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9 孤立無援

 明らかに様子がおかしい。首筋に息がかかるほど顔を寄せてきたりりちゃんは、両手で僕の左腕を抱え込んだまま虚ろな目をしている。

「りりちゃん、僕だよ! 僕、亜美だよ」

 返事がない。

「しっかりして。てっちゃんの体を取り戻さなきゃ」

 繰り返し呼びかけてみたが何の反応も得られなかった。てっちゃんの体を狙う悪魔に操られているのだろうか。

 このままではせっかくポケットに忍ばせておいた神社の石を取り出すことさえできない。手に持たなくても何らかの効果——たとえば、何者かに操られているらしい二人の少女が正気に戻るような——を発揮してくれることを期待してみたが、どうやらそう上手くはいかないらしい。

「無駄を承知であがく少女の図だね。うん、実に美しい。私の好みだ」

 右側からツーサイドアップの少女が話しかけてきた。彼女は左脇で僕の右腕を抱え込み、空いた手をこちらに伸ばしてきた。

 反射的に顔を背けようとしたが、それは許されなかった。

 顎を掴まれ、軽く上向かされてしまったのだ。

「ほほう。君もかなりレベルの高い美少女だね。合格だ、私のハーレムに加えてあげるよ」

 ハーレム? そう言ったのか、今。

「この身体の持ち主——退魔師くんの妹ちゃんはなかなか優秀でね。私の目的に気付いた途端、全力で抵抗してきたのさ。実際、あと少しで魔界に追い返されるところだったよ。いやあ、焦った焦った。三下とは言え私も悪魔の端くれ、人間に後れを取ったとあっては……」

 魔界むこうで笑いものになってただろうね、と彼女——詩恵利さんの声で楽しげに言う。

「詩恵利さんに取り憑いたのか。その身体から出て行け。魔界とやらに帰れっ」

 その飄々とした様子に恐怖心が薄らいだわけではないが、僕は黙っていられなかった。でも悔しいことに、せっかく搾り出した声がみっともなく震えてしまう。

「まあまあ、そんなにつれなくしなさんな。私は別に人間の命を奪いに来たわけじゃないよ。さっきも言ったけど、人間界こっちでハーレムを作りたいだけさ」

「……あっ」

 僕の首筋を、詩恵利さんのしなやかな指が這う。

 やだ、何をするつもりなんだ。

「退魔師くんの妹ちゃん、半端な知識の割にはそこそこ準備してきたみたいでね。この身体にも、そっちの生き霊くんの妹ちゃんにも取り憑くことができないんだ。今のところ、操り人形のように動かしているだけなのさ。まあ私はどちらかというと男の身体を手に入れたいから妹ちゃんたちに取り憑けないのは構わないんだがね」

 喋りながらも彼女の指は止まらない。僕の肩を経由し、ゆっくりと鎖骨をなぞる。思わず身を捩るが、触れるか触れないかの微妙な距離を保ったまま同じペースでなぞられ続ける。

「くっ」

 僕は目を閉じた。

「ふふ。若い頃の私は同性愛に興味がなくてね。せいぜい、変わった人間がいるものだとしか思っていなかったよ。しかし、君たちくらい見た目が華やかだと、百合とやらもいいもんだ。絡むところを眺めるだけでも楽しいものだな」

 僕だって同性愛になんか興味ない。でも、僕の口から漏れるのは声ではなく吐息だ。鎖骨をなぞる指がだんだん下がってきた。もうやめて。それ以上は——。

「こっちを見るんだ」

 正面から男の声。てっちゃんだ!

 目を開けると、いつの間にかベッドが出現している。そしてその上にはいるのは間違いなくてっちゃんだ。……あれ、でもこの違和感は何?

「人間の影響かな。魔界むこうでも一部の悪魔の間で同性愛が流行り始めているんだが、今なら少しだけわかる気がするよ」

 僕は何を期待したんだろう。こいつはてっちゃんなんかじゃない、悪魔だ。

 ごそごそと音がする。彼がベッドを降りてこちらへ近づいてくる。

 顔の中心には大きな目。見慣れたはずのその瞳が、別人の冷たさを湛えて濁っている。僕を真っ直ぐに見据えると、赤い光を放った。

「————っ」

 呑み込んだ息が意志に反して音を立てる。押し殺した悲鳴のようで我ながら情けない。さっきから僕ときたら、ろくに抵抗もできないまま怖がってばかりじゃないか。

「ほら、こんな風にね。三人くらいまでなら同時に動かせるんだよ、私は」

 話し続けながら、すぐ目の前に立ちはだかる。

「ふふ。美少女が三人も。お陰で幸先の良いスタートを切れそうだよ。……ああ、早くこの身体の持ち主と入れ替わりたいなあ。君に直接手を触れたいよ」

 そういうと、てっちゃんはこちらへ手を伸ばしてきた。

「そして君たちをはべらせてみんなで楽しむんだ。脆い肉体の快楽って奴を、ね」

「ちょ、ちょっと——」

 焦る僕の両腕を、少女たちがいよいよがっちりと固定した。今や詩恵利さんも両手で抱え込んでいる。

 赤い瞳はどこを見ているのかいまいち判らない。やけに低い位置を見ているようだ。僕の胸? いや、もっと下だ。

 それが証拠に、てっちゃんの手も下へと伸びていく。やめろ、何考えてるんだ。

「だめ、だめだよっ」

 両側の少女ごと後じさろうとしたが、びくともしない。膝をきつく閉じた。

 てっちゃんの手は、ショートパンツへ。

「やっ」

 ポケットの中へ。そして、肩から提げていたポーチの中へも。少しごそごそさせた後、僕から手を離した。開いた掌の上には神社の石。僕にもよく見えるよう、胸の高さに掲げながら言う。

「退魔師くんの妹ちゃんだけでも手こずらされたんだ。こんなアイテムを用意されていては、そう簡単に生き霊くんの身体を手に入れることができないからねえ」

 くそ、気付かれていた。やはり、神社の石は悪魔には直接さわることができないようだ。人間の身体を操ることでアイテムを排除しようってわけか。

「おいおい、そんな露骨に悔しがるなよ。私が欲しいのはハーレム。君たちをいかに気持ちよくさせるかについては日々研究するつもりだ。それに、一つ所に拘束しておこうとも思わないよ。何せ」

 言わなくてもわかる。『私は悪魔だから、君たちは逃げられない』とでも言いたいのだろう。

「これで安心して、君たちとにゃんにゃんできるってわけだ」

 万事休す。

(てっちゃん。退魔師。助けて)

「ああ、あの二人の少年を気にしてるんだね」

 心を読まれた!?

「そんなに驚かないでくれよ。これでも私、悪魔なんだからね」

 手を横に広げ、気障ったらしくポーズをつけて言う。てっちゃんの身体でそれをしてもちょっと滑稽なんですけど。

「大丈夫、退魔師くんにはこれまで通りの生活を保証しよう。私に関する記憶は削らせてもらうがね。生き霊くんには、そうだな。ちょっと便利な幽霊ライフを提供するよ」

「ゆ、幽霊ライフって。勝手なことを言うなっ」

 反射的に抗議したが、涼しい顔だ。当然か、悪魔に人情なんてあるわけない。

「あ、ちょっと傷つくぞそれ。そもそも人間が嫌いなら人間界になんか来ないって」

「だったらてっちゃんの身体を奪うなよ。殺すのと同じことじゃないかっ」

「いやいや、全然違う。少なくとも彼の残りの寿命と同じくらいの期間、成仏せずに済むように取り計らうよ。そのうえで下位の悪魔と同等の力を使えるようにも、ね。下位とは言えそこらの幽霊や妖怪が相手なら無敵だ……と思うぞ」

 おい、その曖昧な語尾は何だ。

「何事も考え方次第さ。人間として生きていくには辛いことが多い。それが人間界ってもんだ。それと比べたら、誰のルールにも縛られない幽霊としての生き方にはたくさんの魅力があるものさ。彼にはきっと気に入って貰えると思うな」

 ふざけるな。

「勝手なこと言うな! あんただって悪魔として生まれたんなら、魔界にいればいいじゃないか。てっちゃんは人間として生まれたんだ。ここで、人間界で僕と一緒に生きていくんだぞ。それを勝手に乗っ取るだなんてふざけるな! てっちゃんだけじゃない、僕もりりちゃんも許さないぞっ」

「威勢がいいねえ。そういう頑固で一途な女の子も大好きなんだな、私は」

 まるで、聞き分けのない子供を辛抱強く諭す大人のような態度で、余裕を見せつつ苦笑してみせる。てっちゃんの姿でそれをされると、何故だか無性に腹が立つ。

「まあまあ落ち着いて」

 てっちゃん——悪魔の目がすっと細くなった。

 不覚にも気圧されて口を噤んだ僕に対し、再び目の大きさを戻して優しげに微笑んできた。

「退魔師くんと生き霊くんは、今ちょっと別室でおもてなししているから」

「な——」

 嫌なイメージしか頭に浮かばない。

「いやだなあ。私は手荒なことはしないって」

 じゃあ何をしているんだ、一体。

「夢を見てもらっているよ。片や将来の退魔師として、片や幽霊王として。それぞれ地位と名声を得る夢とかね。もうひとつ、異性から信じられないくらいもてる夢とかもね。良い気分のまま目覚めたところで私のことは忘れていただき、普段通りの生活に戻っていただくのさ」

 だから、彼らは僕のことも忘れ、もう思い出さないと言うのか。

 僕はもう、孤立しているのか。

 ねえ、退魔師。

 僕らは、何のためにここに来たんだよ。

 ——てっちゃん!


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