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8.ここは、おかしいのかもしれない

 (子供・服部真一)

 

 気配を感じた。しかも、かなり強く。ただ、それは変な感じで、知っている人の気配でいて、それでも何か違うような、なんだかよく分からないものだった。

 だからぼくは、窓の外を覗いてみたんだ。すると、星さんが近づいて来るのが見えた。今日、会う約束をしていたから、星さんが来るのは分かっていたけど、それでもぼくには少し意外だった。ちょっと会わなかっただけなのに、星さんの“感じ”が大きく変わっていたからだ。

 何が変わったかと訊かれたら上手く説明できないのだけど、一番、変わった点は、その存在感だろう。前は気配が強いようで、そうでないような、曖昧な見えないものだったのに、今は確りと分かる。

 多分、だからだろう。玄関から小枝さんが顔を見せたのが分かった。小枝さんも星さんが来たことに気が付いてしまったんだ。ぼくはしまったとそう思う。今日、星さんが来ることを小枝さん達には伝えていないんだ。星さんからは、伝えるようにメールで頼まれていたのだけど。先日の件で、星さんが来るとは言い難かったからだ。それで、ぼく一人で、こっそりと星さんに会って、色々と相談をしようと思っていた。

 でも、これじゃ隠しようがない。

 小枝さんは、驚いた様子で何かを星さんに言っている。きっと、『今日は、何の用でしょうか?』と尋ねているのだろう。星さんは意外そうな顔で、何かを言った。きっと、前もってぼくに連絡をしている事を説明しているのだろうと思う。

 『ちょっと、待っていてください』

 と、きっと小枝さんは言ったと思う。家の中に入るのが分かった。ぼくの事を叱りに来る… のは、もう少し後だろう。小枝さんの事だから、来客を優先させて、応接室の準備を整えているはずだ。

 「なんで、あの人が来るって話さないのよ、あんたは」

 少しだけぼくは安心したのだけど、その時にそう叱る声が聞こえた。声の主は簡単に分かった。畳さんだ。

 「だって、畳さん達に話したら、反対するだろうと思って」

 ぼくの背後に突然現れた畳さんに向けて、ぼくはそう言った。畳さんは、軽くため息を漏らすと、こう返す。

 「言わなくたって、どうせ訪ねて来れば分かるでしょうよ……。しかし、あの人、なかなかの存在感ね。前に来た時とは、まるで別人みたい」

 そう言った畳さんの目が、ぼくには妖しく光ったように思えた。

 「ぼくだって、あんなに存在感が強くなっているとは思っていなかったんですよ。だから、バレないと思っていたのに」

 「あんたは馬鹿か。存在感が強くなくたって、気付かれるわよ。この家は、豪邸ってほど広い訳じゃないんだから。隠れてこっそり会える場所なんてないわ」

 そう返した後で、畳さんは少し黙った。それから表情を変えると、こう言う。

 「決めた。何があったかは分からないけど、ここまで存在感が強くなったのなら、充分にこの家に住む資格があるわ。何としても、残ってもらいましょう」

 ぼくはその言葉に驚いた。

 「どうする気?」

 「このままじゃ、小枝さんがあの人を追い返しちゃうでしょう? だから、止めに行くのよ」

 「三杉君の問題は、この家の問題だから、外の人に漏らしたら駄目だったんじゃないんですか?

 追い返さなくて、いいの?」

 「外の人には、ね。でも、この家の住人になるのなら、話は別でしょう?」

 そう言うと、畳さんはぼくの部屋を出て行った。何をするつもりなのかと思って、ぼくも後を追うと、畳さんは台所に向かった。冷蔵庫の前にいる。ぼくが追って来た事に気が付くと畳さんはこう言った。

 「おっと、来たのなら、ちょうどいい。服部君、麦茶を持って行ってよ。あの人に出すの」

 「どうして、僕が?」

 と、そう言うと畳さんは「あんたも、あの人に帰られるのは、困るのでしょう? なら、協力しなさいな」と、そう言って来た。ぼくは渋々ながら、麦茶の準備をする。畳さんは、応接室に向かったようだった。きっと、小枝さんの邪魔をするつもりでいるんだ。

 ぼくが麦茶を持って行くと、案の定、畳さんは場をかき回していた。小枝さんが酷く迷惑そうな顔をしている。人の好い小枝さんは、滅多に畳さんを邪険に扱ったりはしないのだけど、今は心から嫌がっているようだ。

 「畳さん。あなた、また悪い癖が出ているわよ」

 そんな声が聞こえて来た。そこで小枝さんは、ぼくが麦茶を持って来ている事に気が付いたらしかった。

 「あら? 麦茶を持って来てくれたの? でも、もう用意しているわよ」

 それでそう言う。考えてみれば、小枝さんが星さんを迎える準備をしたのなら、飲み物を用意していないはずはなかった。星さんもその時にぼくに気付いたようで、ぼくを見ると、軽く会釈をして来た。

 「どうしたんですか?」

 ぼくがそう尋ねると、小枝さんはこう言った。

 「畳さんが、星さんに、今日は泊まっていけって言っているのよ。三杉君の事について、話したいからって」

 星さんは非常に困っているようだった。明らかに無理して作った笑顔でこう言う。

 「いえ、明日は大学に行かなくちゃならないので」

 それを聞くと畳さんは、こう返した。

 「あら? ここから行けば良いじゃない」

 そう言われて星さんは、ますます困ったような表情を浮かべる。それでなのか、誤魔化すようにもう一度、麦茶を飲んだ。それを見て畳さんは、嬉しそうに笑った。

 「ちょっと、遠過ぎるもので」

 と、それに星さんは返す。ちょっと、言い難そうにしているから、きっと言い訳なんだろう。

 「でも、大学の講義は、午後からだったりするのじゃないの?」

 そう畳さんが言う。畳さんも、星さんのその言葉が、言い訳だって事を見抜いているんだろう。

 「まぁ、そうなんですが…」と、それに星さん。話題を逸らす為か、それからこう続けた。

 「あの、そういえば服部君は、学校には通っていないのですか?」

 それには小枝さんが答えた。

 「ええ、まぁ、少し事情がありまして」

 いかにも言い難そうな感じで。こんな言い方をすれば、星さんなら、深くは追及できないだろう。と思ったら、やっぱり、何も返さなかった。存在感が強いからなのか、星さんが何を考えているのか、なんとなくぼくには分かる気がした。

 それから、星さんの表情が少し変わる。もしかしたら、この家を調べる為には、ここに一晩泊まるのもアリかもしれない、とそんな事を考え始めているのかもしれない。

 ふと畳さんを見ると、妖しそうな顔で微かに微笑んでいるのが分かった。ぼくはそれに少しだけ悪寒を覚える。

 ずっと昔、畳さんのそんな表情を見た事があるような気がしたからだ。

 それから、気持ちが揺らいだこともあってか、畳さんの強引な誘いを拒絶し切れず、星さんは家に泊まる事になった。小枝さんもそれを止めなかった。きっと、この人も本心では星さんに泊まって欲しかったのだろうと思う。小枝さんは、寂しがり屋なところがあるから。

 晩。

 夕食を食べ終えて、それぞれの部屋で寛いでいると、星さんがぼくの部屋に訪ねて来た。

 「ちょっといいかな?」

 真剣な表情だった。

 「どうしたんですか? 何か、三杉君の件で分かった事でも?」

 「いや、悪いけど、その事はまだ何も分かっていない。それよりも聞きたい事があるんだ。

 君はどうして学校に行っていないのだろう? それに、それを叶さんや畳さんが、問題にしていないのはどうしてなんだろう?」

 ぼくはそれを聞いて、不思議に思った。

 「それに何か問題があるんですか? 畳さんだって、働きに出ていないし」

 ぼくの言葉に、星さんは困惑した。

 「いや、問題とかって訳じゃないかもしれないけど、常識で考えて…」

 星さんが困惑している事が、ぼくには不思議だった。

 「ここでは、それで普通かもしれないけど、世間一般じゃ違うんだよ。確かに、学校に通わない生き方を選択する人も、世の中にはいるけれど、それは飽くまで、学校を知った上での選択であるべきだと僕は思うんだ。

 君は、外の世界を知らな過ぎると思う。こんな言い方をして良いのか分からないけど、それは不健康だ」

 「不健康?」

 「うん。いや、ごめん。そんな言い方をするつもりはなかったんだけど…」

 その時、困っている星さんを見つめながら、ぼくはなんとなく星さんの言っている事を実感し始めていた。

 ここは、おかしいのかもしれない。

 それでぼくはこう尋ねたんだ。

 「普通は、どうするものなんですか?」

 星さんは上手く表現できなくて困っているようだったけど、それでも必死にぼくに説明をしてくれた。

 「うん。普通は、君くらいの年齢の子供は、学校に通うものなんだ。それで、色々な事を勉強する。そして、この社会に適応し、生きて行くための術を色々と学んでいくんだ。それは単なるテスト勉強だけじゃなくて、他人との接し方とか、文化とか、そういった全ての事柄で……」

 よく分からなかったけど、星さんの語る内容が、ぼくの生活とは明らかにかけ離れている事だけは分かった。

 ここは、人がとても少なくて、本当に狭い世界だもの。

 でも。

 ぼくはそう理解しながらも、何処かで星さんの語る世界を拒否していた。ただ、それでも同時にぼくは星さんの話に惹かれてもいた。それがどうしてなのか分からなかったけど、そのうちになんとなく感じた。

 ああ、そうか。

 ぼくは、星さんの語る世界を拒否しているぼくを、否定しているんだ。だから、ぼくは星さんの話を受け入れようとしているんだ。そんなぼくを壊す為に。

 「畳さんも、本当は駄目なんですか?」

 ぼくは星さんにそう尋ねた。

 「まぁ、こういう事を言っちゃうとあれだけど、本当なら働きに出た方が良いと思う。やっぱり、それが社会の中で生きていく上でのルールみたいなものだから。皆が皆、働かなくなったら、社会は滅びてしまう訳だし……」

 「だけど、ここじゃ、それを誰もおかしいだなんて言いませんよ。小枝さんは、むしろ積極的に許しているみたいだし」

 「それは、ここの文化っていうか、そういうものが歪んでしまっているからだよ。

 ……そうだな。

 ここでは、小枝さんが、ほとんど一人で家を支えているのだろう? とても大変なはずだよ。それが正しいと君は思うかな?」

 ぼくはそれを聞いて首を横に振った。思わない。小枝さんを、少しでも助けてあげたいとぼくは思っている。

 「君がこのまま家に居続けたら、小枝さんの負担はもっと増えてしまう。働いて、収入を得られるようになる努力はするべきだと思う」

 その言葉に、ぼくは黙った。何も返せなかったんだ。ここは、おかしいのかもしれない。もう一度、そう思う。星さんは言った。

 「もしも、君が外に出たいと思っているのなら、いい人を紹介するよ。山中理恵さんていってね、とても頭が良くて確りとした人だから、きっと君の力になってくれると思う。もちろん、僕も手伝うし」

 それから星さんは、その人のメールアドレスをメモに書いて、ぼくに渡してくれた。

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