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23.矛盾を抱えて

 (犯罪心理学専攻生・星はじめ)

 

 服部君…… いえ、三杉君からメールが来ました。彼は今、中学校へ再び通っています。ただし、あの地は離れていますが。三杉君は父方の親戚に引き取られたそうです。

 今は、叶さんとは暮らしていません。

 それには仕方のない事情がありました。叶さんは警察に逮捕されてしまったのです。彼女は自首をしたのでした。

 紺野さんがあの地のナノネットをある程度消去すると、叶さんは警察に自ら出頭しました。今は裁判を待っている最中です。もちろん、罪状は殺人。三杉君の父親を殺した罪です。ただ、半ば心神喪失状態で、公式な証拠とはされませんでしたが、ナノネットの影響を受けていた彼女の刑は、どうやらとても軽くなりそうなのですが。

 或いは直ぐに出て来て、三杉君とも再会をするかもしれません。犯罪心理学を専攻している僕としては、少しばかりその経過に興味を抱きもします(やや、不謹慎ですが)。

 畔さんの保険金詐欺に関しては、詳しくは知りませんが、藤井さんが語るところによれば、どうやら畔さんは保険金詐欺の件とは別件で逮捕され、そのまま受取人の叶さんから保険金を奪い取った罪で再逮捕、今は叶さんと同じ様に裁判を待っている最中だそうです。

 保険金に関しては、行方不明になっていた事自体が勘違いであると判断されたらしく、保険会社は支払った金額の何割かを取り戻す事に成功しそうだという話です。藤井さんには満足のいく金額が支払われたらしく、とても上機嫌でした。あんなに上機嫌な藤井さんを、僕は初めて見たかもしれません。

 三杉君からのメールには、僕に会いたい旨が書かれていました。彼が服部真一として接した数少ない人間のうち、今会う事が可能なのは僕だけ、というのがその理由でした。叶さんも畔さんも警察に捕まっているのだから、それは確かにそうかもしれません。

 畳さん達は、消えてしまいましたし。

 自分から来るような事が書かれていましたが、中学生の立場では交通費を出すのも大変だろうと思って、僕から訪ねる事にしました。正直、今の彼がどうなっているのか、興味があったので、僕としても会ってみたいと思っていたのです。心理学を学んでいる身だから、という事もありますが、ナノネットが形成した人格とその痕跡が、彼にどんな影響を与えているのかを知りたいという事もあります。

 幸い今の彼は交通の便が良い街に住んでいて、会いに行くのは楽でした。駅の近くのファミリーレストランで待ち合わせをし、そのまま食事をしながら話をしました。三杉君はとても元気そうで、そしてなんだか落ち着いているようにも見えました。

 「服部君のお蔭かもしれませんね」

 僕がそう言うと、彼はそう応えました。

 「今、お世話になっている家の人達は、とても親切にしてくれて、それで気分に余裕ができたというのもあると思いますが」

 更に話を聞いてみると、彼は紺野さんとは何度か会ったそうです。

 「ぼくの経過がどうなっているのか、時々、心配して確かめに来てくれるんです。今のところ、問題はないみたいです」

 多分、紺野さんは本当に心配してもいるのでしょうが、同時に科学的な興味から彼の様子を確認しているのだと、それを聞いて僕は思いました。まぁ、今回に限っては、僕も同類かもしれませんが。

 「僕と会って話をした時の事は、覚えているの?」

 それから僕はそう質問しました。すると、彼はゆっくりと頷いてこう返します。

 「はい。と言っても、半分は夢みたいな、なんだか曖昧な記憶なんですが。正直に言えば、自分の記憶だとは思えません。前世の記憶っていうか… いや、ちょっと違うかな? 上手く表現できないんですが」

 それから少し間を置くと、こう言いました。

 「ただ、畳さんは、ぼくが服部君になる前から一緒にいたから、ちょっと複雑で…」

 それを聞いて僕は思い出しました。彼は畳さん達が消えていくのを、あの地で観ているのです。僕の表情を読んだのか、そこで彼はこう言いました。

 「徐々に消えていく畳さんは、既にぼくの知っている畳さんではありませんでしたよ。人格がなくなっていた。だから、余計、ぼくには辛かったのですが。多分ですが、小枝さんがいなくなったからです。あの家にいた畳さんは、半分は小枝さんだったのかもしれません」

 僕はそれを聞いて、「自分は叶さんの妄念だと、畳さんはそんな事を言っていたよ」と、そう言いました。三杉君は頷きます。

 「ぼくらは、小枝さんの中で暮らしていたようなものだったのかもしれない。そして、“服部真一”も、叶小枝の一部だったんだ。今は、何故か、そんな気がします」

 僕はそれを聞いて、畳さんも似たような事を言っていたと思い出しました。

 「うん。そうか。

 ……もしかしたら、あの家で、自分達が間違っていると初めに思ったのは、彼だったのかもしれないよ。僕と会った時には、既に疑問に思い始めているようだった」

 「自分を育てた社会を疑う事は、自己言及だ。確か、そんな事を紺野さんは言っていましたか」

 「言っていたよ」

 僕はそう応えると、一呼吸の間の後で、こう続けました。

 「そして、そこには矛盾が発生し得るとも言っていた。だけど、その矛盾の中にこそ“自己”というものは生まれるのかもしれないって」

 それを聞くとしばらく三杉君は黙り、何かを思い付いたようにこう言います。

 「あの家を、服部君が疑う事は、つまりは小枝さんが自分を疑う事で、それで小枝さんは自分の中の土地への拘りに気付けたのかもしれませんね。そして、それが捨てるべきものである点にも。

 小枝さんは、自分自身を疑えた時に、自分自身を発見したんだ」

 僕は三杉君の言葉から、何かを連想しました。他人の心理を読む行為とは、実は自分の心理を読む行為に他ならない。なら、

 「それは、君の物語でもあるのかな?」

 僕はそう言いました。それは彼自身を語る物語でもあるはずです。ナノネットによって、あの家と結びついていた彼は、もしかしたら、叶さんと存在を共有していたのかもしれません。

 少し頷いてから、彼はこう言いました。

 「或いは、服部真一の物語かもしれません」

 「同じだろう?」

 「そうかもしれませんね」

 そう言い終えると、彼は微笑んだ。

 「鏡を見るとですね。今でも、時々、彼が見えるんですよ」

 「それって、自分の姿だよね?」

 「まぁ、そうなんですがね……。でも、あの時は、鏡の姿が三杉達也である事に気付いていなかったんだ。

 どうしてなのだろう?」

 僕はそれを聞くと、こう尋ねました。

 「僕はてっきり、ナノネットの効果で、幻を見ていたのかと思っていたよ。自分の姿が、服部真一に見えていた」

 「いえ、それがちゃんと三杉達也に見えていたんですよ。そして、三杉達也の姿を、ちゃんと知ってもいた。なのに、どうしてなのか、自分自身が三杉達也だとは、思えていなかったんです」

 僕はちょっと考えると、こう言います。

 「疑う事すらしていなかったら、簡単に気付ける事にも気付けないって事かもしれないね、それは」

 「そうかもしれませんね」

 「……これは、山中さんから聞いた話なのだけど、パプアニューギニアに住むマリン族という民族は、“戦争をする”という宗教儀式を持っていたのだそうだ。この宗教儀式には、人口増加によっての飢死を避ける為、人口を減らすという効果があったらしい。

 とんでもない社会制度だと思えるかもしれないが、彼らは何千年間もその制度を維持し続けたのだとか。もしかしたら、外界を知らず自らを客観視できない彼らには、それを疑う事すらできなかったのかもしれない」

 それを聞き終えると、三杉君はゆっくりとこう言いました。

 「そうなのかもしれませんね」

 そして、沈黙をします。その後は、何も言わずに二人とも食事をし続けました。黙々と食べ、全てを食べ終えると席を立ちます。

 その時に、三杉君はこう言いました。

 「もしかしたら」

 もしかしたら

 「ぼくの中で、ぼくを疑ってくれているのは、今は“服部真一”なのかもしれない」

 それからゆっくりと笑うと、彼はこう言います。

 「いつも心に“服部真一”を」

 僕はそれに「なるほど。いつも心に“服部真一”を」と、そう返しました。ちょっと冗談っぽく笑いながら。そしてそれから、ファミリーレストランを出ると、彼と別れて改めて僕はこう思いました。

 “本当に、それはそうなのかもしれない。僕の中の疑う僕が、『お前なんか、本当はいないんだ』と言う事で、僕は自身を存在させていられるのかも”

 自己というものは、本質的に矛盾を抱えているもの……、なのかもしれません。

これを書いたのは、もう随分と前の事なので、よくは覚えていませんが、自分でも調子が良いのだか悪いのだかって時期だった気がします。ちゃんと推理にもなっていると思ってくれたなら嬉しいです。

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