6.幽霊屋敷
(探偵・藤井正一)
星君からの報告に、私は頭を抱えていた。
調査の方は順調にいったようで、問題点と言えば、星君を巻き込んだ事で私が山中さんからお叱りをもらったくらいだ。
彼女は私が星君を利用していると思ったようだ。まぁ、間違いではないが。紺野先生にこの件を連絡すると言っていた。あの人も私を怒るかもしれないが、早くこの件に先生を担ぎ込みたい私としては、都合が良い事でもあるから、それはまぁいい。
星君からの報告に依ると、“叶小枝の家”への訪問で、ナノネットによる現象と思える何かは起こらなかったそうだ。しかし、それ以外で、非常に気になる点が……。
私としては、それが予想外だった。
「中学生が、一人、行方不明? しかも、それを“叶小枝の家”の住人達は、誰も問題にしていない?」
メールで送られて来た報告の内容を読み、私はそう独り言を漏らす。
私は仮に何かあるにしても、それはナノネットに因るものだと考えていた。“人間”には、問題はないと思っていたのだ。しかし、こうなって来ると、人間の方も無視はできない。
頭を掻く。
住人達が中学生の失踪を問題にしていない、というのは、その事実を隠蔽したがっている可能性がある。もっとも、そうだとしても、突然、訪問した星君に、服部という中学生が、その事実を簡単に話してしまっている点を考慮に入れるのなら、どこまで本気になって隠そうとしているのかは、怪しいのかもしれないが。
「少なくとも、普通でない事は確かだ」
――否、普通でないのは、初めからなのだが。
それから私は、星君に向けて“私の方でも調べておくから、星君も何か調べられる事があったら調べてください。ただし、踏み込み過ぎない範囲で”と、そうメールを返信した。
変に行動させて、事態を混乱させるのだけは避けたいが、今のところ、彼は服部君という内部の人間と繋がりを持つ唯一の人間だ。引き続き、協力してもらいたい。それに、彼はどちらかと言えば小心者だし、紺野先生に関わって、多少はこういった事態にも慣れているだろうから、軽はずみな行動を執る心配はそれほどないはずだ。
今回の調査の目的を、彼には伝えていないから、保険金詐欺の調査だと相手にばれる事もないだろうし。
「やれやれ、面倒な事になって来た。楽な仕事かもしれないと、期待していたのだがな」
そう独り言を言うと、それから私は少しばかり考えた。
“――何にせよ、あの家にどれくらいの人の出入りがあるのかが知りたいな。どれだけの頻度で住人が変わって、どういった類の人間達があの家を利用しているのか…”
それから私はそれくらいの情報なら、既に保険会社の人間が調べているだろうと考え、電話をかけた。調べる手間が惜しい。
「ああ、どうもすいません。私は今、御社の依頼で仕事をさせてもらっている探偵の藤井といいますが…」
“叶小枝の家”の、ここ何年かの住人達の資料が欲しい、とそれから私が言うと、その窓口の人間は「そういったご要望には、お答えができません」と、そうテキスト通りの返答をして来た。私は軽くため息を漏らす。何処の会社にも、こういうタイプの頭の堅い者がいる。ただそれは、踏み外した行動を執って、自分に禍が及ぶのを恐れているだけの話だから、その弱点を突いてやれば簡単に態度を変えるのが常だ。
「あなた、名前は何と言うのかな?」
そう言って私はまず、相手の名前を確認する。大抵は、嘘はつかない。それから、こう続けた。
「もし、その情報を貰えないというのであれば、こちらで調べるしかない。その場合、経費が膨らむ事になり、もちろん、そちらが支払う必要経費に上乗せさせてもらう。その理由に、あなたの名前を出させてもらうが、それで問題はないかな。
本来なら不必要な経費がかかる事になるのだから、私としては、責任を取ってくれる人間が明確でないと困るのですよ」
それを聞くと、その窓口の者は、慌てた口調でこう言った。
「少々、お待ちください」
やはり、簡単だった。しばらく経ってから、こう返答して来た。
「申し訳ありません。担当の者に繋ぎましたところ、早速、調査結果の資料をメールでお送りするそうです」
私はそれを聞いて「ありがとうございます。助かります」と礼を言い、電話を切った。メールを確認すると、言った通りに、添付ファイルで資料が送られて来ていた。ファイルには、パスワードも何もかかっていなかった。硬いかと思えば、こういう所は緩い。大きな会社というのも、存外、チグハグだ。恐らくは、個人情報が含まれた資料だろうに。もっと慎重に扱うべきじゃないのか。と、私はそれを見て、そんなような事を思った。
まぁ、得てして、こういうものなのかもしれないが。
私は早速、内容を確認した。そして、そこである点に気が付く。
「女の入居者の頻度が多いが、叶小枝と畳かえでを除けば、入居して一ヶ月も経たない内に、直ぐに外に出て行くパターンがほとんどだな。住民票自体はこの家にあっても、実質、入居していない事もある。男の場合は、入って来る人数は少ないが、代わりに一度入居すると長くいる傾向にある… と」
そこで私は、行方不明になった人間が、全員、男であった点を思い出した。
「何か関係があるのか?」
それから私は、星君の報告書の中身をもう一度読み返してみた。畳かえでとかいう女が、入居して来る人間が安全かどうかをチェックしている、とある。
「男が入居する頻度が低いのは、だからなのだろうか? まぁ、確かに男を特に警戒するのは納得できる話ではあるが」
保険会社から送られて来た資料は、詳細に住民について調べていたりいなかったりで差が激しかった。私は情報量が多く、簡単に見つけられそうな人間達に目星を付けると、その彼らに話を聞いてみる事に決めた。
「あの家は、幽霊屋敷なのよ」
“叶小枝の家”について、話を聞きたいと言うと、その女は開口一番にそう言った。
その女とは、駅の近くの飲み屋で話す事になった。半個室のような形状で、話すには都合が良かった。昼間はランチをやっているらしく、女は昼食を取っていた。もちろん、その女は“叶小枝の家”の元住人だ。
「幽霊屋敷?」
初めは揶揄する意味で言ったのかと思ったのだが、どうやら言葉通りの意味であるようだった。女は続ける。
「幽霊が出るから、わたしはさっさとあの家を出たの。実は入る前に、地元でそう忠告されていて、本気にはしていなかったのだけど、本当だったわ」
幽霊…
といえば、ナノネットだ。ナノネットで起こる幻覚は、幽霊と解釈されるケースが最も多いのだ。
私はそう思う。
ナノネットについて調べるつもりはなかったのだが、これはこれで貴重な情報だろう。
「具体的に、どんな幽霊が出るのですか?」
それで私はそう尋ねた。すると、その女はこう言う。
「男も女も、たくさんよ。わたしは、初めはあまりに普通にいるから、幽霊じゃなくて人間なんだって思っていたの。でも、多分、ほとんど幽霊だったのね。知らない人間が、あんなにいるはずがないもの」
それを聞いて、私はふと思い付く。
「あの家は、夜にならないと人が帰って来ないし、偶にしか顔を見せない人もいるって聞いていますよ。もしかしたら、勘違いをしていたのじゃありませんか?」
その私の言葉に、女は怒った。
「ちょっと、馬鹿にしないでよ。いくらわたしの頭が悪いからって、それくらい分かるわよ」
まぁ、確かにそうだろう。
「すいません」と、私は謝る。
この女は平日の昼間に自宅にいた。夜、水商売で生計を立てているらしい。資料に電話番号が書いてあったので、試しに電話をかけ「“叶小枝の家”を調べているので、話を聞きたい。少ないが謝礼金は払う」と言ってみると、簡単に会ってくれる事になった。多少、警戒心がないようにも思う。
だから、“叶小枝の家”を頼るような破目になるのだろうな。などと、私はそれで思った。
「それに、あの家はそれ以外にも、ちょっと色々おかしかったのよ」
続けて女はそう言った。
「どんな点が?」
「例えば、そうね… 妙に静かなのよ。たくさん住んでいる事になっているのに。夜になれば、帰ってくるって聞いていたのだけど、ずっと静かなままだった」
「個人主義で、それぞれの部屋に引き込んでしまうとも聞きましたが」
「確かに、それもある。でも、そんなレベルじゃないのよ。何故か分からないけど、わたしは住んでいる間、二人同時に人を見る事がほとんどなかった。
更に不気味な事もあったのよ。中学生くらいの子共がいてさ、その子が誰か他の人と話しているみたいだったから行ってみたら、その子一人だけだったって事が何回かあったわ。多分、あの子は幽霊と話していたのじゃないかしらね」
「なるほど…」
私は考えた。
なんとなくナノネットで引き起こされそうな現象のように思える。
「あら? 馬鹿にしないのね」
「ええ、非常に興味深い話です」
私の真面目な態度に、女は気を良くしたようだった。単純な女だ。
「他には、何かありますか?」
「そうね。わたしが、こんな体型だから言うって訳じゃないのだけど、あの家の人達は子供を除けば、全員、痩せていたのよ。初めはダイエットでも強制的にやらされるのじゃないかと思ったわ。または、食事が少な過ぎるのじゃないかとか。そんな事はなかったけど」
この女は多少、太っていたのだ。まぁ、これは僻みの類だろう。街から家まで距離がある上に交通手段が限られていると言うから、自然、自転車などで運動する機会が多くあり、痩せるというだけの事かもしれない。この女は原付を持ち込んでいたというから、きっとそれで痩せなかったのだろう。
更に話を要求したが、もうこれ以上は何もないと言うので、私は謝礼金を置いて、その飲み屋を出た。額は本当に少ないが、女は文句を言わなかった。どうせ保険会社に後で請求するから、もう少し多くても良かったが、経費を低く抑えるに越したことない。それに、この程度の情報で、高額を払うこともないだろう。
「幽霊屋敷か… これは、もう少し詳しく調べてみる必要がありそうだな」
私はそう独り言を言うと、次の元住人の所へと向かった。




