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第5章 仕掛け

1.


 翌々日。大学の図書館の一角に陣取って、隼人とミキマキは卒業論文の執筆に必要な文献の収集に勤しんでいた。

 といっても、彼らはテーマが被らない。それに3人いたからといって、検索がはかどるわけでもない。隼人がここにいる理由は簡単明瞭、

「隼人君、あれ取って」

「あいよ」

 高い所の本をとる係である。もちろん自分に必要な文献も探すのだが。

「「ふー、とりあえずこんなもんか」」

「そんなに一気に集めてどうするんだ?」

「「こういうのって、早いもん勝ちやん?」」

「意味ないだろそれ」

 先に述べたように、彼らはテーマが被らない。彼らだけでなく、ゼミの全員とも。ゆえに必要な文献が被ることはまずないのは自明の理である。論文のコンテストに応募するわけではないのだ。

 だが、双子にとっては意味があるようだった。ちっちっちっと指を振りたててのたまうその様は、かわいいというより憎らしい。

「意味はあるで。ちゃんと」

「隼人君に家まで運んでもらうっていう」

「そっちかよ」

「「大丈夫。ちゃんとお礼はするから」」

「それほんとにお礼なのか?」

 ふっふっふっふっとほくそ笑む双子の願いをかなえるべく、とりあえずカウンターまで運ぶためのカートを探すことにしたのであった。



 ミキマキ宅への道をたどりつつ、一昨日のデートのことを問われるままに話して、溜息をつく。

「「なんやねんな、もう倦怠期?」」

「違うよ。昨日から会う人会う人みんな訊いてくるんだぜ? 『沙耶さんとのデート、どうだった?』って」

 おまけに琴音からはメールで詳細な展開を照会され、『沙耶ちゃんに直接訊いたらいいのに』と返信したら、『答えられないようなことしたんですか?』となにやらキレ気味の返事が返ってくる始末である。

 そう話したら、双子は顔を見合わせてクスクス笑い出した。これまたかわいくない、嫌な笑顔だ。

「なんだよ」

「「別にー。みんな心配なんよ」」

「俺、そんなひどいことする奴って思われてるんだ……」

 理佐との一件が尾を引いているのだろうか。

 考え込む素振りをしたゆえか、真紀と美紀は隼人を放置してヒソヒソ話を始めた。

(これもしかして、隼人君だけ知らないパターン?)

(あかんやん。怒られるで沙耶さん)

 ……なるほど、モトカレ関連の何かだな。

 こいつはいよいよ、

『実は、彼は既にこの世にいないの。別れ話を切り出されて目の前が真っ暗になった次の瞬間には辺り一面真っ赤でクスクスクス――』ていう独白で暗転するENDか?

 あるいはもうちょっとだけ続いて、

『隼人君はいなくならないでね? いなくならないよね? 逃がさないけどね』な束縛監禁ENDかな? 

 そんな妄想をしながら聞き耳を立てたが、気づかれたのか声はパタリと已んでしまった。いっそこのまま流れで問い質そうか。

「……いや、だめだな」

 やっぱり、本人に訊こう。

 隼人は頭を振ると、文献でいっぱいのナップザックを背負い直した。


2.


「で、そのまま別れてきたんだろ? そいつと」

「うん」

 沙耶の短い返事を聞いて、木之葉は唸った。

「なんでそのまましけこまねぇかなぁ」

「だよねぇ」

 と弓子もアタリメをかじりながら相づちを打ってる。

 デート翌々日の『居酒屋 むかい』は週の中日ということもあって、沙耶たちしか客がいなかった。なればこそのぶっちゃけ話ができるのだが、あからさまに過ぎて沙耶としては赤面せざるを得ない。

「な、なに言ってるのよ、そういうことは、順序立てて……」

「順序じゃん。好きです。で、ヤる」

「すっ飛ばし過ぎだってば!」

 ゲラゲラ笑い出した弓子もにらみながら、沙耶はそっぽを向いてお猪口を傾けた。どうしてこう、短絡的なのだろう、我が親友たちは。

「つか、大丈夫なのか?」

「なにがよ」

「モテるんだろ? そいつ」

 返答に詰まってうつむくと、レストランを出てからの光景が脳裏に蘇ってきた。隼人とすれ違う女子たちの、突き潰したくなるくらいキラキラした瞳が。そしてそれにまったく動じない、慣れてるというより擦れてるというべき彼の態度が。

 ジリジリしてきた。と見るや、木之葉がウーロン茶のジョッキを置いて、沙耶の手からお猪口をひったくった。

「危ねぇ危ねぇ、また粉々にされちまうところだったぜ」

「ねぇねぇ沙耶ちゃん、電話してみたら?」

「だ、誰に?」

 問い返すと、弓子は呆れたという顔をした。

「隼人君に決まってんじゃん。バイト中かもしれないけど」

「ううん、今日の今頃はもう終わってるわ」

「把握済みかよ……」

「でも今何してるかは把握してないと」

 ニヤニヤしだした2人に構わず、携帯を取り出す。

「今夜は別の子とデートだったりしてな」

「まあいいんじゃない? そっちは割り切った関係なら」

 冗談じゃない! 沙耶は怒りか焦りか分からない指の震えを抑えながら電話をかけた。でも、

「出ない……」

 10分後。

「出ない…………出ない…………出ない……」

「あの、沙耶ちゃん、ごめん、ごめんて。とりあえず、携帯から手を放そ? ね?」

「母ちゃん、ナマ大1つ! ちょっと冷たいもんでも飲んで、頭冷やそうぜ? な?」

 どうして彼は電話に出てくれないんだろう。まさか、本当にほかの子と……?

 頭のうなだれにシンクロするように肩と手を下ろし、沙耶は目の前にそっと置かれた大ジョッキを見つめる。ジョッキを伝う水滴が、まるで――

 携帯が鳴った! 残念ながら沙耶のではなく、弓子のが。画面を眺めた弓子が目を丸くして、耳に当てる。

「もしもーし、隼人君?」

 こちらも目を丸くして親友の耳元を凝視すると、彼の、いや彼女・・の声が漏れ聞こえてきた。急いで耳を弓子に近づける。

『あ、どもー。そこに沙耶ちゃんいますよね?』

「え、なんで分かるの?」

 彼は小さく笑うと、説明を始めた。

 今ちょうどボランティアで出動中だったのだそうだ。ついさっき戦闘が終結して、繰り返し振動していた携帯を眺めたら、履歴が沙耶で埋まっていた。そこで、

『こんな時間に小刻みにかけてくるってことは、隣に弓子さんか誰かお友達がいて煽ってんじゃないかな、と』

「鋭いな、おい」

 木之葉が唸る。一方で弓子は彼方に向かってしなを作った。

「なぁんだ、つれないなぁもぅ」

『何がですか?』

「あたしと遊ぼうって電話じゃないんだもん。ね、今からどう?」

 こいつは……爆笑する木之葉にひとにらみくれて、弓子に手を突き出す。

「あー、カノジョがすっげぇ怒ってるから、替わるね」

 だがその時、かすかながら聞き覚えのある声が聞こえた。

『隼人、呑み行くぞ』

『おう。先行ってて。優菜ちゃんの家だよね?』

 優菜ちゃんの? 家?

『あ、沙耶ちゃん。お待たせ』

「……優菜ちゃん家に行くの?」

『うん、ごめんね。今どこ?』

 当たり障りの無い会話を3分ほどして、電話は切れた。

「行っちゃった……「ちょ! 沙耶ちゃん! あたしの携帯壊さないで!」

 手からひったくられた携帯が、まるで沙耶から離れていく彼のように思えて、彼女の心はまた焙られ始めた。

 そしてそのとろ火を、木之葉が煽ってくる。酔ってもいないのに、怪しい目つきで。

「だからな、ヤっちまえよ」

「でも……」

「しっかりくわえこんどかないと、逃げるぞ、オトコは」

「うんうん、お触り禁止のギャクタマよりフレンドリーなオンナを選ぶよね」

 分かる。弓子の台詞に隠された言外の意味が。

『だからあんたは負けたのよ。木之葉に』

 沙耶はジョッキを手にして、しかし考え続けていた。


3.


 朝から降り続く雨の中、鈴香が大学のサークル棟に向かっていると、オカルト同好会の仲間とばったり会った。

「あ、鈴香先輩。琴音先輩は?」

「三日酔いで休み」

「三日?! 二日酔いじゃなくて?」

 そう、ここんとこずっと酔い潰れてるのよ。鈴香はそう言って笑った。実際、笑うしかすることがないのだから。

 琴音の姉・満瑠の危惧したとおりの結果になってしまった。我が友人は才気煥発なこと、一族でも群を抜いてると思うのだが、こと男性関係についてはおっとりしている。

 鈴香も人のことは言えないという指摘にもまた、笑って流すしかない。彼女の行く末――いずれ疫病神と代替わりするという――を思いやると、男が寄ってくるとは思えないからだ。

 このまま何事もなく話がまとまっていくのだろうか。

 仲間と別れてサークル棟の階段を上がりながら、知らないうちに胸を押さえていた。

「変だな……」

 胸騒ぎが収まらない。

 琴音のためとか、騒動が起きたら楽しいとか、そんなんじゃない。

 魂の黒い部分――疫病神が、ざわついているのだ。

 何かある。何かが起こる。

 何もなければいいのだけど、なんて言えないほどの確度で、なにかが。

「鈴香さん、大丈夫?」

 突然かけられた声に顔を上げると、階段の上りはなに立っていたのは、演劇サークルの男子だった。最近会うたびに声をかけてくれる、優しそうな細面の。

 今度は別の意味で胸がキュンとする。行く末は分かっていても、今の恋心が止まるわけじゃないのだから。


4.


「君の一族が鷹取家の監視対象になっていることは、知ってるな?」

 男声が、無機質な事務用パーテーションの向こうから聞こえてくる。ご丁寧にボイスチェンジャーまで使ったそれに、凌は黙ってうなずいた。

 鷹取家の名で屋敷に呼び出されたと思ったら、人目を避けるように参謀の一人に案内されたのが、この部屋である。部屋の中に一つだけぽつんと置かれている椅子に座るよう身振りで示されて、大人しく従った。部屋の雰囲気、殊にパーテーションの向こうに鷹取一族の気配がないのをいぶかしく思いながら。

 そうして聞こえてきた声が今の確認であった。続いて、

「君にこれから告げる任務の成功いかんによっては、その監視を解除してやってもいい」

(隠しカメラで監視されてるな)

 音も無くうなずいたのをパーテーションの向こうから確認する術は、それしかないのだから。

 凌はICレコーダーの録音ボタンを押した。もちろんポケットに手を突っ込んでなんてあからさまな真似はしないように、ズボンに細工がしてある。

 その上で、パーテーションに向かって声を発した。

「任務を伺いましょう」

 男は威厳を出すためか、ゆっくりと告げた。

「神谷隼人を消せ」

 声を立てず、眼を見張る。こうまで直接的かつ短絡的な手段を選んでくるとは。そして、その実行犯に自分を選ぶとは。

「成功報酬は監視の解除」と声は続く。何かを朗読しているようにも聞こえる。

(袴田主任参謀かと思ったけど……代役、あるいは身代わりか)

 少し、試してみるか。凌は声を上げた。

「曲者!!」

 衝立の向こうから、ガタンと大きな音がした。男が動揺して椅子を動かした音だろう。その中に、紙がクシャクシャになる音も混じったのを聞き逃さなかった。

「人がいたのか?」

「はい。チラッとだけですが……」

 外で見張り番をしていたのだろう、案内をしてきた参謀が泡を食って今ごろ入室してきた。話を聞いて窓の外をぐるりと見回すが、

「誰もいないぞ」

「そうですか」

 当たり前だろう。そもそもいないのだし。というか、来るのが遅すぎる。

(手駒がこの程度か……)

 袴田の手持ち戦力を推量していると、衝立の向こうから声が再開された。

「もし任務に失敗した場合は、破局が訪れる」

「破局、というと?」

「君の親族がこの国に対する破壊活動を企てている証拠が見つかるのだ」

 棒読み気味な宣告は、不気味さと、この男がただの『ガキの使い』であることを雄弁に物語っていた。

 でも、だからこそ、無下に断れない。凌は承ることしかできなかった。

 帰り道々、思案する。

 仕事は容易いだろう。彼はただの大学生でボディーガードなんて存在しない。自宅はセキュリティどころか集中ロックすらない安アパート。侵入と離脱に困難は想定できない。

 問題はそこじゃない。

「わたしが、隼人先輩を……」

 殺す。

 口に出すのが恐ろしくて、その2字を飲み込む。

 そんなこと、できるのか。大学の、ボランティアの先輩を。悪いいきさつなどまったく無い、男性を。

 そしてあの話――

「隼人先輩が殺、違う、いなくなったら、沙耶さんは……」

 さらに想像は最悪の事態を浮かび上がらせる。

 鷹取家が実行犯探しをすれば、自分が容疑者になりうることに。それも結構高いランクの。

「影分身に陽子か誰かとだべらせて……でも距離が開くと時差が出る……」

 それに、会話は凌自身がしなければいけない。友人とおしゃべりをしながら、隼人先輩を殺す。そんな離れ業ができるのか。

 が、そこで傍と気がついた。

「そうか、別れさせればいいんだ」

 そうすれば、暗殺なんて不穏当な手段じゃなくても、事態を解決できる。沙耶も、いなくなってしまうよりはましだろう。きっと。きっと。

 でも、どうすればいい?

 凌は妙手が思い浮かばず、相談する相手もいない孤独な任務に心を暗くしながら自宅に向かって歩き続けた。



 偶然にも凌と入れ替わるように瞳魅が鷹取屋敷に呼び出された時、空はどんより曇っていた。雨が降るのかもしれないと危惧しながら召使に案内されて通された部屋。そこには、沙耶、鈴香、沙良と……あれ?

「優羽が先に来てるはずですけど」

「男性から電話がかかってきて、席を外したわ」

 プレッツェルを噛み砕く沙良のポリポリというリズミカルな音だけが聞こえる部屋で、外からは何も聞こえない。遠くまで行って通話しているのだろうか。

 瞳魅は召使に礼を言うとコーヒーをすすって、沙耶に話を向けた。この会合の目的を聞かされていなかったからだ。

 だが、沙耶も歯切れが悪い。

「琴音ちゃんが教えてくれないのよ」

 主催者の姿は無い。あるのはPCとケーブルでつながれたモニターのみである。鈴香とのやりとりで、毎日酔い潰れて寝てるとは聞いているが……

(琴音ねえさま、もしかして……)

 続きを心の中でつぶやく前に優羽が入室してきた。で、開口一番、

「振られちゃった」

 空いている席にストンと腰を落として、シクシク泣き始めたではないか。瞳魅にとって年中行事というか、月に2回は見る光景であるが、沙良は不思議そうである。

 プレッツェルを口から離して、

「なんで泣いてるの?」

「いや、ですから」

「あんなにオトコいっぱいキープしてるんだから、一人くらいいいじゃない?」

 優羽を慰めながら、友の代わりに解説しようと思ったが、その時琴音が入室してきた。

「お待たせしました」

 いたって笑顔。でも、瞳魅の眼はごまかされない。肌が明らかに荒れているのだから。

 それをみんな気付いていないのか、あるいは瞳魅と同じく見て見ぬ振りをしているのか。主催者の登場に、ようやく会合が始まる気配を優先している。

 一人を除いて。

「ことねさまぁ~、あたしもおんなじになっちゃいましグフッ!!」

 瞳魅は、優羽とかれこれ16年来の友人である。TPOをわきまえない爆弾発言癖があることも熟知している。その対処法――左脇へ抉り込むパンチを繰り出して沈黙させると、澄ました顔で琴音を促した。

「あ、ありがとう。では、改めて」

 しばしPCを操作したあと、モニターの脇に立つ。

「今日は沙耶様に、隼人さん対策をレクチャーしようと思います」

 第一声を聞いて、鈴香が早速手を挙げた。顔には不審さがありありと現われている。

「いきなり話の腰を折って悪いんだけどさ、わたしたち関係なくない?」

「あるのよ。この人が絡むから」

 予期された質問だったのだろう、手に持ったリモコンを操作すると、モニターに現われたのは、

「……悪意あるチョイスね、この写真」

 そう沙耶がつぶやくのも無理はない。いつどこで撮ったのか、キリキリカリカリしている理佐のバストアップだったのだから。

 室内の反応は割れた。

 平然としているのは沙良と沙耶の年上組。もっとも、沙耶の顔は心持ち青い。『当事者』だからだろう。

 対照的に、年下組は動揺していた。鈴香は小刻みに震え、起き直った優羽はそんな鈴香を励まし続けてモニターを直視しない。瞳魅は、思い切って手を挙げた。

「あの、これからの大学生活に多大な支障が出るので、帰っていいですか?」

 瞳魅は理佐と同じ英文学専攻である。1年と4年が交わることはあまりないが、ゼロではないのだ。

 琴音の答えは、ノーだった。

「だからこそよ。大学生活だけじゃないわ。ボランティアだってあるし、それに――」

 続いての台詞は、ある意味予想できたものだった。

「隼人さんが鷹取家に婿入りしたら、ずっと続くのよ?」

 しれっと言ってのけた琴音の、いや全員の顔は、『当事者』の驚愕したそれに向いた。

「ですよね? 沙耶様」

「え?! そ、そんなこと、まだ何も……」

 本気で言ってるのだろうか。双方ともに。瞳魅は注意深く琴音と沙耶を観察した。

 沙耶は戸惑っている。が、まんざらでもなさそうな赤みが頬に浮かんでいるのは自信の表れか、またはただ恥ずかしがっているだけなのか。

 一方の琴音は、既に規程路線であるかのように冷厳にすら見える面構えである。着座している沙耶を見下ろす形になっているせいもあるのだろうが。

 ここで、沙良が口を開いた。プレッツェルは品切れらしい。手をパンパンと払いながら、

「ま、私のお婿さんになるかもしれないしね」

「その可能性も含めて、みんなの頭に入れておいてほしいんです」

(あるいは自分のお婿さん、ですか?)

 そう出かかった言葉を飲み込む。だが、飲み込む気がそもそも無い奴が横で復活した。

「沙良様にも琴音様にも渡さないもーん!」

「わたし? ないない」

 さらりと流されて、これ以上の追撃無用とばかりにリモコンが操作された。モニターに、棒グラフが映し出される。青と赤の2種類で、左右の縦軸に数字が配置してあるタイプのものだ。

「なにこれ?」

「昨年7月から10月末までのグラフです。青は理佐さんから隼人さんへのメール件数、赤は同じく電話をかけた件数です。あ、横軸は1日単位ね」

 また微妙な内容のグラフ……え!?

「300……400……嘘でしょ?」

「1日単位って、マジで?」

 年上組が顔を見合わせてつぶやく一方、年下組は精神に多大な衝撃を受けていた。

「……怖過ぎてキモい。キモ過ぎて怖い」

「あたし、平行世界でこんな人を煽ってたんだ……」

「来るんじゃなかった……」

 心からの言葉をつぶやいて、瞳魅の肌には鳥肌が立ちっぱなしである。

 琴音も気のせいか青い顔で、しかししっかりとした声で沙耶に話しかけた。

「もうお分かりですね? 理佐さんはやり過ぎました」

 別れた直接の原因は、理佐が隼人を突き飛ばしたことだ。だが、そこに至るまでの過剰な束縛と精神的な圧迫が積もり積もった結果である。琴音はそう分析を述べた。そして、

「隼人さんに、3年前のこと、話してませんね?」

 図星らしく、沙耶の顔がさらに青くなる。

「どうして知ってるの?」

「美紀さんから通報がありましたから」

 心配そうな声で、隠し事はしないほうがいい、早めに打ち明けるべきだと沙耶に伝えてくれと電話があったのだそうだ。

「……直接電話をくれればいいのに」

 確かにそうだが、美紀にとって年下の琴音のほうが話を持っていきやすかったのだろうと思う。

(美紀先輩も意外と世話焼きなんだな)

 フラれた男の心配をするなんて。その感想は高校の時の苦い思い出を蘇らせ、瞳魅をうつむかせた。

 出席者には気取られぬようにしたおかげか、誰も彼女の変化に気付かず、沙良が紅茶をすすって椅子に背をもたせかけた。

「まあとりあえず、メンドクサイ女だって思われないようにしたほうがいいと思うな、わたしは」

 そこを混ぜ返すのは、予想どおりの優羽である。わざわざ元気よく手を上げて、

「はーい! 鷹取の総領候補者ってだけで、十分メンドクサイと思いまーす!」

「呪いもかかってるしね、わたしら」

 と瞳魅も応じる。また苦い物が湧いてくるのを押さえ込み、そのまま琴音に顔を向ける。

「最近、理佐先輩はなにか動きはあるんですか?」

 聞いて琴音は黄色い革の手帳を取り出した。パラパラとめくって、目を閉じる。

「呑み会もボランティアの人たちと一緒だし、特に復縁を迫るような動きはしていないはず」

「焦らし作戦かな?」

「そのつもりかもしれないですね」

 そう鈴香と話し合っていたら、優羽にまた電話がかかってきた。

「んもぅ、しつこいなぁ。回数イコール愛じゃないっつーの」

 ということは、さっきの別れ話とは違う男か。なんとなく優羽を凝視する気にもなれず前に向き直った瞳魅は、見てしまった。

 沙耶が小刻みに震えているのを。

「大丈夫ですか?」

「……電話した」

「電話って?」

「昨日、隼人君に……何回も……」

 詳細を聞いて、なんともいえない雰囲気になった一同である。今日はとりあえず普通に電話でしゃべったとは言うが、

「ま、まあとりあえずほら、今日あたり打ち明けるって方向で。ね?」

 そう沙良から諭されても、唇をぐっと噛んでうなずくだけの沙耶。瞳魅の胸に、不安がよぎるのを抑えられなかった。


5.


 着ぐるみが快適だった時期が過ぎ去って久しい。

 キャラクターショー午前の部を終えて、隼人はぐったりする暇もなく、怪獣の着ぐるみを脱ぎ捨てることにした。

「相変わらず人手不足だな……」

 備え付けのスポーツドリンクをがぶ飲みして、そうつぶやく。彼が演じる怪獣は、主役であるエストレ戦士と対を成すライバルである。つまり準主役なわけで、そんな大役がバイトに回ってくるのだから。

 テントに司会のお姉さん・セイカが入ってきて、いきなりカワイイ悲鳴を上げた。

「キャー隼人君ほぼ全裸じゃん!」

「あ……」

 無地のTシャツ1枚にトランクス。おまけに汗で身体にべったり張り付いているのだ。

「すいません着替えます」

「……ってそこで脱ぐ?!」

「いやここ、男子控室っすよ?」

 というか、オトコの裸でキャーキャーいうお年頃ではないはず。タオルで拭きながらそれを指摘したら、笑いながら膨れるという珍しい反応が見れた。

「お年頃って言うな! 別にパンイチなんて珍しくないけど、見たくないっちゅうの」

 着替えを済ませて――トランクスの着替えはさすがに後ろを向いてもらって――さっき抱いた感想を述べてみると、今度は苦笑された。セイカはこういうアトラクションの司会をやって何年にもなるお人、詳しいのである。

「まあね、最近の若い男、ほっそいからさ。着ぐるみが動かせないんだよね。逆にデブは動けないし。その点隼人君はいい身体してるし、なんていうか、戦い方が分かってるっていうか、立ち回りが上手だよね」

 リアルで死闘を繰り広げてますからね。そう口には出せない隼人である。

 その時、テントの入り口が開いて、女の子が2人顔をのぞかせた。

「隼人先輩、お弁当食べないんですか?」

「ああ凌ちゃん、瞳魅ちゃん、お疲れ」

 そう、凌と瞳魅をこのバイトに紹介したのだ。『動ける子、誰かいない?』と社長に訊かれて。

 まず男子には該当がない。次いでミキマキが頭に浮かんだが、彼女たちでは身長が足りないことが判明。そこで、この2人に声をかけたのである。

 4人で連れ立って、冷房の効いている休憩所へと向かう。セイカがチラチラと女子2人を見比べた後、トンでもないことを聞き始めた。

「で、キミたちは隼人君の何号さんなの?」

「え?! いえいえいえ、大学の先輩後輩なだけですはい」

 ふーんと納得しかねる様子のおねえさん。その矛先が隼人に向いた。本気で怪しんでいる様子はないが。

「キミってやっぱりミサカイが無いね」

「どういうことっすか?」

「こんなスレンダー美人もストライクゾーンなんだもん」

 それを聞いて、瞳魅が自嘲気味に笑った。

「わたしはスレンダーというより、出っ張りが無いだけですけどね」

 確かにとは良識が邪魔をして、やっぱり口を閉ざす隼人である。

 休憩所に入ると、社長がそそくさと寄ってきた。隼人にではなく、女子2人に。

「キミたち、うちに入らない?」

「早やっ!」

 笑って茶化すセイカを尻目に、まだ学生ですからとやんわりと断る凌と瞳魅を置いて、隼人は弁当を食べ始めた。

 既に食べ終えてゆっくりとお茶を飲んでいた宮場(主役を主に演じる会社のエース社員である)が社長を止めに入った。

「社長、狗噛さんはともかく、そっちは財閥のお嬢様だぜ? 消されちまうぞ? うちの会社なんて」

「そんなことしませんよ!」

 瞳魅の口調に驚いて箸が止まった。クールで落ち着いた挙措の彼女しか見たことがないからだ。そしてあの瞳のきらめき。

「子供たちにヒーローショーを見せるなんて素敵なお仕事、潰させるもんですか!」

「……どーしたの、あの子?」

「変身ヒーロー大好きっ子なんですよ」

 一族丸ごとね。そう説明すると、さすがに社長は噂レベルでは知っていたようだ。

「いやあそんなお嬢様にあんな役を振っちまって、申しわけないなぁ」

 瞳魅は定番の宿敵・ヴァルタソ星人役だったのだ。だが、彼女はぶんぶんと首を振り、ますます瞳を輝かせた。

「とんでもないです! わたしがヴァルタソになってエストレミスタに倒されるなんて、幸せです! 東京に来て良かった、そう思ってます!」

 うおお、すげぇ握り拳。表情が輝いてなけりゃ殴りかかるシーンでしかお目にかかれないぞ、あれ。

「ああ、なんか分かるよそれ。倒れ方が凝ってたもんなぁ」

 宮場がそう言って、ほかのスーツアクターと顔を見合わせて笑っている。それに勢いを得たのか、瞳魅はどのエピソードの倒れ方で決めたのかを滔々と語り出した。

 凌は苦笑半分微笑半分というところか。ぼそりとつぶやいた。

「着ぐるみ見た時のテンションの上がりっぷり、また熱出して倒れるんじゃないかと思ったよ」

 そういや、このあいだは光線を出してぶっ倒れてたな。その時もハイテンションだったっけ。今日は口に出せない事柄ばかりで、無口な隼人である――のもつまらないので、凌に話を振ってみた。

「凌ちゃんはババリュー星人だったけど、どうだったあれ?」

「難しいですね、やられ役って」

 それが彼女の感想だった。つい反射的に避けてしまいそうになるのを必死で抑えていたのだという。

 これもスーツアクターの人に苦笑いされていた。

「そうそう、時々ぴくって止まるんだよ。『あ、我慢してる』ってこっちも遠慮しちゃってさ」

「すみません、変な気を遣わせてしまって」

「いやいや」とまた苦笑。

「あんな綺麗なバク中で避けられて、思わず追撃せずに見とれちゃったよ。さすが狗噛さんちの人だね」

 忍びである彼女の一族は、岡山で忍者のテーマパークを経営している。ショーの出演者はもちろん一族の者が勤めるわけで、この業界ではそれなりに――忍びであることは秘密だし、スタントマンやスーツアクターとして外に就職しないので、あくまでそれなりに――有名らしい。

「お前もまだまだ修行が足りないな」

「バク中じゃなくて脚に見とれてただけじゃねぇの?」

 スーアクさんたちの笑い声に、瞳魅の携帯着信音が被った。

『もぉぉぉぉ瞳魅ひどぉいぃぃぃ!! あたしもヴァルタソやりたかったぁぁぁ!!』

「……だれ?」

 首をかしげるセイカに、瞳魅のご一族と教える。着ぐるみから顔だけ出した写真を送ったらしい。

「でも、優羽ちゃんはなぁ……」

「着ぐるみにはいれないですよね、あの子」

「むしろ戦隊ものの女幹部役でなら出番が――」

「隼人先輩、眼がイヤラシイです」

 瞳魅たちに思いっきり蔑みの目で見られて、顔をなでてごまかす隼人であった。



 午後のショーを終えて、原付に跳び乗る。塾講師のバイトに行く前にシャワーを浴びたいのだ。

 夕方の空気は熱く、原付を飛ばしてもちっとも涼しくない。

「は~また暑い日が来る……」

 げんなりしながらつぶやいて、ふと理佐の口癖だったことを思い出した。

 ……どうして、彼女はあきらめないのだろう。

 もっと言葉ではっきりと……いやいや、

「このあいだもちゃんと言ったよな、俺」

 3月の誕生日の時のことを思い出しながら、左折する車をやり過ごそうと減速――

「! 止まらねぇ?!」

 慌てながらも身体はとっさに反応し、歩道に乗り上げて街路樹に正面から原付をぶつけた!

 反動で倒れそうになるのを、足を送って踏ん張る。バクバクいってる心臓の鼓動は、つまみ上げたブレーキパイプを見てさらに早まった。

 どう見てもスッパリとした切り口が、ワイヤーに達していたのだ。

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