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3.隠れ里

 (犯罪心理学専攻生・星はじめ)

 

 電車を降り、そこからバスに揺られて20分ほど。更にそこから、30分ほど歩いて、ようやく目指す“叶小枝の家”に辿り着きました。

 正直、途中で“藤井さんに車で送ってもらえば良かった”と、何度か後悔しました。その“叶小枝の家”に行かなくちゃならなくなったそもそもの理由は、藤井さんという探偵をやっている方からの依頼にあるからです。

 まぁ、とは言っても、僕としても行くだけの価値は充分にある内容だったので、藤井さんばかりを責められないのですが。

 もちろん僕は事前に連絡を入れて、“叶小枝の家”の訪問の許可を貰っています。これだけの労力をかけて訪ねて、無駄足なんて冗談じゃありませんから。因みに、僕がお願いをすると、叶さんという人はあっさりオーケーしてくれました。藤井さんから、叶さんは人当りが柔らかく、滅多に他人を拒絶しないと聞いていたのですが、本当にその通りでした。

 訪問する口実… というか、僕にしてみれば本当の理由なのですが、それは、大学の勉強のためと話しておきました。

 僕は大学で、犯罪心理学を学んでいまして、それで“叶小枝の家”の人間関係に興味を抱いたのです。実は近々、レポートを提出しなくてはならなくて、その為の題材を探している最中だったので、それもあって、藤井さんからの依頼は僕に都合が良かったのでした。

 犯罪心理学と聞いたら、皆さん、プロファイリングのような、犯罪者の深層心理を解き明かすようなものをイメージするかもしれませんが、実はそういったものは、犯罪心理学の一つに過ぎません。むしろ、特殊な部類に入ります。

 個人ばかりに視点を合わせると、なかなか見えてきませんが、大きな観点で眺めてみると、犯罪を発生させる主な原因は、社会的な土壌や背景だと分かります。犯罪率が高くなった(或いは、低くなった)原因を探っていくと、そこには何らかの社会的要因が見え隠れしてくる。これには社会の構造や制度、習俗、地理などが含まれます。

 もちろん、個人の心理も無視できませんが、だから犯罪心理学は、集団心理学なども含めた学際的な色彩を持つ総合学問で、心理学の中でも、社会科学に近い分野なのです。そしてだからこそ、“叶小枝の家”でどう人々が暮らしているかが、僕の勉強に役立つのですが。

 僕は叶さんにこういった事を説明し、犯罪者を研究する心理学というイメージでどうか見ないで欲しいと断った上で、訪問の許可を貰いました。ただ、もしかしたら彼女なら、そんな説明をしなくても、快く承諾してもらえたかもしれません。

 飽くまで、電話越しに話した印象ですが、僕はそう感じました。

 “叶小枝の家”というのは、通称ですが、正式な呼び名はないそうなので、こう呼ぶしかないようです。地元の一部では、“隠れ里”と呼ぶ人もいるらしいですが、これはどちらかといえば悪口の類だそうですから、そう呼ぶ訳にはいきません。

 ただ、実際に訪問してみて、僕は“隠れ里”という呼び名は案外、ぴったりなのじゃないかとそう考えもしたのですが。“隠れ里”というのは、一種の異界です。だから、木の生い茂った丘で囲まれた盆地という特殊な状況下にあるその場所は、外界から隔絶された異界というイメージに合っていると思ったのです。何しろ、トンネルを抜けた先にある場所だったものですから。

 ただ、そう思えてしまうのは、やはり、少なからず僕がこの地に恐怖を覚えているからなのかもしれません。藤井さんから、この“叶小枝の家”一帯には、ナノマシンが繁殖している可能性があると教えられていたのです。

 「実は君に頼みがあってね」

 依頼された時、電話の向こうで、藤井さんはそう言いました。正直、その時僕は悪い予感を覚えました。いえ、藤井さんは紺野さんの関係者で、そして僕は今まで、紺野さん絡みでこわーい体験を何度も味わっているものですから。僕はナノネットに感応し易いという、非常に嬉しくない特異体質を持っているらしくて、それを紺野さんに利用されて来たのです。実はつい先日も、紺野さんに協力したばかりで、ナノマシンの入ったカプセルを飲ませられ、ナノネットに憑依をされるという怖い体験をしたばかりだったりします。その後でちゃんとナノネット無効化用のナノマシン・カプセルもくれましたけどね。

 ただ、嫌だとは思っても、藤井さんとはそれほど近しくない事もあるし、年上でもあるので、無下に断る訳にはいきません(というか、僕は性格上、そういうのが苦手なのですが)。だから僕は一応、「どういう話ですか?」と、そう尋ねたのです。すると、藤井さんは話の概要を教えてくれました。

 不自然に何度も行方不明者が出ている家がある。その家は、行き場のない人間達を受け入れているという特殊な環境にあり、地元の中でも少なからず浮いてしまっている。そして、その家の行方不明事件には、もしかしたら、ナノネットが関わっているかもしれない。だから、僕の特異体質を利用して、それを調べてみて欲しい。

 僕は話を聞き終えて、少し困りました。藤井さんは、ナノネットの専門家ではないので、少しばかり勘違いをしているようですが、僕の特異体質は、僕だけで何かができるような便利なものではないのです。だから、ナノネットの存在の有無を調べようと思っても、どうすれば良いのか分からない。

 ところが、そう説明すると、藤井さんはこんな風に言うのです。

 「なになに、それは問題にならないよ。後で紺野先生にも協力してもらう予定でいるから」

 予定…

 その表現が、僕には引っ掛かりました。それはつまり今は、紺野さんは関わっていないという事です。考えてみれば、紺野さんがこの件に関わっているのなら、藤井さんからではなく、紺野さん本人から何かしら働きかけがあるでしょう。更に、この口ぶりからして、どうも絶対に紺野さんが関与して来るという保証もないようです。何かしら不穏な気配がします。

 ただ、今回の件で希望が持てるのは、まだナノネットが絡んでいるのかどうかが分からないといった点でしょう。もし、単なる勘違いだったなら、僕にとっての不安は何もない事になります。

 そして、その時に僕はふと思い付いたのでした。“叶小枝の家”は、少し聞いただけでも分かるほどに特殊な環境下にある。そんな特殊な環境下にある人間達の心理は、一体、どのようになるのだろう?

 “これは、もしかしたら、良いレポートの題材になるかもしれない”

 提出しなければならない、レポートの題材に悩んでいた僕は、その思い付きに心惹かれました。何しろ資料を調べて書いたレポートよりも、実調査に基づいたレポートの方が評価は高いのが通例なのです。そして、そのタイミングで、藤井さんはこんな事を言うのでした。

 「もちろん、必要経費は、こちらから出す。後で請求してくれれば良い。それに、謝礼金だって払おうじゃないか」

 貧乏学生の僕にとってお金は大変に貴重です。その上で、レポートまで書けるとくれば、魅力的に思えるのは無理のない話で……。

 「分かりました。少しばかり考えさせてください」

 それで、僕はそう答えてしまったのです。少し情報を集めて、安全そうなら受けても良いかも、と考えたのです。情報の入手先にも、当てがあったので。

 “隠れ里”。

 その“叶小枝の家”が、そう呼ばれているという点に僕は注目したのです。そんな名で呼ばれている場所についてなら、何か知っていそうな人に心当たりがあったからです。

 それから僕は、その知っていそうな人、山中理恵さんという女性なのですが、その人に今回の件の内容を軽く説明しつつ、「何か知っていたら教えてください」と書いたメールを送りました。彼女は民俗関係に詳しくて、数多くの都市伝説の類も押さえているのです。だから僕は、この“隠れ里”についても何か知っているのじゃないかと思ったのでした。今はネットを介して、各地の噂を集められる時代ですから、情報収集も容易ですし。

 すると、次の日に山中さんから早速、電話がかかってきました。

 「もしもし、星君? お久しぶりです」

 その落ち着いた頼もしい声に、僕はなんとなく安心感を覚えました。紺野さんに関係する人達の中で、彼女が最も常識的で確りしているような気がします。

 「ごめんなさいね。わざわざメールを書くのが面倒で、電話しちゃいました。ところで、送ってくれたメールの件ですけど、実は少し驚いています。藤井さんから、星君に直接、連絡が行くってだけでも驚きだけど、まさか調査依頼とは…

 星君は引き受ける気でいるのですか?」

 「はい。危険さえなければ、そうするつもりでいます…」

 「なるほど。だから、私に連絡して来たのですね。危険があるかないか、確認したかったから」

 「まぁ、そうです。すいません。なんか頼ってしまって……」

 「いえ、私にとっても興味深い内容だから、むしろお礼が言いたいくらいなのですけど、やっぱりちょっと心配ですね」

 「“隠れ里”って、やっぱり危険なのですか?」

 「それは大丈夫だと思います。確かに幽霊を見たって噂はたくさんあるみたいですけど、具体的に誰かが被害に遭った話は聞きませんし、記録にも残っていないようです。行方不明の件は、どうやらその家の外で起こった事みたいですし。

 ただ、藤井さんからの依頼を受けると、後々、面倒な事になるかもしれませんよ。あの人は、その、紺野先生と違って、ちょっと節操がないところがありますから。今後も、便利に利用されてしまうかもしれません。星君の場合、押しに弱そうだからその点が心配で…」

 どうやら僕は、よほど頼りなく思われているようです。……まぁ、否定はできませんけども。

 「アハハハ。いざとなったら、紺野さんに告げ口しますんで」

 それで僕はそう返します。すると、山中さんは、「それなら、まぁ、いいですけど……」とそう返しました。

 それから、僕はお礼を言って電話を切りました。とにかく、大きな危険は“叶小枝の家”にはなさそうです。それならば、藤井さんからの依頼を受けても良いかもしれません。

 その後で僕は、藤井さんに電話をかけると、依頼を受ける旨を伝えました。藤井さんは、「いやぁ、助かるよ」と、そう感謝の言葉を口にしました。打算的ではあるにせよ、恐らくその言葉は本心なのだと思います。

 

 そして、僕は“叶小枝の家”を訪ねる事になったのです。調べるのなら、素直に訪問するのがベストだろうという事になったからですが(そうじゃなければ、僕もレポートを書く為の取材ができませんし)。

 ――で。

 今、“叶小枝の家”が僕の目の前にはあります。盆地の中の平野になっている部分に、一軒だけ寂しく建つその家は、とても心細く思え、少しだけ僕はこの家の人に同情をしました。ただ、それはもしかしたら、失礼な事なのかもしれないと少し反省をしました。住んでみれば、少しも不自由は感じないかもしれないですし、僕がそう感じるのには、ある種の優越感があるのかもしれないからです。

 少し見ると、庭の隅に二台の自転車が置いてありました。車があるような痕跡はありません。こんな辺鄙な場所で、移動手段が自転車だけなのでしょうか? 野菜などを売っていると聞きましたけど、どうしているのか少し不思議です。

 それから辺りを軽く見回して、僕はちょっと考えました。調査すると言っても、僕には探偵の真似事ができるような能力はありません。何といってもただの学生ですし。紺野さんと関わるようになって、少しはそういった体験もしましたが、何もノウハウは身に付けてはいない。だから、ぶっちゃけ、何をどうすれば良いのか全く分からない状態です。

 ただ、藤井さんもそんな事は承知の上です。そんな技能を求められている訳でないのは、分かり切っているのですから、特に気張る必要はないでしょう。もっとも、目に付いた点くらいは記憶しておこうとは思っていますが。

 “まぁ、僕がここで普通に話を聞いて、何か怪しいものを、見たり聞いたりしたとかしなかったとか、そういう事を伝えれば良いのだろうな。後は紺野さんが、僕の体内のナノネットの痕跡を調べたりするのだろうし…”

 それからそう思うと僕は、観察するような事は止めて、家のベルを鳴らしました。電話で約束したから、家の中に人はいるはずです。僕は叶さんが出てくるものだとばかり思っていたのですが、インターホンに出て来たのは、別の人でした。

 「はいはい、どちら様でしょう?」

 「今日、約束していた星という者です。あの… 叶さんですか?」

 それが女の人の声だったので、僕はそう訊いたのです。すると、「あら? ごめんなさい。小枝さんは、今、出ているのよ」と、そうその誰かは返してきます。

 「代わりにわたしが、お留守番。まぁ、大丈夫だから、上がって待っててよ」

 そう言い終えると、ドアの開く音が聞こえ、女性が顔を出します。やや痩せ過ぎではありましたが、僕はその人から気楽そうな印象を受けました。好みは分かれるかもしれませんが、美人といえば美人といえるのかもしれません。

 そして僕を見るなり、その人は「今日は。あなたが来ることは聞いているわ。とにかく、上がって。“隠れ里”へ、ようこそ」と、そう言ったのです。

 印象通り、ざっくばらんな人柄のようです。初対面なのに、妙に親しげな態度で接して来る。その態度と言葉に、少しだけ僕は困惑していました。

 確か“隠れ里”というのは、地元の人達のここに対する悪口だったはずです。それを自分から言うだなんて。単におどけているだけかもしれませんが、僕にはそれとも少しばかり違う気がしました。

 それに、何だか、少しだけ奇妙な感じがするような気もしたのです。

 もしかしたら、藤井さんが言うように、この“隠れ里”には、本当にナノネットが繁殖しているのかもしれません。

 それで、そう思いました。

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