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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第一章 魔法魔術研究所
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19 フィーナ

 家族から離れての生活は目まぐるしく、あっという間に時は過ぎていった。落ち着いたら手紙を書くと約束していたのにすっかり忘れてしまい、催促の手紙が届いてしまっていた。

 フィーナは資料館への道を歩いていた。資料館は魔法に関する本だけでなく、研究員や研究生がいらなくなって寄付した娯楽本も置いてある。故郷にいた時は学び舎にある小さな書架か、友達と手持ちのものを見せ合うしかなかったので、それに比べればここは宝の山だった。

 ここで新しくできた友達のカーラは小説には興味がなかったので、その点は少し残念だったが。

 フィーナは毎日のように資料館に足を運び、勉強の合間に読みふけっていた。


 師匠達と約束があるというカーラと先程別れたが、カーラは「一人で資料館へ行くの? 恐くない?」と不安気に眉尻を下げていた。

 資料館は、当然だが他の学年の研究生も利用する。カーラが恐いと言ったのは、一つ年上の呪われた子のことだ。彼もよく資料館に足を運んでいるのを目にする。彼を避けているのは何もカーラに限った話ではなく、他の一年生や、違う学年の子も同じだった。

 しかしフィーナは恐いとは思わなかった。師匠であるミーシャが紫色の目をしているのだ。色々世話になる内に、フィーナはすっかり彼女のことが好きになっていた。もう一人の師匠であるマリーも優しく賢い人で、師匠同士もとても仲が良さそうだった。だから、呪われているから恐いという気持ちはなかった。


(カーラは大げさよ。呪いが周りの人に悪さをするなら、同じ部屋の人や二年生が先にどうにかなってるわ)


 そんなことを考えながら進んでいると、資料館のそば、木の根元に座り込んでいる人の姿が見えた。

 例の男の子だ。何やら熱心に本を読んでいる。


(……恐くなんかないわ)


 彼女は消極的な性格ではなかったが、決して大胆な性格でもなかった。それなのに資料館への道から外れたのは、気が大きくなっていたからだろう。ここに来て自分は成長したということを、自分自身に示したかったのかもしれない。

 近付いていくと、彼が読んでいるのが、少し前に流行した冒険小説だと分かった。男の子が行方不明になった友達を探すために旅に出る話だ。旅の途中で謎だらけのおじいさんが仲間になったり、城から逃げてきたお姫様を助けたりとわくわくする物語でフィーナはこの本が好きだった。

 あと数歩ほどの距離まで近付いた時、少年はフィーナに気付いて顔を上げた。紫色の目でまじまじと彼女の方を見つめている。一見すると大人しそうな子だった。


「あ……ここ、使うの?」


 場所を譲ろうとした少年に、フィーナは首を振った。


「使わないわ。その本、面白い?」

「面白いよ。友達に借りたんだ。時間がなくて、中々読み進められないけど」


 彼は少し戸惑っているように見えた。どうして話しかけられたのかと思っているのだろう。

 フィーナは、そもそも自分が名乗っていないことに気が付き、慌てて右手を差し出した。


「フィーナです。今年入所したばかりなの」


 差し出された手に逡巡した後、少年は立ち上がってその手を取った。こうしてみると、少年はあまり大きくなかった。背はほとんど変わらないか、むしろフィーナの方が少し高いかもしれない。握った手の大きさも同じくらいだ。


「レツです。僕は二年生なんだけど……あの、大丈夫なの?」

「何が?」

「だって、皆恐がって逃げていくから。呪いの心配してないのかなって」

「しないわ。だってうつらないって知ってるもの。だから恐くなんかないわ」


 そう言うと、レツは嬉しそうに笑った。そんなに喜ばれると思っていなかったので、フィーナは目を丸くしてしまった。

 それが、初めて彼と話をした日だった。




◇◇◇◇




 研究所の庭にある林は大きく、奥に人が来ることは滅多にない。

 ここに来ると、シュラルは気が休まるのだった。誰かが近付けば、少し離れたところに控えている侍女のラウハが教えてくれるので、それまでは存分に羽根を伸ばすことができる。


 人でないものが近付いてくる気配に、未だに慣れないラウハが少し身構える。シュラルは林のさらに奥からやってきたその巨体に、膝を折って礼をした。

 木漏れ日を反射する鱗、一振りで木々を簡単に薙ぎ倒しそうな長い尾、太く鋭い牙と、地面を強く蹴る足についた爪。彼女の故郷であるガーデザルグ王国で、恐れ敬われている精獣ガダだった。大地を駆ける龍は、林の中ではことさら大きく見える。


『シュラル』

「あなたまでその名で私を呼ぶのはやめてくださらない? 本当の名を忘れてしまいそうだわ」

『しかし、真の名が誰かに知られれば困ることになろう』


 そう思うなら、こんなところに自分を放り込まなければいいのに。シュラルはそう思った。

 シュラルは自らが望んでこの国に来たわけではないし、魔法の勉強とやらも好きでしていることではなかった。ガーデザルグ王国では、魔法は魔術に劣る子供騙しだと嘲笑されている。そしてそれは彼女も例外ではなかった。

 目に見えない精霊の力など借りず、己の内に秘めた力を行使する魔術こそ、シュラルは使ってみたかった。だが残念ながら、彼女にはその適性がなかったのだ。魔術の適性は生まれた時には決定しているので、今後も彼女が扱えるようになることは決してない。

 しかし、人よりさらに高度な魔法を操る精獣を前にしてそれを口にするほど、彼女も馬鹿ではなかった。ほうと息を吐き、硬く艶やかな鱗を指先で撫でる。


「神獣ガーデザルグ様のお導きですものね。尊い機会を与えてくださったことに感謝しなければ」


 神殿に閉じ込められていた彼女を、神獣ガーデザルグはここに導いた。その真意は誰にも分からない。

 シュラルは、『外の世界で学んでおいで。そなたが考えているより、この世界は愛に満ちている』と優しい声音で話しかけてきたその姿を思い浮かべた。大きなガダでさえひと飲みにできそうなほどの、とても巨大な龍だった。


(愛に満ちているから何だというの。愛ゆえに――狂った愛ゆえに、父は母を捨て、私を神殿に閉じ込めたというのに)


 シュラルを産んでまもなく亡くなった母の手記には、裏切ったあの男と、母から夫を、シュラルから父親を奪った女に対する恨みつらみが綴られていた。

 神殿という檻から解放してくれたという点においては、シュラルは神獣に感謝していた。しかし、ここは彼女にとって魅力的な場所では決してなかった。

 シュラルは適性があるものの、魔法は得意ではなかった。もう習い始めて丸二年が過ぎたというのに、未だに鳥を飛ばすことすらできない。去年までは師匠の一人が男性だったので甘く評価してもらえたが、今年から新しい師匠に変わってしまい、それも期待できそうになかった。そして新しいパートナーであるフィーナは、夏を迎える前に早くも魔法の第一歩を踏み出してしまった。筋が良いと褒められているのを穏やかな顔で見守りつつも、心の中では苦虫を噛み潰したような顔をしているなど――きっと、あの少女は知らないだろう。


 無性に腹が立って、シュラルはポケットの中に入れっぱなしになっていたものを放り投げた。ラウハが慌てて拾い上げるが、シュラルは「捨てておいてちょうだい」と言い放った。

 ラウハは躊躇ったのち、それを地面に置いた。


『なぜ捨てる。あれは新しいパートナーからの贈り物ではないのか』

「私、あの子が嫌いなの」


 シュラルは、投げ捨てたそれ――フィーナがくれたお守りのある場所から、つんと顔を逸らした。

 幸せに何の苦労もなく育ってきたようなフィーナが、彼女は嫌いだった。二人目のパートナーまで早々に研究所を去ることになれば、出自を疑われるかもしれない。そう思って我慢しているだけだ。だが、本当は嫌みの一つも言ってやりたいくらいだった。

 あなたのその艶のないボサボサの髪、櫛を入れるだけ無駄じゃないかしら?

 その辺の雑草のような緑色の目、庶民のあなたにはお似合いよ。

 そんな風に言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。泣くだろうか、怒るだろうか。いつかいらなくなった時には言ってやりたいものだと、シュラルは形の良い唇で笑みを作った。


 ガダはゆっくりと歩を進める。近付いてくるガダに、ラウハが声にならない悲鳴を上げて後ずさった。

 ガダがちっぽけなお守りを口で拾い上げるのを、シュラルは見て見ぬふりをした。

 こちらへ持ってきても、決して受け取ってやるものか、と。

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