16 一年の終わり(1)
毎日灰色の空が続いている。日課にしている朝の自主練習の時は、耳や鼻が赤くなって痛かった。初めて体験するセタンの冬は、南で育ったレツには厳しい寒さだった。
かじかむ手に吹きかけた息が白い。重く垂れこめた雲からは、今にも雪が落ちてきそうだ。
走り込みを終えると、レツは木剣を手に取った。レツより先に終えていたルイは木槍を手にしている。
建国祭の後に騎士を目指すことを伝えると、師匠達は新しい課題を次々に二人に与えた。魔導士隊として必須である魔法はもちろん、剣術以外にも一通りの武器は使えるようにと、槍術や杖術、体術も加わった。
これまで、どちらかというとリースの方が細々と指導したり世話を焼いてくれていたが、騎士になりたいと言った後は、ロウの方が率先して教えてくれた。そして彼の方が指導は厳しく、直接教わった日はボロボロになることがほとんどだった。
個人で行う練習メニューが終わると、二人は手合わせを始めた。
単純に武器を扱うだけではなく、それに魔法を絡めることも大分慣れてきていたが、剣術を以前から習っていたルイには中々敵わなかった。
起床の鐘の音が耳に届き、二人は武器を下ろした。
「こう寒いとひと気がなくていいな」
そう言うルイは、あまり寒く感じているように見えなかった。故郷のノーザスクは最北端の村なので、やはり慣れているのだろう。
一度部屋に戻って制服に着替えると、その後は今までどおり別行動になる。レツはセイと一緒に朝食を食べ、今日の授業のため講義室へと向かった。
午前の授業はベン教授の講義だったが、レツは以前よりは気持ちが上向きになっていた。課題は他の子と同じように評価してもらえるようになり、口頭でチクチク言われる回数もかなり減っていた。
自分には中々難しいと思っていたが、ルイが言ったように笑顔で――最初の頃はかなり顔がひきつっていた気がするが――やりすごしていたのが良かったようだ。評価が不当なものだと感じた時は、間違っている箇所を教えてくれと何度も質問に行ったのも、きっと向こうには鬱陶しかったのだろう。冬の評価は前よりは良くなるだろうと考えると、とても嬉しかった。
ただ、教授が自分を嫌っているのは相変わらずで、こちらを見る目は基本的に睨んでいた。
ベン教授は教育部門の責任者になるだけあって、レツでも分かるほど他の教授と比べて教え方が上手かった。他の教授の、一つ一つ段階を踏んで教えてくれるのも分かりやすかったが、彼の場合は考え方そのものを導いてくれる。内容はどんどん難しくなっているが、以前より本を読み返さなくても理解できるようになっていた。
ベン教授の講義は大抵が鐘より早く終わるので、教授が去ると、レツはセイと一緒に資料館へ向かった。
「冬の評価は順位が出て、貼り出されるらしいよ」
それを聞いてレツはどきりとした。以前より良くなっている自信はあったが、他の子と比べて良いかどうかは自信がなかった。
最下位だったら悲しい。それに、ペアを組んでいるのに大差があるのはあまり良いこととは思えなかった。まだ結果を見ていなくても、ルイが上位なのは良く分かっていた。
「ドキドキするよね。絶対誰かが最下位にはなるんだけど、できれば嫌だなぁ」
二級魔導士の試験がある四年目と、一級魔導士の試験がある七年目は既に貼り出されているらしい。その年の研究生は既に試験も終え、人によっては仕事も決まっているそうだ。
(ミーシャさんとマリーさん、どうなったのかなぁ)
ミーシャは研究員、マリーは医術師を志望していた。二人とも試験に就職にと忙しいし、レツの方も秋以降は忙しく、同じ研究所にいるのに中々会えていなかった。
資料館で新しい本を借り、昼食をとった後、レツはセイと別れた。この後は師匠達に指導を受ける予定になっていた。
庭に出てきたものの、じっと待っていたのでは寒過ぎて、レツは杖術の練習をして体を温めた。
彼より少し遅れてルイも到着する。二人揃ったので、朝のように手合わせをした。ただ、朝と違い今回は二人とも杖だ。魔法の練習だけをする場合は手のひら二つ分ほどの長さの小さな杖を使うことが多かったが、武術の練習を兼ねるようになった最近は、もっぱら長いものを使っていた。借り物なので微妙に長さも重さも違ったが、大抵足先から腰ほどの長さだ。
杖なので当然刃はないが、ルイの振るう杖は切れ味が良かった。魔法の刃を杖にまとわせているのだ。これがレツにはまだできず、杖に守りの魔法をまとわせて防ぐしかなかった。
杖術の基本を忘れないように注意しつつ、魔法を使って次々に来る攻撃を防ぐ。反射的に動く体に対して頭の中はパンパンだった。
横なぎに振るわれた杖を受けきれず、地面に転がる。何とか受け身をとってすぐに体を起こしたが、眼前に杖の先を突きつけられて、レツは息を飲んだ。
「俺の勝ち」
レツは長く息を吐くと体を起こした。ルイも杖を下げて呼吸を整える。そこでようやく、師匠達が来ているのに気付いた。
二人は姿勢を正して一礼したが、顔を上げるとルイは少し不満気に眉根を寄せた。
「なんで黙って見てるんですか」
「見られて困るもんじゃないだろ。それに、どうせやることは一緒なんだから中断させる必要がない」
ロウが言うことはもっともなのだが、何となく、自主練習と思ってやるのと、師匠達に見せると思ってやるのでは気持ちの持ちようが違うとレツは感じた。
「二人とも、大分動けるようになったわね。魔法も並行して使えているし」
「ルイ、お前はちょっと守ることも考えろよ。レツの杖が何度か当たってただろ。杖じゃなければ怪我してたぞ。レツは受け身になりすぎだ。もっと攻撃しろ」
レツはうなずいたが、どうしていいのかは分からずにいた。まだまだ体が覚えきれていない基礎をしっかりすれば、今よりはましになれるだろうか。
そう考えていると、意外にも口を開いたのはルイだった。
「こいつの……攻撃が下手なことなんですけど、魔法と相性が悪いってことありませんか?」
「それは私も考えていたんだけど、闇の精霊と相性が良くないってことは十分考えられるわ」
リースは腕組みをした。それを見て、講義が始まると悟ったロウは手近な岩に腰を下ろした。
「この国で一番有名な闇の魔法が何か、知ってる?」
「七日夜の時の……」
恐る恐る答えると、リースはそれにうなずいた。
七日夜とは、大陸歴1108年、スタシエル王国の建国から百年ほど経った頃に起こった、内乱の末に起きた事件のことだ。
内乱が原因で日没の矢が暴走し、当時王都だったキャトロイは壊滅。スタシエル王国はその後七日間、闇に閉ざされたという話だ。今の首都であるセタンは、王都の壊滅後に造られた。
その、国全体を七日間闇に閉ざしたのが、一人の魔導士が使った闇の魔法なのだと言われている。
「誤解してる人が多いんだけど、その闇の魔法は人々を守るために使われたものよ。暴走する日没の矢を、当時の人々は破壊できなかった。だから、日没の矢から人々を隠したわけ。歴史上、一番有名な闇の魔法で、一番強力な守りの魔法でもあるわ。ただ、この闇の魔導士だけど、騎士団に所蔵されている記録を読む限り、攻撃に関する魔法が使えたという記述がないの」
「まぁ、昔はそこまで重要視されてなかったってのもあるけどな。星舞だって当時はなかったし、割と武器頼りだったらしい」
五百年前と今では、色々と違うことが多いのだろう。人の数も、騎士団の形だって歴史の中でどんどん変化している。
「星舞がなければ、当時の人達はどうやって魔術品を破壊していたんですか?」
レツが尋ねると、ロウは身振り手振りで何か示しながら唸った。
「あー……名前が出てこないんだよな。すげえ武器があるんだよ」
「あんたね……『地天技法』と呼ばれる特殊な技法で作られた武器があってね。エンチュリ帝国時代にはたくさん作られたの。技術自体はガーデザルグ王国のものだけど、隣国だから当時は結構手に入ったらしいわ。今は職人も絶えてしまって、ほとんど見つからないけどね。当時のものは劣化してしまっているし」
その技法を用いて作られた武器は、今の時代でも超えられないほどの威力を持ち、同じ技法で作られた武器でなければ破壊できないほど頑丈なのだという。地の精霊に頼った技術で、神獣ガーデザルグが当時の人々に伝えたものだ。
「リース師匠。当時はたくさん作られたのなら、もしかして日没の矢も?」
ルイの問いに、リースはうなずいた。
「当たり。だから破壊するのが余計に難しいのよ。まぁ、破壊したくても、そもそもどこにあるのか分かってないんだけど……。日没の矢はともかくとして、騎士になるのに魔法で攻撃するのは必須ではないから。杖術でもいいからもっと練習するのと、後は星舞、それから、攻撃が不得手でもそれを補えるくらい他の分野を磨くしかないわね」
「まだ一年目だ。苦手と言わずどんどん挑戦しろよ」
ロウが立ち上がったので、話はそこで終わりになった。
どんどん挑戦、の言葉どおり、新しい課題を次々出される。師匠達がやってみせた技を目で見て覚え、試してみる。ついていくので精一杯なのは、レツだけではなくルイも同じだった。雲に隠れて見えない冬の太陽が沈み始め、薄暗くなってきた頃には二人とも息も絶え絶えだった。
「春の精霊感謝祭が終わるまでに、今日覚えたことは完璧に習得しとけよ。その頃にまた来るからな」
いくらなんでも無茶じゃないかと思ったが、二人とも一礼だけして何も言わなかった。
「感謝祭が終わるまで私達も忙しくて。ごめんね、騎士団本部に言えば連絡はつくから、何かあれば言って。それから、汗と泥でだいぶ汚れてるから、一度お風呂に入ってきてから門の前に集合ね」
「え、まだ何かするんですか?」
思わずルイが口に出してしまうと、ロウは「やりたいなら付き合ってやるぞ」とにやりと笑った。
「指導は終わりよ。時間がないから、とりあえず先にお風呂に行ってきて。後で説明するから」