【第九章:嵐の前の静けさ(一)】
マッド・ゴブリンに車椅子を押され、惨劇の現場へと戻ったビッグボーイは、輸送機の下に押し潰された残骸を眺め、口を尖らせて力なく溜息を吐いた。
ふと、彼の視線が鉄筋と崩れた天井の隙間に止まった。そこから半分だけ突き出た機械の爪が、空を掻くように動いている。まるで二人に助けを求めて手を振っているかのようだった。
ビッグボーイはそれが工廠用の「スクベンジャー(清掃機)」であることを見抜き、顎でそれを示してゴブリンに命じた。
「ゴブリン、あれを回収してくれ」
ゴブリンは無造作に歩み寄ると、上に乗っていた鋼板を乱暴に跳ね除け、履帯ごと爪アームを引きずり出した。
地面に置かれたスクベンジャーは、ギシギシと音を立てて履帯を回し始める。自由を得た途端、本能に従うように現場の片付けを再開しようとする機械。
「こいつは今日のラッキーボーイだな。少し微調整する。使える物だけを回収するように設定を書き換えてくれ」
「おいおい、訂正してくれ。俺の造ったもんに不良品はねえよ」
ゴブリンは得意げに鼻先を指で擦りながら、スクベンジャーを大男の前へと運んだ。
大男は軽く笑い、スクベンジャーをひっくり返して外殻のハッチを開いた。露出したクリスタル・パネルには、低層命令の文字列が電光掲示板のように流れ続けている。
大男はパネル下のキーに指を置き、新たなコードを打ち込みながら、何気ない口調で切り出した。
「ゴブリン、以前あんたが言っていた提案についてだが……少し話をしたい」
「あん? ……急にどうしちまったんだ?」
残骸の片付けを手伝っていたゴブリンが手を止め、意外そうに目を丸くした。
「さあな。考えってのは、いつも『最悪のタイミング』と『最悪の場所』で芽生えるもんだ」
大男がスクベンジャーの命令を「完品回収」へと上書きしてハッチを閉じると、機械の爪は自律的に動き出した。
大男の口から出た含みのある言葉に、ゴブリンは横目で彼を盗み見、からかうような調子で言った。
「珍しいな。まさか、あんたを『兄貴』と呼びながら、姉だか妹だか言い張ってるあのエルフの小娘の影響か?」
大男は車椅子を動かし、中の綿とスプリングが飛び出したボロボロのソファの前で静かに止まった。
ふと、令嬢が連れ去られた時の光景が、ウイルスの如く強引に脳内を駆け巡る。一瞬、思考がフリーズする――あの、地面に這いつくばり、指一本動かせなかった深い無力感。
大男はソファの上に残っていた衣類をひっ掴むと、困惑を隠しきれない声で返した。
「……まあ、そんなところだ。システムのバイナリの中に、突如として『2』が紛れ込んだようなもんだよ」
「そいつは深刻なシステムエラーだな」
ゴブリンは周囲を見渡し、近くにあった手押し車に歩み寄りながら続けた。
「ああ――設計図を捨ててなくて正解だったぜ。じゃなきゃ、あんたの『両脚』をまた一から考え直さなきゃならねえところだった」
衣類の埃を払い、膝の上に載せた大男は、倒れたクローゼットへと車椅子を向けた。
「後半の部分は正解だ。設計変更について、あんたの意見を聞きたい」
その言葉に、ゴブリンの目が一変した。彼は手押し車を引いて大男の傍らに詰め寄ると、鋭い、しかし興奮を隠しきれない眼差しで大男を凝視した。
「面白くなってきやがった……化学反応をお望みってわけか」
二人は手際よく、まだ使える衣類を手押し車へと放り込んでいく。
大男は口角をわずかに上げ、何気なく答えた。
「フルーツミックス味だ。……驚きがあるほうがいいだろ?」
そう言って、大男は眉を寄せ、ゆっくりと車椅子を回転させた。そこには、石像のように黙って後ろについてきていたドワーフのパイロットがいた。
彼女は呆然とした表情で、頭の上に大きな疑問符を浮かべている。大男とゴブリンの「専門的」な会話のチャンネルに、まったくついていけていないようだった。
「……何か質問でもあるのか?」
大男に不意を突かれ、ドワーフは慌てて気まずそうに答えた。
「え……いや。その……何かボクに手伝えることはないかなって……」
「よしなよ!」ゴブリンが即座に割り込み、手を振った。「この工場をこれ以上いじめるのは勘弁してくれ。もう十分ボロボロなんだ。これ以上、灰にされるのは御免だね」
その言葉を裏付けるように、天井の窓からひしゃげた鋼板が落下し、静まり返った廃墟に「ガラン!」と虚しく響き渡った。
「う……ボクだって、そこまで酷くないつもりなんだけど……」
落下物の余韻に包まれ、ドワーフは羞恥心と気まずさで愛想笑いを浮かべた。
「……少なくとも、少しは役に立てると思うんだ」
「今のところは二人で十分だ」
大男は何かに気づいたように、親指で背後の輸送機を指した。
「それから、この輸送機は『借金のカタ』として預からせてもらう。完済するまで、使用権は俺にある」
ドワーフのパイロットは目を見開き、不満げに叫んだ。
「ええ――っ!? そんなのあんまりだよ!」
予想通りの反応に、大男は目を細め、淡々と問いかけた。
「……自首して、軍に輸送機を回収されたいのか?」
ドワーフは全身を震わせ、即座に口を閉じて激しく首を振った。
彼女の抗議が止まったのを見届け、大男は満足げに頷いて言葉を継いだ。
「軍のほうは俺が上手くやってやる。連絡先を置いて、今日は帰って休め」
ドワーフは視線を泳がせ、人差し指同士を不安げにツンツンと合わせながら、声を絞り出した。
「ええと……知ってると思うけど、ボクは軍から逃げ出してきた身だし……シュシュ(輸送機)以外、行く場所なんてないんだ……」
次から次へと舞い込む面倒事に、大男は鼻から長く息を吐いた。二、三度口を動かした後、名案を思いついたようにゴブリンを見た。
「ゴブリン、あんたの家に空き部屋があったよな?」
「あぁ!? 俺……ええ――っ、はぁ……分かったよ……」
意図を察したゴブリンは肩を落とし、力なく答えた。
「ボスの命令に、逆らえるわけねえだろ?」
次の瞬間、ゴブリンの目が据わり、恐ろしいまでの殺気を放ちながらドワーフの耳元に顔を寄せた。彼は顔に笑みを貼り付けたまま、低い声で警告した。
「いいか、ルーキー。俺の家のモンには……指・一・本・触・る・な。分かったな?」
ドワーフは顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震えながら必死に頷いた。
「……は、はい……了解です……」




