22 国王と二人の王妃
国王がまだ王子だった頃、王子は貴族である一人の姫君と恋に落ちた。それが現王妃だった。身分についても申し分なく、何の障害もなく二人の婚姻のための準備は進んでいったのだという。
一つ障害があったとすれば、それは王子の母君の死だ。王家に降りかかる呪いによって亡くなり、喪に服すことになった。二人の婚約を正式に発表する、わずか数日前のことだった。
長い喪が明けるまでの間、二人は逢瀬を重ねた。大抵は、姫君の館に王子が赴く形だった。当然、姉妹であるもう一人の姫君、前王妃とも挨拶くらいは交わしていた。だが、その時はたったそれだけで、王子は恋をした姫君の姉のことはほとんど知らなかったのだという。
ようやく喪が明け、正式に婚約を発表できるとなった頃。母の死は悲しかったが、同時に最愛の人と一緒になれる喜びを感じていたその頃、一つの事件が起こった。
いつものように姫君の館を訪れた時、王子は酒を一杯勧められた。毒見はもちろん済ませたし、酒には強い方だ。だが、その日はなぜか酔いが回ったらしい。姫君の待つ部屋へと案内され――そこがいつもとは違う部屋だと分かっても、この時既に、彼には考える力がほとんど残っていなかった――そこで、王子は愛する姫君に会った。いつも奥ゆかしくはにかみがちな姫君は、まるで娼婦のように大胆だった。夫婦になるまではと手の甲に口付けを落とすまでに留めていたのに、姫君は寝台へと彼を導き、彼もそれに流されるままだった。
そして朝になり、寝台で共に夜を過ごしたのが愛する人の姉だと知った。
彼女は優れた魔術師だった。魔術の才能が全くない王子を騙すことなど造作もなかった。そして、たった一度で身ごもることも。
誰も王子を責めなかった。だが彼は、愛する人にひたすら頭を下げた。罵倒し、もう顔も見たくないと嫌われたならどんなに楽かと考えたが、姫君は一度も王子を責めなかった。だが、王子を気遣う言葉をかけながらも、彼女は涙を流していた。
身ごもってしまった以上、どうすることもできなかった。優れた魔術師の腹の中の赤子をどうにかする術もない。
結局、姉の方と早急に婚約し、子が生まれる前にと駆け足で夫婦になった。
前王妃が何を考えてそのような行動に出たのかは分からない。尋ねても、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべるだけで何も語らなかったのだという。
そんな風に出来上がった夫婦の間にまともな絆が生まれるわけがなく、二人はろくに会話もしなかった。
やがて娘が産まれた。ルーラシュテだ。王子にとっては、忌わしさの象徴のようなものだ。婚姻を結ぶ前にできた子であるのを隠すために、ルーラシュテは一度も公の場に連れ出されなかった。日に日に母に似てくる娘を視界に入れたくない彼にとっては、自身にかかった呪いのような子が人目に触れないのは、せめてもの救いだった。
そして産後の不調が祟って前王妃は死に、王は娘を神殿へと追いやった。二人の王妃の父親、つまりはその子の祖父である大神官からの提案だった。
新しい王妃を迎える国王のため。そして、自分を愛してくれる者がいない王城より、穢れなき神獣のそば近くの方がルーラシュテにとっては良い。だが大神官は、何より亡くなった前王妃のことを気にしていた。死してなお、王家に暗い影を落とすのではないかと。
「あの女は、恐らく娘に何か吹き込んでいるだろう。ただで死ぬような女ではない……大神官殿はそうお考えなのだ。もしかすると、今回の件にも絡んでいるやもしれぬ」
「まさか……」
「低いが、可能性はある。お前ではない誰かがお前の名を騙り、ルーラシュテを動かしたことは事実なのだろう?」
「はい。ですが、私ではそれを突き止めることができず……姉上に侍女として仕えていたラウハは、遺体の一部が発見されました」
「口封じか」
「ええ……春彩石を仕入れたスタシエル王国の商人も、足取りが掴めません。恐らくは生きていないのでしょう。スタシエル王国側も、どうやら彼を探しているようですが……姉上が生きて帰国できたのは幸いです」
「あれも元は王族だ。そこに手を出せば、我々が動く大義名分を与えることになる。それで、春彩石の魔術についてはどこまで分かっている?」
「姉上が偽の私から伝えられた『持ち主とその周囲の者を操る』という力は、あの石にはありません。魔術としては上級にあたるものですので、そもそも大量の春彩石にその魔術を施すには限界がありますし、大量の魔力が必要になります。大量の魔力を持った魔術品であれば、かの国の魔導士が気付かぬはずがありません」
スタシエル王国の魔導士が、なぜ春彩石が魔術品だと気付かなかったのか。それは、魔術品に込められた魔力が極端に少ないからだと、エドヴァルド王子は言う。
「魔術としては、下級のごく初歩的なものです。対象物――今回の場合、春彩石を圧縮する魔術です。時間の経過と共に魔力が消費され、術を維持できなくなれば、石は圧縮から解放された反動で砕け散ります。石自体が小さいので、身につけていたとしてもかすり傷がつけば良い方でしょう」
「大がかりな割に、それでは得られるものが少なすぎるな。その問題の石を直接見ることはできるか?」
「もちろんです。他に異常がないか、今も調べさせているのですが――」
二人分の衣擦れと足音、そして声が遠のき、やがて何も聞こえなくなった。
シュラルは力の入らない手で扉を閉め、細工を元に戻し、重い置物を最初の位置へとずらした。音を立てないように細心の注意を払いながら、ゆっくりとソファに座り直す。
(これは……これは、きっと罠だわ)
隣室での出来事は、自分を騙すための芝居だ。シュラルは己にそう言い聞かせた。
だが同時に、今更自分を騙したところで、彼らにどのような得があるのかという疑問もあった。今までどおり神殿に閉じ込めておけば、シュラルには大したことはできない。
前王妃と現王妃、血を分けた姉妹を裏切ったのはどちらなのか。どちらでも今の自分には関係ないと思いながらも、国王の語ったことが真実であった場合の自分の出生について考えると胸がむかむかした。
現時点で判断することはできない。シュラル自身は、母の手記に書かれたことしか知らなかった。誰も彼女に、両親のことは語らなかったのだ。そして、このことを知っているだろう人物に、シュラルは心当たりがあった。
シュラルはソファの前のテーブルに置かれていた呼び鈴を手に取った。揺らすと、涼やかな音色が部屋に響き渡る。すぐに、扉の向こう側に控えていた近衛兵が顔を出した。
「体調が優れませんの。帰りの馬車を用意してくださる?」
そう言ったシュラルは、演技とは無関係に顔色が悪かった。




