12 夏の日差しの中(1)
「死ぬ時って、どんな感じだと思う?」
唐突なミーシャの問いに、レツは課題から顔を上げた。ミーシャはレツの方ではなく、窓の外を眺めていた。
暑い夏の日で、外は強い日差しで輝いている。外の光が強すぎて、二人きりの談話室は逆に薄暗かった。
「とても痛いって聞いてます」
「痛いのは嫌よねー。どうせならポックリがいいんだけど、意地が悪いったら」
ミーシャは色々とレツを気にかけてくれた。彼女自身がした苦労を、なるべく取り除きたいと考えてくれているようだ。だが時々、こうして二人きりになると、他の人がいる時には絶対にしないような暗い話をした。
「それもあるけど、もっと精神的な方。死ぬ瞬間に、生まれた時からの人生をやり直すとか言うじゃない? それとか、最後に思い出す人は誰か、とかさ」
こんな話題、例えば彼女のパートナーであるマリーの前で出したら、きっと微妙な空気になるだろう。死への距離感が、ミーシャとマリーでは違いすぎる。
「生まれた時からはちょっと……ここに来てからがいいです」
「振り返る時間が短そう」
ミーシャはそう言って笑った。
「頑張ってぎりぎりまで粘ったら、人生の半分くらいにはなります」
「なるほど。じゃあ、私ももうちょっと粘らないとね」
彼女は今年の冬で十七歳だそうだ。二十歳を超えたヴァフ隊長に続くことができるかは、その時になってみないと分からない。
儚い夢だと考えているのかどうかは、レツには分からなかった。
「もしもその時が来たら……その時にそばに誰もいなければ、ノートに記すから。読んでね」
「何を書くんですか?」
「見えたものを」
魔術で殺された本人の記録は、やはり多くはないのだという。それを間近で見た人達の記録は残っているが、日没の矢を探す手掛かりにはなっていない。
「直感だけど、死の直前には日没の矢そのものか、射手か、その両方が見えるんじゃないかと思って」
魔術品の中でも日没の矢のように特に力があるものは、「契りの言葉」によって魔術品と人の心を結び付けていると言われている。その結び付きは契りの言葉を紡いだ本人の死後も続き、再度契りの言葉を唱えない限りは、永遠に魔術品と共にあるのだと。
人の心と共にあるがゆえに、魔術品は人と同じように状況を判断し、考え、動く。そしてより魔術の威力を高めるために、周囲の命を食らっていくのだ。日没の矢に契りの言葉で結び付いているのは、エリク王に矢を放った射手だと言われていた。
今もどこかに隠れているそれが、死ぬ時には現れるとミーシャは考えているらしい。
「魔術は、『呪文』とか『契りの言葉』とか、人の言葉をとても特別なものだと考えてますよね」
「魔法との大きな違いよね。まぁ、魔法に関しては人以外の生物も使うわけだから、人の言葉が重要じゃなくて当たり前なんだけど。でも、口に出すと、無意識の内にもその言葉に縛り付けられることってあるような気がする」
ミーシャはじっとレツを見つめた。
「私より長く生きてね」
レツは言葉に詰まり、ただ彼女を見上げるだけだった。
「この微妙に叶いそうなライン、効くと思わない?」
そう言って悪戯が成功した子供のような顔で笑う。何か言おうとして口を開け閉めしているレツの頭をポンと撫でると、彼女は立ち上がって窓の外に手を振った。
「マリー!」
光に溢れた外の世界で、マリーもこちらに手を振っていた。
◇◇◇◇
「ねえ、進路決まってる?」
誰かの言葉に、皆食事をする手を止めずに口々に話し出した。
家業を継ぐため二級までで辞める者もいれば、明確に目標がある者、何も決まっていない者など様々だ。
もうすぐ夏が終わる。まだ入所して半年とはいえ、具体的な進路が決まっている者は、秋頃からより専門的な勉強や訓練を始める。
皆の進路を聞き流しながら、ルイは故郷にいる元騎士の男性を思い浮かべた。彼と剣術の稽古をしている時は無心になれて楽しかったのを思い出す。
彼に剣を教えてもらう内に、ルイは騎士になりたいという夢を持った。もっとも、その人は翼導士で、魔導士ではなかったが。
昼食を終えたレツとセイが食堂から出ていくのが、視界の端に映った。正面に座っていた少年が、ちらりとそれを見る。二人の姿が見えなくなると、少年はひそめた声を出した。
「俺さ、パートナー変えてくれって頼もうと思ってるんだ」
他の誰でもなく自分に言っているのだと分かり、ルイは何となく理由を察しつつも「何で?」と尋ねた。
「あいつ、医術師になりたいんだってさ。俺は騎士になりたいのに。剣術とか体術の相手にならないだろ? 医術師志望じゃ」
「進路が別でも、ペアを組んでる人はたくさんいるさ、大丈夫」
「いや、そうかもしれないけどさ、あいつ暗いし本ばっか読んでるし」
つらつらと並べられる言葉を聞くに、二人は性格が合わないのだろう。長々と言い訳せず、はっきり言えばいいのにとルイは思う。陰口を叩いている時点で、自分が馬鹿にしているセイより陰湿だ。
(でもそんな人間と一緒にいて、止めもしないんだから俺だって同類だ)
「だからさ、ルイ、一緒にペア組もうぜ」
「え……は?」
途中から聞き逃していたものだから、突然そう言われて目を丸くするしかなかった。
「ルイだってあの呪われたやつと一緒じゃ嫌だろ? いつうつるか分かったもんじゃないし」
「……うつらないよ。師匠達もそう言ってる」
ルイは努めて平静に答えた。
魔導士になろうという人間が、誰も彼も魔術を風邪か何かのように言う。ここ半年でもう耳にたこができるくらい聞き飽きた。
「そんなの、本当はどうか分かったもんじゃないよ」
「そんなに危険なら、そもそもここに入れないだろ」
死に至る呪いがうつるなら、国が放っておくわけがない。研究所に入所できるわけがないし、魔導士隊の隊長になんてさらに無理だ。少しくらい頭を使ったらいいのにと思うが、人間、いつも理性的というわけではない。それはルイにも分かっていた。自分に害があると思うと、可能性がゼロに近くても排除したくなることも。
「お母さんが言ってたんだけど」
いつから話を聞いていたのか、同じ長机で食事をしていた少女が恐る恐るといった様子で二人の会話に加わった。他の者も互いの話をやめてしまっている。
「私の町でも何人か呪われた子が生まれたらしいんだけど、皆おかしいんだって。乱暴だったり、すごく我儘だったり、暗くて絶対喋らなかったり。そんな人達だから、呪われて当たり前だって。だからうつらなくたって危ないよ。何されるか分からないもの」
「それは――」
それは因果関係が逆だと言いたかったが、各々がまた喋り出して、誰も人の話を聞いている様子はなかった。あっちの町ではこうだ、こっちの町でもそうだと盛り上がっていく。
こういう人達は、一度でも本人の気持ちを考えたことがあるのかと不思議になる。良い意味か悪い意味かという違いはあれど、特別視されるという点ではルイもレツと同じだった。目の色で勝手に判断して、見聞きした断片から勝手に想像を膨らませて、理想を押し付けられる。すごいすごいと持ち上げておいて、「ルイは特別だから」で線を引く。本人の努力も意志もまるで存在しないかのように。
両親ですらそうだった。それに気付いてから、彼は息苦しくてたまらなかった。
良い意味で特別視されている自分でさえそうなのだから、レツはどうなんだろうと思う。
ルイから見て、彼はとてもぼんやりした人間だった。勉強は頑張っているように見えるし、実技も真面目にやっている。師匠に言われた体力作りもずっと続けている。しかし、ルイが見ている分には、他人の感情に疎いというか、無頓着なようだった。直接尋ねたわけではないから、平気なように見えているだけかもしれないが。
初めて会った時の、ぼんやりと自分を見上げる姿が脳裏に甦った。