1.盆地の中の家族未満
(子供・服部真一)
ぼくは少しばかり変な場所に住んでいる。まずは地形からして独特なのだけど、小高いドーナツ状の丘に囲まれたそれなりに広い盆地の中にあって、辿り着くにはトンネルを通らなくちゃならない。しかも、その盆地の中で建物があるのは、ぼくの家一軒だけ。更に、かなりの広さの家庭菜園と呼ぶには、規模が大き過ぎる農地を持っていて、食べ物だけなら自給自足の生活が送れるし、それを売って家計の足しにもしている(やっぱり、家庭菜園じゃないかもしれない)。だから外界から隔絶された別世界のような印象を受け、実際に、同じ地域に住む他の人達からは距離を置かれていて“隠れ里”という通称で呼ばれてもいる。ただ、距離を置かれているのは、地形の所為ばかりじゃないだろうとも思う。
ぼくの家は、普通の家庭ではない。何しろ、血の繋がりのない多くの人達が、一つ屋根の下に暮らしているのだから。しかも、それが不定形だったりもする。
家主は叶小枝さんという人なのだけど、この人がこの家に、行く当てのない人達を受け入れ始めたところから、この妙な家は出来上がっていったらしい。ぼくはそうして集まった人間達の内の一人だ。
盆地の土地が余っているということもあってか、小枝さんの家はとても大きい。そこに十一人という数の人間が暮らしているのに、時折、寂しく感じるほどだ。もっとも、一年中この家に住んでいるのは、ぼくと小枝さんと畳かえでさんという人くらいで、後は偶に帰って来て滞在するような感じだから、実際の人口密度はもっと少ないのだけど。
そして、この家には物騒な話もあるのだ。実は、行方不明者がしばしば出る。海や山に行ったきり、帰って来ない。
ただし、さっきも言った通り、その人達はこの家でずっと暮らしている訳じゃないから、ぼくらにしてみれば出て行ったきり帰って来ないというだけの話で、本当の行方不明と呼べるのかどうかは分からないのだけど(捜索届けが出されていないだけで、他にも帰って来ない人はいる)。
それでも、住民票では家の住所となっているから、消息が不明となれば、家に警察や何かが来て、多少は騒ぎになる事が今までに何回かあった。初めは驚いていたけど、何回も続くと次第に慣れて来て、ぼくはもうそれほど気にしなくなっている。
……とは言っても、心配している人もいるのだけど。
それはぼくと同じくらいの男の子で、名前は三杉達也という。彼に関しては、どうしていなくなったのか本当に見当も付かない。まだ中学生だから、勝手に遠出して帰って来ないなんて事も考え難い。何処にどう消えたのだろう?
心配して当然だと思うのだけど、何故か周囲の大人たちは騒がない。多分、土地との結びつきも少なくて、誰が親なのかも知らないような子共がいなくなったところで、関係ないと思っているのだろう。
「三杉君を見ませんでしたか?」
ある日、外で誰かの気配がしたので、三杉君が帰って来たのかと思って出てみると、そこには畔小太郎さんという男の人がいた。それで僕は、一応その畔さんにそう質問してみたのだ。ただ、質問してからちょっと後悔した。実はぼくはこの人がちょっと苦手だ。家主の小枝さんが、大抵の人は受け入れてしまうので、家の一員になれてはいるけど、何というか、柄が悪くてチンピラっぽいからだ。多分、畔さんもぼくを嫌っていると思う。いや、ぼくと言うか、この人はそもそも子共が嫌いなのだろう。
ぼくの言葉を聞くと、畔さんは髪の毛を手でかき回してから、「お前は、まだ、そんな事を言っているのか?」と、そう面倒臭そうに言った。
ぼくはその反応に竦む。
「でも、三杉君はずっと行方不明で…」
怯えつつそう返すと、畔さんは「行方不明も何もないだろうがよ」とそう吐き捨てるように言った。何故か、ぼくを指さしている。人を指さすのは失礼だと教わらなかったのだろうか?
……確かに、そもそも浮草のような生活をしている人がほとんどのこの家で、行方不明も何もないのかもしれないけど。
僕が何も言えずに畔さんをじっと見ていると、畔さんは「付き合いきれない」と言って、家の中に入ろうとした。すると、そのタイミングで中から小枝さんが出て来た。
「あら? 畔さん。帰って来たのですね。お帰りなさい」
そして、そう言う。小枝さんは、この家の人が来ると誰でも必ず“帰って来た”と、そう表現する。この家の方が仮住まいだと思えるような人に対しても全て。多分、小枝さんにとっては、全員家族なのだろう。
それから小枝さんはぼくを見て、ぼくの怯えたような様子に気付いたのか、こう言う。
「畔さん。子供を苛めるような真似はやめてください」
それを聞いて畔さんは不服そうに首を傾げつつ、こう返す。
「苛めてなんかいませんよ。この子が、また三杉達也が行方不明などと言うから、ちょっとうんざりしただけで…」
「あら? 自分の友人を心配するなんて、素晴らしいじゃありませんか。何もいけないことはありませんわ」
それに畔さんは軽く首を横に振った。
「いやいや、あなた達には付き合いきれませんよ……
ところで、お出かけですか?」
「ええ、ちょっと買い物に」
「なら、ちょっと中で待たせてもらおうかな… あなたがいなければ、話にならないものでね」
そこまで二人が会話したところで、家の中から声が聞こえた。
「叶さん。買い物に行くのなら、ついでに何かお菓子を買って来てくれませんか? 少し甘いものが欲しくなってしまって…」
畳さんの声だ。
「おっと、畳さんがいるのですか…」
その声に畔さんはそう言った。
「ええ。あの方も、大体はこの家にいますから…。どうします? 何か私に用なら、外で聞いてもいいですが」
それに小枝さんがそう言う。実は畳さんは畔さんの事を酷く嫌っているんだ。きっと、畔さんの態度が悪いからだろう。畔さんは一呼吸の間の後で、こう返した。
「いえ、俺が中に入っても問題はないでしょう。あの人は、俺を避けるでしょうからね」
小枝さんはそれを聞くと「そうですか…」と応えて、軽く一礼すると、そのまま自転車に乗って行ってしまった。
街とこの家はそれなりに離れているのだけど、この家にはオートバイも車もない。それで移動手段として自転車はとても重要なのだ。小枝さんが行ってしまうのを見ると、畔さんと一緒にはいたくないから、ぼくは少しだけサイクリングする事にした。
自転車置き場に、寂しそうに残ったぼくの自転車に乗る。漕ぎ出すと、風の中にいるみたいで気持ちが良い。
家は盆地の真ん中くらいにあって、お蔭でそれなりに陽は当たる。もっとも、夜が明けるのは遅くて、日が暮れるのは早いから、一日が短く感じはする。その一日を短くしている壁… 周囲を囲む丘まで進んで、それからグルッと盆地を回るのが、ぼくのいつものサイクリングコースだ。
道路は舗装されていないものがほとんどだから、サイクリングするのは少しだけ辛い。ただ、近くに点在する畑を見回るには、やはり自転車がないと不便だから、よく利用するのだけど。畑を見てみると、雑草が思ったよりも伸びていた。それで、初めはそんなつもりはなかったのだけど、ぼくは少しばかり草刈をする事にした。
自転車の籠には、軍手や鎌がいつも入っている。サイクリングの途中で、いつでも草刈ができるようにそうしているんだ。
我が家を支えているのは、実質的には小枝さん一人。持家でそんなにお金が必要じゃないとはいえ、余裕がそれほどある訳じゃない。作物を作っているのも小枝さんで、それは趣味というよりも、家計を少しでも楽にする為。ぼくはそんな小枝さんを少しでも助けたいと思って、草が伸びているのに気が付いたら、いつも、そうして草刈をするようにしているんだ。
ある程度、草刈が終わると、ぼくはまた自転車を漕いで池のあるところにまで行った。池は盆地の南に位置し、それなりの面積があって、その近くには畑もある。雨の少ない時、最も頼りになる畑だ。だから一番、金になる作物を植えている。
栄養が良いのか、ここで収穫できた作物は美味しいと評判でもあるらしい。
ぼくはこの場所が好きだ。
この場所にいて、池の奥の方をじっと見つめていると、なんだか自分の存在が濃くなったように思えるんだ。
もちろん、錯覚かもしれないけど。
それからしばらくしてから、家に戻った。家の中の気配を察するに、まだ畔さんはいるみたいだ。ぼくは誰かの気配に敏感なんだ。畔さんには会いたくないから、そっと家に入って、自分の部屋に向かった。本当は相部屋なのだけど、今の時期は誰も帰ってきていないから、実質、ぼくだけの部屋になっている。
横になっていると、突然に声が聞こえて来た。
「酷いじゃない、服部くん。あの人とわたしを、二人だけにしておくなんて。他の人も今はいないし」
畳さんだ。
畳さんは、時々、唐突に、こんな風にして現れる事がある。「ノックくらいして」といつも言っているのだけど、聞いてくれない。ただでさえプライバシーを保つのが難しいこの家で、この態度は本当に止めて欲しい。
「畳さんも、何処かに出かけていれば良かったじゃないですか」
ぼくがそう言うと、「嫌よ。だって、疲れるもの」と彼女は返して来た。畳さんは、少々、というか、かなり面倒臭がりなところがあるんだ。家事も農作業も滅多に手伝わない。もっとも、それに対して、小枝さんが文句を言うのを、ぼくは聞いた事がないけれど。
と言うよりも、小枝さんはこの家の人達に対して、文句をあまり言わないんだ。
「三杉君がいなくって」
ぼくがそう言うと、畳さんは「あの子のことを探していたの?」と、そう尋ねて来る。
「いえ、そういう訳でもないんですけど」
そうぼくが答えると、畳さんは「ありがとう。あの子のことを、心配してくれて」とそう言って来た。
実は三杉君は畳さんが連れて来た子なんだ。親子なのか、一緒にいただけなのかは分からないけど、少なくとも畳さんは三杉君に愛情を感じてはいるらしい。
ただ、それでも何故か、行方不明になっている件については、心配しているようには思えないのだけど。
「本当に、探していた訳じゃないんですよ。ちょっと回って来たついでに、草刈をしたくらいで」
「小枝さんを手伝おうと思って?」
「まぁ… あの人、一生懸命ですし」
小枝さん一人に、苦労はかけられない。
「あの人、なんでこの家の為に、あんなに尽くすんですかね? 一人で暮らした方が、気楽だろうし、仕事も楽なのに」
ぼくがそう言うと、畳さんは少しだけ寂しそうに笑いながら、こう返した。
「あの人、仕合せな家庭に憧れているのよ。だから、例えこんな家族未満な家族でも、大事にしたいのでしょうよ…」
実は畳さんと小枝さんは、それほど仲が良くはない。と言っても、嫌い合っている訳じゃなくて、どう接して良いのか、互いに分からないでいる感じだ。
ただ、それなのに、何故か互いをとても深く分かり合っているようにも感じる事が時々ある。
それがぼくにはとても不思議なのだけど。