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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
後日談
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大陸歴1624年 秋 フィーナ(1)

 秋晴れのいい天気だった。建国祭の日は、なぜか晴れの日が多い。


(今年こそ……今日こそ言うわ。絶対よ)


 フィーナは鏡の中の自分を見た。緊張した硬い表情をしているが、それ以外はばっちりだ。

 昨日は深夜まで仕事だったので、そのまま研究所に泊まり、朝も遅い時間に目が覚めた。普段であれば朝寝坊は少し損した気分になるが、今日はそれを感じる心の余裕がない。

 ロウが話していたとおり、レツは今年からセタンに戻ってきていた。

 彼は普通だった。一昨年の建国祭でのことなど忘れてしまったように普通だった。

 騎士団での仕事の詳細は聞いていないが、会う機会は多い。今年入所してきた研究生の師匠をしているからだ。

 頻繁に研究所に顔を出すので、会えば挨拶するし世間話もする。だが、本当にそれだけだ。それがフィーナには無性に悔しかった。

 今日こそはっきりさせようと気合を入れていると、扉を叩く音がした。


「お姉ちゃん」

「もう、勝手に開けないでよ。実家じゃないんだから」


 妹は勝手に部屋の中に入ってくると、ぐるりと室内を見回した。


「相変わらず、殺風景な部屋」

「当たり前でしょ。家に帰れない時用の仮住まいだもの」


 普段は実家から研究所に通っているが、遅くなる時に泊まれるように、いつも寮の一室を借りている。だから、ここには最低限のものしか置いていなかった。


「お姉ちゃんってば、可愛い妹にはもっと優しく話してくれてもいいじゃない。折角いいもの持ってきてあげたのに」


 わざわざ研究所に顔を出すのだから何かあるとは思っていたが、妹は肩に下げていた鞄から一つの小箱を取り出した。


「これなーんだ」


 得意気に見せられたその小箱を、両手で受け取る。


「え、どうして? ありがとう!」


 小箱の蓋を開けると、一昨年の建国祭の日に買ってもらった髪飾りだった。ガダの爪でひしゃげてしまったのが綺麗に修理されている。


「昨日の夕方、職人さんが家に届けに来てくれたの。お祭りの日に頑張って間に合わせたって言ってたよ」


 随分前に修理に出したのだが、何せ国中あちこち壊れてしまったため、人手不足や材料不足で時間がかかると言われていたのだ。フィーナも、今日に間に合うとは考えていなかった。


「お姉ちゃん、今日は人と会うんでしょ?」

「会うけど……どうして?」

「去年、お見舞いに来てくれた人? ね、そうでしょ?」


 きらきらと目を輝かせながら、身を乗り出してくる。逆にフィーナは身を引きながら、妹の目的が何なのかようやく悟った。


「言っておくけど、金髪の人なら会わないわよ」


 フィーナがそう言うと、妹はがっくりと肩を落とした。


「なんだぁ、残念……」


 どうやらルイが目当てだったらしい。


「でも、お姉ちゃんあの人と知り合いなんでしょ? 狙ってたりしないの?」

「しないわよ」

「変なの。あんなに格好いい人が近くにいるのに、他の人がいいなんて」


 目が合うと、にやっと笑われた。片想いをしているだなんて言った記憶はない。見透かされているのだ。


「ほっといてよ。ほら、用が済んだなら帰って」

「仕方ないなぁ。お父さんとお母さんが、今日は帰ってくるのかって訊いてたよ」

「夕食までには帰るって伝えておいて」

「今年は泣き腫らした目で帰ってこないでよー」

「うるさいわね、もう」


 口が減らない妹を追い出して扉を閉め、フィーナは一息ついた。それから、持ってきてくれた髪飾りを付ける。

 久しぶりに付けたせいか、鏡の中の彼女は誇らしげに笑っていた。


(お祭りで、あの子にも何かお礼のものを買おう)


 何にしようかと考えながら、フィーナは机の上にまとめておいた書類を手に取った。待ち合わせまではまだ時間があるし、先に教育棟に提出しに行こうと考える。

 全部揃っているか書類を確認してから、フィーナは部屋を出た。廊下の窓から外を見ると、ひと気のない庭は日の光を浴びて暖かそうだった。


 寮を出て教育棟へ向かっていると、庭のどこかから明るい笑い声が聞こえた。祭りの日に研究所に残っているだなんて、誰かさん達みたいな子がいるんだなと思っていると、そのはしゃぐ声はどんどん近付いてきた。


「フィーナ教授!」


 元気に駆けてくる二人の少女に、フィーナは手を振った。足を止めて二人が来るのを待つ。

 綺麗な秋空の下やってきた二人は、揃って焦げ茶色の髪と目をしていた。まるで双子のようだ。それなのに魔法の属性は正反対なのだから面白い。属性がどんな条件で決まるのかは、まだ解明できていない。


「こんにちは、教授」

「こんにちは。ジータもニーナも、お祭りへは行かないの?」

「朝行って、お昼を食べに戻ってきたんです。買うと高いから」

「それより見てください、これ!」


 ジータは、大事そうに両手を皿にして持っていたものを掲げた。手のひらに、紫色の小鳥がちょこんと乗っている。丸くなって目を閉じ、眠っているように見える。


「私だってさっきできたんですよ!」

「でも、ニーナの消えちゃったよ」

「ちょっと待って、もう一回……」


 ニーナが空っぽの手を見つめて懸命に力を込めていると、ジータはまた何かを見つけて駆け出していった。


「師匠!」


 その言葉に、フィーナはどきりとした。ジータの駆けていった方を見遣ると、門の方から歩いてきたレツに、ジータが手の中のものを見せているところだった。

 ニーナも焦ったようにジータの後を追う。フィーナは逡巡した後、自分も二人に続くことにした。会う約束をしているのに、ここで輪に加わらずに教育棟へ行くのもおかしい。


「ほら、私のはちゃんと声が出せるんです」


 やっと鳥を作り出すことができたニーナが、ジータのものよりさらに小さな白い鳥をレツの手のひらに乗せる。鳥は「あー」とやや間の抜けた声を出した。


「二人とも上達したね。今日も練習してたの?」


 手の中の小鳥を指先で撫でながら、レツはにこにこと笑っていた。未だに、彼に弟子ができたというのはフィーナを不思議な気持ちにさせる。


「師匠達は毎年お祭りの日も練習してたって、この間言ってたじゃないですか」

「僕達に合わせなくていいんだよ。楽しみたいことがある時は思いきり楽しむのも、いい経験になると思うけど」


 それなら、また祭りに行こうかとジータとニーナは顔を見合わせて嬉しそうに笑った。


「ルイ師匠は今日は一緒じゃないんですか?」

「今はセタンを離れてるんだ。それに、僕達は仕事じゃなきゃ一緒に行動することはほとんどないよ」

「それなら、日持ちするお土産、何か買ってきます。レツ師匠は甘いもの駄目なんですよね?」

「そんなのいいのに……でも、ルイに買ってあげるなら、お酒以外にしてあげてね」


 女の子二人が口々に喋るので、レツは若干押され気味だった。眉が下がってしまっている。

 紫と白の鳥が消えたので、ジータとニーナは早速出掛けようと話し出した。


「それじゃ、失礼します」


 そう言ってジータは駆け出したが、ニーナは何かを思い出したようにぱっと振り返ってフィーナを見た。


「フィーナ教授」

「何?」


 ニーナは自分の後頭部を指差すようにして、意味ありげに笑った。


「それ、とても似合ってますよ。それじゃあ、私も失礼します」

「い、行ってらっしゃい」


 手を振って見送りながら、頬に熱が集まっていくのを感じた。今の含みのある笑みが見間違いでないのなら、察しが良すぎないだろうか。年頃の女の子ならあんなものなのか。


(宝石の色で気付いたとか? まさか)


 だがそれを尋ねるのは藪蛇というものだろう。元気に走り去っていく背中が門の向こうに消えていくのを見送りながら、フィーナは思った。

 静かになった場で黙っているわけにもいかず、フィーナは緊張しながら隣を見上げた。にこやかな表情の彼と目が合う。


「それを付けてるところ、初めて見た。ニーナの言うとおり、すごく似合ってるね」


 ニーナと比べると含みがなさすぎる褒め言葉に、どう反応していいのか悩んでしまう。


「あ、ありがとう。事件の時に壊れてしまって、ずっと修理に出してたの」


 レツがセタンに戻ってきて半年近く経つが、会って話すと緊張してしまうのは中々どうにもならなかった。相手がごく普通なので、それが救いのようでもあり、脈がないことの証明のようで不安でもあり。


「このままお祭りに行く? 僕、報告書持ってきたから、それだけ出しに行きたいんだけど」

「じゃあ、一緒に行きましょう。私も教育棟に行くところだったの」


 二人並んで教育棟へ向かう。誰もいない研究所の庭を二人で歩いているのは、不思議な気分だった。


「ルイ、セタンを離れてるって言ってたけど……仕事なの?」

「ううん、ちょっと個人的な用事で」


 教育棟に入ると、中はひと気がなかった。研究棟であれば、休みと関係なく継続しなければならない研究をするのに大抵誰かがいるが、教育棟は休みの日はいつもこんな風だった。

 フィーナもレツも用があるのは事務所だったので、一階にある事務所へ向かう。先に立つレツがその扉を開けたが、彼はすぐには中へ入らなかった。


「こんにちは」


 まさか、人がいるとは思わなかった。誰かと思って彼の背中越しに部屋の中を覗いて、フィーナは体を強張らせた。ベン教授だった。

 ベン教授は何も言葉を返さなかった。憎々しげに彼を睨み付けるだけだ。レツが意に介さずに部屋の奥へと入っていくのを、ずっと目で追っていた。フィーナのことはそもそも視界に入らないらしい。

 レツが、特定の者しか開けられない棚に報告書をしまうのを見ると、ベン教授は舌打ちをして部屋を出ていった。去り際に「死に損ないが」と捨て台詞を残して。

 固まってしまって、何も言い返せなかった。相手が去ってから怒りが沸いてきたって遅い。

 聞こえていないことを祈ってレツの方を見たが、残念ながらしっかり聞こえていたようだった。少し驚いているような、呆れているような、そんな顔をしている。


「あ、あんな人の言うこと、どうか気にしないで。八つ当たりよ。自分の状況が今良くないからって……それだって、あなたのせいじゃないし」


 ベン教授は、今はここで飼い殺しにされているようなものだった。研究生を自分の好みで差別して、贔屓をしたり退所へ追いやっただけではなく、本来ならば権限がない部分にまで踏み込み情報を盗んでいたのが発覚したのだ。しかもそれをシュラルに漏らしていた。

 書類などは魔法道具を使って厳重に保管しているが、人が関わる以上、人の口から漏れてしまう。ベン教授は薬や酒を使って人の口を割っていた。


(そうまでして、ヴァフ隊長の何が知りたかったのかしら)


 教授はヴァフ隊長のことを探っていた。二人は研究生時代から因縁があるらしいが、詳しいことはフィーナも知らない。ただ、恐らくはヴァフ隊長を蹴落としたかったのだろうと彼女は予想していた。

 様々な情報を知ってしまった以上、ベン教授をここから放り出すわけにもいかない。だから、今は主に雑用係としてここで働いていた。

 フィーナはさっさと自分の書類をしまうと、早く出ようとレツを促した。部屋の中に、あの人の吐いた言葉が空気になって漂っているようで、気持ち悪かった。


「……あの、レツ」


 再び庭に出ても黙り込んでいる彼に、恐る恐る声をかけた。


「あ、ごめん。ちょっと考え事してて」

「……やっぱり、気にしてる?」

「言われたこと自体は気にしてないよ。ただ、こういう時どうすればいいのかと思って」


 もしかして、似たようなことが前にもあったのだろうか。何となくそう思ったが、フィーナはそれを尋ねることができなかった。

 こういう時にどうすべきか。その問いに答えが出せなかったせいだ。

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