11.迷子と遺跡の森
夜更けに突然、王さまの歩みが止まった。
ここ数日休みなく歩き続けていた王さまが突然止まったことに驚いてうとうとしていた意識が覚めてしまった。
「わぁ…月だ…」
空にくっきりと型抜きしたみたいな半月が張り付いていた。
しかも真上にあるのに結構大きい気がする。
太陽の光はあんなにも柔らかく感じたのに、月の光、星の光はまるで蛍光灯のように眩しく感じた。
手をかざすと昼間のように影ができるほど。
手の動きに合わせるように、王さまが髪をずるりと空に伸ばした。
高く、高く、月を捕まえようと手を伸ばすように。
そしてその髪が月に跳ね返されるように方々へと散った。
私の体の周りからも髪が空に伸びているのに、背中に当たる髪の体積は減らないんだなぁ。
そんなことを思っていると、王さまがゆっくりと沈み始めた。
「う、わ!?」
ぐんぐん体が下に降ろされているのが分かる。
もう地面に落ちてしまう、と目を閉じると、体にするりと王さまの髪が巻きついて、実にスムーズに降下が終わった。
シートベルトか。
周りを壁のように囲んでいた王さまの髪も減っていって、とうとう王さまの首だけがそこに残った。
生首と迷子 11
あれだけの体積はどこにいったの。
明るい半月の下で自分の周りを見ると、白くて大きな棒がたくさん落ちていた。
…違う、骨だ。
驚くほど大きな、何かの骨。
その肋骨の中に私がいた。
「もしかして……王さま、この骨に巻きついてた?」
『ーーーーー』
王さまの首が私のそばまで来て、頬を擦り寄せてきた。
可愛いな!動物かよ!
周りに散らばる動物の骨が怖く思えないのは、まるで博物館の恐竜の化石のように偽物めいていたからだろうか。
それともそんな骨以上に王さまの方が生々しくて不気味だと思っていたからだろうか。
王さまはどこで手に入れたのか分からないけれど、いつものベリーを私の口に押し込んできた。
このベリー系の実も好きなんだけど、せっかくあの球体の外に出たんだから別のものも食べたいなぁ。
これはこれで美味しいんだけど、飽きてきちゃうんだもの。
「王さまー、ここどこー?」
尋ねてみても王さまから答えが返ってくるなんてこと期待してない。
独り言だ、独り言。
けれどこの時ばかりは違った。
「ーーここはイルッヒォの森。澄んだ水が湧き出る、遺跡の森だ」
渋く枯れた男の声が聞こえた。
人間だ、人間の声だ。
木の葉の擦れる音しか聞こえなかったのに人の声がして、驚いて飛び上がった。
『ーーーーー』
王さまは声を出した誰かを警戒してか、無表情のまま髪をうねらせて私と王さま自身を繭のように包もうとした。
「娘。お前はその首の仲間か」
半月の下に姿を見せた人間。
細身で長身、地面に落ちてる枝みたいな男だった。
目がギラギラしながらこっちを見ていた。
私は側でうねる王さまの髪を握りしめながら、震える声を絞り出した。
「そ、そう…仲間、ともだち。それって、ダメですか?」
「…とても正気とは思えないな。ましてやそんなーー生首と」
ああ、怒ってる、私たちが理解できないって顔をしてる。
怖い。
害される。
あの顔、あの雰囲気。
手に武器でも持っていればそれをこちらに向けてきただろう。
怖い。
王さまの髪がどんどん視界を黒く暗くしていく。
うすぼんやり見えるおじさんは動かない。
王さまが守ってくれているうちに、思ったことを言っておこう。
「あの、私は王さまと一緒にいたいから、一緒にいるんです。別にどう思われようと私の好きにします」
とうとう王さまの髪で視界が真っ暗になった。
脇腹の傷口ごと胴体が髪に巻きつかれて固定されている。
王さまがそのままどこかに移動していくのは分かった。
「髪の魔神。我々がお前を破壊し、長く経った。お前を封じたこと、それを後悔することはない。だが……不思議なものだ。あれほど長かった夜が失せ、森がただの植物となり、獣がただの獣に成り果てたことが、今となっては間違いであったかのように思われるのだ」
おじさんが話す内容は、正直よく分からない。
王さまも全然反応してないみたいだ。
「お前が封じられてから生まれた子供たちは、本当の夜を知らない。己が身の丈を超す眩い獣を知らない。自らの意思で震える木々までをも…。だからお前が封印を解き、逃げ出し夜を再び夜たらしめたことが間違いであるとは、俺には思えない」
おじさんの声と足音が少しずつ遠のいていく。
ごめんね、王さまってば遠慮しないから。
「ゆえに、お前の腕を返す。お前の存在が正しいのか、間違いであるのか……俺はその判断を、これからを生きる者たちに託す」
腕って王さまの腕のこと?
え、それって胴体からチョンパしてるってこと?
あのおじさんが王さまの腕を持ってたって?
いやいや、なにそれグロい!
もしかして王さまと腕も首みたいにふわふわーって浮いてるのかな。
胴体より先に腕をゲットしても、どうするの。
「王さま、腕だって」
『ーーーーー』
王さまが何かを言ったみたいだけど、喜んでいるのだろうか。
表情からも声色からも喜怒哀楽を読み取れないってのは、やっぱり寂しい。
もしかして、首だけだから?
体が集まれば感情ももう少しは分かるようになる?
そうだといいなぁ。
そうしたら、…………そうしたら…?
王さまの感情が豊かになれば……何?
私に何か、ある?
何かいいことでもあるの?
ざわざわと胸のあたりが変な感じになる。
王さまと出会って以来の感覚だった。
その感覚に叫びだしそうになった私の口に、王さまがあの赤い実を入れ込んできた。
途端に口いっぱい広がる甘酸っぱい味。
フッと消えた胸のあたりの叫びだしそうになる感覚。
「……王さま…」
『ーーーーー』
王さまが何かを言った。
もしかしたら、私を元気付けようとしてくれたのかもしれない。
狭くて真っ暗な中なのに笑ってしまった。
「何言ってるのか、わかんないよ」
甘酸っぱい味に消されてしまったあの感覚、感情。
知っているはずの感情が、今はなぜか全く思い出せなかった。