2 僕は歌う
昼食を摂った後、僕はなんとなくギターの弦を弾いている。僕が中二の時、お父さんが気まぐれで買い与えてくれたのだ。初めのうちは練習した。しかし中三になってもFコードの壁をクリアすることができなかった。高一の今、ギターは部屋の飾りと化している。
いまさら、練習の再開をしたかったわけではない。ただ何となく腕に抱え、何となく音を出してみたかっただけ。だから、ギターを弾くというよりも単に弦を弾いているだけという感じ。
夕べの幽霊さんといい、今朝のてっちゃんといい、僕はちょっと疲れているんだろう。毎日昼まで寝ているので寝不足のわけがない。いや待てよ、もしかしたら寝すぎなのか。だからってこの暑いのに出かけるのは億劫だ。そこで今日は昼寝の替わりに楽器でも、と思ったのだ。
放置して以来ろくに手入れせず、弦も張り替えていないのだが、どうせ本格的な演奏をするわけではない。いや、できるはずもない。適当にチューニングの真似事をし、適当にかき鳴らしている。
うん。放置していた割にはいい音だ……って、あれ? 意外とちゃんとした曲になってないか、これ。
初心者未満の僕がギターを演奏。なぜか、弦を見なくても指が勝手に動く。あり得ない、でも楽しい。不思議な現象だけれども、考えるのは後回しだ。
だってこの曲、聴いていたい。弾いているのは僕なんだけれど、誰かに指を操られている――そんな感覚だ。決して不快じゃない。だから僕は観客でいられた。
(歌ってくれないか亜美)
てっちゃん。
ああ、夢なのかこれ。しっかりと起きているつもりだったけど、結局のところ昼寝しているんだろうな、僕。
本当にそうなのか? いや、違う。
指先に伝わる弦の感触も、鼓膜を震わすメロディも、どうしようもなく本物じゃないか。
(君の声で……、君の言葉で)
ああそうか。これ、てっちゃんの作った曲なのか。
すとんと胸に落ちる感覚があった。てっちゃんは僕を怖がらせたいわけじゃない。きっと何か言いたいことがあるんだ。
(夕べ、君の後をついてきて……。ごめんな、これってストーカーだよね。表札を見てもしかしたらと思ったんだ。一階でおばさんの顔見てびっくりしたよ。おかげで亜美だ、って確信できた)
幽霊でもびっくりするんだね。
(すっかり女の子になってて、見違えたよ)
幽霊になってまでお世辞かよ。
(厳密に言えば俺まだ幽霊じゃないんだ。それよりも)
歌、か。いいよ、歌う。どうせ暇なんだし。
――開いた扉の向こう 私の髪をなでるそよ風
木漏れ日を背に受けて 少年が私に呼びかける
少年の頰は赤く染まり まっすぐな言葉を紡ぎ出す
私の頰も赤く染まり まっすぐな言葉を受け止める
忘れかけた少女の夢 心の奥で色褪せる――
こんな言葉が僕の中から出てくるなんて意外だ。てっちゃんのイメージなのかな。
(間違いなく亜美の言葉だよ。それにしても良い声だし、うまいぞ。……そのまま続けて、僕も歌うから)
うまいとか微妙に上から目線だな。幽霊くんのお手並み拝見。
——今になってどうして
どうして扉を叩くの
もうあきらめて帰ってよ
てっちゃんも良い声。悔しいけど、嫉妬するほどうまい。言うだけのことはある。
でも、妙にデリケートな内容じゃないか?
——待っているのにどうして
どうして静かになっちゃうの
もう一度 扉叩いてよ
(いいぞ、亜美。おかげで曲が完成しそうだ)
「ふう」
僕はギターを置いた。操られていた指が止まったのだ。
(お疲れ様)
僕の部屋にはてっちゃんの姿。大きかった目は少しだけ細くなっているが、やや運動音痴で気弱に笑う男の子——幼馴染みのてっちゃんの面影が随所に残っている。僕の部屋に当然のように居座っているが、たった今まで一緒に歌っていたんだ。もう驚かない。
「幽霊に労ってもらうなんて新鮮だよ」
(いや厳密にはまだ幽霊じゃないし)
「……と言うと?」
(曲を伝えたい相手がいるんだ)
まずは噛み合わない言葉を発してから、てっちゃんは話し始めた。