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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第三章 日没の矢
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23 ガダ

 首都セタンは南方のポーセやサイベンに比べると、夏はからりとしている。動けば汗が出るが、じめじめと湿っぽくはないのだ。だが、この日は朝方まで降り続いた雨のせいか、じっと立っていても汗が滲んでくるほどだった。

 リースは額の汗を拭いながら、セタンの西門をくぐる馬車の護衛についていた。

 西門から入った馬車は騎士団本部前を通り、その先にある魔法魔術研究所へと進んでいく。周囲を注意深く観察しながら馬車の後方にリースはついていたが、幸い何事もなく馬車は研究所の中へと入り、研究棟のそばで停車した。


「リースさん」


 共同研究室の扉が開き、彼女に駆け寄ってくる人物がいた。フィーナだ。研究員としてここで働いている彼女は、大分疲れた顔をしていた。春彩石の件が発覚して以降、研究員は皆働き通しだ。教育する余裕もないため、研究生は全員、ポーセの魔導士養成所へ編入させたと聞く。

 もっとも、働き通しなのは彼女達だけではなく騎士も同様だった。春彩石の回収や、それに関連して起こる住民同士のいざこざ。一つずつなら大したことがないが、延々と続き数も多いとなればさすがに疲弊する。だから、普段は事務処理など安全な仕事を任されているリースが、他の騎士も一緒とはいえ護衛の任務に就いているのだが。


「お疲れ様。どう? 何か動きはあった?」

「調べられるだけ調べていますが、何とも……調査結果から、相手の目的がいまいち掴めないようで」


 春彩石が魔術品だと分かってから、研究所はその魔術品の効果を調べてきた。魔術品は、どうやら時が過ぎれば破裂するらしい。破裂による殺傷能力は低く、研究所も、国や騎士団も、破裂自体が目的ではないだろうと推測していた。

 真っ先に疑ったのは、破裂によって中から有害な何かが出てくることだ。そして、実際に中から石とは違う成分が発見されていた。

 しかし、調査はここで行き詰っている。調査する春彩石によって出てくる成分が異なる上に、それらの成分は単独では特に害がない。そして、掛け合わせてみるものの、種類が多すぎて何が正解か分からないのだ。春彩石自体が小さいため、調査するのに時間がかかるのも問題だった。

 だが、調査を止めるわけにはいかない。地道に、調べられるだけ調べるしかなかった。

 騎士団は春彩石を回収し、一部は破壊せずに研究所へと運んでいた。今回リースが護衛した馬車に積まれているのも、まだ破壊されず、魔術品としての効果を保っている春彩石だ。


「リースさんこそ、大丈夫なんですか? もうお腹も大きいのに」


 心配そうな顔をするフィーナに、リースは何でもないという風に笑った。無意識に、膨らんでいるお腹を手で撫でる。


「大丈夫よ、これくらい。つわりも大分前に落ち着いてるし。そろそろ事務仕事に戻れとは言われてるから、今日明日くらいまでだと思うけど」


 出産の予定日も近い。まさか、こんなにバタバタしている時に子を産むことになるとは、授かったと分かった時には予想もできなかった。我ながらタイミングが悪いと思う。

 何もなければ、事務仕事どころか休暇に入っている時期だ。だが、人手が足りない今の状況で、休暇を取る気にはなれなかった。今回ばかりは、家にいれば安全というわけでもない。


「どうか、無理しないでくださいね。研究所から騎士団へ提出する書面を持ってきますから、それまで休んでてください」


 フィーナはくるりとリースに背を向けると、来た道を戻りだした。後頭部に銀細工の髪飾りが光っている。そこにはまっている紫色の石を見て、リースはトセウィスへ行ってしまった弟子達のことを思い出した。


(何も知らせがないのは、元気にしている証拠なんだろうけど)


 二人とも、リースにこまめに手紙を寄越すようなタイプではないので期待していなかったが、それでも時折不安になる。リースやロウの知らないところで、事態が動いているのではないかと。

 リースは、不安を払拭しようと積荷を降ろす人々に加わった。だが、思考は何度切り替えても、次々に問題を頭に浮かべてくる。考えても解決しない問題が、日毎に積み重なっていくようだった。


(これを仕掛けたのは、やはりガーデザルグ王国なのかしら)


 春彩石自体が、元々ガーデザルグ王家が独占していたものだ。そして、あの国は数年前から、この国との会談を開いている。向こうの要求は日没の矢だ。そして、スタシエル王国はそれを拒否し続けている。ガーデザルグ王国が提示した内容では、国民を守れないからだ。


(春彩石は魔術品としてはガラクタに近いようだけど、それでも魔術品には違いない。大量に魔術を使うことで、日没の矢をあぶり出そうとしている? でも、それでも弱すぎるわ)


 数年前、セタンで大量の魔術品が見つかったことがあった。レツのいた自警団本部でも発見されている。あの時は、魔導士であれば誰でも分かるほどに魔術の力が強かった。そして数も多かった。だが、あの程度のことは長い歴史の中で時折起こっているし、どれも日没の矢に影響を与えるほどではなかった。


(あの事件の時も町中を探しまわったけど、もしかしたら取り逃したものがあったのかも)


 しかし、春彩石のように物自体の特徴がなければ、弱い魔術しか持たない魔術品を見つけるのは困難だ。

 魔導士が見つけられなかった魔術品がもしあるのであれば、それによって、魔導士の限界を推し量れる。


(もしかして、私達が見つけられるかどうかの境界を探していた?)


 まさかと思いつつも、その考えに悪寒が走った。


 比較的軽い積荷を馬車の荷台から持ち上げたその時、不意に腹の中の子が動くのを感じた。それに続くように、周囲の精霊がおかしな動きをした。まるで強風に吹き飛ばされるかのように、一斉にその場から気配が消える。周囲にいた者全てがそれに気付き身構えた瞬間、積荷である春彩石が次々に破裂し始めた。

 誰かの悲鳴が聞こえる。

 リースも、手にしていた積荷を投げ捨て、腕で目を庇った。

 石は魔法道具である保護袋の中に入れていたが、精霊がいなければ効果は無い。大量に破裂したことで袋は破れ、中身が飛び出した。


 破裂する音は、それほど時間をかけずに次第に止んでいった。

 事態を把握しきれずに沈黙を続ける人々の様子を窺うように、精霊がゆっくりと戻ってくる。


「怪我をした者はいないか? 研究員は念のため建物内に避難して――」


 班長の言葉は、春彩石の破裂音よりはるかに大きな、塀が崩壊する音にかき消された。

 何が塀を破壊したのか、リースはすぐには理解できなかった。勝手に動く体が魔法で防御の壁を作り出してから、ようやく目と耳と頭が追いついてくる。


 塀を突き破って現れたのは精獣ガダだった。ガーデザルグ王国の神獣から生まれた、地を司る龍の精獣。大地を力強く駆けるための四足には鋭い爪。巨大な獣でも一飲みにできるほど大きな口には鋭い牙。長い尾を振り回し、この国の人達が親しんでいる精獣ステュルと同じく、知性のある、人より高度な魔法を使う生物。

 だが、明らかに様子が変だった。充血した目は狂ったようにぎょろぎょろと周囲を見渡し、牙の隙間からは涎が垂れ流されている。とても言葉が話せる生物には見えない。

 誰かの魔法が、素早くガダを縛りつけた。拘束されたことにガダは怒り狂って暴れている。


「研究員は速やかにこの場から離れて! そこの二人、研究員の護衛! 残った者で春彩石を回収しろ!」

「班長! あと二頭来ます!」


 壊れた塀の向こうを見て、誰かが叫んだ。

 悲鳴を上げて人々が逃げ惑う。

 だが、人々が逃げた方向の塀の向こうから、別のガダが姿を現し、その場はさらに混乱した。


 どこかで精獣ステュルの声を聞きながら、リースは他の騎士と一緒に、新たに現れたガダを拘束した。視界の隅で鮮血がほとばしるのが見える。

 正面から大地を揺らして飛ぶように走ってくるガダに対して身構えた時、リースは足元の地面が崩れ、自分が宙に放り出されたのを感じた。


(しまった――)


 大地を割って現れたガダが、こちらへ向けて鋭い爪を伸ばす。だが、宙に浮かんだ彼女は無力だった。次に己の身に起こることを予感して、反射的に目を閉じる。

 だが、彼女が次に感じたのは、鋭い爪で切り裂かれる感触ではなく、柔らかな何かに包まれる感触だった。

 驚いて目を見開いた彼女の視界に映ったのは、栗色の柔らかな髪だった。


「フィーナ!」


 リースの声に、フィーナは小さく呻いただけだった。

 風に乗った二人は、研究所で一番高い建物の屋根の上に倒れ込むようにして落ちた。


「リ、リースさん、怪我は……?」

「平気、平気よ。私は大丈夫。ありがとう、本当に……でも、あなた……ちょっと待って……」


 フィーナの背に腕を回して、そこにある感触にリースは体を震わせた。手や腕に、べっとりと赤い血がついている。

 なぜだか目に涙が溜まって視界がぼやけてしまう。


「フィーナ、フィーナ。しっかりして、すぐに治療しましょう――」


 だが、建物が大きく揺れてリースは短い悲鳴を上げた。屋根から落とされないようにと、フィーナを抱きつつ屋根にしがみつく。

 下を見ると、ガダがこちらへ登ってこようと建物の壁に爪をくい込ませていた。

 フィーナを抱きしめる腕に力を込める。とにかく魔法をと思っていると、空から降ってきた何かがガダに勢いよくぶつかった。ステュルだ。隣の騎士団本部にいる翼導士隊が来てくれたのだ。

 ほっと息を吐いたリースの隣に、別のステュルが舞い降りた。その背中から、翼導士が降りて二人に駆け寄ってくる。


「怪我をしているのは一人だけか?」

「は、はい」

『ガダの爪には毒がある。動かす前に毒を抜いてしまった方がいい』

「はい」


 ステュルの助言に、リースはうなずいた。


(できるわ。絶対にやらなければ)


 手は震え涙は止まらなかったが、気力を振り絞ってリースは魔法を行使した。水の精霊がその気配を増し、フィーナを優しく包み込む。

 力なくもたれかかってくるフィーナの息遣いが荒い。フィーナの髪から髪飾りがずるずると滑り落ち、屋根の上に転がった。羽根を模した銀細工は見事にひしゃげ、夏の強い日差しを反射していた。

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