5 神社の石
真夏の昼下がりは炎熱地獄だ。いつまでも屋外になんていられない。
僕らは喫茶店に移動し、退魔師の話を聞いていた。病院前での説明は端的すぎたので、その補足説明を、という流れになったのだ。
「ネクロマンシー?」
聞き慣れない単語だ。魔法だの呪術だのといったものに疎い僕は耳から入ってきた音をオウム返しに発音した。
(えっ、でもそれって……)
てっちゃんは僕とは違うみたいだ。何か心当たりがあるのか、難しい顔を退魔師に向けている。
ちなみにここは四人がけの席。僕の正面に退魔師、横にてっちゃん。勢いでアイスコーヒーを三つ頼んでしまった僕は、ウェイトレスさんに妙な顔をされるまで自分の失敗に気付かなかった。ポーカーフェイスの退魔師に悪意を感じつつも注文を取り消さず、三つのうち二つのグラスを目の前に並べてある。
「そうだ。ネクロマンシーというのは死体を生き返らす呪術。しかし決して本人の魂が蘇るのではなく、主に低級霊を宿らせることにより死んだ肉体を動かすものだ」
「死んだ肉体?」
てっちゃんは重体だが、死んだわけじゃないし魂も健在だ。でも、生き霊が健在という表現はなんとも不思議な感じがする。
(亜美、いま俺にとって全然楽しくないこと考えているだろう)
てっちゃんは大きいはずの目を線のように細くして苦笑している。と、向かい側から咳払いが聞こえてきたので視線を戻した。
「そういえばちゃんと聞いてなかったが、成田」
なんだよ、と答えようとしたが舌がうまく回らない。眉間に皺こそ寄せていないが、退魔師の目が据わっている。これがいわゆる三白眼というやつだろうか、視線の迫力が尋常じゃない。
「お前、その生き霊と——」
(そろそろ生き霊はやめてもらえないかな。俺、縞岡哲司なんだけど)
「生き霊とどういう関係だ」
(まる無視っ!?)
苦笑しつつもてっちゃんを宥め、目だけを退魔師に向けて答えた。
「まあ、あれだよ。幼馴染みってやつ」
「ふうん」
何故そんなことを聞くんだろう。コーヒーで口を湿らせ、問い返そうかと思った矢先、退魔師が先に言葉を続けた。
「恋人じゃないのか」
危うくコーヒーを噴きそうになった僕に対して、退魔師は幾分視線を和らげるとさらに告げる。
「もし成田が生き霊のこと、ちょっとした義理か何かで助けたいだけなんだったら、ここで手を引いてもらおうかと思っていたんだが」
(ねえ退魔師くん。それってこの先、俺が自分の身体に戻るには危険が伴うってこと?)
てっちゃんも大人げない。絶対に鯛間とは呼ばないつもりだな。僕もだけど。
あれ? 今危険が伴うとか言わなかったか?
「そういうことだ。妹のしでかした不始末だから、俺は最後まで付き合う。ただし、成否の約束はできねえぞ」
そうか、危険なのか。でも、もし危険なんだとしても。
「僕は絶対、てっちゃんを元通りにしてみせる!」
(……亜美。ありがとう)
うわ。なに瞳をうるませてるのさ、てっちゃん。生き霊のくせに。
「お礼はまだ早いよ。それに半分以上はりりちゃんのためなんだぞ」
「頰を赤らめて言う台詞か、成田。まあ、お前らが仲がいいことはよくわかった。そこで本題だが」
くそ。いい性格してやがるな、退魔師。
「妹の詩恵利と縞岡莉々花はクラスメートでな。事故後意識不明に陥った兄を目覚めさせる方法はないものかと、藁にもすがる思いで莉々花さんが詩恵利を頼ってきたらしいんだ」
「へえ、妹さんも退魔師?」
退魔師はこめかみを掴むと疲れたような声を漏らした。
「あのなあ、成田。確かに紛らわしい名前だけどよ、別に魔を祓う力を持ってるわけじゃねえ。成田と同じで、たまたま普通の人に見えない物が見えるだけ」
あ、そうなんだ。
「物心ついた頃からの話だし、呪術について興味を持って調べてきたことは確かだけどな」
退魔師のグラス、空になっている。僕はと言えば、まだ一つ目のグラスに半分以上中身が残っている。無言で、飲んでいない方のグラスを退魔師に差し出した。
「お、サンキュ。しかし、西洋の呪術についてはまだまだ知識が浅い。ネクロマンシーは“死体蘇生術”との和訳もあってな、妹はそれで誤解しているのかもしれん」
(じゃ、妹さんは俺の身体に低級霊を入れようとしてるのか)
てっちゃんは変に興奮したりせず、静かにそう聞いた。きっと、『ネクロマンシー』の単語を聞いた時点である程度予想していたのだろう。だが、退魔師は首を横に振った。
「わからん。病院にすごい数の“普通じゃない人たち”が集まってきてただろう。あれは多分、妹が何らかの儀式を始めた証拠だと思う。そしてそれは、低級霊を呼び出す程度の単純な儀式だとは思えない」
退魔師はコーヒーを一口飲み、続けた。
「低級霊ならいい。生きている肉体、魂の健在な肉体には入れないからな。だがもし——」
退魔師は例の三白眼で睨み付けるような視線をこちらに向けてきた。やめてくれ、本気で怖いぞ。
「もし、妹が呼び出そうとしているのがそれなりの力を持つ悪魔だったら」
続く言葉を聞くのが恐ろしい。思わず、てっちゃんと顔を見合わせた。
「そいつは無理にでもあんたの身体を乗っ取るだろう」
退魔師の視線は今、てっちゃんに突き刺さっている。
「そうなりゃあんたは本物の幽霊だ」
(いや、無理にでもって言うけど、生きてる肉体にネクロマンシーだなんて)
「力のある悪魔なら可能なんだよ。ただし、俺の妹とあんたの妹のどちらか、または両方が生け贄になるかもしれない」
てっちゃんはテーブルを叩こうとしたらしい。しかしその手は空しく宙をかき、その身体はあっさりと喫茶店の天井付近まで飛び上がった。
(止めなきゃ! 今すぐ!)
「言ったろ、俺には魔を祓う力がない。それに、儀式はもう始まっていたんだ」
どうやら退魔師は、妹が儀式を始めたことを察知し、病院へ止めに来ていたらしい。
「成田も感じただろう、尻込みするほどの妖気を。すでに病室を中心に、魔的な自衛手段が展開されているはずだ」
ふわふわと席に戻ってきたてっちゃんが情けない声を出す。
(じゃ、どうすりゃいいんだよ)
いったん目を閉じた退魔師は、さほど間を開けずにゆっくり目を開いて言った。
「俺自身に力が無くても、アイテムを用意すればいい。なに、それほど特別なものじゃない。ちょっと失敬して拝借し、後で元の場所に返す必要があるけどな」
失敬して拝借って……有り体に言って盗むってことじゃないのか? てっちゃんと顔を見合わせると、向こうも僕と同じような困惑の表情を浮かべていた。
「そのアイテムは、神社の石だ」