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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
後日談
131/133

大陸歴1624年 冬 ルイ(3)

 滞在時間が短かったとはいえ、セタンとノーザスクを往復すると丸一日潰れてしまった。

 乗合馬車がセタンに到着した頃には日は暮れていて、月光灯の青白い光が街並みを照らしていた。


「お、今日は仕事じゃないのかい?」


 歩いていたところに声を掛けられて、ルイはそちらへ顔を向けた。

 床屋の店先で、店主である老人が箒を片手に立っていた。


「随分伸びたじゃねえか。切ってけよ」

「もう店じまいじゃないんですか?」

「かまわんかまわん」


 その言葉に甘えることにし、ルイは閉店準備中の店内に足を踏み入れた。

 中途半端に床に集められているゴミを避けて、椅子の一つに腰掛ける。店主は綺麗にしたばかりのはさみを持ってくると、さくさくと髪を切り始めた。


「切れる時に切っておかなけりゃ、髪なんてすぐ伸びちまうからな。レツの奴にも来いって言っといてくれよ」

「分かりました」


 目の前の鏡に、自分と店主の姿が映っている。

 迷いなくはさみを動かしながら、店主の目は遠い昔を眺めるように細められた。


「早いもんだよなぁ、もう十年だろ?」

「そうですね」

「ヴァフの野郎はずーっと一人だが、お前らはずっと一緒だな」


 離れている時期も決して短くはなかったが、ペアを組んでいるという点では店主の言うとおりだ。

 ここの店は、セタンに来て早々、ミーシャがレツに紹介した所だった。セタンにいる間はずっと世話になっているので、この店主との付き合いも長い。


「ミーシャと組んでくれてたマリーもだが、お前もよく拒否しなかったよなぁ。大人でも馬鹿みてぇに怯えるのによ。ったく、子供の髪くらい切ってやりゃいいのに」


 出会った頃、自分で切っていたらしくレツの髪は酷い有様だった。

 紫色の目で差別された時、意外と困るのが床屋なのだそうだ。物を買うくらいなら一瞬だが、髪を切るとなるとそれなりの時間関わらなければならないため、店側に断られるらしい。

 トセウィスにいた頃も、切ってくれるところを探して何件も回っていたようだった。


「ぶっちゃけよ、嫌だと思ったことないのかい?」

「答えづらいことを訊きますね」


 ルイは苦笑した。

 今まで、意外とそう訊かれたことはなかった。「嫌だろう。嫌に決まっている」と勝手に断定されることは多かったが。


「ありませんよ、一度も。向こうは知りませんが」


 むしろ、ルイがパートナーであることで、レツが嫌な思いをしたことの方が多いだろう。


 ルイがレツとのペアを拒否しなかったのは、決して前向きな気持ちからではなかった。

 あの時は、相手が誰でも同じだと投げやりな気持ちだったのだ。


(今になって思うと、我ながら面倒くさい時期だったな)


 誰を信じていいか分からず、どうせ周りは自分自身を見てくれないのだから、求められるままの姿を演じてやると思いながらも、対等に接してくれる誰かを望んでいた。

 願いと行動がちぐはぐだ。

 そんな時にパートナーになったのがレツで良かったと思う。

 彼はルイに何も期待しなかった。初めて会った時でさえ――盗賊に捕まっていたのに――救いを求めるでもなく、助けが来たと喜ぶでもなく、ぼんやりとこちらを見上げるだけだった。寝起きだったようなので、実際、何も考えていなかったのだろう。

 期待せず、過度に顔色を窺うこともしない同い年の少年という存在が、ルイには有難かったのだ。

 とても本人には言えないが。


「仲が良いにこしたことないわな。よし、できたぞ」

「ありがとうございます」


 髪がすっきりすると、心なしか気分もすっきりした。


「結婚式の日取りは決まったのかい?」

「まだ聞いてないですね。春頃だとは思いますけど」

「店閉めなきゃなんねぇから、決まったらさっさと教えろって言っといてくれ」

「招待されたんですか?」

「招待しろって言っとけ」


 ルイは笑って「分かりました」と言うと、代金を支払って店を出た。

 大通りを吹き抜ける冷たい風に、体が少し震える。

 床屋にいた時間はそう長くはなかったが、入った時に比べると随分店が閉まっていた。


(甘いものでも食べたかったな。食堂に何かあればいいが)


 酒が飲めるのであれば、きっとこういう日は酒を飲むのだろう。

 だが酒を飲んだ後に後悔するのは分かっているので、ルイは余程のことがない限りは飲まないと決めていた。


 市場を通り抜け、中央広場を横切り、騎士団本部が近付いてきた。高い塔を中心に、ステュルが円を描いて飛んでいる。それを見ると少し心が落ち着くようだった。

 神獣の使いだ何だと言われるのは嫌だったが、別に神獣や精獣が嫌いなわけではない。そしてこの国の多くの人々と同じく、ルイも、人より賢い彼らに安心感を覚えていた。


 騎士団本部の門をくぐろうとしたところで、ルイは足を止めた。研究所の方からやってくるのが知人だったからだ。

 しかも、何やら問題を抱えているのが一目で分かった。

 ずんずんと足早に近付いてきたフィーナは、目が据わっていた。どう見ても怒っている。

 向こうもルイに気付き、明らかにルイに向かって歩いてきていたので、ルイは観念した。


「どうかしたのか?」


 声をかけると、フィーナは手にしていた分厚い紙の束を目の高さに掲げた。手紙だ。何通くらいあるのだろう。


「この間、レツから聞いたの。自警団にいた頃、セイがあの人宛に研究所に送った手紙が行方不明になってしまったって。だから、怪しいと思って教育棟のあちこちを調べたのよ」


 恐らくは、ベン教授の嫌がらせだったのだろう。


(俺宛の分、よく届いたな。寮母さんが運よく受け取ってくれたんだろうか)


 雪の日に受け取った手紙のことは、今でもよく覚えている。

 あれがベン教授の目に触れなくて本当に良かったと、内心で安堵した。


「それで、それをあいつに届けに来たのか?」

「それもあるけど、問題はこっちよ!」


 紙の束は、よく見ると二つあった。その片方が問題らしい。


「あなた達がポーセの魔導士養成所にいた頃のこと、覚えてる? 手紙のやりとりを中止しろって。知らない人からの手紙は読むなって」

「……ああ、そういえば……」


 すっかり忘れていた。

 アルとのいざこざの件だ。確かに、ルイはフィーナにそう手紙で伝えていた。

 日没の矢のことで頭がいっぱいで、騎士団に入団してからアルのことを考えることはほとんどなかった。だが、彼はセタンに配属されているはずだ。研究所に弟子もいるようだし、フィーナと接触していても何もおかしくない。迂闊だった。


「すっかり忘れてて読んじゃったわよ! 何よこれ、私のこと馬鹿にしてるの!?」

「いや、俺は中身は知らないから……」


 フィーナ宛のものまで、どうしてあの教授は隠したのだろう。レツからのものだと勘違いしたのだろうか?

 それはともかく、フィーナは怒り心頭だった。

 読んでみろと言わんばかりに紙の束を押し付けてきたので、ルイはその中の一つを開いた。

 大体、予想していたとおりだった。

 ポーセでのいざこざをアルの都合のいいように脚色して、あいつはこんなに酷い男だから離れたほうがいい、というようなことが書いてある。封筒には書いていなかったが、便箋の最後にはご丁寧にアルの名前が記されていた。困ったことがあれば相談にのるとまで書かれている。


(何考えてるんだ。いや、何を考えてるかは分かるが)


 こんな手紙で、フィーナにレツを嫌わせ、あわよくば自分が――などと考えられるなんて、頭がどうかしているんじゃないかとルイは思った。

 大体、この手紙を送った時はフィーナのことは名前くらいしか知らなかったはずだ。フィーナがろくでもない人間だったらどうするつもりだったのだろう。


「アルってあなた達と同期の人よね!? やたらと弟子の指導のことで話しかけてくるから、何かと思ったら!」


 教育のことで話し合いたいなどと、お茶に何度か誘われたらしい。

 フィーナも多忙なので適当に流していたそうだが、下心があってのことだと知って怒っているのだ。

 レツとフィーナが婚約したことは、恐らくアルも知っている。それなのに手を出そうとしている。つまり、フィーナは婚約者を裏切れるような軽い女だと思われているのだ。怒って当然だろう。


「一体どういう神経してるのよ! レツのことが嫌いなら、私のことなんて放っておいたらいいじゃない!」


 アルは、本気でフィーナに気があるわけではないのだろう。

 恐らくは、「あんな奴ですら相手にしてくれる女だから、俺にはもっと良くしてくれるはず」くらいの考えなのだと思う。

 だが、それを今、口に出したら火に油を注ぐだけだ。そう思い、ルイは黙っておくことにした。


「とりあえず、俺よりリース師匠に相談したらどうだ? 釘をさしてくれるだろうし」


 現在、師匠として研究所に出入りする騎士達を取りまとめているのはリースだ。アルも、因縁のあるルイ相手ならともかく、先輩である彼女相手に大っぴらに反発することもないだろう。


「それに、あいつに魔法をかけてもらってるなら、身の危険は心配する必要がないし」


 フィーナを守るように闇の精霊がそばにいるのに、ルイは気付いていた。

 レツの魔法は、今では国境を守るのに使用しているくらい、防御としては国内でも特に優れたものだ。隊長クラスならともかく、アルなど手も足も出せないに違いない。


「……よく分かったわね」

「分かるだろ、魔導士なら」


 精霊の気配を感じることくらい、二級魔導士でも造作もないことだ。


「この魔法、普通の魔導士なら闇の精霊の気配をほとんど感じないの。研究所でもレータ所長くらいしか分からないわ。まぁ、あなたが分かるのは当然よね。国の外にいてもお互いの居場所が分かるんでしょ?」


 眉根を寄せる彼女の顔は、少し拗ねているように見えた。


「とにかく、ろくでなしのことはリースさんに相談するとして……セイからの手紙、あの人に渡しておいてくれる?」

「自分で渡せばいいだろ」

「こんな顔を見せたら、心配させてしまうじゃない。手紙のことを言ったって、あの人がこれ以上できることもないだろうし」


 一理あると思い、ルイはセイからの手紙の束を受け取った。

 レツからアルに何を言おうとも、アルは行いを改めたりはしないだろう。むしろ悪化する可能性すらある。

 魔法のおかげでフィーナの身に危険はないのだから、まずはリースから注意してもらって、その後に今後のことを考えても遅くはない。


 まだ仕事が残っているのか、フィーナは研究所へと帰っていく。

 その背中を見ながら、レツの相手が彼女で良かったと、改めてルイは思った。

 あれだけ意思表示がしっかりしているフィーナだからこそ、結婚の話も出たのだろう。もっと奥ゆかしいタイプなら、きっと恋人にすらならなかったはずだ。


 騎士団本部の門をくぐり、ルイはレツのいる場所へと向かった。

 フィーナの言うとおり、かなり離れた場所にいても、彼がどこにいるのかは精霊が教えてくれる。いつからこうなったのかは分からないが、ガーデザルグ王国から戻ってくる道中にはすでにそうなっていた。

 神獣ガーデザルグから、一人で日没の矢と対峙していると聞かされた後のことだった。気配を感じてどれだけ安堵したかなんて、向こうは考えたこともないだろう。


 レツは、魔導士館の廊下でずっと立ち止まっている。

 知り合いと立ち話というのであれば何も問題はないが、ルイは何となく嫌な予感がしていた。

 そして、実際その予感は当たっていた。


 曲がり角の先から聞こえてくる声は、知らない人のものだった。

 このまま出ていっていいものか逡巡するルイをよそに、会話は続いていた。


「おこぼれで良い思いしてさ、恥ずかしいとかないのかよ」

「おっしゃっている意味がよく分かりません」

「何度も言わせるな。お前とルイじゃ実力が違いすぎるんだ。ペアを解消するのが筋ってもんだろ」


 どうしてレツはこうも軽視されるのかと、ルイは嘆息した。

 攻撃に関しては確かに不得手だが、防御に関してはそれを補って余りある。第一、星舞は単純な魔法の技術だけではない、様々な要因が絡み合っているものだ。魔導士で、しかも騎士なら当然知っているはずなのに。


「ペアは自分達の意思だけではなく、魔導士隊からの指示でもあります。不満があるならヴァフ隊長におっしゃってください。それに、私から解消を言い出すつもりは全くありません」

「あのなぁ、身の程を――」


 わざと大きな足音を立てると、相手は続きを飲み込んだ。

 舌打ちをして、廊下の先へと立ち去っていく音が聞こえる。


(いつになったらなくなるんだ、これは)


 研究所でもあったし、トセウィス支部にいた頃にもあった。ルイが目撃していないだけで、きっとレツはもっとたくさん言われているだろう。

 パートナーがルイではなくザロや他の誰かなら、レツもこんな苦労はしなかったのではないか。そう思うと、少し気持ちが落ち込んだ。だが、ルイだって、自分からペア解消を言い出すつもりなんて毛頭ない。


 時々、考える。

 これは、何か見えない力が働いているのではないかと。そう思いたいだけなのかもしれないが。


「大丈夫?」


 曲がり角の先からやってきたレツの第一声に、ルイは肩を落とした。


「それは俺の台詞じゃないのか」


 こいつはいつもこれだと、ルイはまた溜息をついた。

 剣で切り殺されそうになった直後でさえこうなのだから、きっと性分なのだろう。


「だって、すごく辛そうに見えるから」


 今日は色々ありすぎた。床屋の店主とフィーナのおかげで少しは気が紛れていたが、疲れが顔に出ていたようだ。


 ふと、闇の精霊が自分の周囲に集まるのを感じて、ルイは顔を上げた。


「……何してるんだ」

「だって、必要あるような気がして」


 フィーナにかけたのと同じ魔法をかけたのだ。

 守られているという安堵感に気付かないふりをして、ルイは腕を組んだ。


「一体何人にかけるつもりだ。国境にかけるだけでも大概なのに」


 恒常的な魔法は、ずっとかけ続けている分、もちろん負担が大きい。

 平然としているが、普通ならば国境だけでも無茶な話だった。


「別に、無理してるわけじゃないよ。全力で星舞をしても大丈夫なくらいには余力があるし」

「結構すごいこと言うよな、お前」


 大丈夫だという、その言葉を信じるしかない。

 実際、無理はしていないのだろう。無理をしていれば、星舞であれ武術であれ、手合せすれば分かるはずだ。


 レツは、真っ直ぐルイを見ていた。

 


「おかえり、ルイ」


 改めて言われたその言葉は、空っぽだった胃にすとんとおさまった。

 ノーザスクでのことが脇に追いやられる。

 あそこが故郷と思えなくなっても、もう自分には、他に居場所がある。


 朗らかに笑っているのを見ると、肌寒い風で固まっていた頬の筋肉がほぐれた。


「ただいま」


 ノーザスクであったこと、今日知ったことを、そのうち彼に打ち明けようと思う。

 打ち明けたところで、彼の態度は変わらないだろう。この関係もきっと今のままだ。信じるというより、ほとんど確信に近かった。


「……俺も、防御に関してはもっと学ばないとな。これを解いても平気なくらい」

「その時は、二重でかけておけばいいじゃないか」

「そこまでする必要ないだろ」

「君に、幸せになってほしいんだよ」


 相変わらず、恥ずかしげもなくさらっと言ってのける。

 いつもなら返答に困って話題を変えるところだが、今日の彼は少しだけ素直だった。


「……今でも結構幸せだよ」

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