6 歩道の罠
久里中神社。
自宅から近いだけにお馴染みの場所ではあるけれども、小さな神社だ。
鳥居をくぐれば狭い境内と小さな祠。祠の裏には小児用に申し訳程度の遊具が設置されている。この夏休み、小学生がラジオ体操のために集まる場所でもあるらしい。
小さいとは言え田舎だ。民家が途切れてから神社の入口となる鳥居まで、そこそこ歩かなければならない。
ここには桜の木々がずらりと植樹されており、春にはそれなりの人出で賑わう歩道だ。しかし、夏は蝉の鳴き声がやかましく、用がなければ歩きたいとも思わない。
先頭に立ち、黒ずくめの格好をしているくせに涼しい顔で歩く退魔師とは対照的に、僕とてっちゃんは何度となく顔を見合わせていた。
たかが石っころとは言っても、空き地に落ちているものを拾うのとは意味が違うのだ。
「あのさ、退魔師」
「なんだ。今さら石を拝借するのを中止して他の方法を検討、とか言うつもりなら却下だぞ。妹は勘違いしたまま儀式を始めてしまった。止めるには神通力か呪力のこもった道具が要る。すぐ手に入り、そのまま使えるものと言ったら、神社の石しかないんだ」
いやまあ、却下されるとは思ったけど。そうじゃなくて。
「退魔師、てっちゃんと初対面だよね。なのに、よくわかったね」
「ああ、妹が莉々花さんから相談を受けたのは三日前だ。俺も見舞いに行っているから、生き霊の顔を見た瞬間すぐわかったぜ。“宿主”ってことがな」
なるほど。そのてっちゃんと僕が会話してるのを見たから、僕に声をかけてきたってわけか。
「で、“死体蘇生術”との和訳を持つネクロマンシーのことを教えたのは俺だ」
僕は立ち止まり、半目で退魔師を睨み付けた。
「退魔師。さんざん妹さんの不始末って言ってきたけど——」
(元はと言えば君に原因があるんじゃないかっ!)
退魔師も立ち止まると振り返り、例の三白眼で睨み付けてきた。
こ、怖くなんかないんだぞっ。
「“蘇生術”と名の付く呪術はないかと聞かれただけだぞ、俺は……。いや」
それだけ言って嘆息した退魔師は、踵を返して再び歩き出す。僕はあわててついていった。
「言い訳だ、すまん。だが今は誰が原因とか言ってる場合じゃねえ。石を持って一刻も早く病院に戻らないと」
暫く無言で歩く。随分鳥居が近くなってきたところで、僕はあることに気付いた。
「ねえ、退魔師」
「今度は何だ」
もしかしたら無視されるかもと思ったが、退魔師は面倒臭そうながらも聞き返してきた。
「この神社ってさ、水子供養・安産祈願の神様だよね」
魔を祓う効果なんて期待できるんだろうか。
「だからこそいいんだよ。水子を供養する神様による魔除けは純粋で強力だ。今回に限っては、商売の神様や学問の神様ではほとんど霊験が期待できない」
言われてみればそうだけど、もっとこう、武運や勝利の神様とか。そうか、この土地にはないな、そういう神社。
それにしても妙に遠いな。この歩道、ここまで長くないはずなのに。もう、一キロくらい歩いた気がする。
——あれ? さほど木陰がないはずなのに急に薄暗くなったぞ。よくわからないけど、曇ったのとは違う気がする。それに、心なしか肌寒くなった気もする。
次の一歩を踏み出そうとして、
「——ひゃわっ!?」
なにこれ眩暈? いや全然違う。
景色が流れる。下から上へ。思わず見上げて——愕然とした。
歩道が遠ざかってるし!
逆さ吊りだ。僕、逆さ吊りにされてる!
「あり得ない……」
(亜美!)
こちらに飛んでこようとしていたてっちゃんを、
「待て、生き霊」
退魔師が掴んで地面に引き戻しているのが見える。……退魔師って、生き霊を掴めるのか。
(見ぃつけたぞぉ)
間近で聞こえた声に、背筋がぞくぞくした。
唾を飲み込み、自分の足首の方を見上げると、ロープに縛られた僕の両足首が見える。
そしてそこに、そいつがいた。
「………………。小人さん?」
木の枝に身体の半分を隠し、こちらを見下ろしてくるリスくらいの大きさの人間。多少鼻が高いが丸顔の髭面で、妖精と呼ぶにはおっさん臭い容姿。僕の知識の範囲で言えば、童話に登場する小人だ。
なんか、拍子抜けしたぞ。
「おどかすなよもう。いたずらはやめて、僕を下ろしてよ」
「気をつけろ成田。西洋のお化けどもは、身体が小さくても獰猛な奴が多い」
退魔師の呼びかけを聞き流していると、小人さんの顔つきが変わってきた。
両目が赤く光り、顔面が二倍に膨らむ。口が耳まで裂け、鋭い牙を剥きだして——。
(だぁれが下ろすものかぁ)
「ひゃおー!」
ふざけているのではない。
僕の悲鳴って、きっとこれがデフォルトなんだ。我ながら可愛くない……などと頭の片隅で現実逃避気味に嘆いていた。
(そこの生き霊。我がマスターがお前の身体を有効に使ってやろうというのだ。邪魔立てせずに、今後は幽霊ライフを楽しむことだ)
なにこいつ。てっちゃんの身体を乗っ取ろうとしている悪魔の手下なのか。
(暴れるな小娘。抵抗するならこの俺がお前を食ってやるっ)
枝から身を乗り出した小人が、涎をしたたらせつつ僕の脚に迫ってきた。
牙を突き立てるつもりだ!
「ぎえー!」
次の瞬間、目の前を一陣の風が通りすぎた。
光が弾け、火の粉のような粒子が周囲に満ちる。
(おのれ人間ごときに……ぎゃああ)
唐突に、僕の足首を拘束していたロープが緩む。
「えっ、あっ、うわああ」
訪れた浮遊感にパニックを起こす。
——落ちる!
きつく目を閉じた。




