プロローグ
あり得ないあり得ないあり得ない。
暗い夜道をひとりで帰るなんてあり得ない。
普段はリア充さん達に対して何の恨みも妬みもない。
でも今夜は別だ。
なんで僕ひとり胆試しみたいな真似して家に帰らなきゃならないんだ。僕だって女子高校生なんだぞ。
そりゃさ。見た目で勝負できるような外見してないよ。たとえ演技でも女の子言葉なんて遣えないし、歳の近い男の子に甘えてみせるなんて技能も持ち合わせていない。
でもせめて、タクシー代の有無を気遣ってくれてもいいじゃないか。そしてできれば貸してくれ。
おっと、何言ってるんだ僕は。これはただの八つ当たり。本気でそんなこと思っているわけじゃない。
ひとしきり愚痴を言っていたら怖さが半減した。ここからなら家まで徒歩三十分。ひたすら黙々と歩くだけだ。外灯の少ない田舎道、途中には何というかその……墓地もあるけど。
ついさっきまで、僕は女友達のカオリと連れ立って地元の夏祭りで遊んでいた。彼氏のいるカオリがなぜ僕を誘うのか不思議だったけど、聞けば冷戦中だと言う。カオリには悪いけど、特定の男友達がいない僕には願ってもないお誘いだった。何せ、今は夏休み。カオリ以外の友達は、ほとんど男の子と遊んでいるんだ。
ところが、縁日で偶然にもその彼氏さんと出会った。いや、ここは田舎。出かける場所も少ないから偶然とは言えないかもしれない。むしろ彼氏さん、早めに来てカオリのことを待っていたのかも。田舎じゃ数少ない夏のイベント、彼氏さんにしてみれば疎遠になったカオリと再び親密になるためには絶好のチャンスなわけだし。……あとから考えれば、だけど。
さて、彼氏さんと鉢合わせしたカオリはと言えば、最初は無視を決め込んでいた。それでもめげない彼氏さんの明るさと、祭りの開放的な雰囲気の中であっという間に笑顔に。冷戦とはいっても所詮は田舎の高校生カップルってことかな。偏見かもしれないけど。
「突然割り込んでごめんね亜美」
ちょっと待て。僕、君に下の名前で呼び捨てされるほど親しくないつもりなんだが。……と思ったけど、せっかく仲直りしたんだ。カオリのためにもここはスルーしておこう。
「三人で祭りを楽しもうよ」
ユニセックスな顔立ちの今時の男子。そして爽やかに社交辞令を言える彼氏だった。良さそうな男の子じゃん、よかったねカオリ。しっかりつかまえておきなよ。
しかし三人グループでの行動は無理。たとえ彼女らが良くても僕が気を遣う。笑顔で手を振って現地で別れ——今に至る。
――にゃあ。
思い起こせば物心ついたころから男の子とばかり遊んでいた。引越しが多かったせいで、幼馴染と呼べる存在はいないけど、引越し先での友達も大抵男の子ばかりだった。
多分そのせいだと思う、僕が女の子言葉を遣えないのは。
こんな僕でも中学に上がり不慣れなスカートを穿くようになってからは、友達の男女比率が逆転した。小学生時代の反動からか、やけに女の子女の子した友達が多くなった。カオリもそんな女子の一人で、セミロングの髪をいつも綺麗に手入れしている。
彼女らの影響で、僕も少しは女の子に近づけたんじゃないかな。少しだけそう思う。どうしても直らない言葉遣いと、どうしても卒業できない休日の格好——髪はショートでボトムは専らショートパンツという、遠目にはまるで小学生男子のような——だけは別として。そして、今に至る。
――にゃあ。
もう! この先は墓地なんだぞ。必死で気を紛らわしているときに鳴くなっての、野良猫め。怖いんだよっ。
うあ、いた。黒猫だ。よりによって黒猫だよ。街灯の光をスポットライト代わりにホラー番組のストーリーテラーよろしくどっしりと腰を落ち着けちゃってまあ、嫌らしいほどの貫禄だよ全く。少ない光量の中で目が金色に光ってる。それだけで十分に怖いんですけど。……あっ、目が合った。
え。合ってない? なんとなく黒猫の視線、僕の後ろに向かっているような気がする。何かが、いる……。
やだやだ、心臓が早鐘を打ち始めた。勘弁してよホントに。
(あの)
ひゃん!
違う、気のせい。背中に氷の塊を流し込まれたみたいな感覚は僕の恐怖心が生み出した妄想だってば。
(ええと。こんばんは、お嬢さん)
ああもう、早く帰らなきゃ。
(私の声、聞こえていらっしゃるような気がするんですが)
何も聞こえない誰もいないいるわけない。
(怪しい者じゃありません。二分、いえ、一分だけでいいんです。お話を)
ちっ。
(今、舌打ちしましたよね。あっ、耳を塞がないでくださいよ)
振り向いちゃいけない振り向いちゃいけない。
その言葉を呪文に、僕は歩幅を広げて早歩きをした。
そうだよ、何かいるって思うから幻聴が聞こえたりするんだ迷惑な黒猫め。お前のせいだぞあっちいけ。
(うにゃぁ)
「猫の鳴き真似かよっ!」
(やっと答えてくれましたね)
…………。
なんだこいつ。いつの間に正面に回りこんだんだ。
げっ、合っちゃった。目が、合っちゃったよ。
息苦しいほど心臓が騒いでいるのに頭の片隅が不自然なほど醒めていた。逃げようにも膝が笑ってて、とても走れそうにない。嫌々ながら正面の存在を観察する。男だ、若い。僕より少しだけ年上か。ルックスは平均以上だ、と思う。
(よかった。あなたには私のことが見えるようですね。今までどなたにも気付いてもらえなくて)
うわ、青白い顔して笑うなよ本気で不気味だから。
(傷つくなあ……)
は? 僕しゃべってないぞ? ホントになんなんだよこの男は。なんで闇の中ではっきり見えるんだ。身体全体が薄ぼんやり光ってる。違う違う違う、それさえもどうでもよくて。
向こうが……、向こうが透けて見えてるじゃないかっ!
い。
(い?)
「いいいいいいぃやあああああぁーっ!!!」
絶対幻聴、絶対幻覚、目を覚ましたらすべて解決っ。幽霊とかいるわけないし信じないもん!
大声を出したら両足がしゃんとした。
前傾、ダッシュ!
そのまま全速力で夜道を走り抜けた。
でも、残念ながら夢なんかじゃなかったんだ。
それがこの僕、成田亜美とそいつとの出会い。
ひと夏の物語。世界にとっては儚い泡のような、小さな小さな物語――そのとき、幕が開いたのだ。