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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第一章 魔法魔術研究所
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01 レツ

 音もなく雨が降っている。開けっぱなしの窓から忍び込んだ雨の匂いが、狭い室内を満たしていた。


「頭を下げなさい」


 母のその声に、レツは元々下がっていた頭をさらに下げた。伸ばしっぱなしの黒い前髪が揺れる。もう条件反射のようなものだった。まだ字も書けぬほど幼い彼は、母親が自分を――特に自分の目を憎んでいることを嫌というほど理解していた。


「そのおぞましい目を見て、周りがどんな気持ちになるか……その目で呪い殺すのは父親だけにしてちょうだい」


 レツは返事をしなかった。レツの声を聞くと、母が余計に苛立つことを知っていたからだ。

 そっと、頭を下げたままで視線を上げる。敷物の上に座っている母の、袖から覗く青白く細い手が見えた。

 母がもう長くないことは、幼い彼にもよく分かっていた。そして母が死んだら、周囲が「呪いがうつった」とレツのせいにすることも。


「母がその名前を付けた理由を、よく考えて。劣っているのだから、目立たないように、人に迷惑をかけないように。分かっているわね」


 どうしようもなく劣っている。「レツ」とはそういう名前だった。




◇◇◇◇




 ガタンと大きく馬車が揺れて、レツは目を覚ました。抱え込んで枕にしていた荷物を脇にやり、硬くなった体をほぐす。

 数年前に亡くなった母親の夢を見るのは久しぶりだった。

 ふと、向かい側に座っていた女性と目が合う。レツの紫色の目に気付くと、女性はさっと目を逸らした。レツも慌てて他を見る。(ほろ)のないところから、春の淡い青空が覗いていた。

 夢の中の母親は、レツに警告しに現れたのかもしれない。それとも、自分が母に対して後ろめたい気持ちがあるからだろうか、とレツは考える。


 彼が故郷である田舎町を出て向かっているのは、この国の首都だった。もし母が生きていたら、きっと首都へ行くことなど許さなかっただろう。

 レツはこの春十一歳になった。十一歳といえば、この国ではどこかに弟子入りして下働きを始めるか、専門の教育機関に入る歳だ。

 伯父夫婦の家に居候の身だったレツは、金銭的にも教育機関に入る選択肢はない。どこかに弟子入りしなければと考えていたものの、呪われている彼を受け入れてくれるところが見つかるはずもない。どうしたものかと途方に暮れていたところに、ある日魔導士がやってきたのだ。


 魔法王国と言われるほどに魔導士が多い、ここ「スタシエル王国」では、国が魔導士の素質がある子供を集め、魔導士となれるよう養育してくれる。家にやってきた魔導士は、レツがその対象になったと告げに来たのだ。断ることももちろん可能だったが、金銭的にも伯父夫婦に迷惑をかけずに済むし、何より自分が家からいなくなれば喜ぶことはよく分かっていたので、レツに断る理由はなかった。


 そうして今、母の意に背いて、彼は首都にある「国立魔法魔術研究所」に向かっているのだった。


 同乗している誰かが、もうすぐ到着するだろうかと話しているのが耳に届いた。

 日が傾いている。暗くなる前に着いたらいいな、とレツは思った。


 ガタンと先程より大きく揺れ、馬車は動きを止めた。御者が車輪の様子を見に降りてくる。


「すまねえが、ちょっと降りてくれるか」


 御者に言われるがままに、荷台にいた乗客は次々と降りていった。誰かが「呪いがうつったんじゃ」と囁き交わしているが聞こえ、レツは頭を下げた。


「えらくでかい溝にはまったな」

「昨日はこんなもんなかったってのに。おい、押すから手伝ってくれよ」


 大人の男性達が集まって馬車を押していたところに、女性客の悲鳴が聞こえた。

 何事かと振り返ると、道の脇にある森の中から、刃物を見せびらかしながら男達が飛び出してきていた。あっという間に何人かの客から手荷物を奪っていく。


「逃げろ!」

「おい、早く出せ!」


 慌てて車輪を溝から押し出し、皆が馬車に乗り込む。レツも乗り込もうとしたが、誰かに強く押し飛ばされて尻もちをついてしまった。

 あっと言う間に馬車は遠のいていく。その様子を見ながら、盗賊達は腹を抱えて笑っていた。


「どんくせえ奴だな。そんなんじゃ世の中渡っていけねえぞ」

「お、見ろよこいつ」


 誰かが口笛を吹く。


「偉大なエリク王と同じ色の目だぜ。呪われてやがる」

「なんだ、じゃあ国内じゃ売れないな。グラネア帝国にでも引っ張ってくか」


 紫色の目の人間は、呪いのせいで二十歳になる前に死んでしまう。そしてその呪いは周囲の人にもうつるとされていた。

 この国では常識と言っていい。そんな人間、確かに誰も買わないだろう。


 座ったまま青くなっているレツを立たせて、盗賊達は道の脇にある森へと入っていった。抵抗する気力もなく、大人しくついていく。どんどん奥へと入っていくのに不安を感じながらも、どうすることもできなかった。


「王様の呪いがうつるんだったか? 可哀想にな。まぁ、恨むなら親を恨むんだな」


 にやにやと笑いながら、可哀想だなどと微塵も思っていない様子だった。レツ自身も、今更自分が可哀想だとは考えなかった。生まれてからずっとこうだったのだから。しかし親を恨む気にもなれなかった。こんな子供を産んだことを、ひどく後悔していただろう。


 盗賊はレツを後ろ手に縛って木の根元に座らせると、自分達も座って盗んだものを物色し始めた。


「お頭達は?」

「夜までには戻ってくるってさ。それまで俺達も動けねえな」


 レツは立てた膝に頭を預けた。運がない上に、彼らの言うとおり、どんくさい。逃げられるなんてこれっぽっちも思っていなかった。

 名は体を表すと言うが、確かにこの名前は自分にぴったりだとレツは思った。


 もう日が傾いて、その上木々に頭上を遮られたここは薄暗かった。目を閉じると光すら感じられなくなる。

 それが、レツには不思議と心地良かった。闇の中にいると、こんな状況なのに不安に駆られていた心が落ち着いていく。

 暗闇の中では、薄いベールが優しく包んでくれるような、そんな感覚がするのだった。




◇◇◇◇




 どれくらい経ったのだろう。

 いつの間にか盗賊達の声すら気にならなくなって、もしかすると、少し眠っていたのかもしれない。

 ふと彼が気付いた時には、辺りが先程よりも騒がしかった。男達の罵声や、草を荒々しく踏みつける音が彼の耳に届いてくる。


 うっすらと目を開ける。視界に入った地面には、夕日で赤くなった光が長い影を落としていた。

 レツは自分のすぐそばに、人の気配を感じた。

 もう少し目を開く。広がったレツの視界に、自分の目の前に立っている子供の両足が見えた。

 顔を上げる。同い年くらいの少年が、黙って彼を見下ろしていた。


 僅かな光を反射して、少年の金色の髪は光っているように見える。しかし何より目を引いたのは、その髪に負けないくらい輝いて見える琥珀色の目だった。

 その目が少しも逸らされることなく、真っ直ぐにレツの紫色の目を見つめていた。

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