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第7章 その先につながる未来 9

1.


 京子が現場に駆けつけると、そこは激戦の真っ最中だった。

「変身!」

 エンデュミオールのコスチュームを身にまとうと、すぐに投射スキルを発動! 目の前で庭師に跳びかかろうとしていた長爪を吹き飛ばすことに成功した。

『アンバー! そのまま左に回りこんで! こっちに妖魔を追い込んで!』

 アスールからの要請に、そんな無茶なと返す。彼女は近接用のスキルを持たない、支援攻撃専門なのだから。

 2、3回のやり取りのあと、参謀部の介入で妥協案が採用された。15メートルほど向こうにいるアスールの白水晶が輝くのが見え、鷹取の巫女と庭師たちが退避する。

「enchente(鉄砲水)!」

 水系エンデュミオールの範囲攻撃スキル、制御された洪水の発動! 一帯を水が満たし、妖魔を押し流していく。ただし、流れ去らないように。なぜなら、アンバーが打ち込んだ電撃で、水に腰まで使った妖魔たちを全員感電させるために。

 妖魔たちの上げる絶叫と、ショートして火花を上げる壁の電線の爆ぜる音と。思わず耳を塞いで身をすくめたあと、悶絶している妖魔を巫女たちと一緒に始末して、戦闘は終了した。

「いやー、お疲れお疲れ」

「アンバー、遅い」

 ちょっとヤボ用でと言いわけをして、妖魔の死骸を片付ける作業に参加する。

 力が抜けて肉塊と化した妖魔は重い。それでも声を合わせて持ち上げて、横付けされたトラックへと運ぶ。

 すべてを運び終えたのは10分ほど経ったあとか。庭師の一人がほっと息をつきながら話しかけてきた。

「これからえーと、アスールちゃんとのコンビでああやって全部感電させてくれないかな。楽だし」

「そうそう」と別の庭師も声を揃える。

「最近増えてるしな。出動」

 そう、ここ2週間ほど、妖魔の発生件数が増えているのだ。アンバーとアスール以外のエンデュミオールも、オンステージ可能な者は全てほかの現場に出向いていた。

 何年かに一度起こる疫病神の大攻勢の前触れではないかと参謀部は推測しているらしい。

 その時、帰りかけた巫女の集団から声が上がった。

「そこのビル、煙が出てない?」

 見れば、1階の部屋の窓の隙間から黒い煙が漏れてきているではないか。

「……もしかして、さっきのショート?」

「消防に連絡! 急げ!」

 このまま居残っていると、現場検証で証言を求められる。証言者役の庭師に謝って、急いで現場を離脱したアンバーたちであった。



 戦闘が終わって黒くなった正面スクリーンを眺めていた袴田主任参謀は、後ろから声をかけられていることに気付かなかった。

 何度も呼びかけられていたのだろう、遠慮がちに肩を叩かれて、ようやく我に返ったのだった。

「ああ、すまん、何か?」

 参謀の一人が差し出す書類に目を通す。それは、ここ2週間の妖魔出現パターンの分析結果だった。

「ふむ。ありがとう。ああ、これは――」

「はい、既に総領と参謀長に送付済みです。ほかに何か?」

 鼻白むのを隠して鷹揚にうなずくと、年配の参謀は頭を下げて離れていった。

(くそっ! 先走りやがって! 参謀長はともかく、総領にまで渡すとは!)

 情報とは、独占することで価値を生む。それが機密を含んだものならなおさら。

 彼が怒りで握り締めているレポートには、大いに留意すべき事項が記してあった。それは、『過去のデータと比べて、同時多発ポイントが無秩序であり、かつ東京エリアにのみ発生している』というものだ。

 そしてそれは、重要な推測に帰結していた。『栗本の残党が疫病神と、何らかの手段を使って協同歩調を取り、その大攻勢を補助しているのではないか』という。

 これが何かに使えると閃いたわけではない。情報を握っておくというのが大事なのだ。それを、小賢しくも……

(あの小娘も音沙汰が無い! 状況報告くらいしてくるだろうに! まったくどいつもこいつも!)

 憤激の表情を隠しきれずに指揮所を出て行く袴田の後ろ姿を、参謀たちは冷ややかに眺めた。形だけ、お疲れ様でしたと声はかけて。

 年配の参謀が顎ひげをしごきながらつぶやいた。

「チョビヒゲさん、だいぶ焦ってるな」

「でしょうね」

「なんでですか?」

 疑問を呈した参謀にも、冷たい視線が注がれる。だがこれは先ほどのとは違い、多分にからかいを含んだものだった。

「お前知らないのかよ。沙耶様に彼氏ができたんだぞ」

「え?! マジすか?」

「そうそう」と女性参謀たちが笑いさざめき始める。

「なんか毎日笑顔だし。良かったね」

「ボランティアの子とお付き合いしてるんだよね?」

「えとほら、黒くてでかいエンデュミオールの子でしょ?」

「あれ? その人、沙良様が狙ってたんじゃ……」

 まったく知らなかった参謀がほかにもいて、大いにからかわれたあと、年配の参謀は急に心配げになった。

「お前、チョビヒゲさんと親しかったよな」

「え、ええ」

「ちょっと考えたほうがいいんじゃないか?」

 日本人ならではのほのめかしで彼が置かれた状況を表現されて、その顔は蒼白になった。


2.


 翌朝。沙耶は速攻をかけるべく、隣野市にある歓楽街に足を運んでいた。

 車を降りて5分ほど歩く。事前に頭に入れた地図に誤りなく、その店は道路沿いにたたずんでいた。ネオンきらめく夜に見ても、恐らくさほど目立たないだろうくすんだ店構えだ。

 その前で、歩道を掃除している女の子がいる。人相は以前調査報告書で見た写真より少しやつれている気がするが、間違いないだろう。沙耶は構わず声をかけた。

「あの、神谷なごみさんですよね?」

 声かけは、劇的な反応を生んだ。物憂げに身を起こしたなごみが、目を見張ったまま固まってしまったのだ。そしてその目から、大粒の涙が一筋流れた。

 動揺という単語そのままに、沙耶の心はいきなり揺さぶられた。初対面の人間に驚かれることはあっても、いきなり泣かれたことが今までなかったから。

「あああの、初めまして。鷹取沙耶と申します。その……」

 再び声をかけられて、なごみは我に返った様子で涙を拭うと、頭を下げた。その表情は硬い。

「ええ、聞いてます。兄と、お付き合いしてるっていう方ですよね?」

 沙耶もまた身構えて肯定すると、彼女をお茶に誘った。



 少し歩いた先の喫茶店で席に座っても、なごみは無言のままだった。それでもウェイトレスにアイスコーヒーを注文すると、しっかりとした声で沙耶に相対した。

「初めまして。わたしになにかご用ですか?」

「ええ。会って、話がしたいと思って来たの。もう一人の妹さんとも」

「くるみは検査入院してますので」

 想定どおりの硬い返答だ。沙耶は予定していた会話内容を組み換えると、前に少し身を乗り出した。

「ほんとはいろいろ教えてほしいことがあったんだけど、変わったわ」

「といいますと?」

「どうしてわたしを見て泣いたの?」

 質問はシンプルに。この子はおためごかしや、もって回った言い方を好まない。そんな気がする。

 なごみは前に据えられたアイスコーヒーを黙ってクルクル掻き回し、氷の浮かぶ黒い水面をじっと見つめていた。30秒は待っただろうか。訥々と、その唇から言葉が漏れ出す。

「思っていた以上の、衝撃だったから、です」

 説明を求めて、瞳を見つめる。さっき泣いたせいか、意外にきれいなそれには、決意が浮かんでいた。

「……夢を、見るんです」

「夢?」

「そう。時々」

 なごみから語られた夢は、不思議なものだった。

 笑顔で立っている、背広姿の隼人。今よりも大人っぽくなっている。笑顔が向けられた方向や、右腕の皺から考えて、そこに誰かが腕を絡ませて寄り添っているように見える。

 でも、そこには誰もいない。そんな夢だ。

「いえ、夢でした。ついさっきまでは」

「……わたしが現われて、変わったってこと?」

 さらに語られるのは、驚きを隠せない内容だった。

 なごみが見るのは、いわゆる予知夢。いつかどこかで起こる情景を、ある時は断片的に、ある時は一連の場面として。それは、なごみ(と、千早や圭たち事情を知っている人間)の知る限り、必ず起こる未来だ。

 だが、明らかにそこにいると思われる人がいない(・・・)場合がある。夢の登場人物が語りかけるような仕草の先が空席だったりするのだ。

「……そうか、わたしはあなたと初対面だから」

 なごみはうなずくと、

「そうです。知らない人は見えない……でも、鷹取さんとお会いした時、夢が……頭の中で情景が完成したんです……兄に寄り添って笑ってる、鷹取さんが」

 それで、泣いたのか。調査報告書には、彼女が隼人に好意を寄せていることが記載されてた。

 沙耶は少しだけ迷って、踏み込むことを選んだ。

「その夢が必ず当たるなら、介入して未来を変えようとは思わないの? 例えば……」

「今ここで鷹取さんを絞め殺して、ですか?」

 不穏な発言はギラリとした眼の光で補強されたが、その光を敢然と受け止める。荒事で自分が負けるわけが無いという自信を核に。

「そうね。ま、その前にあなたが挽き肉になる未来しかないけど」

 挽き肉、と聞いて不審げに眉をひそめたなごみは、アイスコーヒーにガムシロップを入れると、またかき回した。その回る表面を見ながら、

「もっと確実な未来がありますよ?」

「どんな?」

「わたしが兄に絞め殺される未来です」

 眼の光は消え、なごみはうつむいた。

「兄は……わたしに興味が無いですから……」

 語尾は次第に消え入り、抑えた嗚咽が取って代わった。

 コーヒーカップを静かに傾けながら、目の前の愁嘆場とは別のことを考えた。

 予知夢。すばらしい才能だ。『時々』の頻度が問題だが、ゼロよりは遥かにいい……

 ふと思いついた下世話な質問をする気になったのは、彼女に少し慣れたからだろうか。

「ねぇ、隼人君のご飯の世話とかしてたんでしょ? その時に、その、色仕掛けというか……」

 顔を上げ、きょとんとしたなごみは、やがて肩を震わせて笑い出した。

「そうそう! それも狙ったんですけどね。効果なかったです」

「なかったんだ……」

「それに、ある時気がついたんです」

 なごみは口の端に笑みすら浮かべて、病身の妹が受ける緊急手術の料金を掻き集めるために隼人が四苦八苦したことを話してくれた。

「だから、これじゃダメなんだって」

「ごめん、どうゆうこと?」

 沙耶には分からない。彼女の結論が。

 滔々と語っていたなごみは、ふふんという表情になった。

「鷹取さんはやっぱりお金持ちなんですね。だから分からないんですよ」

「ええ、分からないわ」

 悔しさを隠して素直に認めると、なごみは当然というような、少し悲しげなような、複雑な表情をした。

「だって、貧乏人と貧乏人がくっ付いたって、貧乏夫婦にしかならないじゃないですか」

(なるほど。まあ一理あるかな。でも……)

 愛があれば。二人でがんばれば。そんな甘い幻想には浸れないということか。その証拠になごみは、無意識だろう、テーブルの上で両の拳を握っていた。

「わたし、貧乏はもうコリゴリなんです。一杯勉強して資格取って、生きていくつもりです。でも、それでも、たかが知れてるんです!」

 そこでまた表情が変わった。にんまりとした、実にいい笑顔だ。

「というわけで、よろしくお願いしますね。沙耶ねえさん(・・・・・・)

 虚を突かれて目をしばたたかせた。

「よくもまあ……ぬけぬけと」

「貧乏人ですから」

 昂然と言い返される。その顔から思わず視線を逸らして、

「そんなこと、分からないわよ。まだ。でも――」

 向き直って、こちらもゆっくりと口の端を上げた。この子とは仲良くやっていけそうだ。

「とりあえず、ねえさんからのプレゼントよ」

 かねて用意の書類をトートバッグから出した。

「これは……奨学金の申請書類……?」

 手渡されたなごみの不審げな表情に解説してやる。

「一族が理事をやってる教育振興財団の奨学金よ。10月からの募集枠に、あなたを捻じ込んであげる。ただし、わたしにできるのは捻じ込むまで。大学での成績をきちんと上げて、面接をパスする必要があるわ。できるわね?」

 なごみの返事ははっきりしていた。

「分かりました」

 それからアイスコーヒーを音高く飲み干すと、また悪い笑顔になる。

「買収とは、えぐいことしますね」

「お金持ちですから」

 シレッと言ってのけた台詞に笑って、なごみは立ち上がった。

「沙耶ねえさん、このあと、時間ありますか?」

「ええ、1時間くらいなら」

 なごみは笑顔のまま言った。

「くるみの所に行きましょう。あの子、蚊帳の外って嫌いだし。あの子もあきらめさせないと」

 検査入院している子にそんな衝撃を与えていいんだろうか。沙耶はいぶかしみながらも、注文票を取って立ち上がった。


3.


 その頃、隼人は人文棟への坂道を登っていた。初夏の日差しが顔や腕に刺さるようになってきたが、坂を登るつらさは感じない。

「そういや、去年の今頃はふうふう言ってたっけ……」

 エンデュミオールになって1年が過ぎ、白水晶が変身者に及ぼす影響である『身体能力の強化』がますます実感できるようになった。理佐や優菜といったキャリアの長いスタッフは、逆に強化されすぎて苦労しているようだが。

「時々びっくりするくらい力持ちだったりするからな、あの子たち……」

 一般人離れしたところを見せるわけにはいかないからね、と言ってたのは、誰だったかな?

 記憶をたどりながらの坂道行は、突如中断された。桃色としか形容しようがない襲撃を受けたのだ。

「はやとせぇ~んぱい! おはよ~ございま~すぅ!」

 むにゅっと、そしてぎゅっと抱きしめられる。大胆にも真正面からハグしてきた優羽のされるままに任せた。

「おはよう」

 あいさつを返すと、優羽の美顔が間近い。

「んふっ。隼人先輩――」

「はい?」

「沙耶ねえさまはぁ、どうですか?」

 なにが『どう』なのかは、この体勢で訊くのも野暮だろうと判断し、彼女のふかふかな腰に手を回す。ちなみに、朝の講義に出席しようと行きかう学生たちもちらほら通るよ、ここ。

 でも、あえて受けて立つ。ある推測を胸に。

「ん、とてもいいよ」

 優羽は返事を聞いて『メッ』という顔をしたあと、また蕩けるような笑顔になった。

「んふふ、あたしはぁ、もっといいですよ?」

 そう隼人の耳元で囁きながらボリューミィな胸を――襟ぐりなんて存在しないような服の中から盛り上がらせて――よりいっそう摺り寄せた。それだけじゃなくて、彼の背に回した手でゆっくりとかつ入念にサスサスしてくるのだ。

 うん、すごいね、キミ。

「あたしならぁ、ねえさまよりももっともっと、いろんなことをしてあげますぅ。隼人先輩が満足するまで、ずっとず~っと」

「……えーと」

「隼人先輩は、『分かったよ』って言うだけでいいんですぅ」

 潤んだ瞳も、控え目な香水の香りも、実に素晴らしい。

 でも、ゼミが始まっちゃうからね。

「凌ちゃん、これ、いつまで続けるの?」

 スリスリサスサスが、その一言で止まった。

「……どうして分かったんですか?」

 まだ優羽の声真似のまま、口調が凌のものに変わる。

「変わり身の術の練習なの? これ」

「それはいいですから、見破ったポイントを教えてください」

「抱きついてくるまで気配がまったくしなかったから。優羽ちゃんならありえないよ。10メートルは先から『あ、いる』って分かるんだから。あとさ……」

 いいんだろうか。怒り出さないだろうか。凌には到底達しえないレベルの話をしなきゃいけないんだが。

 恐る恐るそう言ってみたが、やっぱり九ノ一として見破られた原因が気になるようだ。

「えっとね、胸、かな」

「不自然ですか? 可能な限り本物そっくりに仕上げましたけど」

「へ~これそうなん――「揉まないでください!」

 手をふっくらした胸から引き剥がされながら、さらにふざけてみる。

「ほんとかどうか実物で確認してみたいな痛いイタい」

「えっち……だから陽子や祐希先輩にディスられるんですよ……それで?」

 といっても、感覚的なものなので、説明もつっかえながらになる。

「なんていうのかな……優羽ちゃんとは押し付け方が違う気がしたんだよ。こう……凌ちゃんはいかにも『武器を押し付けてまっせ! どや!』って感じなんだ。優羽ちゃんはもっとこう、自然というかなんというか」

「なるほど、さっぱり分かりませんね」

「だよね痛いイタい」

 今度は背中抓りである。ぷぅと膨れる表情は、優羽の物まねなのか、あるいは本体のなのか。

「ああでも――」

「はい?」

「背中をさすられた時はゾクゾクしたなぁ。もしかして凌ちゃん、背筋好き?」

 質問は、直接的な回答を得られなかった。真っ赤になった偽優羽がバッと跳び退ると、声を裏返したのだ。

「なななななななに言ってるんですかエロ猿! 人類の敵! 汚らわしいィィィィ!!」

 ご丁寧に理佐、るい、陽子の順に声真似までして、最後は煙幕玉まで使って、凌は消えた。

「……すげーなあの変装、赤面までできるんだ」

 隼人は煙にむせながら、思わず感心してしまった。

 だが彼は、爆発音とそれに続く他の学生の悲鳴に紛れて、聞き逃してしまったのだ。

 『色仕掛けが失敗した以上、あとは実力行使あるのみ』という、凌のつぶやきを。


4.


 西東京支部の支部長室には、支部長と会長、サポートスタッフ主任の横田が集まっていた。

 お題は例の、同時多発妖魔発生事案への対処である。

「では、北関東支部及び横浜支部からの増援を入れるということで、いいわね?」

 会長の判断にうなずきながら、支部長は溜息をついた。

「スタッフの生活に支障のない範囲内で、できますかね?」

「やってみるしかないでしょうね」

 と横田は、さっそく各支部への依頼文案を作成し始めた。それを横目で見ながら、目の前で何かを考え込むような仕草を見せる会長に気付く。

「どうかしましたか?」

「ん? うん、なんかね……妙なことがあって」

 現場の一つで、奇妙なことがあったのだと言う。

 巫女の一人が戦闘中、突然鬼の血力ちからを使えなくなった。危うく妖魔の餌食になるところをエンデュミオールに助けてもらったのだが、

「なんかね、空き地に踏み込んだら、急に力が抜けるような感覚がしたんだって」

「疫病神の仕掛けですか?」

 支部長の思いつきは不正解だったようだ。会長は首を振ると、そんなことは聞いたことがないし、過去の資料を調べても見つからなかったことを説明してくれた。

「でもね、そんなような呪式はちゃんとあるじゃない?」

 抑縛呪。鷹取の巫女に限らず、『現世の守り手』の家に連なる者を拘束する際に使われる呪式だ。

 だが、それはあくまで個人をピンポイントで縛るもの。面的な効果は無いという。実際、その巫女が空き地から出たら血力が回復したのだから、別の何かであろう。調査をしているというが、

「不気味ですね……」

 横田が手を止めて言うと、会長は神妙にうなずいた。

「厄介なことにならなければいいけど……」

 支部長も頭を一つ振ると、各支部に送るローテーション表の作成に取り掛かった。


5.


 夜、バイトを終えて、隼人は原付にまたがっていた。途中でコンビニに寄りかけて、ぐっとこらえる。今日は沙耶がご飯を作りに来る日なのだ。

 量が足りないからコンビニで買い足そうとしたのではない。3日分を作り置きしてくれるのだから。

(ちょっと薄味なんだよな。言えば変えてくれると思うけど……このあいだ『おいしい』って言ったばっかりだしな)

 そして、『家で彼女がご飯を作って待っていてくれる』というシチュエーションに、思わずにやけてしまう。いかんいかんと頬を叩こうとして、フルフェイスをかぶっていることに気付いて、だからにやけが治まらなくて。

 そんな浮かれ具合でも、信号で止まる時、ついブレーキパイプを見てしまう。

 誰がやったんだろうか。

 その疑念は、彼の周囲の人々が起こしたリアクションで絞り込まれた。具体的には、瞳魅が真っ青な顔で謝りにきたのだ。

『いや別に、たまたま居合わせただけっしょ? 瞳魅ちゃんがボディーガードしてるわけじゃないんだから』

 そう言って慰めていた場に、琴音から電話がかかってきた。

『隼人さんの警護体制を構築します。ちょっとご不便をかけるかもしれませんけれど、よろしくお願いします』

 そんな大げさなという制止をしてみたが押し切られて、隼人の推測は完成した。

 彼が沙耶と付き合っている。そのことを疎ましく思っている人がいるのだろう。以前から噂に聞いていた、袴田とかいう名前の主任参謀が、その人かもしれない。

(で、俺を殺す……短絡的過ぎじゃね?)

 そして過敏に反応する鷹取家よ。信号が変わる時、ちらと見上げた夜空には見当たらないが、無人偵察機が飛んでいるはずだ。隼人の周辺を24時間体勢で監視するために。

 だが、過敏というのはそんなものを繰り出してくることだけじゃない。あの機種、確か武装が積めるはず。

(まさか、な……)

 アクセルを開にして家路をたどり始めた隼人だったが、2ブロック離れたマンションのテラスから破壊音が響き、中にいた狙撃手が肉塊と化していたことには気づかなかった。



 アパートの階段を上ろうとして、掲示板の貼り紙に目を留めた。

『最近居住者から、2階の部屋が夜中に騒がしいと苦情が寄せられています。夜間はお静かに願います。 大家』

 隼人は眉をひそめた。

「……うちか?」

 沙耶ちゃんもそんなに大声出す人じゃないし、別の部屋でツレでも呼んでドンチャン騒ぎ――

「うちだよ……」

 そう悟ったのは、玄関に並んだ靴やサンダル多数を視認したからだった。

「あ、おかえり隼人君」

「お兄ちゃんおかえり」

「おかえり。そして爆ぜろ」

「よぉ隼人。勝手にやってるよ」

 沙耶がエプロン姿なのは予想どおりだ。だが、なぜなごみと千早がその脇にいる? なんで圭が試食しながらビール飲んでる?

 とりあえず近親者から問いただしてみたら、

「お料理を教えてるんですよ。ね? 沙耶ねえさん」

「ちょ、ちょっと、その呼び方は隼人君の前ではやめてって……」

 頬を赤らめる沙耶を見て、千早の口がさらに歪む。

「あらあら、妹まですっかり取り込んで。まさにドロボウ猫ですね沙耶さん」

「千早、サイコちゃんの物真似うま過ぎ!」

 圭が笑い転げてあやうくビールをこぼしそうになってる。

「つか、沙耶ちゃんにお料理教えるって、普通に料理できてるのに?」

「ああ、正確に言うと、お兄ちゃん好みの味付けを教えてるんだよ」

 そう妹はおっしゃる。元カノもうなずく。

「ま、雑巾舌にもそれなりの味覚ってもんがあるからな」

「お前には言われたくねーよ!」

 にらみ合いになりかけたが、沙耶がじっとりし始めたのに気付いてやめた。

「仲、いいわね……」

「千早、そんくらいにしとかないと、挽き肉にされちゃうぞ?」

「また挽き肉……」

 なごみのつぶやきに内心焦る。沙耶は彼女に、たぶんお家の事情は話してないだろう。なにが『また』なのかは知らないが。

 隼人のにらみで察したのか、幼馴染たちも別の話題にさりげなく切り換えた。

「まさか隼人の彼女と一緒に料理をする日が来るとはねぇ」

「ひまり以来じゃない?」

「あいつは肉焼いてただけじゃん。むしろ理音のほうが」

「なんでもぶっこみカレーを料理って言うか? サバとか入れてたじゃん」

 ああ、懐かしい名前が出てきたなぁ、なんて感慨に浸る暇はなかった。沙耶の眼がウルウルになってきたのだ。

「誰? 誰? 誰?」

「あの、沙耶ねえさん? そんなの今さら気にしてどうするんですか。今は私が彼女。それでいいじゃないですか」

 静まった場に、異臭が漂ってきた。

「なんか焦げてない?」

「わあ! 忘れてた!」



 それにしても、と千早が切り出したのは、ひとしきり飲み食いしたあとだった。頬は赤く、ほろ酔いのようだ。

「さっそくなごみちゃんを味方に付けて、素早いっすね」

 酔眼は沙耶に向けられていた。だが同じくほろ酔いのお嬢様より、義妹のほうが早い。

「そりゃあ、将を射んとすればなんとやらですよ。ね? 沙耶ねえさん」

「そ、そんなつもりじゃなくて、隼人君の家族に会ってみたかっただけで……」

「まあ家族に顔見せするのは基本……どーしたの? なごみちゃん」

 圭の言葉に見やれば、なごみは悪い笑顔をしてるではないか。

「沙耶ねえさん?」

「な、何よ」

「初対面の人に奨学金の申請書類を配って歩く習慣があるんですか?」

「そうよ」

「開き直った?!」

 眼を見張るなごみと、胸を反らす沙耶。幼馴染たちは笑い出した。

「あれれ~? ボクたちはもらってないですよ~?」

「おっかしいな~、隼人はもらった?」

「もらってないな、うん」

「ま、隼人は要らないか」

「要るっつーの」

 実際のところ、食費が劇的に減るから、ちょっぴり余裕ができると思うけどな。

「大丈夫よ。隼人君は飢えさせないわ」

「うぉーわたしが全てを満たしてあ・げ・る・宣言キマシタワー!」

「そんなこと言ってない!」

 ああ、これでまた苦情が来るな。

 苦笑いしながらも、隼人はどことなく温かな気分を感じた。

 それはおそらく、頬の赤さが酔いだけではない彼女と、にやけながらも祝福してくれている幼馴染たちと、穏やかな表情で場を眺めている義妹のおかげなのだろう。

 隼人はビール缶を傾けながら、大家にどうやって謝ろうかを考えることに専念することにした。

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