表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

【プロローグ:冷戦の世界】

「名刀を、こんなふうに明々と人目に晒しておけばな。いずれ誰かが研究し、錆びた箇所に気づく日が来る……」




「……老友ともよ。俺はお前の匕首あいくちだ。お前が剣を向けたその先で、ただ機を伺う……」

 世界はかつて、**『深淵侵攻アビス・インベイジョン』**と呼ばれる悪夢を経験した。その災厄は種族間の生存様式を一変させ、長い悪夢が去った後、世界の種族たちはようやく正しい軌道へと戻りつつあった。


 過去は戻らない。世界の枠組みは悪夢によって再編された。今や西大陸の『連合議会』と東大陸の『連合帝国』――二つの巨大覇権が世界を冷戦へと導き、文明はその覇権のもとで旺盛な発展を続けていた。


 人の流れが四方へ散り、喧騒が渦巻く空港ロビー。 連合帝国から来た一人の帝国エルフが、税關ぜいかんで検査を受けていた。獣人の検査官は、差し出された越境技術認可証と越境身分証を受け取ると、ざっと照合し、承認スタンプを押して次の旅客へと進めた。


 帝国エルフは認可証と身分証を受け取り、無造作にショルダーバッグへしまう。バッグの中には用途の異なる複数の身分証と、それぞれに対応する認可証が詰め込まれていた。


 空港を出ると、橙色の空が灰青色のとばりに覆われ始め、天頂の二つの月がその姿を鮮明に現していた。 彼は流しの車を拾った。


 獣人の運転手が降りてきて、荷物をトランクに積み込む。後部座席に乗り込んだ帝国エルフは、コートの内ポケットから一枚の紙を取り出し、それを運転手に差し出した。 運転手は紙を一瞥すると頷き、記された住所へ向けて車を走らせた。


 夜の帳が降り、街路やビルの灯火が色づき始める。車が車寄せのあるホテルに滑り込むと、帝国エルフは車を降り、荷物を受け取ってロビーへと向かった。 彼はバッグから「別の身分証」を取り出し、精霊のフロント係と軽口を交わす。気を取られたフロント係は、書類をざっと確認しただけで、ルームキーと証書を彼に手渡した。


 指定された客室に入ると、彼はトランクをベッドの上に広げた。 中から一つの箱を取り出し、慎重に開く。そこには金属フレームで固定された菱形の水晶があり、底部からは箱の端にあるプレス装置へとパイプが伸びていた。彼は装置に親指を添え、魔力を流し込む。


 水晶が淡い光を放ち、その稜角から一人の「斑紋はんもんハイエナ」のホログラムが投影された。 投影の下には、こう記されている。 ――【極めて危険:帝国機密情報の窃盗、および抹消対象】


 帝国エルフは冷ややかな瞳でハイエナを見つめ、トランクから部品を取り出して手際よく組み立て始めた。やがて一丁の拳銃が形を成す。彼は革袋から拍動する炎の水晶を取り出し、銃のスロットへと装填した。


 夜明けの微かな光が部屋の暗がりを払い、窓硝子はもはや鏡のように室内を映すことはなくなった。 目覚めた帝国エルフは、首を鳴らして身支度を整えると、ホテルの外へ出た。


 近くの飲料店に入り、飲み物を注文して新聞を広げる。 一見して優雅な休息に見えるが、彼の視線は対角線上の建物を捉えて離さない。標的であるハイエナが現れた瞬間、彼は懐中時計を取り出し、時刻を記録した。


 数日の執拗な観察。 しかし、映し出されるハイエナの「だらしのない日常」に、帝国エルフは標的の選定ミスを疑い始めていた。


 その日の夜。 彼は熱線銃サーマル・ピストルを手にハイエナの住居へと向かった。熟練した動作で壁を登り、窓から室内へと潜入する。足音を殺して寝室へ辿り着くと、そこには毛布を盛り上げたベッドがあった。


 迷うことなく、彼は二発の弾丸を撃ち込んだ。


「ギ……アガガ……ア……ピピッ……」


 毛布の中から聞こえてきたのは、異様な機械音だった。帝国エルフが即座に毛布を剥ぎ取ると、そこにあったのはフリーズした安っぽいハイエナ型のロボットだった。 反応する間もなく、ロボットのハッチが弾け飛び、中から風船が急膨張した。


 破裂。 風船から散布された異臭が部屋中に広がり、帝国エルフの意識が激しく揺らぐ。 罠だと悟った彼は、口元を抑えながらよろめく足取りで部屋を脱出しようとするが、背後から冷徹な一撃が襲った。 床に倒れ伏す帝国エルフの視界に、防毒マスクを装着したハイエナの姿が映り――直後、意識は深い闇に呑み込まれた。


 薄暗くも、不自然に豪華で高慢な部屋。 壁の隅に剥がれた紙の裏側には、無骨な木板が見え隠れしている。四方を「高級家具」や「豪華な装飾品」が印刷された安っぽい紙で覆い、強引に「富裕層の邸宅」を演出した偽りの空間。 暖炉で燃えているのは、穴の開いたドラム缶だ。


 中央には、廃材を研磨して貼り付けた「ベルサイユ風の宝座」が鎮座していた。 そこに座るハイエナは、老けメイクを施し、病的なまでの青白さで厳かな威厳を漂わせている。白のスーツを纏っているが、背面から見ればそれはただの「スーツ風の前掛け」に過ぎない。 左手の指には「ダイヤモンドの指輪」がはめられているが、それはゴミ捨て場から拾ってきたような粗悪なガラス細工で、金色のメッキは無惨に剥がれ落ちていた。


 帝国エルフは椅子に縛り付けられ、意識を取り戻した。 最初に目に飛び込んできたのは、その悪趣味な部屋と、目の前に座るハイエナ、そして傍らで跪く「小分こぶん」らしき安物ロボットAだった。


 ロボットAは、くちばし状の機構を動かして「ドン!」という鈍い音を立てながら、主人のガラス指輪に口づけを落とす――マフィアの忠誠儀式である「リング・キス」を滑稽に演じていた。


 老けメイクのハイエナは、ゆっくりと手を上げてロボットの儀式を止めると、重々しく、年長者の風格を装った声で語り始めた。


「……裏社会で生きてきた長い年月、わしはあらゆる暗殺、裏切り、陥計を経験してきた。この風雪ふうせつに耐え、すべてを見てきたつもりだったが……」


 ハイエナは目を細めて短く息を吐き、悲壮感を漂わせて続ける。 「わが一族は、わしの手で日ごとに強大になっていった。だが……まさか一族の中に、『裏切りベコッジャイ』がいたとはな……」


 帝国エルフは呆然としていた。混乱する彼の視界に、傍らの机に置かれた豪華な写真立てが入る。 そこには、自分そっくりのエルフがハイエナの隣で微笑んでいる合成写真が飾られていた。彼は意味が分からず、ただ眼前の茶番に圧倒される。 自分の顔が勝手に合成されているなど、知る由もない。


 戸惑う彼を置き去りに、控えていた安物ロボットBが突如として踏み出し、容赦なく帝国エルフの腹部に拳を叩き込んだ! 不器用ながら重い一撃に、帝国エルフは苦悶の声を上げ、脳内はパニックに陥る。


(何だ……? 私は標的を暗殺しに来たはずだ。なぜマフィアの尋問を受けている? あの写真に写っている自分に似た男は誰だ!?)


「言え……。わしがお前に冷遇したとでも言うのか? なぜ一族を裏切った! 警察にどこまで情報を流したのだ? 警察と手を組んで、わしの命を獲りにきたのか!」


 ハイエナは震える声で叱咤すると、ポケットから取り出した数枚の合成写真をテーブルに叩きつけた。それらはすべて、帝国エルフが「警察」と密会しているかのような盗撮写真だった。


 帝国エルフは息を呑み、必死に首を振る。 「何を言ってるんだ!? さっぱり分からん……! その写真の男は俺じゃない! 誤解だ!」


 ハイエナは深く溜息をつき、瞳にわざとらしい失望を浮かべた。 「……まだ認めんか。わが組織が注いだ『教育』も無駄だったようだな。裏切り者には――相応の代価を払ってもらわねばならん」


「違う! 俺は帝国の任務で来たんだ! 組織の人間じゃない! 人違いだ!」


 帝国エルフが叫ぶ中、ハイエナは胸を震わせるように大仰に息を吸い、ゆっくりと首を振った。 「わが子よ……。わしは、お前の口から真実が聞きたかった……。お前の告白があれば、許すこともできたのだ。だが……もういい。奴を消せ」


 ロボットBが凶器を構える。死を覚悟した帝国エルフは、なりふり構わず叫んだ。 「待て! 違うんだ! 俺はお前の身内じゃない! 本当に人違いだ! 俺は帝國の特務だ! 暗殺任務のために派遣されたんだ! 嘘じゃない、書類鞄を見ろ! すべての資料がそこにある! 頼む、人違いなんだ!!」


 エルフが情報を吐き出したその瞬間。 この「安っぽい劇場」の暗がりから、車椅子の青年と、ハンドルを握る正装の至高精靈ハイエルフが姿を現した。背後に控える数名の職員たちは、必死に笑いを堪えながら、茫然自失の帝国エルフに手錠をかけ、静かに連れ去っていった。


 昼と夜が瞬く間に入れ替わり、突貫工事で建てられた舞台は作業員たちの手によって手際よく解体された。現場は、元のトタン板に囲まれた寂れた工場へと戻っていく。


 騒動から数週間後。 公園の木々の下、カジュアルな装いの至高精霊が押す車椅子の上で、青年が尋ねた。「……それで、どうなった? あの茶番で口を割った特務、結構いい情報を出しただろ?」


「あの昼ドラ以下の安っぽい小芝居でね……」 至高精霊――議長は数週間前の光景を思い出し、口元を引きつらせて続けた。 「連合帝国の連中が、あんなに簡単に引っかかるとは思わなかったわ」


「奴らが一番焦る『誘因』を放り投げて、マッド・ハイエナを標的に仕立て上げただけさ」 車椅子の青年――『ビッグボーイ』は、風に揺れる梢と緑の葉を見つめ、頬を撫でる微風を楽しんでいた。


 議長は耳元にかかった髪を整えながら言った。 「現在、彼には政治的亡命を認める方向で進めているわ。帝国のエルフからは確かに有益な情報が得られた。……ただ、気になるのは、帝国が条約に違反して巨大な『航天器こうてんき』を秘密裏に建造しているという点ね」


 青年は片眉を上げ、振り返って尋ねた。 「……それで? 議長。俺たちに『叩き壊せ』って命令を出すか?」


 精霊議長はしばらく思案した後、答えた。 「……まだいいわ、ビッグボーイ。まずは他の議長たちを動かして、彼らと『対話』させてみる……」


 議長がビッグボーイの車椅子を押し、悠然と工場へと戻っていく。 だが、その様子を路肩に停まった一台の黒塗りのセダンが監視していることに、二人はまだ気づいていなかった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ