1 幼馴染み
「待ってよ亜美! お前、脚速すぎ」
また僕のことを下の名前呼び捨てで……って、ここどこだ?
「お兄ちゃんが遅すぎるのっ。莉々花だって亜美ちゃんの横にぴったりくっついてるよっ」
間近から聞こえたのは幼い女の子の声。僕のいっこ下で、小学一年生の――。
「りりちゃん?」
真横を見ると、僕とほぼ同じ高さに大きな瞳。僕は、くるくるとよく動くりりちゃんの目が大好きだ。
「どうしたの亜美ちゃん。お兄ちゃんのこと、待ってあげるの?」
優しいね、と言って目を細めるりりちゃんの仕草が微笑ましい。美人のお母さんの真似をしているんだ。ああ、こんな風にしたら僕でも可愛く見えるのかな。恥ずかしい気持ちの方が強くてとても試してみる気にはなれないけど。
周囲を見ると、見渡す限りの田畑が広がっている。降り注ぐ陽光を遮るものもなく、蝉の声がやかましく響き渡る。典型的な田舎の風景だ。
息を切らせ、走ってきた男の子が足を止めた。いっこ上のてっちゃんだ。
物心ついてから二度目の引越し。前回同様、僕は近所の男の子と遊んでいる。その中の一人、てっちゃんには妹がいて、僕にしては珍しく同性の友達ができた。
僕は年下の友達ににっこりと笑いかけ、てっちゃんの方へ振り向いた。口元はそのまま、睨むように目を眇めて言い放つ。
「遅いぞてっちゃん。そんなんじゃお化けに追いかけられても逃げらんないぞ」
ようやく息を整えたてっちゃんは笑ってみせた。妹ほどではないけどてっちゃんの目も大きい。その目が面白いほど泳いでいて、せっかくの強がりが台無しだ。
「は、は、は。何言ってるのさ亜美お化けなんているわけ」
「お兄ちゃん情けなーい。足ふるえてるよー」
りりちゃんから容赦のない言葉をかけられ、てっちゃんはがっくりと肩を落とした。
お化け、か。あれ? 僕、何かに追いかけられていたんじゃなかったっけ。
蝉の声がうるさくなった。雲が流れたのか、日差しがさらに強くなった。僕は手で目をかばい、空を見上げる。
「まぶしいなぁ、もうっ」
あ。ベッドの上だ。うっかり簾を上げたまま寝ちゃったせいで、朝日が僕の部屋に差し込んでいる。
夢か、なつかしいな。
あの後中学に入学するまでの間、毎年のように引越しした。どの引越しの出会いも別れも大事な思い出だけど、なんで今あの頃の夢なんか。
「りりちゃんとてっちゃんか。元気かな。また会いたいな」
(もう会ってるよ、久しぶり)
「ん?」
誰? ちょっと待てここ僕んち、二階の部屋で、え、え、えええええ!?
(縞岡哲司です、久しぶりだね亜美)
夕べの幽霊野郎――。
とりあえず目をぎゅっと閉じ、掛け布団がわりのタオルケットを振り回す。
息を吸い込んだ。そして。
僕はありったけの声量で悪霊退治の呪文を唱えた。
「えっちへんたいあくりょうたいさん、きえろどすけべ!」
「どうしたの亜美っ!」
お母さんの声。階段を駆け上がる音に続けて、ノックもなしにドアを開ける音がした。
(また来るよ亜美)
「は?」
目を開けると、幽霊野郎の姿が薄くなっている。完全に消える直前、そいつと僕の目が合った。大きめの瞳が戸惑うように泳いで――。
「まさか……」
夢で見たあの目と、僕の脳内でぴたりと重なった。
「どうしたのよ亜美」
お母さんに肩を掴まれ、僕は照れ笑いをした。
「ごめーん、思いっきり寝ぼけた」
「……この子はもうっ。起きたんなら朝ごはん食べなさい。夏休みに入ってからいっつも朝昼兼用なんだから」
僕の頭をくしゃくしゃと撫でると、お母さんは部屋を出て行った。
「はーい」
言っても信じてもらえない。努めて明るく返事をした。
しかし。
幽霊野郎、確かに名乗った。縞岡哲司って。本当にてっちゃんなのか。
……なあ、てっちゃん。本当に死んじゃったのか?