11 五人の絆
僕の声にてっちゃんの声が重なった。
ギターの輝きが増し、病室の闇が駆逐されていく。
正面からも光を感じたので目を開く。
退魔師だ。目を開いている。彼の手元が光っているのだ。そう、あれは短冊。
「きみたち、人質のことを忘れていませんか? 大事な大事な妹さんなんでしょう?」
言い募る悪魔の声からはこれまでのような余裕が消え失せている。
「仕方ないですね。少々時間がかかりますが、こうなったら根比べです。無理矢理にでも身体をいただきますよ」
周囲の闇よりも濃い漆黒の影が蠢いた。
輪郭ははっきりしないけれど明らかに異形とわかる影は、てっちゃんの首の後ろにへばりつくように取り付き、さらに体内へと潜り込もうとしている。このままではてっちゃんと悪魔、完全に同化しちゃう!
りりちゃん、詩恵利さん。
——あっ。
二人の目が開いた!
「歌、聴こえてたよ。……亜美ちゃん!」
悪魔の手を振り払って離れた彼女たちは背後を振り向くと、僕らの演奏に加わって唱和し始めた。
歌い始めてから、りりちゃんは僕と目を合わせて微笑み、詩恵利さんは目だけを向けて軽く頷く仕草をしてくれた。
「よし、歌はお前等に任す! 生き霊、仕上げだ。例の方法を解禁するぞ」
え、待って待って!
それって霊体の体当たりだよね。てっちゃんの存在が薄くなるんじゃなかったっけ!?
歌いながら疑問を浮かべた僕の心の声が聞こえでもしたのか、退魔師は問わず語りに考えを述べる。
「無理矢理居座る悪魔から、こちらも強引に肉体を奪い返そうってんだ。多少の無理は覚悟しないとな。
気持ちを強く持っていれば大丈夫さ、生き霊。今のお前なら」
——今の俺たちなら。
僕には、そう聞こえた。
唱和する僕らの声をはね除けようとでもするかのように、悪魔はてっちゃんの肉体を前傾させた。異形の影は、もうその大部分がてちゃんの身体の中に埋もれているような格好だ。
「あきらめませんよ私は。こうなったら強制的に契約です」
「はああっ!」
悪魔が両目を赤く光らせるのと、退魔師が気合いの声を張り上げるのが同時だった。
三枚の短冊が風に運ばれる木の葉のように舞い上がる。
悪魔は「うお」と苦しげな呻きを漏らし、動きを止めた。短冊の効果なのだろうか。
「覚悟はいいか、生き霊!」
(いつでもいいよ!)
退魔師の手がてっちゃんの霊体の首根っこを掴んでいる。
その手が思い切り突き出された。
てっちゃんの霊体が勢い良く飛んでいく。
前傾姿勢の肉体に頭突きをする格好で、頭から。
——いっけえ、てっちゃん!
シャラン、と鈴を鳴らすような音が響いた。
光の粒子が部屋中に乱舞する。
この眩しさ、いつかの小鬼の時とは比べ物にならない。
真昼と化した部屋の中、手で目を覆うてっちゃんの肉体。
確かに眩しい、だけど温かい光だ。
部屋の中、目を覆っているのはてっちゃんの肉体だけ——つまり悪魔にだけダメージがあるってことか。
強烈だった輝きが少しずつ弱まっていくものの、照明なしで部屋の隅々まで見渡せる明るさだ。
季節外れのダイヤモンド・ダスト。
幻想的な輝きに照らされ、異形の影がてっちゃんの背から後ろへと何かに引っ張られるように離れて行く。
「しつこいよ。自分の居場所に帰りやがれ!」
てっちゃんの声が、本来の肉体から聞こえた。霊体のてっちゃんはもう部屋のどこにもいない。
輝きが失せた後も、部屋の隅々まで見渡せる。病室に渦巻いていた不自然な闇は完全に駆逐されたのだろう。
「詩恵利! 奴を——悪魔の奴を追い払うぞ!」
退魔師の声に無言で頷き、詩恵利さんが眦を上げた。彼女はてっちゃんの背後を睨み付けて両手を合わせる。
退魔師兄妹の声が唱和し、どこの言葉かわからない——そもそも言葉かどうかさえわからない音を紡ぎ出す。日本のお経とも西洋の呪文ともつかぬ不思議な響きだ。
二人とも陰陽師のよう。
いや、これはまさしく——そう、まさしく本物の退魔師だ。
僕らは歌と演奏を止め、成り行きを見守った。
「いいいいぃぃぃやあぁあぁだあああぁぁぁ!」
へ? いやだ?
なにこのちょっと幼い男の子っぽい声。
「オイラ黙って人間界に出てきたんだよぉ」
はい? ひょっとしてこれ、てっちゃんの中に居座ってた悪魔の声?
一人称が変わってますけど。僕にはタメ語、他の人には丁寧語だった口調が完全に幼児退行してますけど。
「帰ったらかーちゃんに怒鳴られるうぅ!」
アンタナニイッテンノ。
異形の影に見えたのは、神社の手前で見た小鬼と変わらない大きさの生き物。山羊のような白い角と蝙蝠のような黒い翼を持っているけれど、それを除けば声に見合った幼い男の子だ。
「怒鳴ってもらえるうちが花だ、とっとと帰れっ!」
最早てっちゃんの肉体から十センチほど離れていた悪魔の脳天に、当のてっちゃんが掌を真っ直ぐに伸ばしてチョップを落とす。
「痛い。暴力反対っ」
もう、なんでもいいや。
僕はギターで子守歌を演奏し、悪魔のために歌ってやることにした。
金色だったギターが虹色に輝き、僕が思い描いた以上に温かい音色が流れ出す。
「あっ、や、やめてよぉ。そんな曲を歌われちゃったら、オイラもう帰るしかなくなるじゃないかあぁ」
悪魔の姿が薄れてきた。
全然そんなつもりはなかったんだけど、こういう曲が悪魔を追い払うのに効果的だなんて今初めて知った。
「悪さしてごめんよぉ。でもあんたたち気に入ったからまた来るよぉ、ハーレムあきらめてないからねえぇ」
語尾に近付くほど声と姿が薄れて行き、やがて悪魔は部屋から消え失せてしまった。
もう二度と来んな。
元通りの姿を取り戻した病室。元の肉体に戻ったてっちゃん。
「亜美、ありがとう! 元に戻れたよっ!」
両手を広げるてっちゃんに駆け寄り——脇をすり抜けた。
「ありゃ?」
背中から、てっちゃんの情けない声と肩を叩かれる音が聞こえて来た。うん、男同士で友情を育んでくれ。
僕はりりちゃんの名を呼び、抱き合って喜びを分かち合った。
「しっかり届いたよ、亜美ちゃんのメッセージ」
あれ。また視界が霞むよ。今日の僕は涙腺が甘いな。
りりちゃんはハンカチを取り出すと、優しく僕の目元に当ててくれた。
「お兄ちゃんの歌、完成させてくれたのね。ありがとう」
僕はりりちゃんとの抱擁を解き、体の向きを変えた。
退魔師の妹さんとも固く握手。
「詩恵利さん、ありがとう」
「いいえ、今回の騒ぎは私に責任があります」
「そうだぞ詩恵利、しっかり反省しろ」
退魔師の言葉に、詩恵利さんの目がすっと細くなった。
「へえ、兄上。いつになく強気だね」
妹さんの声はとても静かなものだったのに、これを聞いた退魔師は仰け反り、一歩引いて「な、なんだよ」とどもりながら声を絞り出した。
「あたしの相談の仕方に問題がなかったとは言わないわよ。でも、だからってよく調べもせずにネクロマンシー降霊術を使えばうまくいくとか宣ったのはどこの誰?」
次の瞬間、全員の視線が退魔師に突き刺さる。
「す……」
一気に顔色が青ざめた退魔師、顔中に大量の汗が噴き出した。
「……いませんっした!」
スライディング土下座、後退バージョン。四人の氷の視線から遠ざかるようにスライドしながらの見事な土下座。
「たしかに莉々花はかわいいけど、この娘そちらのソフトな印象のお兄さんにべったりなのよ。兄上とは全然タイプが違うでしょ。そもそも全然釣り合わないし、その前にあたしが渡さないし」
「わかったもういい黙れ馬鹿妹俺はもちろん本物の退魔師じゃないがその方面の知識で役に立ちたいと思っただけだ他意はないぞましてや恋心など」
あ、退魔師語るに落ちた。それよりも詩恵利さん、『あたしが渡さない』って……。そういやさっき僕とりりちゃんが抱き合ってた時ちょっとだけ視線が痛……いや、僕もスルースキルを鍛えることにしよう。
「お帰り、お兄ちゃん」
「ただいま、莉々花」
手を取り合うてっちゃんとりりちゃんに、僕も手を重ねた。
そうそう、これだよこれ。りりちゃんのこの顔見たさにがんばったんだもん。
そこに割り込む無粋な声。
「あっおい!」
なんだよもー、退魔師の奴……って、あれ?
ふやけた顔のてっちゃんの頭上に、霊体が浮き上がっている。
あー、てっちゃんに呼びかけたのか。
退魔師は霊体の首根っこを掴むと、肉体へと押し戻した。
「なんかお前、幽体離脱しやすい体質になってるみたいだぞ。感激したときとか抜けやすいみたいだから気をつけろよ」
「ありがと退魔師。……ってきみ年下——」
「さあ万事解決だ! 時間も時間だし、みんなでうまいもん食うか。おっと生き霊はまだ入院してなきゃだから四人で」
「薄情な! ってかもう肉体に戻ったんだから生き霊言うな」
「成田、莉々花さん、詩恵利。何食べたい? 俺に出せる範囲ならおごるぞ」
退魔師、相変わらずのスルースキル。
退魔師も詩恵利さんも、タイプは違うけどいい人たちだ。
なんかまたこみ上げてきた。鼻がツンとするよ。
四つの歓声と一つの怒声が混じる病室に、夏の夕日が射し込んでいる。
こうして、ひと夏の小さな物語は幕を閉じた。
その後のことはよく覚えていないけど、僕は泣きながら場の四人に対してひとりずつ抱きついて回ったらしい。
あれから夏が来る度に、この日の出来事を持ち出されては四人にからかわれている。
完




