロも長身で体格が良いが、その彼よりも筋肉がついているのが服の上からでもよく分かる。

 その時、ザロとクィノは二人で星舞をしていたので、ちょうど彼は手持無沙汰だった。


「いいよ」


 何をやるのか、と尋ねる暇は与えてもらえなかった。

 すぐに打ち出された魔法を、レツは慌てて自分の魔法ではね返した。距離もあまり取れていなかったので、衝撃が強い。


(水の魔法か)


 次の魔法を受け止め、体勢を立て直しながら考えた。

 水の魔法自体は、リースが扱うので比較的慣れている。だが騎士であるリースに比べると、この少年の魔法はかなり荒っぽかった。意図してなのかどうなのか、強くなったり弱くなったりで、合わせるのが難しい。てっきり星舞をするのかと思っていたのに違うのだろうかとレツはいぶかしんだ。

 その少年の隣には、彼のパートナーらしき少年がいてくすくす笑っている。そちらにうっかり当ててしまわないかと、それもレツには気が気でなかった。

 水の魔法を放ちながら、少年が二歩ほど前に出る。動きに合わせてうねる魔法を、何とか調整して受け止めた。

 相手に、レツの魔法に合わせる気が全くないことに彼はようやく気が付いた。だからといってレツが魔法を止めてしまえば自分がやられてしまうし、強く押し返すと向こうが吹き飛んでしまうので、この後どうすればいいのか分からない。


「お前、騎士になりたいんだって?」


 二つの魔法がぶつかり合う向こう側で、少年が口の端を上げるのが見えた。


「だったら強くならないとな」


 もう一人の少年が杖をこちらに向ける。

 二人分を受け止めるのはさすがに辛いと、レツは動揺してしまった。それがそのまま魔法に表れるのに気付いた時には、既に遅かった。

 レツの魔法は少年の魔法を押し返し、それはそのまま少年を吹き飛ばした。そばにいたもう一人の少年は間一髪で避けたが、吹き飛ばされた方は少し離れたところにいた別の生徒にぶつかり、周囲から短い悲鳴が上がった。

 やってしまったと、レツは顔から血の気がひいた。倒れている少年のところに慌てて駆け寄る。


「ご、ごめん。大丈夫?」


 少年は痛みに顔を歪めていたが、自分で上体を起こした。レツを見上げる少年の目が憎悪に満ちていて、レツはぎくりとした。


「さっさと死ねよ、この死にぞこない!」


 その言葉に驚いている内に、少年は立ち上がり、高い位置からレツを見下ろしていた。


「お前! それは言っちゃいけないことだぞ!」


 レツにぶつかりそうな勢いで後ろからやってきたザロが、少年に食ってかかった。


「お前には関係ないだろ」

「レツの今のパートナーは俺だぞ、関係あるだろ! 大体お前から誘ったんじゃないのか。自分が弱いからってレツのせいにするなよ!」

「は? 誰が弱いって? もう一回言ってみろよ!」


 レツを置き去りにして取っ組み合いを始めようとした二人を、慌ててクィノが止めに入った。騒ぎに気付いたリュド先生も割って入る。止められてもまだ口でやりあっている二人を見ていると、ぐいと腕を引っ張られた。


「ルイ」

「お前、大丈夫か?」


 彼にしては珍しく困惑した顔だった。


「うん、どこも怪我してない」

「怪我もだけどさ……」


 ルイはその続きを言わなかった。彼にしては歯切れが悪かった。

 ザロ達が落ち着いたようで、レツは先生に名前を呼ばれた。手招きしている。


「行ってくるよ」


 こちらに近付いてくるクィノと入れ替わるようにして、レツはザロ達の方へ向かった。

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