21.お籠り
(犯罪心理学専攻生・星はじめ)
「さぁ この“叶小枝の家”に住まう者達、全員に、ここに出て来ていただきましょうか」
紺野さんがそう言うと、にわかに家の中の雰囲気がおかしくなってきました。何故か薄暗くなったように思え、霧のようなものまで立ち込めてきたような気がします。
もちろんこれは、ナノネットの見せる幻なのでしょうが。一応、山中さんの様子を確認しましたが、彼女は状況の変化に気付いてはいないようでした。恐らく、少し変だなくらいにしか思っていないでしょう。アンチ・ナノネット体質の彼女には、この変化が見えていないのだと思います。
「ヒッ」
と、それから藤井さんが小さな悲鳴を漏らしました。何だろう?と思って見てみると、藤井さんの近くで、幽かに人影が浮かんでいるのが分かります。そして、一呼吸の間の後で、瞬く間にそれと似たような人影は増えていきました。僕が驚いたのは、その増えた人影の中に明らかに五谷さんと、そして市村さんの姿があった事です。
「五谷さんに、市村さん… どうして、あなた達がここに」
それを聞くと、紺野さんが言いました。
「明確には見えないと思っていましたが、星君には分かりましたか。流石です」
僕が不可解に思って、「どういう事ですか?」と尋ねると、紺野さんが答える前に、畳さんがこう言いました。
「池の中にいる皆を、強制的にここに出すなんて…… へぇ、なるほど、流石、ナノネットの専門家」
池の中にいる皆?
僕はその言葉に驚きました。
「どういう事ですか? まさか、この人達は皆、死んでいるのですか?」
紺野さんはそれに首を横に振ります。
「いいえ、違いますよ。死んでいるのは、くまさんが教えてくれた二体だけだと思います。
ここに出て来た方々のほとんどは、恐らく、生霊みたいなものなのですよ。そうですよね? 叶さん」
そう言われて叶さんは大きく頷きました。
「その通りです。この家に数週間、暮らしている間で、ナノネットにコピーされて残った人格の残滓のようなもの。
確りと固定されてはいませんから、時間が経てば徐々にその姿をなくし、人格を持たないただの影になっていきます」
紺野さんはそれに頷きます。
「なるほど。それが、“叶小枝の家の住人達”の正体でしたか」
そこで藤井さんが疑問の声を上げました。
「ちょっと待て。どういう事です? なんで、そんな事をする必要があったんだ?」
「叶さんとしては、そんな事をするつもりはなかったのだと思いますよ。ナノネットが勝手にコピーしてしまうのでしょう」
それに叶さんはゆっくりと頷きました。
「いや、それは分かるが、しかし何故、そんな幽霊のような連中を“人間”にして、住所をここにする必要があったんだ? 無視しておけば良かったじゃないか」
次に藤井さんがそう質問すると、叶さんはこう答えました。
「しっかりと書類上で存在してもらわなくては困るからですよ。この家に、たくさんの幽霊が住んでいると、この地域の人達から怪しまれていましたから…… だから、そういった後ろ盾が必要だったのです。
この場所は、この地域に必要な特別な場所なのに、それではいけないと思って…」
続けて、紺野さんが尋ねます。
「書類を通すのには、ナノネットを使ったのですか?」
「はい。うちの野菜を食べている方が、市の職員の中にいて、ナノネットを摂取していますから、それを利用しました」
それを聞いて紺野さんは軽くため息を漏らしました。
「直接的には、誰も被害を受けていないとはいえ、それは犯罪ですよ、叶さん。まぁ、分かっているとは思いますが……。
もっとも、ナノネットは法律上はその存在を認められていないので、立件はできないのかもしれませんが」
そこで山中さんが口を開きました。
「さっき、ナノネットを使ったと言いましたが、どうしてそんな事をしたのですか? どうして、そんな危険な事を……」
すると、淡々と叶さんは答えます。
「この家は、元は五人家族でした。両親と、姉と弟と私。姉と弟は、成人すると早々にこの家を出て行きました。ただ、私だけは、頑なにこの土地に拘り、この家を出て行こうとはしませんでした。もちろん、この土地の重要性を信じていたからです。
結婚の話もありましたが、この家を出て行くことが条件だったので断りました。やがて、両親が死ぬと私はここに一人きりになりました。しばらくして気が付きました。
ああ、私は一人になってしまった。私が死ねば、この家… いえ、この土地を護る者が途絶えてしまう。
そして、その時にこう思ったんです。
“なんとしても、この土地を護る為に、人を呼ばなければ”」
紺野さんが尋ねます。
「ナノネットは、どうやって手に入れたのですか?」
「インターネットで検索して、手に入れました。人を集める方法で検索したら、その、情報が出て来まして」
「なるほど。違法サイトですか……。失礼ですが、あなたは騙されましたよ。あなたが買ったナノネットは、人を集める為に利用できるようなものじゃない。少なくとも、この場所では効力はありません」
「それは、今は、なんとなく分かっていますが、しかし、ではどんな効果が…」
そう叶さんに尋ねられると、紺野さんはこう答えました。
「ここに蔓延しているナノネットは、人の感情を感染させる効果を持っているだけで、人を集める能力はありません。
そして、感染する主な感情は、叶さん自身の感情となるでしょう。あなたは、ここに住む数少ない人間ですから、元になるのはあなたしかいない。あなたのこの土地に対する執着には知性の要素が入るので、あまり伝わらない… いえ、伝わっていたとしても、そこから土地への執着は抜け落ちている。ですから、感染するのは、叶さん自身が抱いている“寂しい”という感情だけです。
ここにいる幻達では、あなたの寂しいという感情は癒えなかったのでしょう」
そこで僕は言いました。
「ああ、だから僕はこの家にいる時、奇妙な程の寂しさを感じたのですね」
確か、元住人達から寂しさを感じていたという証言があったと、藤井さんが言っていましたが、その原因もこれなのかもしれません。紺野さんが言います。
「そうでしょうね。そして、普通、寂しさを感じたなら、もっと賑やかな場所に行きたくなります。
恐らく、それがこの家から直ぐに人が出て行く一因にもなっていたのでしょう」
藤井さんがそれを聞くと、言いました。
「なるほどね。人を集める為にまいたナノネットが、却って人を遠ざけていたのか。皮肉な話だ。しかし、まだ分からないな。それなら何故、男は比較的長い間、この家に居続けるんだ? 記録だと、そういう事になっているんだが……」
それに紺野さんはこう言いました。
「それは、恐らく、そこにいる畳さんに原因があるのだと思いますよ。畳さんは、男性をナノネットの憑人として欲しがっていたんだ。違いますか?」
すると、畳さんは笑って答えます。
「あらら、なんだか勘が良い人ね。その通りよ。わたしが積極的に働きかけて、残ってもらうようにしていたの」
「星君に対して、あなたがしたような事を、他の人にもしたのじゃないかと想像しただけですよ。
機能的には適していなかったとはいえ、この土地のナノネットにも、繁殖する為に人を集めようとする特性はあります。だから、ナノネットの協力も得やすかったのでしょう。それに、それは叶さんの願いでもあった。
そうして、長い間、ターゲットの男性がここに留まっていれば、そのうちにその人格はコピーされ、ここに生霊が生まれる事になる。その男性が去った後も、その生霊は残り続け、そして、いずれは住民として登録されるまでに至る、といったところでしょうか」
そこまでを紺野さんが言い終えると、不意に藤井さんが口を開きました。
「ちょっと待ってくれ、もしかして、保険金詐欺の件の、行方不明になっている男達ってのは…」
「そうでしょうね。恐らくは、三人ともその生霊です。行方不明ではなく、元々、そんな人達は存在していなかったのですよ。単に時間が経って消えただけです」
それを聞くと、叶さんはそっと目を伏せました。そして、畔という人が「チッ」と、舌打ちをします。それを受けて、紺野さんは言う。
「反論はなしですか。やはり、予想通りだった訳だ」
藤井さんが言いました。
「叶さん! どうして、あなたはそんな事をしたんだ?」
それを紺野さんは否定しました。
「藤井さん。叶さんは、犯人ではありませんよ。もっとも、犯罪を黙認してはいたかもしれませんがね」
それから叶さんを見ます。叶さんは、やはり何も言いませんでした。紺野さんは、続けます。
「これは予想でしかありません。明確な証拠は何もない。ただ、私は犯人は畔さんではないかと考えています。そして、恐らく、それを知った時は、既に畔さんが保険金詐欺によって、莫大な利益を得た後だったのではないでしょうか?」
畔さんがそこで口を挟みました。
「何とでも言えよ。ただ、あんたが言う通り、証拠は何もない。詐欺だって俺を訴える事はできないぞ」
「確かにそうかもしれませんが、それでも保険会社は、何らかの対応をしますよ。後の事は、保険会社に任せます。そして、それを伝えるのは、ここにいる藤井さんの仕事で、私には関係のない話です」
紺野さんが言い終えると、今度は藤井さんが言いました。叶さんに向かって。
「あなたは、それを知りながら、どうして黙っていたのですか?」
それに叶さんはこう答えます。
「それは、もちろん… この家を護る為です」
哀しそうに。続けます。
「……初めは、何かの間違いだと思いました。次に元いた住人の方が、知らない間に契約したのだと。畔さんが、何かをやっているのだと分かった時には、もう…」
そこで山中さんが口を開きました。
「あの… 畔さんが犯人だとして、一体、どうやってそれをしたんです? 保険契約や受取人の手続きは…」
それには畳さんが答えました。
「それは簡単。その畔って男には、特殊能力があるのよ。ま、簡単に言っちゃうと、ここのナノネットを操れるのね。ナノネットを利用して、小枝さんの身体を乗っ取る事もできるし、逆にナノネットに自分の身体を提供する事もできる。
こんな男を家に招いたのは小枝さんの一番の失敗だと思うわ」
紺野さんがそれに頷きます。
「なるほど。叶さんの身体を乗っ取り、叶さんの振りをして、保険金詐欺を行ったのですか、畔さんは。だから、星君の生霊に身体を提供する事も出来た」
僕はそれを聞いて驚きました。
「僕の生霊?」
そして、その次の瞬間に気付きます。
「ああ、服部君が僕が消えたのを見たと書いていたのは……」
畳さんが答えます。
「そう。あなたはとてもナノネットに感応し易い体質を持っているから、わずかな時間で生霊が生まれていたのね。そして、そこの畔が、そのあなたの生霊を身体に憑けて、あなたの振りをしていたの。もちろん、わたしの邪魔をする目的で。もし、ここで殺人なんてやられたら、自分の保険金詐欺もバレるかもしれないからでしょうよ。もちろん、小枝さんがこいつに連絡をしたのだけど」
それを聞いて、服部君が言いました。
「だから、あそこに突然、畔さんが出て来たのか」
そこで紺野さんが口を開きます。
「畔さん本人に聞いても、恐らくは言わないでしょうし、これは漠然とした予想に過ぎませんが……。
畔さんは、この家を元々狙っていたのではないですか? 叶さんが、違法にナノネットを購入したのを知って、その特異体質を活かそうとこの家に近付いた… もしかしたら、ナノネットを購入した先の違法業者と結びつきがあるのかもしれない。
叶さん。畔さんは、いつからこの家に来るようになったのですか?」
畔さんはそれに何も言いませんでしたが、顔色が変化したのが分かります。叶さんが答えました。
「はい。ナノネットをまいて、一年くらい経った頃でしょうか。ずっとはいませんでしたが、時折、来るようになって…」
「なるほど。時々、やって来て、この土地のナノネットが使えるかどうか試していたといったところでしょうか。
藤井さん、保険詐欺の件で活かすのなら、この話かもしれません。保健会社に伝えておいてください」
それに藤井さんは「言われなくたって、分かっていますよ」と、そう少しだけ呆れた顔で返しました。
紺野さんはそれから続けます。
「となると、後の問題は、どうして畳さんが、男性をこの地に引き止めようとしたのか。また、星君にした事から類推するに、どうしてその男性を殺そうとするようになったのかといった事ですが……」
そこで一度、紺野さんは言葉を切ると、辺りを見回しました。そして、僕にこう質問をします。
「星君。三杉さんは、どなたですかね? 君になら、分かると思うのですが。一番、存在感が強い影がそれのはずです。ここには、この家の住人が全員、集まっているので、いるはずなんですよ」
僕はそれを聞いて、辺りを見回しました。すると、見覚えのない顔なのに、妙に強いインパクトを放っている人影が目に付きました。しかも“感じ”に覚えがある。僕を乗っ取っていた、あの人なのかも。
それで僕はその人影を指差すと、「あの人だと思います」と、そう言いました。紺野さんはそれを聞くと、こう言います。
「畳さん。あそこにいるのが、三杉さんでしょう? 殺さなくて良いのですか?」
畳さんはその質問にこう答えます。
「実体のない影なんて、いくら殺したところでどうにもならないわよ。苦しみも何もないんだから」
その返答に、納得したような表情を浮かべると、紺野さんはこう言いました。
「なるほど。それでなんとなく分かりましたよ。あなたが、男性の憑人を欲していた理由が…」




