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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
後日談
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大陸歴1625年 春 エドヴァルド(2)

『さて、それでは本題に入ろうか。古い魔術品は消え去り、これで末永く幸せに――というわけにはいかぬ。我が子を苦しめた者を放っておくわけにはいかぬ』


 穏やかな口調の中に地響きに似た音を聞き取り、エドヴァルドの背中にひやりとしたものが走った。

 怒っている。

 神獣の怒りに触れるのがどれほど恐ろしいか。それは書物にも書かれていないが、考えることすら恐ろしかった。


 春彩石に仕込まれた、精獣を狂わせる薬。それを用意したのが誰かは、まだ分かっていない。

 そして、魔法道具で保護されていた春彩石が破裂してしまったのは、精霊が思いもよらぬ動きをしたからだという。

 精霊の行動については偶然の可能性もあるが、それはあまり大きくないのだという。精霊に愛された魔導士が大勢いる中で、全ての精霊が一斉に離れることは考えづらい現象らしい。何かしら、外からの干渉があったと考える方が自然だろう。そして、その原因の究明は、かの国にとっては急務だ。

 二つの国が和平を結んだのは、利害が一致したというのが一番の理由だ。見えない敵に立ち向かうためには手を結ばねばならないと悟ったからだ。


「今、スタシエル王国の者達と共に、調査にあたっています。まだ糸口すら掴めませんが……お互い、相手の知識については無に等しいので」


 魔導士は魔術の、魔術師は魔法の知識をほとんど持たない。

 相手の技を打ち破るための術は持ち合わせているが、それは知識とは到底呼べなかった。


 精霊が突然いなくなった現象は、最初は魔術のせいだと疑われていた。

 しかし、魔術は精霊を操ることはできない。

 精霊は魔術を嫌うため、長期的に見て魔術師の周囲からいなくなることはあるが、それは魔術師の側が意図して起こせるものではない。短時間の話であればなおさらだ。

 そして、それは魔法も同じらしい。


――魔導士は、精霊を操っているのではありません。その力を借りているだけです。


 エドヴァルドの耳に、愛想の欠片もない男の声が甦った。


 この春、ガーデザルグ王国は魔導士と精獣ステュルをこの国に招いた。

 知識共有のための初めの一歩だ。

 魔導士を招くにあたって、エドヴァルドは一つのことを願い出ていた。

 王家への呪いを解いてくれた、日没の矢を破壊した功労者に来てほしい。会って礼が言いたいと。

 だが、来たのは片方だけだった。

 もう一人いたはずだと言えば、しれっと「どうしても国を離れられず」などと返ってきたが、その琥珀色の目は嘘をついていることを隠そうともしていなかった。


『それほどまでに会いたいか』


 エドヴァルドははたと顔を上げた。あの男と同じ琥珀色の目がじっと見下ろしている。

 怒りの色は既になく、そこには面白がるような色が浮かんでいた。


『今はまだ、その時ではない。そなたには先に向かい合うべき者がいる。その、懐の』


 思わず、服の上からそれを押さえる。

 ここへ来る前に受け取ったばかりの、グラネア帝国からの手紙が、紙の感触を伝えてきた。


「……彼が何者で、何を望んでいるのか……私には分からないのです」

『それは、そなたが自分の目と耳と心で確かめるべきことだ』


 時折送られてくる、グラネア帝国の皇太子からの手紙。

 内容は、いつも当たり障りのないことだった。だが三通目を受け取った時、ようやく気付いたのだ。

 特定の文字にだけ、右端に小さなインクの染みがあった。

 もしやと思い過去のものを見直すと、一通目は、ある文字にだけ不自然なハネが、二通目には僅かな滲みがあった。

 そのどれも、文字を組み合わせると「こわい」と読めた。


 エドヴァルドは慌てて返事を書いた。向こうがやったのと同じように、ごく普通の文面の中に「なにが」を隠して。

 そうすると、向こうからは「くちで」と返ってきたのだ。

 会って直接ということだろう。

 だが、エドヴァルドはまだ彼に会っていなかった。

 一国の王子が隣国を訪れるとなれば、それなりの時間と、何より金がいる。国の財政が厳しいのはエドヴァルドも痛いほど分かっていた。それに、何か表立った理由があるならともかく、そうでないのに訪問するのも不自然だ。

 やがて弟や妹まで呪いに倒れたため、エドヴァルドも日没の矢のことにかかりきりになってしまっていた。


 グラネア帝国はガーデザルグ王国とは違い、一人の皇帝に何人もの妃がおり、皇子の数も多い。そのため、世継ぎ争いも苛烈だと聞く。

 恐いとはいうが、ただの権力争いならエドヴァルドには大した問題ではなかった。特別、彼に皇帝になってもらいたいわけでもない。


 だが、皇太子からの五通目の手紙で、ただの権力争いではないのではと思わされた。

 精獣ガダがスタシエル王国に乗り込んだとの報が入り、城内が慌ただしい中で届いた手紙には、「しんぐん」と書かれていたのだ。


 その時、城内では意見が割れていた。

 過激派は、これを機に進軍し、スタシエル王国を吸収すべきと。

 穏健派は、まずは使者を送るべきだと。

 まるでそれを察しているかのような手紙だった。


(結果的には丸く収まったが、どこかで何かを間違えれば戦争になっていたかもしれない。あの皇太子が戦を好むようには見えないが……)


 行って何が良かったのか。

 行かなければ何が起こったのか。

 エドヴァルドには、未だによく分からなかった。


 ただ一つ、「星舞」と呼ばれるあの魔法をこの目で見られたことだけは、良かったと思う。

 己の中にあった、不安も、恐怖も押し流していくような光景だった。

 普段は感じることのない精霊の偉大さと、己の命の尊さを感じ、ただ茫然と見惚れていたように思う。

 瞼の裏に焼き付いたその黄昏色を思い出すと、夕焼け空を見上げた時のような感情が甦る。感嘆と、少しの寂しさが入り混じったような、彼自身も上手く言葉にできない気持ちだった。


『あれほどの星舞は、我々でも初めてだ』


 エドヴァルドはうなずいた。


「彼らと同じ時代に生まれ、あの場に居合わせたことを幸運に思います。ですが……ですが、考えるのです」


 あれを目にしてから、エドヴァルドはずっと考えていた。

 だからこそ、エンゼント王の手記の原本を引っ張り出してまで調べていたのだ。


「なぜ、我々魔術師は精霊に嫌われてしまうのか、と。日没の矢のようなものはともかくとして、人や、他の動植物が命を育む手助けになる魔術も数多く存在するのです。それなのに……」


 エンゼント王は、美しい星舞を目にしていなくとも、その疑問を抱いていた。

 魔術師と精霊が、魔術師と魔導士が共存する道を探していた。

 精霊は、人間というものが好きだ。精霊は命を愛するのだという。そして、人間も生物の一つだからだ。それなのに、人間の力を用いる魔術を嫌うのはなぜなのか。エンゼント王は、その答えにはどうやら辿り着けなかったようだった。


『真っ直ぐ進むがいい。そなたの知りたいこと、願うことは全てが一つに絡み合い、収束していくだろう。死ぬはずだった者の前に生の道が伸びたことで、我ら神獣でも分からぬほど、未来は大きく開けた。かつてない星の舞に、ふんぞり返っていた者は今頃震えているだろうよ』


 神獣は、簡潔に教えてはくれない。それはきっと「干渉しすぎない」ためなのだろう。

 だがこの言葉で、エドヴァルドの中でバラバラに転がっていた歯車がようやく噛み合い、回り始めた。


 グラネア帝国に、探しているものがあるのだ。

 黄昏色の星舞に震えている者が。皇太子が恐れるものが。精獣ガダを狂わせた原因が。

 そして、魔術がなぜ精霊に嫌われるのかという、その答えが。


(今なら、できるのかもしれない。エンゼント王とエリク王にできなかったことが。魔術師と魔導士が、手を取り合って生きる世を作ることが)


 日没の矢を探っている時に見た、色のない浜辺。そこで出会ったあの男と、言葉を交わす日が来るだろうか。


『その者が国を離れられぬというのは、何も嘘ではないのだよ。人の子も、伴侶を得る時には巣作りなど準備が必要なものだろう?』

「伴侶……? ああ、それは、確かに人の子も同じです」


 もっとも、平民の場合はどのような具合なのか、エドヴァルドはよく知らなかったが。


(伴侶か……それならそうと言えばいいのに。あの男は本当に秘密主義者だな)


 後日、再び来訪した光の魔導士に、エドヴァルドは一冊の本と手紙を託した。「ささやかだが結婚祝いだ。君のパートナーに渡してくれ」と伝えると、向こうは琥珀色の目を丸くした後、何か言いたそうに眉根を寄せた。

 なぜそのことを知っているのかと、いぶかしんでいたのだ。

 それを見て、少し溜飲が下がるエドヴァルドだった。

閲覧ありがとうございました。

一部の謎が残ってしまった件に関しては、活動報告(2019/06/27)にて。

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