22.自己言及
(叶小枝の家の住人・服部真一)
「なるほど。それでなんとなく分かりましたよ。あなたが、男性の憑人を欲していた理由が…」
紺野さんがそう言った。すると畳さんは、挑発的な表情になってこう言う。
「あら? 面白いわね。言ってみてよ」
「あなたは、三杉さんをもう一度殺したかったのでしょう? だから、三杉さんに肉体を与えようとしていた」
それを聞いて、山中さんが不思議そうな声を上げた。
「もう一度?」
「畳さんが殺したのでなければ、三杉さんの死体が、池の中にある理由が分かりません。まさか、自殺した訳でもないでしょうし、叶さんも殺しはしないでしょう」
畳さんはそれを聞くと、面白そうに笑ってこう返した。
「少しは合っているけど、三十点ってところかしらねぇ。三杉さんを殺したのは、小枝さんよ。ただ、まぁ、それはある意味じゃ、三杉さん自身でもあったし、わたしでもあったのかもしれないけど……
もっともそれは、ここのナノネットに、感情を感染させる効果があるっていうあなたの言葉を信じれば、だけど」
ぼくはその言葉に驚いた。
「叶さんが?」
そう言ったぼくの表情を見て、畳さんはこう言う。
「そう驚いた顔をしないでよ。小枝さんには、罪がないのかもしれないのだし」
それを聞くと、紺野さんは「どういう事でしょう?」と、そう尋ねた。畳さんは、こう説明する。
「小枝さんは、殺されそうになっているわたしを助けようとしたのよ。
三杉さんはね、酷い男だったわ。わたしを騙して金を奪って、そして借金を残したまま自分の子共を……、三杉達也君を見捨てて一人だけで逃げたの。もちろん、逃げた先がこの小枝さんの家。わたしはこの家を突き止めると、彼を追ってここまで来た。
――考えてみれば、あんな男に惚れて、騙されたわたしも馬鹿だったわ。
数日間、ここに滞在して、わたしはあの男を責め続けた。小枝さんは、冷静に話し合うようにって、わたし達に部屋を用意してくれたのだけど、冷静にはなれなかった。お互いに。
わたし達は罵り合いを続け、感情は爆発し、そして、あの日、三杉さんは怒りにまかせてわたしの首を絞めて来た。
凄い力だったな。狂ったような形相でさ。わたしも何とか抵抗しようとしたのだけど、というか、わたしも彼を殺してやろうと思っていたのだけど、腕力では敵わない。そして、そのまま、わたしは殺されちゃったって訳。わたしが死んだ後も、あの男はまだわたしの首を絞め続けていたみたいよ… よほど怒っていたのでしょうね」
その言葉を聞いて、ぼくは「え、ちょっと待って」と、言った。
「殺されたって……」
そのぼくの様子に畳さんは「そうよ。服部君。わたしは既に殺されているの。だから、家事も仕事もできなかった」と、そう答えた。
「小枝さんには、悪いなと思っていたけど、どうにもならなくて。小枝さんに身体を借りても、この土地の中しか動けないし、そもそもそれじゃ無意味だし。畔は、この土地を離れても小枝さんを乗っ取り続ける事ができたみたいだけど」
紺野さんは既にその事実に気付いていたようで、冷静な口調でこう言った。
「あなたは、この土地に縛られていますが、畔さんは肉体を持っているので、自由に動けますからね」
「あら? やっぱり、分かっていたの」
「他の影達とは違い、肉体を持って死んだ者は、ナノネットが人格を色濃くコピーしているはずです。
三杉さんはどうもあなたや叶さんによって封じられていたようですが、もう一体あった池の中の死体は違うようでしたから。あと、頻繁にこの家に登場する人間といえば、あなたくらいです」
ぼくはその会話を聞いても、何故かそれほど動揺をしなかった。もしかしたら、心の何処かでは気付いていたのかもしれない。色々な事に……
(ぼくも)
紺野さんは続けた。
「あなた達の感情が、そこまで激しくなったのは、恐らく、互いの負の感情が、連鎖して加速していったからでしょう。この土地のナノネットが、負の感情を連鎖させてしまったのですよ。
……そして、その感情を感染させられた人間が、この土地にはもう一人いた。もちろん、それが叶さんです。畳さん、そうですね?」
その問いに畳さんが答える前に、小枝さんが口を開く。
「あの…… 私は…」
「分かっていますよ。罪を逃れたいと思った訳ではなく、あなたはこの土地を護りたいと思ったのでしょう? あなたがいなくなれば、この土地も終わる」
それに叶さんは頷くと、こう返す。
「もちろん、争いに気付いて、私は畳さんと三杉さんを止めようと思ったのです。この土地では、“死”は不浄なものとされていますから、殺し合いなんてさせてはいけない…… いえ、それ以前の問題ですが。とにかく、なんとか止めようとしたのです。すると、何故か私は激しい怒りを覚え、気が付くと、三杉さんの後頭部を、近くにあった花瓶で思い切り殴っていたようでした。その瞬間は覚えていないのですが」
紺野さんはそれを聞くと言いました。
「なるほど。それであなたは、三杉さんを殺したのは、畳さんではないかと疑っていたのですね?
畳さんが、あなたの身体を乗っ取って、三杉さんを殺したのかもしれないと」
畳さんはそれを聞くと「生憎だけど、よく覚えていないわ」と、そう答えます。
「その時の畳さんは、今のあなたとは別にコピーされた畳さんであった可能性がありますから、覚えていなくても無理はないかもしれません」
ぼくはそれを聞いて、この紺野さんという人は優しいのだとそう思った。きっと、叶さんを楽にしてあげようとそんな事を言ったのだろう。畳さんが真の犯人である可能性を示してあげた。紺野さんは続けた。
「それからあなたは、二人の死体を、池の中に沈めたのですね?
恐らく、それを促したのは、ナノネットです。黒不浄… つまり“死”。先ほどの叶さんの話から分かりますが、本来ならそれを嫌い、貴重な水のある池は避けるはずでしょうが、ナノネットが栄養及びに霊… ナノネットの核を欲しがったのでしょう。
叶さんは、その時、軽い心神喪失状態にあったはずですし、つけ込まれたのかもしれない」
叶さんはそれにこう返した。
「それは分かりません。単に、死体を処分するのに、最も手っ取り早いと感じたからかもしれない。
正直、よく覚えていないのですが。
ですが、ともかく、それからしばらくして畳さんがこの家に現れるようになりました。そして、ここの住人となったのです。初めは私には、彼女が何を目的としているのか分かっていませんでした」
それを聞くと、畳さんは笑った。
「ふふふ。そうね、まさか、わたしが三杉さんをこの手で殺す為に、男の住居人を求めていたなんて思わないでしょう。叶さんが気付かないでいる内に、成功させてしまいたかったのだけど、その時はまだ、わたしもこの土地のナノネットを巧く操れなくてさ。気付かれてからは、小枝さんに邪魔されるようになっちゃって…」
その言葉で、叶さんは思い付いたようにこう尋ねた。
「そういえば、一度も訊いた事がなかったわね。一体、どうしてあなたは、三杉さんのことを殺したいの?」
それに畳さんはとても可笑しそうな顔をした。
「自分の感情が、どうして湧いて来るのかなんて分かるはずないじゃない。でも、そうね。もしかしたら、一度目に三杉さんを殺した時、わたしはあなたの中で、とても気持ち良かったのかもしれない。もちろん、覚えていないけど。
わたしは三杉さんを愛している。憎くて憎くて仕方ないけど、同時にとても愛している。そんな相手を殺す… 殺せるのなら、どれだけ気持ち良いのか…」
「覚えていないのでしょう?」
「覚えていないわよ。でも、そっちには残っているのじゃない?」
そう言って畳さんは、小枝さんの頭を指差した。脳だ。
「気付いているのでしょう? わたし達は、ある意味じゃ、あなたの頭の中に住んでいるようなものなのよ。だから、わたしはあなた自身でもある……。前にも言ったけど、わたしは、いえ、わたし達は妄念そのもの。あなたのね。
そしてだから、あなたがここに住み続けることで、どれだけの寂しさや苦悩を抱えているのかも知っているわ」
そう言い終えると、畳さんはそっと目を伏せた。そして、こう続ける。
「だから、今、あなたのこの土地への妄念が晴れかけている事も知っているわ……」
それを聞くと、紺野さんは不意にスイッチを掲げた。そして、それを押す。
「そろそろ、“お籠り”は、お終いにしましょうか。必要ないでしょう。“お籠り”と呼ぶには、あまりに短いですが、それでも人間関係を調整する役割は充分に果たせたようです」
そう紺野さんが言っている間で、部屋の中に浮かび上がっていたたくさんの人影が、スーッと引いて、姿を消していった。
そこで山中さんが口を開いた。
「結局、この家には、服部君と叶さんしかいなかったという事ですか? たくさんいた人達は、全て叶さんだった」
確か、この人はナノネットに感応し難い体質だとか言っていたから、会話を全部は聞けなくて、確かめる為にそんな事を言ったのかもしれない。
探偵の人が、それを聞くとこう言った。
「そういや、今、思い出しましたが、この家の元住人が、この家の人間達は、全員痩せていたと言っていましたよ。それは、この家の住人達が、全て叶さんだったからなのか…。
何にせよ、この話の流れからいって、ここのナノネットは消去するのでしょう? 紺野先生」
それに紺野さんはこう応える。
「そうですね。もっとも、急にはできません。この家には、叶さんの他にも、ナノネットの影響を色濃く受けている人間がいますから。
突然、消してしまっては、どんな弊害が出るか分からない」
それから紺野さんは、ぼくに視線を移した。それにつられてか、他の人達もぼくに注目をする。
ぼくは、
ぼくはその視線を受けて、こう言った。
「あの… さっき、“叶小枝の家の住人”は、全員ここにいると言っていたように思うのですが………」
紺野さんは頷く。
「はい。言いました」
「でも、一人足りないんです。三杉… 三杉達也君がいない」
ぼくの問いかけに、紺野さんは首を横にゆっくり振った。
「いいえ、ちゃんといます。あなたには、見えていないだけですよ」
ぼくは「どこに…」と、そう言おうとして、その言葉を飲み込んだ。本当は、そんな言葉を聞かなくても元から分かっていたから。紺野さんはそれを受けて、こう言った。
「“自己言及”というものをご存知ですか? まぁ、自らを追及するといったような意味です。
他人の視点を想定し、その他人の視点から自らを鑑みる。それにより、自分を客観視でき、相対化がなされ、そこに初めて、自己というものが生まれる。もちろん、自己なんてものは本当は存在しない、幻のようなものなんですがね。
ただ、それでも、その自己言及は役に立ちます。社会や人が成長する為には、それは必要になって来る。
例えば、あなたがこの家を正しくないと疑い、考える事は、この社会を基準にすれば、自己言及です。そして、それは同時に、この家がつくったあなた自身を追及する行為でもあるのです。
あなたが生まれ育ったこの家を疑ったように、今度は、あなた自身を疑う事ができますか?」
ぼくは頷いた。
「本当は分かっていました。ずっと、その結論を避けていただけで。ぼくは本当は存在していなかったのですね。畳さんや、五谷さんたちが、ただの妄念であったように」
紺野さんはそれに困ったような顔で笑うとこう言います。
「それは、存在をどう定義するかによりますよ。ナノネットの核だって、そこに存在していると表現可能ですし」
「優しいんですね」
ぼくはそう言うと、自然に泣いていた。
「三杉達也は酷いですね。彼はぼくに全てを押し付けて逃げたんだ。辛い現実から目を背ける為に、引き込んでしまった…
この身体は、本当は、三杉達也のものだったのか」
それを聞くと、畳さんが少しだけ寂しそうな顔になって言った。
「あまり彼を責めないで。父親には見捨てられ、自分の本当の母親を知らず、母親代わりのわたしは、こんな。小枝さんは優しかったけど…… それに学校でも、この家の所為で上手くいっていなかった」
「ぼくは本当は、誰なんですか? 考えてみれば、ぼくはそれすら知らなかった。教えてください」
それには小枝さんが答えた。
「かつて、この家を利用していた人が連れて来た子共に“服部君”という子がいたわ。直ぐに出て行ってしまったけど。その子と三杉君はとても仲が良くて… あなたは、その子の人格のコピーだと思う」
ぼくは泣きながら訊いた。
「ぼくは消えるのですか?」
紺野さんは、それにこう答える。
「それは分かりません。あなたは、随分と長い間、三杉君の中に居続けた。ナノネットではなく、神経ネットワークがあなたの人格を既に脳内に刻み込んでいるかもしれない。仮に表層の人格が、三杉君になったとしても、あなたの人格は残る可能性が高いのでないかと思います。
それに、あなたは……、妄念でないでしょう?」
ぼくはそれに頷く。畳さんが言った。
「こんな事を言えた義理じゃないけど、服部君。どうか、あの子を助けてあげて。あの子は、まだ一人で苦しんでいるから」
それを聞いた途端、何かがぼくの中から、浮かび上がって来たような気がした。ぼくの意識を上書きするように。代わりに、ぼくの意識はどこか遠くに向かうように暗くなっていく。
浮かび上がって来た何かと、ぼくはほんのわずかの間、交叉した。その時、その何かは、ぼくに向かって、こう言った。
「ごめんね、服部君」
それは、随分と久しぶりの、だけど本当はずっと一緒にいた、三杉君だった。




