第1章 焦燥
1.
鷹取沙耶が自室に閉じこもったまま、出てこない。
帰宅の翌昼に発覚した事実は、瞬く間に一族のあいだに広まった。そして、沙耶の友人たちにも。
『S・H・A・R・E』に集った彼女たちの顔には、一様に焦燥の色が見える。
その中から、夏姫(のパペット)がまず口を開いた。彼女は庭師頭・岩政の妻であり、宗家が住む屋敷に近接した別棟の公舎に居住している。沙耶を通じて宗家の家族や使用人とも親しく付き合っているため、内部の情報をいち早くかつ詳しく入手できるのだ。
「呼びかけても、放っといてって返されるだけで、話し合いにすらならないんだ。あたしも行ってみたんだけど」
「そっか……」
蔵之浦木之葉のパペットが腕組みをして、考え込むそぶりをした。誰よりも憂愁が深いような声色だが、装置に組み込まれた顔認識・再現機能ではそこまで細かいことはできないようだ。
「琴音ちゃん、大学に妖魔が出て、沙耶が退治したことは確かなんだな?」
「ええ、通報はありませんでしたが、昨日のあの時間に大学にいたのは沙耶様だけですから」
「とすると――」
今度は仙道たずながあごに手を当てた。
「見られてしまったのね。例の人に」
その表現に、妹の弓子が食いついた。
「情報だと、例の工作が効いてないんじゃなかったっけ? 見られた即ゴメンナサイは早計じゃないの?」
たずなが言い返すより速く、鈴香は口を挟んだ。この姉妹の口げんかはすぐに論点がずれて、収拾がつかなくなるのだ。
「即、じゃないと思いますよ。ね? 琴音」
「ええ。大学構内の監視カメラ映像にお二人が写っているものがありました。カフェに入って、先に長壁先生お一人で出てこられましたから、つまり……」
鷹取一族が背負っている宿命についての説明を受け入れてもらえなかったのだ。琴音が言いよどんだのは、彼女も辛い体験があるからだろう。鈴香は未経験だが、他人事ではない。
もう一人、他人事ではない人がこの場にいる。琴音の姉・満瑠だ。彼女は涙ぐみ始めた。
「かわいそう……どうして……」
その横で、江利川千夏は通話が始まってからずっと目を閉じ、みんなの会話を聞いていた。その彼女が眼を開き、ぽつりとつぶやく。
「メール……返事がないね……」
「呼びかけ続けましょう」
満瑠の言葉に、うなずく。沙耶を独りにしておくことは危険だ。なるべく速くその固く閉ざされた扉を、いや、心を開かせなければ、またあの破滅的な衝動がやってくる。
そうなれば、また……
自らの内にざわめく疫病神の心根を必死に抑えていた鈴香は気付かなかった。ほかの人々も気付かなかった。
弓子だけがただ一人、うなずかずに考え込んでいたことを。
2.
「ありゃ、社長は休みっすか」
翌日は隼人のバイト日。弓子は彼に、沙耶が急病になったと告げていた。ちなみにこれは公式発表である。
身もふたもないことを言えば、『フラれて落ち込んでいる』のだ。公表できるはずもない。
だが、事情を知る『あおぞら』スタッフには話してもいいのではないか。弓子はそこにまだ、鷹取家と『あおぞら』のあいだの溝を感じていた。
詳しい病名を尋ねる隼人に肩をすくめて、弓子は作業開始を命じた。こちらもマスターアップこそまだ先だが、進めねばならない作業が溜まっていて忙しいのだ。
マウスを操りながら、ちらりと隼人を見やる。彼の顔はいつものように真剣な――いや、そうでもなかった。資料を扱う手つきが怪しい。取り落としそうになったり、順番を間違えたりしている。
そんなこんなで、お昼。仕方がない、おねいさんがおごってやろう。
オフィス街ゆえ、お昼時を外して行ったレストランは混んでいた。知り合いに冷やかされつつ、案内された席に座る。
「顔、広いっすね」
「目立つからね、自分で言うのもなんだけど」
すかさず、すねを軽く蹴る。
「ほらそこで胸を凝視しない」
「かわいい顔のほうが目立つでしょってことですか?」
「そうそう」
ウェイターに注文をして、弓子は店内をそれとなく見渡した。隼人をちらちら見ている複数の視線に気付いたのだ。
彼にそれを告げると、気付いていたようだ。
「Tシャツ姿だからじゃないすか?」
「身もふたもないね」
女子の視線は明らかにそんなレベルじゃないのだけど、彼的には色めき立つようなことでもないということか。
「気になる?」
「なにがですか?」
「沙耶ちゃんのこと」
「なりますよ。大学の時は、病気がちだったんですか?」
弓子は首を振った。どこまでばれずにいけるか、勝負だ。
「全然。元気ハツラツだったよ。ちょっと短気というか思い詰めて、沈んじゃうところはあったけど」
そう、あの時のように。
「ああ、時々ジトッとしてますもんね」
「そうそう」と思わず笑ってしまう。
「せっかくの美人が台無しだからやめろって言ってるんだけどね。そこが――」
木之葉ちゃんとの差だったんだと思うよ。思わず続けそうになって、慌てて言葉を飲み込んだがもう遅い。隼人に問われて必死に言葉を探し、
「――鬼還りにつながっちゃうかも、って琴音ちゃんが言ってたな」
と、なんとか事実でつなぐことに成功した。
「なんすか? それ」
「んー、詳しくは知らないけど、あの子たち、鬼の姿には変身できないじゃん? それができるようになるんだって言ってたよ」
それを説明された時、琴音の声色に不吉な響きが潜んでいたことも付け加えた。
彼の眼は、憂いに満ちている。そのことを糸口にしようか迷っているうちに、彼の後頭部から鈍い音がした。
「なにをしてるんだお前……」
リクルートスーツ姿の女の子が、彼の頭を小突いたのだ。その表情には明らかに苛立ちが見て取れる。
打撃を受けた彼はというと、怒るでもなく、いたって穏やかに笑った。
「やあ優菜ちゃん、会社訪問?」
(ユウナチャン……もしかして、隼人君がフラれたっていう……)
ウェイターがランチを運んできたが、少しキョドっているのも無理はない。それほど優菜の醸し出す雰囲気は険しいのだ。
(ああこりゃ、勘違いされてるな、あたし……)
状況を好転させるべく、弓子は立ち上がった。
「田所優菜さんね? 初めまして、仙道弓子です」
あとは隼人と初対面した時と同じ流れとなり、優菜は大人しく彼の隣に座った。
が、彼と彼女にとって気まずいシチュに変わりはない。
「会社訪問どうだった?」
「……別に、普通」
取り付く島もない受け答え。ならば。
「ねぇ隼人君――」
と身を少し乗り出して――つまり開いた襟ぐりを見せ付けるように――たわいもないおしゃべりをする。媚びるような声色にはあえてしない。彼に効かないことは確認済みだから。
その効果はテキメンだった。隼人は努めて普段どおりにしゃべろうとするが、眼が泳ぎがちになり、優菜のほうは横の彼を刺すような視線に激変したのだ。
優菜のランチが届いたところでいったん引いたが、隼人が食べ終わったのを見計らって、早々に席を立った。少し名残惜しそうな彼の腕を取る。
「さ、仕事よ。おやつは何がいい?」
「チョコでお願いします」
優菜の冷たい視線が背中を追ってくるのが分かる。が、こんな場面は慣れっこの弓子であった。
職場へのエレベーターの中で、隼人の声には少しの不審さと面白みが混ざっていた。
「どうしてわざと優菜ちゃんを怒らせたんですか?」
「んふふ、隼人君を狙ってるのはあなた一人じゃないのよ、ってのを認識してもらおうかと」
隼人は横目でこちらを見つめながら、
「弓子さんって、嘘をつくとき胸を張りますね。気付いてました?」
「えっち」
「ほら」
気付かれてたか。意外とよく見てるんだな。
弓子はぺろりと舌を出すと、以降はなにを聞かれてもだんまりを決め込んだ。
3.
参謀長主催のマージャン会は、重苦しい雰囲気に包まれていた。誰も彼もが最低限の発声以外は黙々と打ち、全自動卓が洗牌するジャラジャラという音と、打牌の柔らかな音しか聞こえない。
参謀長と袴田の策謀、すなわち玲瑯舎大学の呪符式を破壊して妖魔を校内に出現させ、長壁の精神に更なる打撃を加えるという企みが効果を発揮しすぎたのだ。
まさか、その場に沙耶が居合わせて、彼にフラれてしまうとは。袴田にとっては、どうにもこうにも苦々しい。
さっくりフってしまう男も男なら、それで引きこもりになってしまう女も女だ。いやフラれなかったら、それはそれで困るのだから、彼のやるせなさもここに極まれりである。
その思いだけではなく、またかつてのように現世の消滅に怯えねばならないという意識が頭の隅にあるのだろう、男たちの闘牌はどうにも締まりを欠いた。
結局、東南戦を2回やっただけで、楽しみにしていたマージャン会はお開きになってしまった。
そのやるせなさの反動が、直後の宴会で出た。長壁と沙耶の不出来をあげつらい、グチグチと非生産的な応酬を交わす男たち。その暗い怒りの矛先が袴田に向くのは、当然だった。
「いっそのことだね、そのー、なんだっけ?」
「オサカベだろ」
「そうそう、オサベくんをだね、こう、強制的にお越し願って、妖魔の群れに放り込んじまえばよかったんだよ」
できるかよそんなこと。決行した次の瞬間に、物理的に首が飛ぶわ。
「もしくはさあ、オサベくんに誰か女をあてがうとかだね」
「もったいない!」
「そんな女がいたら、オレに都合つけてくれよ!」
「こらこら、奥方に知れたらチョン切られますよ!」
どっと下品な笑いが起きる。袴田と参謀長は静かな笑い顔を作って静観していた。内心は、お互いに見交わした目の色で明らかである。
(くだらない。しかしはけ口は必要だから、このまま)
人名すらまともに聞き取れない酔漢どもに、つける薬はない。
宴がはねた後、善後策を2人で話し合う際に提示するプランを、袴田は練ることにした。
実はこの時、彼らは最適解にもっとも近づいていたのだ。彼らがそれを悟るのは、全てが手遅れになった時となる。
4.
夜、海原春斗と正樹は緊張感を持ってボランティアに当たっていた。通常のとは違う表の業務、すなわち夜間の介護の現場に赴くというだけではない。沙耶の例の件が心に重くのしかかっているのだ。
急病の情報は、支部長クラスには伝達されている。だからそれに調子を合わせておけばいい。それだけなのに。
ボランティアを終えての帰り道、周りに誰もいないのを確認して、2人は大きく溜息をついた。
「疲れた……」
「ああ、重かったな、お年寄り」
「そっちもだけど……あれもなあ……」
また溜息をついて、駅までの道を歩く。そこに車を待たせてあるのだ。
「沙耶さんもなあ、もうちょっとしっかりしてほしいよな」
「じゃあ言って来いよ、お屋敷で」
「嫌なこった」
正樹は心から拒否した。なんでわざわざ機嫌の悪い雌虎の尾を踏みにいかねばならないのか。
春斗が、何かを言いたげにチラチラ見てくる。それは、車に乗り込んでからやっと具現化した。
「お前さ、フラれた時、どうだった?」
そのことか。正樹の胸に苦い思い出が蘇った。
「辛かったよ。やっぱしダメだった、って」
「泣いて泣いて?」
「泣いてねーし」
ほんとかよという顔をする親戚に、反撃を行う。
「お前、京子先輩のこと、好きなの?」
「……まだよく分からない」
実はまだ身上調査書を読んでいないらしい。
「怖いから?」
「……うっせーよ」
むくれてそっぽを向いた春斗に合わせて、正樹も反対の窓を向いた。そのまま、流れる景色を眺めながら話しかける。
「映画観に行くんだろ? いいじゃん、そのまま決めちまえよ」
「お前、そんな軽い奴だったっけ?」
「軽くねぇっつーの」
正樹は大人ぶって決め台詞を吐いた。
「人生の選択だぜ」
「命の選択の間違いだろ?」
呪いが発動すれば、新婚初夜で相手は死ぬのだから。いや、相手を自分の手で殺めてしまうのだから。
相づちを打つ気になれず、正樹は窓の外を見つめ続けた。
5.
翌日。夏姫の連絡で、沙耶はまだ出てこないことが分かった。
弓子はそのまますぐ、隼人にメールした。『社長病気 まだ回復せず』と。
仕事はとりあえず副社長がこなしているが、社長決裁の案件が溜まってきているとぼやいていた。社員の雰囲気もどんよりしている。
本人が思っている以上に、沙耶は社員に慕われているのだ。あの不始末で2年間不在であった時も、実はこっそり口頭で理恵に指示を出し、社と社員のことを気遣っていたのだから。
仕事を進めながら、男の一人にメールをする。今日は呑みにいく約束があるのだ。
沙耶のこととは関係なく、いや、沙耶のことがあるからこそ、今を楽しまなきゃ。へたをすれば、あと何日かで現世が消滅しかねないのだから。
ふと気がつくと、男性社員が2人、彼女のブースに近づいてきた。
「社長のこと、なんか情報入ってきてない?」
「まだ伏せったままだってのは来たよ」
「そっか……社長、どこが悪いんだろうな」
「元気そうだったのにな」
そう話し合いながら自分のブースに帰っていく男性社員を無言で見送って、作業再開だ。これからの手立ても。マルチタスクには慣れているのだし。
6.
そのころソフィーは、祖国への緊急連絡を行っていた。相手は新伯爵たるミレーヌと、姉のアンヌだ。
『サヤが急病ですか? 病名は?』
モニターの向こうで驚愕の表情を浮かべる伯爵に、病名は不明であること、入院はせず自室で伏せっていることを伝える。
そしてもう一つ。
「実は、参謀部に出勤した折に偶然耳にしたのですが」
『どんなことを?』
「総領が呼びかける声です。『ここを開けて、中に入れて』と」
『……引き籠っているというの?』
伯爵の問いにうなずきで返し、沙耶が住む離れ一帯が立ち入り禁止になっていることを付け加えた。
それまで黙って聞いていたアンヌの憂色が深まる。
『まさか……3年前のあれと同じ……』
「可能性はあります。彼女は確か職場の同僚に想いを寄せていたはずです。それが失恋に終わったのではないでしょうか?」
『失恋で引き籠る――』と言い、ミレーヌは笑い声を立てた。
『センチメンタルなことね。乙女を気取ってるのかしら?』
アンヌが見かねて口を挟んだ。新伯爵はどうやら3年前のいきさつを知らなかったようだ。やや迷惑げに聞いていたその顔が愕然としたものに変わるのに、そう時間はかからなかった。
『鷹取家の対策は?』
「畏れながら、わたしは部外者です。この一件について説明を要求する権利も、口を出す権限もありません」
『この世が消滅するかもしれないというのに? なんとかなさい!』
それができないと言っているのに。ソフィーは困り果ててしまった。
苛立つ伯爵の顔は、横にたたずむ重臣に向いた。
『正式な外交チャンネルで、鷹取家に対策の早急な立案を要請できないかしら?』
だが重臣も困り顔で、この情報は現在ソフィーの得た断片的な情報と推測のみで構成されており、鷹取家への要請は難しいと答えるのが精一杯だった。
みるみる悪化していく向こうの雰囲気を、アンヌが救った。伯爵に申し出たのだ。
『わたしが直接行きましょう』
『お見舞いに? 迂遠なことね、姉様』
アンヌは首を振った。
『まさかの時は、サヤを襲撃します。一撃くらいは浴びせられるでしょう』
その言外の意味に、ソフィーは戦慄した。あれに勝てるとは到底思えないと言っているのだ。
そしてそれが謙遜ではないことを、8ヶ月前の戦闘に参加していたソフィーは嫌というほど体感している。この世のものとは思えない怒涛の攻撃は、しかし、嫌々かつ軽々と繰り出されたものだったのだ。
全てに絶望し、現世への未練を振り捨てたあの娘の全力での攻撃を凌いで、一撃浴びせられるのか。いや、そもそも近づけるかどうかすら怪しい。敬愛已まぬ主君ですら。
そしてそれを軽く許可する伯爵よ!
アンヌの来日関連事務を承って頭を下げながら、ソフィーの心は暗かった。
「ヴァイユー家から、沙耶の病気見舞いにアンヌさんが来日するって連絡が来たわ」
「ソフィーさんに感づかれましたね」
総領と琴音は言葉を交わし、溜息をついた。
鷹取家枢密会議は、本来参謀部の出席を認めない。ゆえにたずなは主任参謀としてではなく、沙耶の友人として招かれていた。
議長役を務める海原家当主・雪乃が咳払いをして、
「もうすぐ48時間が経過するわ。危険水位がどんどん増している状況ということを、まず頭に入れてください」
すぐに総領の妹・万理が挙手する。
「その長壁さんに、思い直していただくことはできないのかしら」
「琴音とわたしが接触したんですけど、首を横に振るばかりで……もう一度やれと言われればやりますけど……」
蔵之浦家当主・鈴香が沈んだ声で報告する。
本来なら、このような懇願などしない。一族の者を心から愛し支える決意をしてくれない限り、待ち受けるのはズバリ『死』である。お金や地位、あるいは泣き落としで釣れないのだ。
その後も良い考えが浮かばぬまま、時間だけが過ぎていく。ついに、総領がたずなを促した。決意を秘めたまなざしで。
「策は、何かありますか?」
会議が始まってから一言も発せず、時々お茶を飲むだけだったたずなが、姿勢を正して口を開いた。
「明日の午後から、合同練習会がありますね? 巫女の皆様の」
皆のうなずきを確認して、たずなは声を改めた。
「明日の朝、それを沙耶様に念押ししていただきます。そしてもし、お昼前の催促にあの子が応じない場合、眠っていただきます」
眉をひそめる一同へ、たずなは噛んで含めるように説明を続ける。
この2日間、食事も摂っていないため、おそらく気力が尽きる前に沙耶は行動を起こすだろう。
その決心をするきっかけだが、前回は蒼也と木之葉の挙式だった。沙耶はこれにより現世との縁が切れたと判断し、凶行に及んだのだ。
ゆえに今回は、合同練習会の欠席をもって自ら縁を切ったと判断する可能性がある。
「少し憶測が過ぎるかもしれませんが、悠長に構えてよい案件ではありませんので」
したがって、催眠ガスを沙耶の居室に注入し、眠ってもらう。気付かれないよう、彼女が就寝した後に。
無論、居室にガスを注入する設備も用意も無いため、ゴーサインが出れば実施方法を検討する。
鈴香は説明が終わるのを待ちかねたように、手を挙げた。
「眠らせるって……いつまでですか?」
「しばらく。ほとぼりが冷めるまで」
絶句した鈴香に代わって、万理が詰問調で切り付けた。
「……あなた、本気で言っているの?」
だが、たずなは動じない。
「わたしには、対策を訊かれて冗談を言う習慣はありません」
声に無念さが滲んでいるように聞こえるのは、鈴香の願望なのだろうか。
「現世が消滅するよりましです。ずっとましです。目覚めた沙耶ちゃんに叩き潰されるかもしれません。でも、それまでは生きられますから」
ガタンと大きな音に振り向けば、総領が机に両手をつき、真っ青な顔をして震えていた。音は椅子を蹴立てたものだったのだ。
「たずなさん……」
「はい」
「その案は、いただけないわ」
たずなは、目を閉じて一礼したのみだった。
「私が明日対処します。皆さんはこれにてお引取りください」
だが、鈴香が仰ぎ見た蒼白な顔には、妙案が浮かんでいるようには見えなかった。
7.
鈴香から枢密会議の経過と結果を知らされて、弓子は軽く舌打ちをした。
1つには、タイムリミットが意外に近いこと。弓子はこの点について、姉の頭脳を信頼している。
2つには、その姉の策が下らないこと。姉の悪い癖が出たようだ。その点について、彼女は姉を信頼しない。
しばらく考えて――そのあいだにうるさい男を黙らせて――弓子は隼人にメールした。
『沙耶 いまだ回復せず 親族会議が開かれた』と。
そんなメールを受け取った隼人は悩みに悩んでいた。
このまま何もしなくていいのかと。
入院していないから、お見舞いには行きづらい。
もう既に琴音たちがやっているであろうメールなどでの励ましも、できない。なぜならば、アドレスを知らなかったのだ。てっきり聞いたものだと思っていたのに。今日の夕方、意を決してアドレス帳を開いて呆然としたのである。
でもなぜか、琴音たちに訊く気にはなれなかった。塾での授業の前も後も、なぜか。
そのまま考え続けて自室にたどり着き、機械的に風呂に入って、布団を敷く。
「明日には、良くなってるよな、きっと……」
3日後にはタカソフでのバイトがある。回復してきた社長に笑って言おう。
『いやあメアド聞いてなくって、お見舞いメール送れませんでしたよ』
それで無理やり納得して、隼人は眠りについたのだった。それは寝苦しい、苦悶の一夜となるというのに。