02 セタン
何の躊躇いもなく見つめてくる少年を、レツは茫然と見つめ返していた。生まれてこの方、正面から彼と目を合わせてくる者など誰一人としていなかったのだ。
少年は無表情だったが、そのまとう雰囲気はどことなく温かい。
「もう必要ないから、隠れるのをやめろよ」
だが、口から出たその声音は少し冷たかった。
レツは目をしばたいた。隠れてなどいないのに、やめろと言われてもどうしたらいいのか分からなかった。
二人の近くで明るい炎が走ったので、そこで初めてレツは盗賊達の方に目を遣った。
盗賊達の他に、二人、大人の男女の姿があった。女性が杖を振るうと水が煌めいて盗賊を捕らえ、男性が剣を振るうと炎が逃げる者の行く先を塞いだ。
人数は盗賊達の方が多いのに、彼らでは手も足も出ないようだ。刃物は何の役にも立たず、あっという間に拘束された盗賊達は、惨めに地面に転がるだけになってしまった。
盗賊達が抵抗できなくなったのを確認すると、女性がレツと少年の方に近付いてきた。不思議な光沢を放つ青い布を斜め掛けにしているその特徴的な服装で、レツはもう、女性が王国騎士団の魔導士隊に所属している人だということに気付いていた。
「怪我はない?」
レツがうなずくと、女性はレツの手首に巻かれていた縄を切り、その手を取って立ち上がるのを助けてくれた。
「リースよ。名前を訊いてもいいかしら?」
「……レツです。ありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして。国民を守るのは、私達の最も大切な仕事だから。それに、貴方が来るのをずっと待っていたのよ」
なぜ、とレツが疑問を口にするより先に、盗賊達のそばにいた男性が「おい」と声を上げた。男性もやはり騎士のようで、こちらは赤い布を着けている。
「ひとまず帰るぞ。こいつらを本部に連れてかないと」
リースはうなずき、レツと少年を促して森の外へと歩き出した。男性は、盗賊達を魔法で拘束したまま歩かせている。
「あっちにいるのはロウよ。それから……」
リースは少年に目配せしたが、少年が名乗る気配を見せなかったので、諦めて「この子はルイ」と説明した。
「あ、あの」
レツはリースに声をかけて――目が合って、慌てて俯いた。
「さっき、お頭と合流するとか言ってて、それで……」
「まだ仲間がいるってことね。分かったわ」
彼女が軽く手を動かすと、その指先にふわりと小さな青い鳥が現れた。それが黙って飛び立っていく。あっという間に見えなくなってしまった。
「乗合馬車が着くのを待ってたの。貴方、セタンは初めて来るんでしょ? 広い町だから迷うと思って。でも、いざ馬車が着いてみたら乗っていないし、他の乗客が盗賊に襲われたって言うから。無事で良かったわ」
なぜ騎士が自分を待っていたのか、レツにはよく分からなかった。自分は魔法魔術研究所に入るために来ただけなのに。
森を抜ける。夕日は既に沈みかけ、空の半分はもう夜になっていた。昼間より風が冷たく感じる中、馬車で進むはずだった道を歩いた。
「研究所――魔法魔術研究所は、成り立ちとしては教育機関じゃないから、今でも実践的な部分のほとんどは師匠が弟子に教えるという形をとっているの。それで、貴方達の師匠役に選ばれたのが、私とロウというわけ。だから――」
リースはがしっとレツの肩を掴むと、俯きがちに歩いているその顔を覗き込んだ。にっこりと笑みを作る。
「話をする時は、ちゃんと目と目を合わせること。分かった?」
「え、でも――」
「こいつが嫌なら、言えば代えてもらえるからな」
後ろからついてきているロウが茶化した。話の腰を折るなと口喧嘩をしている内に、道の先に大きな都市の姿が見えてきた。
スタシエル王国の首都であるセタンは、高い壁に囲まれ、開かれた大きな門からはたくさんの人や馬車が出入りしている。大きな風車がゆったりと回り、そして何より目を引くのは、他と比べて抜きん出て高い塔だった。その塔を中心に、人を優に超える大きさの鳥が旋回している。時々塔の中に入ったり、または塔から空へと飛び立つ様子が遠目にもよく見えた。
セタンの門をくぐる。
門の内側は人が多く、ぶつからずに歩くので精一杯だった。人の波に流されそうになっていると、首根っこを掴まれて引き寄せられた。
「あ、ありがとう」
雑踏の音に紛れないように声を出したつもりだったが、ルイは何も返してこなかった。
門からは真っ直ぐに大通りが伸びている。夜が近いので店仕舞いを始めているところが多かったが、逆に今から店を開けようとしているところもあった。店先に釣り下げた月光灯が淡く光っている。
雑踏の中から四人の騎士が現れた。ロウと二言三言言葉を交わすと、その内の二人はすぐに走っていってしまった。
「そいつらは頼む」
ロウはそう言うと、二人の騎士と一緒に盗賊達をぞろぞろと引き連れながら大通りの先へと行ってしまった。大通りの先には、外からよく見えたあの高い塔があるようだ。
「研究所に行く前に、少しだけ付き合ってもらうわね」
リースが大通りのすぐ脇にある乗合馬車の停留所へ向かったので、レツもルイと一緒に後に続いた。仕事を終えて草を食んでいた馬達が、一斉にリースに顔を向ける。ついていこうとする馬までいて、彼女はこの場でとても目立っていた。
「騎士様」
馬達の間から顔を出したのは、レツが乗っていた馬車の御者だった。レツの姿を見つけて、困ったような愛想笑いを浮かべている。
「馬車を襲ってきた盗賊は既に捕らえました。残党もこちらで警戒していますから。それと、盗まれた乗客の荷物に関しては、騎士団での調査が終わり次第持ち主に返します。この後か、急ぎでなければ明日にでも本部に来てもらってください」
何度もうなずく御者に、リースは一つ溜息をついた。
「それから、緊急事態だったという事情は分かりますが、よりにもよって子供を残していくなんて」
「ま、待ってください。私は何も……乗客の誰かがあの子を突き飛ばしたらしくて……それに、乗せる時も反対されて大変だったんですよ、絶対呪いがうつるって! 私だって恐くて恐くて……騎士様から頼まれなければ引き受けませんよ、恐ろしい!」
「それを魔導士隊にいる私に言うなんて……魔導士隊の隊長が紫色の目を持っているんですよ? そんなに簡単に呪いがうつるなら、今頃騎士団は壊滅状態ですよ」
いやしかし……ともじもじと手を合わせている御者に、リースは再び溜息をついた。もうこの話は終わりと、荷物の件だけ念押しして、御者から離れる。
「お待たせ。行きましょう」
右手でレツの、左手でルイの頭をぽんと撫でると、彼女は再び大通りへと出た。
ぐんぐんと進んでいくリースとルイの後に続きながら、レツは物珍しい首都の様子を眺めた。石畳の大通りの脇にはたくさんの店が立ち並び、細い路地の先にもさらに何かがあるようだった。故郷の田舎町では建物と建物の間が広く開いて境界が曖昧だったのに対して、ここでは隙間もなく立っている。人と物の多さに驚くばかりだった。
「まぁ、まぁ、なんてこと」
人ごみの中で、一人の老婆がルイを引きとめた。
「なんとありがたい。老いぼれたこの身にも、どうかその御加護をお分けください」
無言のルイの手を勝手に両手で握りしめ、老婆は今にも泣き出さんばかりだった。周囲の人が何事かと、ちらちら目を向ける。
二人目、三人目とやってきそうな気配に、ルイはやんわりと手をほどき、歩く速度を上げた。
何が起こっているのかよく分からないレツは、とりあえず置いていかれないように半分駆け足でついていった。