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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
後日談
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大陸歴1624年 冬 ルイ(2)

 色のない灰色の海辺。ずっと夢で見ていた光景を、レツはルイにそう語った。

 今、ルイの目の前にある景色は、それとは少し違っていた。

 冬が近いので色鮮やかではないが、海は一応青と呼べる色をしているし、針葉樹の緑もある。

 王都キャトロイと同じく精霊の少ない地ではあったが、それを除けば他の場所と変わらない。

 ノーザスク北東部の入り江。ずっと日没の矢が隠れ潜んでいた場所に、ルイは立っていた。


 ザロを始めとする騎士達がここで目撃したのは、突然レツが姿を消したことと、時間が経った後に日没の矢の結界が解かれたことだった。

 結界の中で何があったのか、レツは多くを語らなかった。騎士団側も、終わったことだからなのか、深く追求しようとはしなかった。

 だが、二人きりの時に、彼はルイに少しだけ話してくれていた。


『泣いてしまったんだ。君との約束を思い出して……それで、セヴェリも呆れちゃったんじゃないかな』


 二人で交わした約束の残った一つ。そこに込めた思いを、ちゃんとレツは汲み取ってくれていたのだろう。

 背後で草を踏みしめる音がして、ルイは振り返った。老人が一人、近付いてくる。ピンと背が伸び、相変わらず日に焼けて元気そうに見えた。


「年寄りをこんなところに呼び出すなんぞ、気が利かんのぅ」

「自分が年寄りだって認めましたね」


 老人はふんと鼻を鳴らした。

 出会った頃から、この剣の師はあまり変わらない。ルイが子供の頃の姿そのままだ。ルイはそれにどこか安らぎを覚えていた。


「レツの奴は元気か?」

「ええ、元気ですよ」

「そりゃ良かった。気の進まん話でも少しは話す気力が出るわ。トセウィスで会った時は話す気にならんかったが」


 老人が砂浜に腰を下ろしたので、ルイも並んで座り込んだ。

 ルイの身辺が落ち着くまで、この老人は待ってくれていたのだ。ルイが強い人間なら、トセウィスで話をしたのかもしれないが、生憎彼は強い人間ではなかった。あの時は、日没の矢以外のことはろくに考えられなかったのだ。


「……自分でも、少しは調べたんです。この村のことを」

「それなら話は早い」


 リゾネルで、姉リーシャの結婚式に参列した時、ルイは改めて思ったのだ。自分の故郷の人々の言動は異常だと。

 神獣の使いであり、神獣の加護があると言われる琥珀色の目。セタンやトセウィスでも、それを有難がる人間は少なくない。だが、ノーザスクの人々の言動は常軌を逸しているし、ルイが研究所に入る前より悪化しているように思えたのだ。

 日没の矢の件が落ち着いてから、彼は騎士団にあるノーザスクの記録を調べた。

 そして、ルイがまだ研究所にいる頃、両親が一人の女性と揉めていたことを知った。


「騎士団の記録では、俺の両親が人攫いだと主張する女性が村を訪ねてきたとしか分かりませんでした。それ以上のことは、何も」


 老人は一つうなずいた。


「その者の主張を裏付けるものが何もなかったんじゃ」


 騎士団としては、ただの言い争いとして処理したのだろう。

 だが、老人は個人的にその件を探っていた。相手の女性が嘘を言っているようには思えなかったのだそうだ。


「で、結論から言うとな。どうやらその者の話のとおり、お前の親はお前を攫ってきたらしい」

「……そうですか」

「思っていたより動揺せんな」

「まぁ、ここ数年色々あったので、驚くのに慣れたというか」


 それに、確かにルイは家族や親戚の誰とも似ていない。そのことに、無意識に察していたのかもしれなかった。

 老人は、調査して分かったことを丁寧に教えてくれた。


 シシーというその女性――ルイの生みの親は、リゾネルで双子の男女を出産した。

 だが喜びも束の間、少し目を離した隙に、男の方の赤子は亡くなってしまった。

 ルイの実の父親である男性は、すぐに死ぬような子供は自分の子供ではないと、シシーと子供を置いて行方をくらましたという。

 シシーは実家を頼り、南方にあるドルクへ娘と二人で帰郷した。


「もしかして、その死んだ赤ん坊が?」

「リーシャの本当の弟というわけじゃな」


 リーシャの両親はリゾネルの医術院で第二子を出産しているが、最初は死産だと記録された。

 だが、帰宅した後に「死んだと思ったが生きていた」と連絡があったらしい。

 亡くなった実子とシシーの息子を交換したのだ。

 魔が差したというやつだろうか。それにしても、ろくでもない大人ばかりだとルイは思った。


 シシーはどこで聞き及んだのか、息子が実は生きていることを知り、ノーザスクへ乗り込んできたということだった。


「まぁ、死んだと思っていた子供が生きていたら、普通は探しますよね……でも、証拠が不十分とはいえ、今の話だと騎士団も動いてくれそうですけど」

「それがのう……残念じゃが、かなり狂人じみとったんじゃ。まともな主張には聞こえんかったわ。なんでも、自分は尊い神の子を産んだと言うてな」


 うんざりした気持ちが表情に表れていたのだろう。老人は、自分も同じような顔をしながらも「そんな顔するな」と苦笑した。


「その目の色が、神である夫の血を引いている証拠じゃとな。調べたところ、どうやらその男は密入国者のようでな。今はどこにいるやら」


 スタシエル王国やガーデザルグ王国は、神獣が守護する国だ。人が神を名乗るなど、鼻で笑われる行為だった。

 この国の近くで人の神を信仰している国といえばグラネア帝国だが、男はそこの出身なのかもしれない。

 どちらにせよ、自分の血の半分はスタシエル人ではないということになる。


「お前の双子の妹も同じ目と髪の色らしい。じゃから、シシーが言うにはな、神の血を薄くせんようにじゃな……その……双子をまぐわわせるべきじゃと」


 言葉尻を濁した老人に、ルイは咄嗟に返事ができなかった。

 頭の中で何度も反芻してから、ようやく理解が追いついてくる。


「……狂ってる」


 面識がないとはいえ、血の繋がった妹となど、虫唾が走る。そもそも、勝手に相手をあてがわれるのでさえ考えたくもないのに。

 神か何か知らないが、人を何だと思っているのだろうか。ルイには想像もつかなかった。


「それで……そのシシーという人は、大人しく引き下がったんですか?」

「亡くなったそうじゃ」


 自分で首を括ったらしい。

 ただ、自殺に関しては、ルイに会えなかったことが直接的な原因ではなかった。

 シシーがルイを探しにノーザスクに来ている間に、娘の方が逃げ出したのだ。恐らくは向こうも身の危険を感じたのだろう。

 娘が見つからなかったのかどうかまでは調べきれなかったが、遺書に記された「望みが潰えた」という言葉から、恐らくは見つけられなかったのだろうと老人は判断していた。


(不謹慎かもしれないけど、亡くなっててくれて良かった)


 育ての親だけでも頭を抱えているのに、その上狂っている生みの親まで加わっては頭が痛いどころの話ではない。

 双子の妹の生死は少し気になったが、仮に生きていたとして、ルイに積極的に接触してくるとは思えなかった。

 お互い、この目の色のせいで嫌でも目立つ。それなのにそのような人物の噂すら聞いたことがないのだから、よほど遠くにいるのか、何らかの策を講じて上手く隠れているのだろう。


 血の繋がらない姉に逃げられ、血の繋がった妹にも逃げられ、逃げられてばかりだ。


「墓参りでもするか? ドルクで埋葬されたそうじゃが」

「しませんよ。顔も覚えてませんし」


 合体樹を見上げたところで、何も言葉は浮かんでこないだろう。

 もしかしたら、サイベンで合体樹を前に佇んでいたレツも似たような気持ちだったのかもしれない。


「ところで、話は変わるが。いや、あまり変わらんかもしれんが」

「何ですか?」


 老人は、そこで言い辛そうに口をもごもごさせた。

 これまで以上に嫌な話が出てくるのかと身構える。


「……ソフィーのことを覚えとるか」


 これまで以上に嫌な話だったと、ルイはさらに気分が落ち込んだ。

 落ち込みすぎて砂浜に埋まってしまうのではと思えた。


「……忘れさせてください」

「いや、まぁ、気持ちは分かるがの」


 消し去ることができるなら、ぜひともそうしたい過去の一つだった。


「それで、一体何なんですか?」

「あの時、お前には秘密にしとったんじゃがな……そろそろ言っといた方がええと婆さんと話をしてな」


 ソフィーは、ルイが初めて恋をした相手だ。

 ルイとしては頭が痛いことだが、それは村の皆が知っていた。だからこそ、彼女は大胆な行動をとったのだろう。

 だが、まだ幼い子供達はともかく、村の大人達はソフィーにある期待をしていたのだという。


「お前が色恋に目覚めたことじゃし、ソフィーはもう月のものがあったらしくての。神の使いが増えれば村がさらに豊かになる、とな」

「……え、嘘ですよね?」


 そんな嘘をつくわけがないと分かっていながら、思わずルイの口からはそう出てしまった。

 村の大人達は、ソフィーがルイの子供を身籠るかもしれないと、裏では大変盛り上がっていたらしい。


「だって、俺……あの時、八歳とか九歳でしたよね? 無理でしょう」

「わしに言わんでくれ。わしと婆さんも一応口を挟んだんじゃ。じゃが聞く耳を持たん」


 彼らは元々ノーザスクの者ではない。余所者扱いされている彼らでは、口を出しても大した効果はなかったのだろう。


「大人達はあの娘を焚き付けよるし、娘は娘で乗り気になっとったし。村を出て行ってくれた時はほっとしたわ」


 ルイ本人に忠告をしようにも、子供相手にどう言えばいいのか手をこまねいていたのだという。

 それもそうだろう。ルイだって、同じ立場になればどうすればいいのか全く分からない。


「魔法魔術研究所にいる内は、外部の者はそうそう出入りもできんし安心しとったんじゃがな。騎士となりゃあちこち出向くじゃろ? リーシャの結婚式の時に色めきたった者も多かったようじゃし、身辺には気を付けた方がええぞ」


 ルイは「そうします」と返すので精一杯だった。可能なら、胃の中のものを全部出してしまいたい。

 忠告はありがたかったし、知っておく必要もあったと思う。自分の身を守るためには、知らなければ。だが、知らずにいられたら、故郷での思い出はもう少し彼の中でましなものだっただろう。今となっては、何もかもなかったことにしたかった。

 親だと思っていた人達は誘拐犯。生みの親は狂人。村の人達も、自分の想像を超える思考の人達。

 根っこを引き抜かれてしまったように、どこに自分があるのか分からなくなるような気分になった。


「わしと婆さんも、そろそろここを出ようと思ってな。リーシャはおらんし、お前ももう帰ってこんじゃろう? 魔術品もなくなったしな」


 元翼導士が、なぜ辺鄙な村へ移住したのか。予感はしていたが、彼も日没の矢を監視する一人だったのだろう。


 目の前に広がる海を眺めた。

 きっと、もう二度とここへは戻ってこないだろう。

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