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第8章 さよなら、ハチミツバターサンド

1.


 儀式の日でもない6月下旬。鷹取屋敷に年配の親族数人が集ったのは、無論たまたまである。家主である美弥以外は、商用で東京に出て来たついでの宿代わりということだ。お互い様なので、そこは別に気にならない。

 だが、気になるというか、期せずしてというべきか、話題が1つのことに集中するのはたまたまではない。

 そう、沙耶の恋愛のことである。

 それは、今まで大っぴらに話題にすることを避けられてきたネタ。ゆえに解禁となった現在では、交際順調ということもあって、母も浮かれて話の輪に加わっているのである。仕方なく歓談に加わっている沙耶には、そうとしか思えない。

「で、どうなんですか? その神谷さんって人」

 母は、少しも考えるそぶりすら見せず言い放った。

「沙耶より大人だわ、うん」

「何言ってるんですか。あれで意外と子供っぽいんですよ?」

「意外に、ってことは概ね大人なんじゃない」

 屁理屈では、いまだに母に勝てない。沙耶はそっぽを向くことで逃げた。

「そういえば、博多の麻緒ちゃんがね、『沙耶ねえさまに隼人さんを取られた~』って」

「なーに言ってんのよ。アクションの一つも起こしてから言いなさいよ。ねぇ沙耶?」

「……そこでわたしに振りますか? 麻緒ちゃんの冗談に決まってるじゃないですか」

 思わず言い返した沙耶だったが、母の顔が喜色満面なのをみると、嬉し恥ずかしの心境である。

 そうやって会話をしているうち、沙耶はふと気になる点を見つけた。親族たちの遠慮のないおしゃべりに、どことなくまだためらいがあるような気配を感じたのだ。

(なんだろう……って、それはそうか。あんなことしたんだもの……)

 うかつなことを言って破局が来たら困る。そう思っているのだろうと推測する。

 ふと耳を澄ますと、濡れ縁から男性のと思しき足音が2つ聞こえた。訪ないとともに障子が開き、母に仕える執事が恭しく一礼する。

「ご歓談中失礼いたします。海原康一様、お見えになられました」

 それは東京都内に住む海原の分家の主だった。母になんの用だろう――

「やあ沙耶ちゃん」

 お目当てはわたしか、この人も。立ち上がって一礼する。

「康一おじ様、ごきげんよう」

 と述べるのを待たず、彼の分厚い手が沙耶の肩に置かれて、とんでもない一言が吐かれた。

「半同棲してるんだって? 沙耶ちゃん」

 唖然と固まった沙耶の代わりというわけでもないだろうが、慮外者に女子衆からパンチが打ち込まれた。

「なにするんですか姉さん!」

「こ う い ち ~! あんたよくも訊きづらいことをサクッとノベてくれたわねぇ」

「もうちょっとオブラートに包みなさいよ」

「包みましたよ痛いなぁもう」

「包んでそれ?」

 あっけらかんと笑う康一。あの美鈴の父親とは思えない朗らかさである。

 それはともかく、ためらっていた話題はそれだったのか。今さらながらにいたたまれない沙耶である。

「あ、あの、明日も早いので、これで失礼します」

 そう、明日は隼人と朝からお出かけなのだ。

 だが、そこで黙れないのが浮かれ母である。

「ああそうね。英気を養っておかないと」

 たちまちのうちにばらされて、三十六計逃げるに如かず――

「たびたび失礼いたします。仙台の――「きゃ~沙耶ちゃ~ん! 久しぶりぃ~!」

 執事の披露などお構いなしに部屋に飛び込んできたのは、優羽の母親だった。そしていきなり、その小さな手が二つとも沙耶の喉に食い込み、ガッチリと締め上げられた!

「うふふふふふ優羽の仇よ~」

「――ってなにするんですか」

 あっさり手を外すと、きゃ~いった~いとか言いながらふわふわと笑っている。相変わらずで、かつ既視感に溢れた表情である。

 母は言わずにはおれないようだ。

「あなたねぇ、いい歳してきゃ~じゃないでしょ」

「んもぉ~わたくしそーりょー様より年下ですぅ」

「実年齢の話よ!」

 ドタバタを隠れ蓑に、沙耶は今度こそ部屋を脱出できたのであった。


2.


 その頃、隼人はうなされていた。

 今日は沙耶が泊まらない日。だから広々とした布団で――いつの間にかダブルの布団一式に新調されていた――早々とぐっすり眠れるはずだったのに。明日は沙耶と遠出だし、寝とかないといけないのに

 夢の中で、隼人は河原に寝転んでいる。ごつごつしたこんな所で寝転ぶ必要なんて無いから、起き上がろうとする。

 でも、体が動かない。

 必然的に見上げる姿勢になった空には、例の無人偵察機がグォングォンいいながら大きく旋回している。

 そんな派手な音を立てたら、みんなに気付かれる。だが、現に隼人のすぐ近くを人々が通っていく足音がするのに、空には一向に関心が無いようだ。

 関心が向かないのは、隼人に対しても同様である。誰も呼びかけてこないし、助け起こそうともしてこない。ただただ足音だけが響き、頭が揺れて気分が悪い。

 と、上空の機影が傾いた。旋回よりもバンクを取ったそれはすなわち、降下してくるということだ。

 こちらへ。隼人の所へ。

 翼下に取り付けられたガンポッドに目が吸い付けられる。その先端からのぞく銃口の黒い穴が、どんどん、どんどん、どんどん――

 耐え切れなくなって開けた隼人の眼に映ったのは、いつもの暗い天井ではなく、既知の女子の険しい顔だった。その唇が震え、かすれた声で、

「……大丈夫ですか?」

 と訊かれても、シチュエーション的に、どう考えても大丈夫じゃない。

 だって、女子は彼の胴をまたいで膝をつき、腹にかけていたタオルケットをしっかりと押さえつけているのだから。

 そして、左手は彼の右腕を封じ、右手にはナイフ。確か、一番のお気に入りと言いながらうっとり眺めていたやつだ。

「やっぱり、凌ちゃん来たんだ……」

 そう、隼人の動脈を切ろうとナイフを当てているのは、ついさっき彼女の部屋で別れたばかりの九ノ一だった。

 もちろん、怪しげなことをしていたわけではなく、いつものボランティアの呑み会会場に彼女の部屋が使われただけなのだが。

「やっぱりってどういう意味ですか?」

「挙動不審っていうか、俺のほうをチラチラ見てたからさ。けっこう思い詰めたっぽい目つきだったし」

 返答にぐっと唇を噛んで、凌は絞り出すような声を発した。

「隼人先輩にはなんの恨みもないですけど、死んでいただきます」

「そっか」

 素直に微笑む。どう見積もっても絶体絶命のピンチだから。たった一分の賭けだけは残されているとしても。

「……それだけですか?」

「なにが?」

 そう言いながら、こっそり体勢を整える。

(上にいるのがミキマキちゃんなら届かないけど、凌ちゃんの背なら……)

 悟られないように作った微笑を九ノ一は見抜けなかったようだ。重ねて質問してきた。

「最期の言葉がそれだけなのかということです」

「もう一言、言っていい?」

「……どうぞ」

「かわいい女の子に殺されるなら本望だね」

 凌は夜目にも分かるほど動揺した。

「この期に及んで……」

 ナイフの切っ先がほんの少しだけ首から離れる。

 今だ!

 あえて無言で腰を突き上げ、彼女の下腹部に打ち付けた。

「ひあっっ!?」

 狙いどおり仰天して体が浮いた凌を、起き上がる勢いで弾き飛ばす。体勢を整えながら、彼女が飛び込んでくる前に、

「変身!」

 白水晶の発光をまぶしげに腕でさえぎった凌は、また唇を噛んだ。

「くっ……まさかそんな下品な方法で……」

「ああ、ごめんな。凌ちゃんの腰が浮いてたからさ」

「腰?」

 エンデュミオール・ブラックは、心から申し訳なさそうに頭を掻きながら、かつちょっと笑いながら答えた。

「うん、オトコの上にぺったり座ったことないんだなーと思ってさ……ないよね?」

「ありませんよそんな、そんな……!!」

 赤面の凌はいきり立っているが、先ほど垣間見えた殺気と逡巡が混ざったような気配は消えてしまった。その点を突いてみるか。

「そもそもさ、殺す気もないのになんでこんなことしに来たの?」

「……どうしてそんなこと分かるんですか?」

 その回答がもう語るに落ちてる気がするが、あえて解説する。

「だって、今の殺し方だと、犯人バレバレじゃん? それなら毒殺とか、事故死に見せかけて……原付のブレーキって、凌ちゃんがやったの?」

 彼女は首を振った。自分ならもっとうまく偽装する。少なくとも、努力する。そう言って、

「わたしを信用できないから、別の人間を使ったんだと思います」

 なおも何かを言おうとしたが首を振って、凌は悲しげな目をした。

「わたしを、どうするつもりですか?」

「どうって……」

 そうだ!

「そりゃあ九ノ一を捕まえたら、スることは一つだよな」

「いや別に捕まってませんが」

 じりじりと後退を始めた凌は、すぐに壁にぶつかってしまった。

「じゃどう? 今みたいな奇襲もへっちゃらになるし、ここで一つ、通過儀礼とやらをだね」

 と冗談交じりでゆっくりと迫ってみる。凌は呆れ始めたが、その顔には脂汗が滲んでいるように見える。

「……頭おかしいんですか? 沙耶さんにバレたら殺されますよ?」

「凌ちゃんも一緒にぺちゃんこだね。暗殺未遂犯として」



 翌日。隼人と沙耶を乗せたリムジンは、東名高速を快調に進んでいた。目的地は富士山。別に登ろうというのではなく、附近の別荘にお泊りしにいくのだ。

「隼人君、寝不足なの?」

 隣に座る彼女が心配そうに顔をのぞきこんでくるので、悪夢でうなされたことを話した。実際に寝不足だし、夢の記憶もあるのだから、嘘じゃない。

「なんつうか、やっぱずっと監視されてるのは結構ストレスなんだな、と」

「わたしがずっと傍にいてあげられればいいんだけど」

 それは心強いけど、沙耶はボディガードとしてはどうなんだろう。

「どっちかっつーと、沙耶ちゃんのほうがVIPなんだけど」

「わたしにとっては隼人君が大事なの!……いやなの?」

「ほらじっとりしない」

 ほっぺたを突くと、かわいく拗ねてそっぽを向いてしまった。

 別荘にいったん荷物を置いて、駅前まで送ってもらった。隼人の防護という観点から言えば防弾リムジンで巡るのが最適なのだろうが、

「観光名所をあれで巡るのは、ちょっとね……」

 沙耶の苦笑はよく分かる。かの高級車から降り立っただけで、駅前の通行人から視線を集めてしまったのだから。

 平日のバスは空いていた。2人並びの席に手をつないだまま座る。すぐに彼女が問いかけてきた。今週末にでも鷹取屋敷でご飯を食べないかと。

「お呼ばれか……何を着ていけばいい?」

「その格好でいいわよ」

 このあいだの背広はと考えたが、大げさなことにしなくていいと母親に言われたらしい。

 そのまま2人でバスの外を眺めていると、ふと沙耶が車内に視線を走らせた。隼人も目を向けると、その先には1組のカップルがいた。窓の外の何かを指差し、話し込んでいる。

「どうしたの?」

 知り合い? それとも刺客?

 だが、彼女は首を振ると、少し頬を赤らめながら口を開いた。

「う……その……呼び捨てって、いいなと思って」

「呼び捨て?」

 耳をそばだてれば、なるほど、カップルはお互いを名前で呼び捨てにしていた。

「ふーん、呼び捨てね……」

「な、なんとなくよ? なんとなくだから」

「なるほど、俺は優菜ちゃんからなんとなく呼び捨てにされてたんだ――」

 オオオみるみる悪化するぜ、カノジョの気配が。

「そういえばそうね」

「ほらじっとりしない」

 またほっぺたを突いて、隼人は握った手の力を強くした。



 隼人が沙耶の機嫌を良くしようと四苦八苦していた頃。

 凌は渋々、本当に渋々、鷹取屋敷の例の部屋を訪問してウソの状況報告――現在暗殺の仕込み中であると――をした。

 その1時間後、凌はファミレスにいた。陽子と祐希を呼び出して。彼女たちには、呼び出した理由を『隼人先輩のことで、ちょっと相談』とだけ告げてあった。

 陽子は来ないかと思ったのに、ちょっと嫌そうながらもちゃんと先に来て、パフェまで注文している。

「で、なによ? 相談って」

 そう切り出されたのをきっかけに、声を低めて告白する。極秘任務、というか半ば脅迫されているのだと。

 息を飲む陽子の横で、祐希の目がキラリと光った。

「で? で?」

 凌は小さく笑うと、声を低めて、しかしはっきりと発言した。

「隼人先輩を亡き者にしろ、って」

 今度は祐希が息を飲み、逆に陽子が眼鏡を光らせた。

「別にいいんじゃない?」

「いやよくないだろ」

 陽子は本当に隼人が嫌いなんだな。その思いを新たにする。一方で、祐希は複雑な表情を見せていた。それに気付いていないのか、陽子は同志を求めた。

「祐希先輩もあの人のこときら……!」

 嫌いでしょと言いたかったのだろう。だが、向けられた視線の鋭さに、陽子の舌は動きを止めてしまった。

「隼人さんのことは好きにはなれないよ。でも、仲間が死んでいいわけないじゃない」

(そういえば、お仲間を亡くしてるんだったな……)

 それも身内の裏切りによって、その手で殺されたと聞いていたことを思い出した。

 任務失敗は凌の一族に危害が及ぶ。そこまで説明すると、陽子はプルプルと震え出した。

「なんでわたしを巻き込むのよぉ!」

「好きでしょ? こういうの。もうちょっと声を抑えて」

 店内の客はまばらだが、斜向かいの席に、こちらに背を向けて女が一人座っている。聞こえないに越したことは無い。

「当事者になるのが好きだなんて言ってない! ていうかミステリー好きなのは京子先輩だ!」

 京子を巻き込めるわけが無い。彼女は海原春斗と仲がいい。そっちにこのことが漏れるとややこしくなるだろう。だから、優羽と瞳魅も呼んでない。

 2人を選んだ理由はちゃんとある。それを、憤慨した陽子を見据える祐希に説明する。

「隼人先輩に関して、客観的に思考できる人に相談したかったからです」

 それと、恋人や家族が身近にいる人は除外したことも付け加えた。巻き添えは少ないほうがいい。

「ああ、それで万梨亜先輩がいないんだ。なるほど」

「はい。4年生の人たちにもシングルの人はいますけど、あの人たちは……」

 隼人と近すぎる。そう言外に匂わせた。

「ていうか、巻き込まれて迷惑なんだけど」

「2人には、もし任務を遂行した場合どういう影響が出るかと、全てを穏便に済ませるためには誰を頼ればいいかを一緒に考えてほしいんです」

「無視された……」

 憮然とした表情でパフェをがっつく陽子は放置して、祐希が口を開いた。

「隼人さんに打ち明けてから任務を遂行すれば? たぶんあの人、こんなかわいい子に殺されるなら本望だぜ、くらいは言うと思うよ?」

「言われましたよそれ……」

 思わず口を滑らせてしまい、昨晩の失敗を説明する破目になってしまった。もちろん、あのイヤラシイやりとりは抜きでだが。

「へー」

 とニヤつき始める陽子の眼は、祐希に向いている。

「祐希先輩って、嫌いだ嫌いだという割に、よく分かってらっしゃる」

「うっさい! 敵のことを理解してて何が悪いのよ」

「へー」

「陽子ちゃん、右と左、どっちの指を折られたい?」

 あるいは逃避なのか、きゃいきゃい騒ぐ仲間を尻目に、考え込んでしまった。

「……ていうか、遂行するんですか」

「ふーん、凌ちゃん的には遂行したくないんだ」

 祐希の推察にうなずく。やはり、ボランティア仲間を殺すことはできない。それが昨晩の失敗で身を持って知った現実だった。

 ほかにも懸念がある。どう考えても、鷹取家に実行犯を割り出されて報復されるだろう。それと同時に、沙耶が壊れるかもしれない。イコール――

「現世が消滅します。今度こそ、たぶん」

「だよねぇ……チョビヒゲが沙耶さんを抑えられるわけないし」

「わたし、チョビヒゲなんて言いましたっけ?」

 首を振る祐希の顔には『分かりきったことを訊くな』と書いてあるように見える。

「そんなあからさまな事を敢えてするって、追い詰められてんのかな、あちらの人たち……」

「かもしれないですね。でも、自分たちでやらず、わたしを使おうとするあたり、まだ悪知恵を巡らす余裕はあるということでしょうか?」

 祐希と二人で話し込んでいると、突然、対面のパフェグラスから声がした。それに鼻を埋めるように取り掛かっていた陽子だ。

「ミキマキ先輩に頼もう」

「……なんで?」

 陽子曰く、謎の双子なら、証拠を残さず隼人を亡き者にできるのではないかと。

 祐希が鼻から息を抜いた。今度は『なに言ってんだこいつ』って顔で、以外に表情が豊かなことに密かに驚く。

「で、死ぬまで脅迫されるんだ? 謎の双子に」

 言葉に詰まってしまった陽子に助け舟を出そう。

「むしろミキマキ先輩の場合、チョビヒゲの首を獲りに行きそうじゃない?」

「「せやな」」

 こんなに仰天したのは、生まれて初めてかもしれない。凌の背後の席から聞き慣れたユニゾンボイスが聞こえてまず驚き、振り向いたその眼に2つの同じ顔を捉えて言葉を失った。

 すすっとこちらの席に移ってきて、真紀はにんまり笑った。

「話は大体聞いたよ。ご実家はうちらに任せとき」

「あ、あの、どうしてここに?」

「今日な、庭師採用の筆記試験だったんよ」

 屋敷から出たところで深刻な表情の凌を見つけて、後をつけてきたのだそうだ。

「庭師になるんですか?」

「受かればね」

 と真紀が返すと、祐希が首をかしげた。

「あれ? 美紀先輩、彼と同じ企業がどうとか言ってませんでした?」

 真紀は、ドリンクバーに行った妹の姿を横目で見ながら、ポツリと言った。

「美紀な、ちょっと篠木君と雲行きが怪しいんよ」

 篠木と一緒に受けた企業が不採用になってしまい、ぎくしゃくしているらしい。

 また祐希が首をかしげてる。

「なんでそれでぎくしゃくするんですか?」

 だが、答えは得られなかった。美紀が戻ってきたのだ。

「で、チョビヒゲのことやけど」

 美紀の目線をたどると、斜向かいの席の女にたどりついた。寝ているのか首がうなだれている。

「凌ちゃん、もうちょっと用心しな」

 意味が分からなくて戸惑い、ついで愕然とした。

「尾行された……?」

「ん、寝てもらったよ、あの人には」

 ICレコーダーらしきブツまで回収して平然としている美紀が怖い。それを横目に、真紀が伝票を取って立ち上がった。

「場所変えよ。美紀が見張るから」

 尾行が複数いた場合の炙り出しか。凌は黙ってうなずくと、他の2人も促した。迷惑極まりないといった顔の陽子と、キラめく瞳の祐希を。


3.


 男は、顔の傷を撫でながらほくそ笑んでいた。

 計画は順調である。四散していた配下――彼らは男を仲間だと思っているようだが、男にとっては召し使う者でしかない――も掻き集めた。主力と目していた奴らは1人を除いて戻ってこなかったが。

 アジトの造作ももうすぐ完工する。ここなら、奴らも手は出せまい。

 あと少し。あの罠を、確実かつ強力に作動できるようにしなければ。そうすれば、今度は交渉の開始だ。

 男は、またほくそ笑んだ。交渉には自信があるのだ。材料もある。奴ら《・・》が飛びつくに違いない、好材料が。

 男は自分の股座に取り付いている配下の一人に更なる奉仕を命じると、ソファにゆったりと背を預けて思考を続けた。


4.


 迎えのリムジンは少し遅れた。整備不良が見つかったせいで、運転手はしきりに謝っていた。

 だが、運転席に乗り込む彼がぼやいた一言を、隼人は聞き逃がさなかった。

「おかしいな、あんなところが突然壊れるわけないのに……」

 車中で沙耶に話すと、彼女は聞き逃していたようで、深刻な顔をし始めた。

「いろいろ仕掛けてくるわね。困ったことだわ」

「あ、やっぱり?」

 例のグループの仕業ということか。隼人は腕組みをして考え込んだ。

「そこまでして、いったい何が手に入るの?」

「総領職を継いだ美玖ちゃんを操る気らしいわよ?」

「そりゃまたなんとも気の長い話だな……」

 最短で10年後である。袴田とかいう人、確か50代のはずなのに。

「願いが叶っても、自分が退職してんじゃね……?」

「そこはなんとでもなるわよ。別組織に天下りして鷹取家に出入りし続ければいいんだもの」

 そういうものかな。隼人の知識ではいまいち納得の行かない説明である。

 どこかに電話をかけていた沙耶が、通話を終えて隼人を見た。

「詳細調査の指示をしたわ。安藤さんの勘違いならそれでよし、そうじゃないなら――」

 台詞の続きは語られなかったが、『困ったことだわ』的な穏やかなものじゃないのは確かだ。隼人はあえて尋ねなかった。

 話題を変えておしゃべりを続けること10分後、車はさびれた駐車場に停まった。沙耶のたっての希望で、帰り道を少し曲げて、途中にある湖に立ち寄ることにしたのだ。理由は現地で、というプチミステリーツアーである。

 ドアを他人に開けてもらうのは、どうしても慣れない。恐縮してお礼をすると、滅相もないという笑みで返されちゃうし。

 辺りをきょろきょろと見回すが、案内看板らしき物もない。目的地に通じていると思しき小路が1本、丘を切り開いた口を開けている。それだけだ。

 人気もない。というか、ほかに車は1台も停まっていない。監視カメラだけは3台も見受けられるのが不思議な駐車場である。

「さ、こっちよ」

 沙耶に手を引かれて、その小路に踏み込む。夏の暑さを少しだけ緩和してくれる木陰にほっとしたが、同時に寂しい雰囲気にひやりとし始めた。

(実はこの沙耶ちゃんは凌ちゃんの変装で……)

 この先で隼人を亡き者にして、遺体を投棄するつもりだとしたら。

(うーん、でも、夜は間違いなく沙耶ちゃんだったし……)

 アレは変わり身できないだろうから、朝入れ替わったのか?

「沙耶ちゃん?」

「なに?」

 前だけを見て隼人の手を引いていた沙耶が、少し歩を緩めて振り向いた。

「昨日の夕飯の卵焼きだけどさ、なごみから教わったの?」

「隼人君、あれはスフレオムレツよ。どうして?」

「しめじが入ってたからさ。あいつ、隙あらばキノコをぶち込んでくるから」

 沙耶の目がすうっと細まった。

「しめじなんて入れてないけど……誰の手料理の記憶かしらねぇ……」

「いやだからなごみだってば」

 ちょっと不審げな沙耶には悪いが、引っ掛けは不調に終わった。夕食のメニューは具無しのスフレオムレツだったのだ。

(凌ちゃんに変わり身のめくり方、教えてもらっとけば良かったな)

 機密事項を教えてくれるはずないか。

 ていうか、別の暗殺者の可能性も……?

(どうせなら凌ちゃんがよかったな)

 ちょっとドキドキしながらたどり着いたのは、本当に何の変哲もないただの湖だった。申しわけ程度に小さな眺望広場と東屋が設けられているが、やはり人気はない。自販機もないし。

 沙耶は転落防止の柵まで行くと、しばらくたたずんで緑色の湖面を眺めていた。その瞳にはなにか悲しげな色が浮かんでいるように見える。

 そして合掌すると、目を閉じた。

 よく分からないけど、とりあえず祈っとくか。隼人も同調する。これから葬られる俺への祈りかもしれないけど。

 気配でやめたことを察知して、隼人が合掌を解くと、沙耶はこちらを見ずに話し始めた。

「ここにはね、うちのご先祖様がお一人、眠っていらっしゃるの」

「……入水したの?」

 うなずいた沙耶は、いきなり話題を変えた。

「フランクの伯爵家は、鳥人」

「え?! ああ、うん」

 以下、世界各国の『現世の守り手』とその正体を列挙したあと、沙耶は続けてこう言った。

「でも、うちは鬼にはなれない。還れない、って言うべきかしら」

「あ、そうなんだ」

 それは推測によると、鷹取家2代目総領が定めた掟によるらしい。

『血をヒトから受け入れよ。我らが護りし者たちから』

「――ハチメ様のご真意は遺されてないけど、恐らく、鬼であったがゆえに妻のサカイコ様に忌避された開祖様と、サカイコ様から呪いをかけられたハチメ様が、鬼の血を薄めようと思われたのかもしれない。そう考えられているわ」

 だが、妖魔討伐という家業を果たすためには鬼の血を薄めるわけにはいかず、一方で鬼への還元能力は失われるという結果になった。

「……沙良ちゃんは?」

「還れないそうよ……でもね、例外があるの」

 それは、一族に語り伝えられる悲恋の一つ。

 坂東武者との恋に落ちた一族の女性が、本領に帰る彼を追ってこの地にやって来た。そして境目争いに巻き込まれた彼の生命の危機に――

「鬼還りをしたのよ」

「おにがえり?」

 激憤が高じて血が滾り、鬼と還る。古来よりささやかれていた秘密が、現実となったのだ。鬼に還った彼女は敵を討ち滅ぼし、彼を救った。だが、彼女は彼に受け入れられることはなかった……

「誰もが怖気づく鬼の姿だったそうよ。衣服と声だけは彼女のまま……」

 それで、世をはかなんで入水したのか。

 隼人はもう一度湖に向かって、合掌した。沙耶もならい、しばらく不動の姿勢を取る。

「……そういう話を聞くと、なんか物悲しい雰囲気だな」

 隼人の感想に沙耶はうなずくと、説明を付け加えた。ここら一体は、実は鷹取家の所有なのだと。ご先祖様の安らかな眠りのために、あえてさびれた風の整備をして、人が近づかないようにしているのだと。

「この山全部?」

「ええ、母様が所有者よ」

 昨晩ふと思い立ったのだそうだが、隼人はさっきまでの疑惑もあってなんとなくすっきりしない。

「教えてくれればいいのに」

「……なんか、言い出しづらくて」

「なんで?」

「だって……」

 鬼の末裔であることは誇りに思う反面、人外の血を引いていることには引け目があるのだそうだ。

「沙耶ちゃんがなんの血を引いてようと、俺の気持ちは変わらないよ」

 我ながら浮いた台詞だとは思ったが、彼女の嬉しそうな顔が見られたからいいかな。


5.


 それから10日ほど経った、大学生協の第2食堂。隼人が1人で食事をしていると、優菜がやってきて――震えて固まった。

「どうしたの?」

「え……ああいや、別に……相席、いいかな?」

「なんだよ改まって」

 今までそんなこと、訊いてきたことなかったのに。

 指摘すると、愛想笑いでごまかされてしまった。どことなく空々しい気配も珍しい。

 そこは口に出さずに、彼女が昼食を買ってくるのを待つ。着席したのを見計らって服を褒めたら、『メッ』という顔をされた。

「沙耶さんに首絞められるぞ。そんなことやってると」

「まさに瞬殺だなきっと」

 ていうか、千切れちまうんじゃね?

 これも口には出さない。メシ時だしな。

 優菜が自分のしょうが焼き定食に箸をつけようとして、止まった。その眼は隼人ではなく、その前に置かれた昼食に注がれている。

「それ、ニショクカレー……」

「そうだよ?」

 ニショク特製ゴールデンリッチカレーと優菜。そのキーワード2つは、隼人に1年ほど前の記憶を呼び起こした。

 隼人がいろいろあって『あおぞら』にサポートスタッフとして登録した翌日、ここ生協第2食堂で三人娘におごってもらったのだ。このニショクカレーを、お近づきの印にとか言って。

 それ以来のカレーを改めて一口ほおばると、

「……おかしいな」

「なにが?」

「あの時のカレー、もっと辛かったような……」

 突然、優菜がふっと笑った。

「それ、あたしがスパイス混ぜたからだよ」

 前夜に交わした会話でからかわれた仕返しだったらしい。

「子供か」

「うるさいな、子供ですよ……どんな反応するか、見てみたかったし」

 そこから話題は、あの当時――といってもたかだか1年前なのだが――あった出来事を回想しあう流れになった。隼人の歓迎会とその後のバルディオール・フレイムとの戦闘。ミキマキの加入。段々と敵の攻勢が本格化して、アンヌたちが攻めてきたこと。長谷川の裏切り。愚者の石。そして、鷹取家の介入……

 いつの間にか誰もいなくなったニショクで遠慮なく話す2人。でも、1つだけ隼人が触れなかった話題を、優菜から切り出してきた。

「あの雨の日……」

 そう、優菜が彼氏に振られて濡れ鼠で歩いていたところを隼人が見つけて、家に上げた日。

「うん……」

「もし、もしさ、あたしが……」

 皿に残ったたまねぎを箸でいじるのを止めて、優菜は見つめてきた。

「あの時、帰りたくないって言ってたら……どうした?」

「お帰り願うよ。ていうか、送っていくさ」

 それは、自然と口を突いて出た。続ける言葉も。

「そんなことをしても、優菜ちゃんが傷ついて苦しむだけだから。オトメちゃん(・・・・・・)は、それをさっくり乗り越えられる人じゃないから」

 優菜は、嫌がっているあだ名で呼んでも怒らなかった。目を閉じ、少し落胆したような、安心したような、そんな表情をしている。

 その顔に少しだけ寂しさを感じつつ、隼人もあえて尋ねる決断をした。もう戻れない選択の確認を。

「もしあの時、優菜ちゃんを帰したくないって俺が言ったら……どうした?」

 優菜は少しだけ遠くを見る仕草をしたが、すぐに戻ってきた。

「殴るわよ。殴って………………なんでもない」

 彼女が取った間は、彼女なりの揺れだったんだろう。女言葉になってるし。

 なんだか空気が重くなっちまった。さあ、揶揄の開始だ。

「ま、もうオトメちゃんじゃなくなっちまったけどな」

「なんでよ」

 隼人は優菜の前に置かれた昼食の跡を指差して笑った。

「るいちゃんがカレシの前で唐揚げ定食だの肉系を食ってるのを見て、憤慨してたじゃん? 乙女心が無いって」

 ぐっと息を飲んだ優菜は、トレーを脇に避けると机に頬杖を突いた。反撃開始のようだ。

「隼人、お前も変わったよな」

「なにが?」

 にこりともせず言い放たれる。心に向かって、真っ直ぐに。

「沙耶さんの金で食うカレーは美味いか?」

「…………ああ、うまいな」

 ぐっさり刺さった言葉の槍。その傷口から流れ出るのもまた言葉である。

「できればもっと辛いのを食べたかったけどな」

「心配すんな」と優菜は笑う。肩をすくめ、長く収まりの悪い髪を揺らしながら。

「十分スパイシーな生活が送れるぜこれから」

「メタ発言すんな」

 彼女の決まり文句をお返ししたところで一時休戦して、カフェテラスに移動しながら、2人は寡黙になった。飲み物を買って席に落ち着いてもしばらくのあいだ。

 テーブルの真ん中から生えている傘が、心地よい影を提供してくれている。その下で尋ねられて、沙耶が3日に一度、食事を作り置きしに来てくれることを話した。

「なるほど、それでお金に余裕ができたと」

「そうそう……って、あれ? さっきの『沙耶さんの金』がどうとかは、なんで分かったんだ?」

 優菜はちょっと得意げな顔をした。

「勘だよ、勘」

「怖ええよ」

 おどけて見せると、優菜の顔は心配と笑いが混じった複雑な表情に変化した。

「ほんと気をつけろよ、お前。凌ちゃんとなんかあっただろ?」

 ギクッ

 仔細を訊かれても、説明できるわけがないじゃないか。『九ノ一が暗殺しに来たから返り討ちにしました』なんて。のらりくらりとかわすうちに諦めてくれたが。

「さ、じゃあ俺、帰るぜ」

 そう言って立ち上がると、優菜も続いた。

「原付?」

「ううん、ちょっと調子が悪いから、今日は徒歩」

 そっか、と言ってついてくる優菜。

(あれ? 原付じゃないの?)

 でも、なぜか声をかけられない。なんとなくだけど、思いつめたような顔をしてついてくるんだ。

 10分ほど歩いて、ついに分かれ道。隼人の別れの言葉に先んじて、優菜は切り出した。

「お前、沙耶さんと結婚するのか?」

 思わず目を見張ってしまう。そんなこと、まだ考えてなかったから。

 でも次の瞬間脳裏に浮かんできたのは、台所に立ってる沙耶となごみの記憶だった。とても和気あいあいと料理をしている沙耶の姿に、しばらく見とれてたっけ。

 隼人は少しのあいだだけ閉じていた目を開いて、ゆっくりと答えた。

「そう、だな……そうなるといいな」

 今度は優菜が目を見張ったが、すぐに元に戻って、満面の笑みが広がる。

「そっか。じゃ、あたしはここで」

「ああ、じゃあな」

 ごめんな、優菜ちゃん。

 隼人は少し駆け足で去っていく彼女の背中を見送って、心の中でそうつぶやいた。

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