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3.2人が決闘を果たすまで

 オズウェルは逆上したメイドの箒をまともに食らい、昏倒した。

 普段のオズウェルなら、難なくあしらえる程度の拙い攻撃だ。

 避けられなかったのには、理由がある。


 オズウェルを庭園の生垣前まで追い詰めたメイドが、箒を振りかぶり、こう叫んだのだ。


『あなたのせいで、お嬢様は死んだのよ!』


 鋭い言葉は、オズウェルの心臓を直撃した。

 一瞬の空白の後、メイドの言葉が耳障りな鐘の音のように反響していく。

 俺のせいで、キャサリンが死んだ。


 ――キャサリンが、死んだ?


 衝撃のあまり固まったオズウェルは、メイド渾身の一撃を脳天に受け、そのまま昏倒した。


 騒動を聞きつけ、なんだなんだと庭まで出てきた伯爵家の人々は、芝生の上に転がったオズウェルを見て、息を呑んだ。


 傍らには箒を握りしめ、獣のような荒い息を吐いているメイド。

 真っ青な顔で倒れているキャサリンの元婚約者。

 そして、墓標のように散らばった白い花。


 彼のすぐ脇に転がっている花束に、彼らの視線が集まる。

 愛らしいマーガレットの花束は落ちた拍子に崩れ、無残に白い花びらを散らしていた。

 誠実という花言葉を持つマーガレットは、プロポーズの小道具として有名な花。その花束を携え、忍びこんできたということは……。

 

「……最悪なすれ違いの予感がします」

「奇遇だな、息子よ。私もだ」


 伯爵家当主とキャサリンの弟は、顔を見合わせて深い溜息をついた。


 客用寝室で意識を取り戻すやいなや、オズウェルは跳ね起き、キャサリンの部屋めがけて駆け出した。


「お、お待ち下さい、オズウェル様!!」


 傍についていた使用人が慌てて後を追う。

 まずい。非常にまずい。

 今のオズウェルにあの部屋を見せるわけにはいかない。

 使用人総出で止めようとしたものの、オズウェルは見事な身捌きで彼らをやすやすと交わし、風のような速さで勝手知ったる婚約者の部屋へと辿りついた。


 主人を失った空っぽの部屋は、喪に服していた。

 キャサリンの暴挙を悲しんだ母が、全ての家具に黒いベールをかけたのだ。

 のちに彼女は「半分、娘へのあてつけだった」と語ったが、オズウェルが知る由もない。


 扉を開け放ったオズウェルは、唇をわななかせながら、愛しい人の寝台に目を向けた。


 同じく黒の掛け布で覆われたベッドの上には、一つに束ねられた長い長い金髪が手向けられている。


 よろめきながら近づき、オズウェルは絹糸のような髪をおそるおそる手に取った。

 ずしりとした重みは、あっけないほど簡単に彼を闇の底へと叩き落とした。

 

 キャサリンの髪だ。

 色も手触りも、間違いない。

 これだけの長さの髪がここにあるということは……。

 

 『くすぐったいわ、オズウェル』

 『だって、すごく気持ちがいいんだ。サラサラで、なめらかで。ケイトの髪って本当に綺麗だよね』

 『ふふ。じゃあ、ずっと触ってていいわよ。私は、髪の毛一本まであなたのものなんだから』


 ね、オズウェル。

 眩い光のような笑みを浮かべた幻のキャサリンが、ベッドに腰掛け、オズウェルに手を差し出す。


「そうだね、ケイト。君は全部、俺のものだ。――もちろん、俺も君のものだよ」


 オズウェルは滂沱の涙を流しながら、遺髪を利き手に巻きつけ、腰の魔法剣を抜き放った。

 キラリ輝く白刃が、やがて銀色に煌めく。

 魔法の力を発動させたオズウェルは、躊躇うことなく剣束を逆手に持ち替え、己の心臓に突き立てようと力を込めた。


「待って、待って!!!! 姉様は死んでないから、早まらないでえええ!!」


 血相を変えたキャサリンの弟が部屋に飛び込んでくる。

 彼があと一秒でも遅かったなら、オズウェルは死んでいただろう。

 

 この思い込みの激しさ、有名な悲劇の登場人物並み。

 オズウェルが無意識のうちに張った結界に跳ね飛ばされた使用人たちは、安堵の息を吐き、しみじみ思った。

 劇は劇だからいいのだ、と。


 キャサリンの弟と伯爵夫妻からこれまでの経緯を聞いたオズウェルは、ようやく冷静さを取り戻した。

 伯爵家の人々も、オズウェルから事情を聞き、居た堪れなくなった。

 誤解も何も、完全にキャサリンの早とちりだ。

 

「あの子もオズウェルと引き離されて煮詰まっていたのでしょうけど、もっときちんと話をしてくれたらと思わずにいられませんわ」

 

 伯爵夫人のぼやきには、悲しみと怒りと呆れが入り混じっている。

 あの子は思い込みが強すぎる。発作的に行動しすぎる。云々。

 夫人の容赦ないダメ出しに、口を挟んだのはオズウェルだった。


「キャサリンは悪くありません。俺がもっときちんと伝えていれば良かったんです。こんなことになるくらいなら、頑固な父親なんて無視して、休暇の度に帰ってくれば良かった」

「そう簡単にはいかなかっただろう。もう起こってしまったことは、仕方ない。それよりこれからどうするか、だが――」


 キャサリンの居所はようとして知れないという。

 家を飛び出していってから、一週間。

 伯爵家の誰もが、安易に見積もっていた。

 箱入り娘のキャサリンのこと。領地から出て行くことは出来ないはず。近場で適当な師匠を見つけ、剣の練習を始めたのだろう、と。

 ところが、キャサリンは煙のように消えてしまった。

 どんな手を使ったのか、彼女が今どこで何をしているか掴むことは出来ないでいる。


 オズウェルは両手を組み合わせ、じっと考え込んだ。


 キャサリンは聡明な女性だ。

 彼女の意志の強さには目を見張るものがある。

 『きっと強くなる』と言って出て行ったのなら、必ず強くなって戻ってくるに違いない。

 オズウェルは、強い愛情と同じ熱量で、彼女を信じた。

 そして、結論を出す。


 今、自分がすべきことは、闇雲にキャサリンを探し回ることではない。

 更に訓練を重ね、一人前の魔法騎士になることだ。

 今回だけは、キャサリンに負けられない。

 彼女の悲しみを受け止めた上で、オズウェルがどれだけ彼女を愛しているか、剣で伝えるしかない。


「半年後、俺は騎士の叙勲を受けてここへ戻ってきます。そして、決闘の告知を出します」

「告知?」


 キャサリンの弟が首を傾げる。

 いち早くオズウェルの腹積もりに気づいた伯爵は、今日初めての笑みを浮かべた。


「なるほど。それはいい。その時は、派手に宣伝しようじゃないか。娘がどこにいても、知らせは届くだろう。キャサリンは君に執着しているし、娘の目的は君への復讐だからな。きっと餌に食いつくぞ」


 キャサリンの弟も、オズウェルがしようとしていることに察し、はあ、と一つ息をつく。


「餌って……。でも、それしかないかもしれない。半年あれば、姉様の髪も少しは伸びてるかもだし」

「伸びてなくてもいいよ」


 オズウェルは微笑んだ。

 キャサリンは死んでいなかった。

 生きているのなら、丸坊主だって構わない。


「あの姉様には、オズウェルしかいないと思う。頑張ってね、義兄さん」


 キャサリンの弟は頬を緩め、拳を突き出した。

 こつん、と拳を合わせ、オズウェルは少年じみた笑顔ではにかんだ。



◇◇◇



 その頃キャサリンは――。


「おらおらぁぁ! そんなへっぴり腰で人が殺せると思ってんのかあああ!!」

「殺したいわけでは! ありません……っ!!」


 引き締まった二の腕が太く張りつめた直後、凄まじい勢いで木刀が振り下ろされる。

 キャサリンは素早く身をかわし、師匠の容赦ない連続攻撃を避けた。

 体勢を整え反撃しようとしたところで、思い切り腹を蹴りあげられる。

 細い体は空に舞い、ぐう、と胃の腑がせり上がった。

 キャサリンは嘔吐すまいと歯を食いしばり、受け身を取って何とか転がらずに着地した。


「逃げるのと、受け身は上手くなったけど、攻撃が駄目。まるでダメ!」


 師匠はビシッとキャサリンを指差し、険しい表情で本日の訓練メニューを言い渡す。


「素振り1000回の後、腕立て1000回。その後、走り込みを10セット。一日で終わるようになったら、風魔法の使い方を教えるから」

「はいっ!」

「強くなる覚悟はあるかい!」

「ありますっ!」

「よし、いってきな!」

「はいっ!」


 領地の東にそびえるトバイヤ山で、キャサリンは修行に明け暮れていた。


 師匠であるアデラベルに出会えたのは、本当に偶然だった。

 奇跡のような運の良さを発揮し、キャサリンは今ここにいる。

 トバイヤ山は険しく、魔獣もよく出る。トバイヤ山に足を踏み入れるのは、自殺志願者くらいのものだ。

 だがアデラベルは、この山の中腹に修行小屋を持っていた。

 ここに来るまでの間、キャサリンは師匠の強さを嫌という程見せつけられた。

 アデラベルの覇気は常に漲っており、魔法の結界にたよらずとも、小屋に近づこうとする魔獣はいない程だった。


 キャサリンが大見得を切って家を飛び出した直後に話は戻る。

 

 出奔したはいいものの、これからどうしたものか。

 思案の末キャサリンは、情報を集めようと待合馬車を乗り継ぎ、街まで出た。

 初めて一人でやってきた街は賑やかで、活気に溢れていた。

 見るもの全てが珍しい。

 キャサリンは油断すると開きそうになる口をきゅっと閉め、酒場か食堂を探すことにした。

 人の多く集まる場所で、腕の立つ剣士の情報を仕入れる。見つけたら、頼み込んで弟子入りするというのが、キャサリンの立てた計画だ。

 

 出来れば女剣士がいい、とキャサリンはこの期に及んで思っていた。

 オズウェル以外の男性と共に過ごすと想像するだけで、苦い薬湯を飲まされた気分になる。

 裏切り者の憎い男の面影が、キャサリンの胸を炙る。

 

 キャサリンはまだオズウェルを愛していた。

 愛しているからこそ、憎いのだ。裏切られた自分が、みじめでたまらないのだ。

 

 ――強くなりたい。体も心も、鋼のように鍛えて、もう何も感じなくなりたい。


 キャサリンは拳を握り込み、颯爽と足を踏み出した。


 ザンバラ髪で男の服を着込んだ若い娘を見た者は皆、見てはいけないものを見たような気分になり、そそくさと目を背ける。


「ねえ、母さん。あのお姉さん、どうしたの」

「しっ。見ちゃいけません!」


 正気を失った哀れな娘と思われていることも知らず、キャサリンはてくてくと街を歩き、やがて大きな食堂を見つけた。

 その食堂でキャサリンが運良く出会えた女剣士というのが、師匠のアデラベルだ。

 

 アデラベルは流れの傭兵だった。

 ここ数年は東の砦で国境を守っていたという。

 そろそろ同じ顔ぶれの魔物を狩るのに飽きたので、任期切れをきっかけに場所替えをしようとこの街まで移動してきたらしい。

 

 一目でわけありと分かるキャサリンを見て、アデラベルは大笑いした。


「なんだい、その頭。そんな哀れな恰好で、男になったつもりかい?」


 ひとしきり笑った後、アデラベルは戸惑うキャサリンを引っ張って床屋へ連れて行った。

 

「金は持ってんだろ。そんなつらしてる。ここで、もうちょっとコマシにしてもらいな」


 キャサリンが適当に切った髪を、床屋の主人はあっという間に整えた。


 すっきりと耳をだし、うなじは短く切りそろえ、前髪は少しだけ長めに残す。

 キャサリンの見た目は一気に良くなった。

 中性的な美少年、といった風情の彼女を鏡越しに眺め、アデラベルは満足そうに頷いた。


「うんうん、その方が良いよ。女はカッコよくなくちゃね! 隣にいても恥ずかしくない恰好になったことだし、飲みに行こうか。もちろん、あんたの奢りでね。そんなナリしてんだ、さぞ面白い話を持ってんだろ? あたしはそういうのに目がないんだ。ほら、行くよ」


 嵐のようなアデラベルに引きずられ、再び食堂に戻る。

 そこでキャサリンは、全ての事情を打ち明けた。

 初めて飲んだワインのせいもあって、途中からはボロボロ泣いてしまった。


 驚くことに、アデラベルも一緒になって泣いてくれた。

 彼女は豪胆で気風が良く、そして単純だった。

 

「なんてひどい男なんだ、クズじゃないか。そんな根性で、魔法騎士になるだぁ? 笑わせんじゃないよ!」

「うう……でも、優しくて。本当に優しくて。オズウェルには、偏見とかないんです。そのままの人を見るの。きっとレベッカさんが、とても素敵な人だったんだわ」

「それにしたって、仁義ってもんがあるだろう。まずは、あんたに謝ってから、そのレベッカだっけ? 次の女に心を移すのが筋さ」

「そんなにうまく、いかなかったのかも。オズも、苦しかったのかも。でも、でも……許せないんです。彼に挑んで、けじめをつけたい……!」

「分かる、分かるよ!」


 2人はすっかり意気投合した。

 そして、アデラベルはキャサリンの師匠になることを快諾した。


「でも、今すぐに払えるお金はそんなにないの。これっぽっちの金貨じゃ、とても足りないでしょうし」


 家の金を持ちだすなんて大それた真似は、キャサリンには出来なかった。

 アデラベルに付き添われ、自分の財産である宝石類を貨幣に替えたものの、2人分の半年の生活費が賄えるかどうかという金額にしかならなかったのだ。

 

「じゃあ、それをおくれよ。強くなってからの出世払いでいいから」


 アデラベルは、キャサリンが両替屋でもついに出すことが出来なかったアンモライトのペンダントを指差した。

 

 未練がましさを指摘されたような気がして、頬が熱くなる。

 オズウェルのくれたペンダントは、それにどんな意味があっても、やはりキャサリンの大切なものだった。それでも、もう思い切らなくてはいけないのだ。


 キャサリンはペンダントを外し、アデラベルに押し付けた。


「これでいいのなら、今あげます」

「……これさ」


 アデラベルはペンダントトップを指で挟み、目の前にかざしてじっくり眺めた。


「宝石じゃないよ」

「え? アンモライトではないのですか?」

「よく似てるけど、違う。ネイガウスっていう魔物の心臓から取れる、魔法石さ。すごく貴重なんだ。息絶える直前に心臓を暴いて取り出さないと炭になっちまうからね。まだ息のあるネイガウスに近づく度胸のあるやつにしか取れない」

「知らなかった……」

「そうそう出回るもんじゃないからね。ネイガウスの石には、強い加護の力がある。これをくれた時はまだ、あんたの男はあんたに惚れてたってことさ。それだけ惚れられてたってことは、誇りに思っていいんじゃないか?」


 傷つき冷え切っていたキャサリンの胸に、温かな明かりが灯る。

 そうだ。

 オズウェルは遠まわしに別れを仄めかしたりするような人じゃない。

 アンモライトのことは、勘違いだった。

 彼はキャサリンの為に、魔物の石を狩ってくれたのだ。


 キャサリンはアデラベルに向かって、深く頭を下げた。


「ごめんなさい。なんとかして、お金は工面します。本当です。ですから、そのペンダントは……」

「ふふ。だろうね。私があんたでも、これは手放さない」


 アデラベルは、優しい手つきでペンダントをキャサリンに返してくれた。


「まあ、でもこれと復讐は別の話だ。そうだね?」

「そうです」


 キャサリンは浮かびそうになった涙をぐい、と袖で拭い、晴れやかに笑った。


「私は、オズウェルをこの手でぶっ飛ばします。どんな修行にも弱音を吐きません!」


 そしてキャサリンは宣言通りにした。


 半年をかけ、己の肉体を苛め抜き、鍛え上げ、風魔法の剣の初歩を習得するに至る。

 生半可な覚悟では成し遂げられない成果に、流石のアデラベルも舌を巻くことになった。



すみません、一話増えました。

全四話予定です。

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