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18.三杉さん…

 (憑人・星はじめ)

 

 三杉さん……

 と、そう話しかけられました。起きているのか寝ているのかよく分からない夢現の状態。身体が思うように動きません。金縛りのような感じです。なんだか意識の外から、声が響いて来るような気が。

 この声は… 畳さん?

 僕はそう思いました。どうにも、記憶が朧げです。どうして、僕はこんな状態に陥っているのでしょう? 視覚は不明確で、聴覚はまるで異世界の音を拾っているようです。

 畳さんの声は続けました。

 お久しぶりね。三杉さん…

 どうかしら? 池の底で独りきりは、寂しかった?

 ああ、そうね。あなたは、そんな概念が通じる相手ではなかったのだったかしら。まぁ、わたしにとってはどうでもいいことだけど。

 僕は思います。

 三杉さん…? 三杉達也君の事か? いや、そんなはずは…

 それから僕は、この状態に対する説明を求めようと口を動かしました。ところが、口はまったく違った動き方をしたのでした。

 「かえでか… お前は、まだ、こんな事をやっていたのか」

 誰?

 僕は直ぐには、その声が自分で発したものだとは気が付きませんでした。僕にはそんな事を言おうとした覚えはありませんでしたから。しかし確かに、その声は自分のもの… いえ、自分の身体が発したものだったのです。それでやがて、他の誰かが、僕の中に入っているのだと理解します。そしてその誰かが、そんな台詞を言ったのです。

 なに、これ?

 恐怖を感じなくちゃおかしいとは思ったのですが、何故か恐怖感を覚えません。恐らく、そういった類の感覚は、麻痺させられているのだろうと思います。ナノネットによって。畳さんの声が、可笑しそうに響きました。

 あら? 三杉さん… それは、変な質問をするものね。あなたが、その場所から動けないでいるように、わたしだって、あの日のあの場所から動けないのよ。

 だからわたしが、この場所に居続ける限り、わたしはこれを止めないわ。いえ、止められないの。

 “三杉さん”と畳さんから呼ばれているその人は、それに何も返しませんでした。畳さんの声は、それに面白くなさそうにこう言います。

 つまらないわ。“もう、許してくれ”くらい言ってくれると、思っていたのに。

 「どうせ、何を言ったって、お前はこれを止めないのだろう? 俺は無駄な事は、やりたくないんだよ。

 しかしお前は、赤の他人に、これだけ迷惑をかけて平気なのか? 今回の、この身体は誰のものなんだ?」

 アハハハ。ゴミみたいな、あなたがそんな事を言うの? 馬鹿みたい。誰が何処で苦しもうが、あなたは平気なくせに。

 畳さんの声には、深い憎しみがこもっているように思えました。ただ、同時に愛情を感じもする。それは、もしかしたら、この三杉という人の感情でもあるのかもしれません。

 黒い影。それが僕の前で、揺らめきます。女の人の影。きっとそれが畳さん。多分、ここは“叶小枝の家”の、あの部屋なのでしょう。

 僕はゆっくりと思い出します。

 僕はどうしたのだっけ?

 そうだ。

 しばらく部屋で休んでから、確か、ちょっと早い時間に僕は夕食に呼ばれたんだ。叶さんが、今日は早くに済ませたいからと言って……

 

 「ごめんなさいね。ちょっと、用事があって早くにしたかったのです」

 叶さんがそう言うので、僕は「いいえ、気にしないでください。僕は構いませんので」と、そう応えました。

 「“ちょっと用事が”ねぇ」

 そう言ったのは、畳さんです。畳さんは相変わらずに、夕食には手を付けていませんでした。そう言った畳さんを、叶さんは睨みます。畳さんは面白そうに、こう言いました。

 「小枝さん… もしかしたら、これから毎日、その“用事”があるのじゃないですか?」

 それを叶さんは無視しました。しかし、それでも畳さんは続けます。

 「でも、小枝さん。もしかしたら、もっと夕食を早くにしないと、どうしようもないかもしれませんよ? その用事が早まってしまったら、そうなるでしょう? そのうちに、この食事は、夕食ではなくなってしまうかもしれませんね」

 叶さんはやはりそれに何も返しません。そんな様子を、服部君は不安そうに見つめていました。

 「あの、二人とも、夕食時に喧嘩は…」

 それで僕は思わずそう言いました。それに、畳さんはこう返します。

 「あら? 星さん。わたし達は、喧嘩なんかしていませんよ? 小枝さんが、わたしの邪魔をしなければ、そもそもこんな皮肉を言う必要もないですし…… まぁ、邪魔したところで無駄かもしれませんが」

 そう言い終えると畳さんは、小さな声でこう続けました。

 それこそ、この家を壊す覚悟でもない限り……

 僕はその声を少し不気味に感じました。いえ、畳さんが口を動かさずに、そう言っているように思えたからなんですが。そして、そのタイミングでした。

 「やぁ、どうも、少し早く仕事が終わったので、今日はもう戻って来ましたよ」

 と、そう声が響いたのです。見ると、そこには五谷さんの姿がありました。それに、叶さんは驚愕の目を向けます。

 「一体、どうして?」

 五谷さんは笑って、こう返します。

 「ああ、夕食は済ませているので、気にしないでください」

 続いて、市村さんも顔を見せました。そして、なんと仙石さんまで。ドアを開ける音は少しも聞こえて来なかったのに。

 「凄い偶然もあるものですね。皆さん、早帰りですか」

 僕がそう言うと、何故か必死な形相になった叶さんは、僕を一瞥した後で畳さんを見ます。すると、その視線に応えるように畳さんはこう言いました。

 「少し周期を早めることくらい、わたしにならできるのですよ、小枝さん。何年、この家にいると思っているのです?」

 周期?

 僕はその唐突に出て来た単語を不可思議に思います。周期って何の事でしょう? その言葉に、叶さんは慌て始めました。そして、まだ夕食を食べ終えていないのに、

 「すいません、星さん。私、ちょっと外に用事があるものですから、出かけてきます」

 とそう言うと、席を立って急いで玄関の方に行ってしまいました。

 「小枝さん?」

 服部君が不思議そうに声を上げると、それから彼女の後を追います。僕もその後に続きました。絶対に、普通じゃない。今、一体、何が起きているのでしょう?

 追いかけると、叶さんは玄関で靴を履いている最中でした。背後から、畳さんの声が聞こえます。

 「小枝さん。今、逃げたって無駄なのじゃありませんか? もしこれで、逃げられたとして、毎日、こんな事をし続けるつもりでいるのですか?

 それよりも、小枝さんも諦めてわたしに協力してくださいよ。それに、あなたがいなくなったって、いざとなれば、ここには服部君もいるのですよ?」

 それを聞くと、叶さんは服部君の手を掴みました。そして、こう言います。

 「ごめんなさい、服部君。私と一緒に来て」

 畳さんはそれを笑う。

 「アハハ。服部君は、この盆地から出たら、どうなるのでしょうね? そういえば、一度も試してはいませんでした」

 叶さんはそう言う畳さんを睨むと、こう言いました。

 「一度、ここを離れて、何か策を考えます。あなたの思い通りにはさせません」

 畳さんはそれにこう返しました。

 「なるほど。確かに、外に出れば、何か策があるのかもしれませんね。そもそも、ここを作ったのはあなたですし。

 でも、もう外に出られなかったとしたら、どうでしょう?」

 叶さんは畳さんのその言葉を無視して、玄関のドアを開けました。すると、

 ――ゆらゆらとした影達。

 そこには、そんなものらがいたのです。

 形を持っているのに、何か掴み所がないような。前の方にいる人は、それなりに確りと見えるのですが、生気のようなものが感じられません。そして、後ろに進めば進むほど、明確性を失い、ただの影のような、或いは何かの残滓のようなものになっていく。

 いや、違う。

 そう思いかけて、僕はそれを否定しました。

 そこにはそもそも位置関係などなかったのです。曖昧なものが後ろの方にいるように感じられ、そして、確りと形を持ったものが、前にいると感じられているだけ。どちらが前でも、後でもないのでしょう。

 よく観ると、前の方にいる… つまり、明確に見える人影は、男性のものが多いようでした。そして、曖昧になればなる程、女性の数が多くなっていく。

 どうして、なのだろう?

 いえ、そもそも、この影達は一体、何なのでしょうか?

 叶さんは、その光景を呆然と眺めていました。

 「フフ。途中で分かれちゃったり、逆にくっついちゃったりしたのとかもいるから、凄い事になっているでしょう?」

 そこで畳さんの声が響きました。続けます。

 「わたしを舐めないでね、小枝さん。確かに、ここではあなたの影響力が一番強い。でも、皆を最も自由に操作できるのはわたしよ。わたしはずっと、こいつらと一緒にいて、常に対話し続けているのだもの。

 もっとも、あの、畔ってチンピラは、ちょっと厄介だけどね。肉体を持っているし」

 叶さんはそれを聞くと、振り返ります。

 「星さん。逃げてください!」

 そして、そう叫びました。それを聞いた瞬間に畳さんは言います。

 「もう、遅いわ」

 畳さんはいつの間にか、僕の前に来ていて、そして掌で僕の視界を塞ぎました。僕の視界はそれで暗くなり、何も見えなくなる。そしてそこから僕の意識は消えたのでした。

 

 ……ずっと、あなたに会いたかった。その為だけに、わたしはここに存在しているのよ。分かっているの? 三杉さん。

 畳さんの声が聞こえました。僕は“三杉さんではありません”と、そう言おうとしましたが、声が出ません。声にならない声が、喉からわずかに漏れるだけです。

 「あ… が、ぎ」

 畳さんは言います。

 あなたがそうして、苦しそうにしているのを見ると、嬉しくて堪らなくなるわ。わたしはね。心の底から、クズで最低なあなたを愛しているの。本当よ。だからお願い。もっと、もっと、苦しそうにしてみせて。

 「俺も… お前を…、愛しているよ」

 そう僕… いえ、三杉さんは言いました。その瞬間、僕を縛る何かの力が弱くなったように感じます。

 あら? そんな事を言ってくれるのね。嘘でも嬉しいわ。

 畳さんはそう答えます。恐らく、これは本当に喜んでいるのでしょう。畳さんは、次にこう言います。

 でも、わたしが聞きたい言葉は、そんなものじゃないの。わたしを罵ったり、許しを請うたり、自分を嘆いたり、そういう腐った泥のような言葉を、わたしに浴びせて欲しいの。そうしたら、わたしはあなを今よりもっともっともっと憎んで愛してあげる。そして、あなたの事を殺すのよ。

 きっと、とても楽しいと思うの。わたしが今望んでいるのは、それだけなのよ。あなたには分からないだろうけど。

 「それが本心だとは、思えないな。お前は本当は優しい女だ」

 あら? 今日のあなたは随分と優しいのね。ああ、そうか。宿主の影響も受けるのだったっけ。星さんが、とてもいい人なのね。残念だわ。そんないい人を、殺さなくちゃならないなんて……

 殺す?

 僕はそれを聞いて慌てました。

 殺すってどういう事だ?

 その時、ドアの向こうから声が聞こえて来ました。

 「畳さん! 止めてください! 星さんに何をするつもりなんですか?」

 服部君の声です。

 あら? あの子もけっこう、やるものね…

 それに畳さんはそう言います。余裕の表情でしたが、次の瞬間に変わりました。

 「あ、れ…」

 そう言って、凝固する。その途端に、僕の身体が自由に動くようになりました。金縛りが解けたようです。

 「星さん。ぼくが今、畳さんを邪魔しています。ですから、今の内に逃げてください」

 しかし、それから直ぐに、また僕の身体は動かなくなりました。畳さんは言います。

 これは予想外だわ… 自分の事も分かっていないような坊やが、こんな事までできるだなんて… でも、油断しなければ平気。

 それを受けて僕は思います。

 まずいかもしれない。せめて、もう少しだけでも動ければ…

 そうです。ポケットの中には、アンチ・ナノネットカプセルが入っているのです。それを飲めさえすれば、この窮地から一気に脱することができるはずなのです。

 そこで僕は思い付いて、こう言いました。口くらいなら、上手く動かせるようになっていたのです。

 「かえで、心の底から愛している。これからは、お前を大事にする!」

 え?

 畳さんは虚を突かれたようでした。

 もちろん、さっき身体が軽くなった時の事を思い出して、僕はそう言ったのです。あの時、畳さんは、愛の言葉で僕への呪縛を弱めたのでしょう。だから、僕もそう言ってみたのです。すると予想通り、僕の身体は軽くなったのでした。そのチャンスに、僕はポケットに手を入れると、アンチ・ナノネットカプセルを掴み、急いでそれを口の中に放り込みました。

 すると、目まぐるしく様々な方向に、僕の眼球… いえ、視界が震えます。そして、景色の色が変わりました。朧げな視界が、明確になる。まだ、こわばってはいますが、身体が自由に動くようになっています。

 アンチ・ナノネットカプセルの効果で、ナノネットと僕の身体の接続が切れたのだと思います。身体の自由が効けば、貧弱な体型をしている畳さんに負ける事はないはずです。

 「何をやったの?」

 と、そう彼女は呟きました。僕はゆっくりとこう言います。

 「一体、どうして、こんな事をしたのですか? 畳さん」

 そこに病的に痩せ細った畳かえでさんの姿を想像して。しかし、影が消え、露わになったその女性は畳さんではなかったのでした。

 「叶さん… どうして、あなたが?」

 そうです。

 そこで、そうして怪訝な顔をして僕を見ているその女性は、叶小枝さんだったのです。

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