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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第三章 日没の矢
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42 林檎

 セタンに限らず、どの町の外れにも大きな合体樹がある。それがこの国の人々の墓だった。

 亡くなった人を想いながらその木のそばに苗木や種を植え、それが育つと合体樹と合わさるのだ。そうしてどんどん大きくなり、やがて一本の大木になっていく。

 木は大抵の場合、実の生る種類が植えられる。セタンの場合は初雪林檎だ。初雪の季節に収穫が始まり、人々は毎年、冬支度の一番最後に初雪林檎のジャムを煮る。寒い冬の間の楽しみにするために。


 フィーナは大樹に祈りを捧げた後、風の魔法で浮かび上がり、枝から林檎をもいだ。今年は慌ただしかったのもあり、まだあまり収穫されていないようだった。

 持ってきていた籠に十個ほど入れると、さすがにずしりと重かった。再び風に乗って地上に降りる。すると、先程はいなかった別の祈り人の姿があった。

 男性はフィーナと目が合うと、黙ってその場を離れていった。収穫物のお裾分けをしようと思ったのだが。


(魔導士隊の隊長さんよね)


 あの事件で、魔導士隊も何人もの犠牲者を出した。亡くなった人達の安息を祈りに来たのだろうか。

 フィーナはヴァフ隊長が去ったのとは別方向へ向かって歩き出した。セタンの東部だ。

 ガダによって破壊されたのは研究所だけではない。町のあちこちで被害があった。セタンは、春彩石が集まっていたこともあり、最も被害の大きかった町だ。まだ壊れたままの建物をそこかしこで見かけるし、被害の少ない南へ逃げて、そのまま帰らない人も多いために人が減ってしまっている。だが、冬を目前に控え、人々はいつもどおりにせっせと冬支度をしていた。

 人間も、案外逞しい生き物だとフィーナは思った。彼女も、あんなことがあったが、それでも研究員を辞めようとは思わなかった。医術師から外出の許しが出ると、彼女はすぐに職場へ戻っていた。次の春に入所してくる研究生達のための準備だってあるのだ。休んでばかりはいられない。

 フィーナは宿屋に辿り着くと、その扉を開いた。扉についている小さな鐘が鳴る。


「いらっしゃい」


 受付の奥で揺り椅子に座っていたリースが、フィーナを見て微笑んだ。


「こんにちは。林檎、持ってきましたよ」

「ありがとう。重かったでしょう? 良かったら何か食べていって」

「ありがとうございます」


 林檎を受付の机に置くと、フィーナはリースの腕の中を覗き込んだ。秋に産まれた赤ん坊がすやすやと眠っていた。


「見るたびに大きくなりますね」

「そうなのよ。あ、少しだけ抱っこしててくれる?」


 リースから赤ん坊を受け取る。母親の腕から離れても、赤ん坊は何も気にしないというように眠り続けていた。


「あ、寝ながら笑ってるわ。可愛い」


 ひくひくと口元を動かしているのを見て、つられて笑ってしまった。

 温かくて、意外と重くて、ふにゃふにゃと柔らかい。こうしてたまに抱く分には、愛らしさの塊だった。


 リースはフィーナが持ってきた林檎を厨房へ持っていくと、帰ってきた時にはお茶とお菓子の載った盆を持っていた。食事処のテーブルへと、フィーナも赤ん坊と一緒に移動する。

 ティーポットから温かいお茶を注ぎながら、リースはフィーナを一瞥した。


「傷、大丈夫? 寒くなると傷痕が痛むと言うけど」

「今のところ平気です。大丈夫ですよ、あんまり酷いようなら、ちゃんと医術師に診てもらいますから」


 リースがすぐに毒を抜いてくれたおかげで、治りは他の人より早い方だった。

 ガダの爪が背中に食い込んだ時はさすがに死ぬかもしれないと思ったが、傷痕が自分で見えないこともあり、フィーナはリースほど気にしていなかった。自分が望んでとった行動の結果で、覚悟していたというのもある。

 気落ちしたのは、どちらかというと髪飾りが壊れてしまったことの方だった。目が覚めた時にひしゃげたそれを目にして、フィーナは年甲斐もなく大声で泣いてしまった。まるでレツが死んだように感じてしまったのだ。家族の前だったというのに。心身共に弱っていたとはいえ、今となっては少し恥ずかしい。


「そういえば、レツとルイがお見舞いに来てくれましたよ。リースさんが行けって言ってくださったって。ありがとうございます」

「あの子達は……私の名前は伏せろって言ってやらなきゃならないのかしら」


 リースは呆れた顔をした。

 自宅で療養していた頃に、一度だけ来てくれたのだ。仕事の合間ということで騎士の制服だった。家の中に入ることすらしないほどの短い時間だったが、それでもまた会って話ができただけでとても嬉しかった。


「あの……本当に、もう大丈夫なんですよね? 来年になっても」


 マグカップとお菓子をフィーナの前に出すと、リースは赤ん坊を受け取った。


「ええ、本当に大丈夫よ。フィーナは目に見えるわけじゃないから、なかなか実感が湧かないわよね。命の魔法に適性があれば見えるんだけど」


 リースやルイは命の魔法に適性があるので、以前はレツの左胸に黒いもやがかかっているのが見えていた。魔術によって命を落としかけている者に見えるものだ。それが、今はきれいに消えているらしい。


「でも、一度に色んなことがあったから……私もあんまり頭が追いついてないの。今は仕事から離れ気味だし」


 その時、カラコロと鐘の音が聞こえ、二人は揃って扉の方へ目を向けた。


「お疲れさん。邪魔するぞ」


 訪ねてきたのはロウだった。騎士の制服を着ているのに一人だ。仕事中ではないのだろうか。


「ああ、ありがとう」


 ロウが鞄から取り出した分厚い書類を、リースは片手で受け取った。赤ん坊を揺らしながら、テーブルの上へ置いてペラペラとめくる。


「読むだけでも相当かかりそうね。やっぱり忙しいの?」

「休みなんてあってないようなもんだ。皆国中飛び回ってる。あいつらだって、今頃南の方だしな」


 ロウはフィーナの隣にどかりと腰掛けると、テーブルの上の菓子を摘まんだ。


「ルイもレツも、元気にしてる?」


 リースが尋ねると、ロウはひらひらと手を振った。


「心配しなくてもめちゃくちゃ元気だぞ、あいつら。レツも何も変わっちゃいないし、ルイの奴なんか、相変わらず隊長にピリピリしてやがる。相性が悪いんだな、きっと」

「相性というより、最初の印象が悪かったのと、その後もずっと印象が悪くなることが続いちゃったから」


 リースは苦笑した。何があったのかフィーナは知らないので、黙ってお茶を飲んでいた。


「表面上は当たり障りなくやってるが、見てるこっちはヒヤヒヤするんだよなぁ。来年から二人ともヴァフ隊長の下につくことになっちまったから、なおさら恐い」

「じゃあ、セタンに戻ってくるんですか?」


 思わず口を挟んでしまった。喜びが少し声に出てしまったかもしれない。しばらくは、ずっとトセウィスにいるのだとばかり思っていたのだ。


「ああ。あれだけ派手な星舞を使っちまったし、レツの魔法を国防に使おうって話になってるからな。それに血筋の件もある」

「ロウ、口が軽いわよ」


 リースがたしなめると、ロウは「あれ、知らなかったか」ととぼけた顔をした。


「もう! 本人が言うまでは黙っていようと思ってたのに」

「何だよ、どうせ知るならいいじゃねえか」


 何のことか分かっていないフィーナに向かって、ロウはまるで冗談のようにこう言った。


「エリク王の子孫なんだってさ。今までも疑いはあったんだが、神獣がそう言ってたんだから確定だな」


 現実味のない言葉に、フィーナは少しの間ぽかんと口を開けてしまった。エリク王だなんて、ここで出てくると思わなかった。


「あ……でも、言われてみれば納得できなくも……昔から、女の子達が王子様みたいって騒いでたし」

「違うわよ。ルイじゃなくてレツの方」


 リースに訂正されて、フィーナは今度は「え!?」と大きな声が出てしまった。赤ん坊がいたのだと思って慌てて口を押さえたが、幸い、起きる様子はなかった。

 その様を見て、ロウは面白そうに笑った。

 疑いを持たれたのは、彼がセタンへやってきてまだ数年の頃らしい。風邪をひき、熱でうなされた彼が「セヴェリ」と日没の矢の射手の名を口走ったからだ。

 日没の矢の射手の名前は、限られた文献の中にしか出てこない。よほど歴史に精通している者ならともかく、当時、日々の勉強だけで手一杯だったレツが知る機会のあるものではなかった。

 その後、騎士団は本人に知られないように調査を進めた。

 決定的な証拠こそなかったが、父方の血筋の者が皆早死にな上に不審死が多く、日没の矢に狙われていたのではという説が浮上した。その上、本人が次々にエリク王の記憶を夢に見る。

 そして神獣ガーデザルグが、その疑いが正しいということを、はっきりルイに伝えたのだ。

 ロウにとっては意外なことだそうだが、ルイはそれを騎士団にしっかり報告した。


「あの子は、レツのことを特別な立場の人間としては見ないようにしてたわよね。初めて会った時からそれは一貫してたのに……神獣の言葉をちゃんと受け止めて、自分以外の人と共有する気になったのは、確かに意外かも」

「秘密にした方がリスクが高いと判断したんだろう。神獣のお墨付きがなくたって、別方向から発覚する可能性が高いしな。ガーデザルグの第一王子がレツそっくりの顔してたのを見た時は、さすがに俺も驚いた」

「私も一目見ておきたかったわ」


 フィーナもリースに同意見だった。レツを見慣れているロウが言うのだから、相当似ているのだろう。

 誰が漏らしたのか、その第一王子もレツの存在を知ったようで、帰国前に一度会いたいと言ってきたそうだ。

 だが、ガーデザルグの王家と縁続きの者がいるだなんて、知られて良い理由もない。面倒事の種が増えないようにと、療養中であることを理由に断っていた。


 ガーデザルグ王国とは、近い内に和平を結ぶという話になっている。

 国境上で、少しの衝突はあった。だが精獣ガダの襲撃はガーデザルグ王国が仕掛けたものではないと裏がとれたそうで、また、日没の矢に関しても大昔の人間のしたことだ。すぐに悔恨が泡のように消えるわけではないが、和平を結んだ方が双方に利益があるという結論に至ったらしい。

 精獣ガダの襲撃に関しては、首謀者がまだ分かっていない。両国を危機に陥れようとしたその犯人探しのためにも、手を取り合うことを決めたのだろう。一体何がどうなっているのか、フィーナの耳にまでは入ってこないが。


 シュラルが――その名も偽名だったらしいが――どうなるのかは、フィーナは知らなかった。ただ、漏れ聞こえてくる範囲で考える限り、何かしらの処罰はされ、二度とこの国には入れないようだ。

 シュラルは両国から詳しく調査された。彼女は、今回の事件の首謀者の手足となって働いていた。それとは知らなかったとしても、スタシエル王国に何らかの危害を加えようとした事実は変わらない。そして、そのことに比べれば扱いは小さいものの、研究所のずさんな教育も国としては見逃せないものだった。

 全くといっていいほど魔法が使えない彼女が一級魔導士の資格を取得できてしまったことから、教育体制や評価制度の問題点が、芋蔓式にどんどん暴かれてしまったのだ。レータ所長の元で改革に踏み出した矢先のこと、これが追い風となるのを祈るばかりだった。


 もう二度と、シュラルに会うことはないだろう。彼女に脅かされることがないという安堵はもちろんある。自分の素直な感情に従うならば、フィーナは彼女が嫌いだ。だが、初めて会った時――それが演技だったとしても、シュラルのあの笑顔に良い印象を持ったことも事実だった。心のどこかで、あれも本当の彼女だったのかもしれないという淡い期待が残っている。そして、もし自分がもっと歩み寄れていたら、何かが変わっていたかもしれないのにという後悔も。フィーナが今更考えたところで、何が変わるわけでもない。そう分かっているはずなのに、時々、そんな気持ちになってしまうのだった。


 赤ん坊のぐずる声に、フィーナははっとした。ぼんやりと考え込んでいたらしい。

 ロウと仕事の話をしていたらしいリースも、赤子の声に「よしよし」と揺らしてなだめた。


「さーて、仕事に戻るか」

「私も、そろそろお暇します」


 ロウが席を立つのに続いて、フィーナも腰を上げた。のんびりしてしまったが、研究所へも行かなければならない。


「初雪林檎、ジャムにできたら貰ってね」

「はい、楽しみにしてます」


 料理が評判の宿屋なだけあって、この家の人達が作るものは何でも美味しい。冬の楽しみが増したことに、フィーナは頬を緩ませた。

 冬が過ぎれば新年。春が来る。


(気合を入れよう)


 特に仕事を、と自分に言い聞かせたが、自分を誤魔化しきることは難しく、頬は熱を持ってしまった。林檎のような色になっているのは、幸か不幸か彼女自身には分からなかった。

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