十、
美智瑠は連日続いたアニメショップの夜勤帯を終え、自宅の最寄り駅から近くのコンビニへ何気なしに寄った。そこの新作スイーツ売場で購入した、生クリームたっぷりタルトを暗い夜道を歩きながら大口を開けて頬張る。手と唇周辺に生クリームがくっ付きベタついた。そんな惨事となっても、この新作スイーツは最高だ。甘いものを食べることはストレス解消に最適だし、何よりも美味しすぎて手軽に幸せを感じることもできる。
美智瑠はビニール包装を手の中で丸めて、最寄り駅から徒歩五分と言う好立地にある自宅前でふと立ち止まった。夜空に溶け込んでゆくように明かりの灯っていない一軒家は、まるで聳え立つ城のように威圧感がある。明かりがないと言うことは、恐らく両親は各々の部屋で眠りに就いているのだろう。
帰宅するのには絶好の機会であるにも関わらず、美智瑠はこの家に帰ることに抵抗がある。家の外観を見るだけで怖気立つ。父親と言う鬼畜の住処をじっと凝視する。何の憂慮も苦痛もなかった平穏だった、あの日常が恋しい。どうして、こんなふうになってしまったのか。幸せに生きている周りの人々が心底羨ましい。美智瑠は血が滲むくらい強く下唇を噛み締めた。闇に浸った胸に広げた手を置きながら、もう片方の手でドアノブを回して室内へ入った。
案の定、室内は真っ暗だった。暗闇を恐れて、すぐに玄関の明かりを点ける。順々に一階の照明器具に光を灯らせてゆく。視覚を通して、包み込むような安心感が心に宿る。
台所に行って歯磨きをして、脱衣所でパジャマに着替え、風呂は明日の昼間までに入れれば良しと気楽に考えて階段を上がった。
すると、一段、二段と上がる毎に、熱のこもった女声の喘ぎと荒い息遣いが、はっきりと美智瑠の耳まで届いた。最初は聞き間違えか何かだろうと思っていたが、どうやら違うようだ。聞き間違えにしては、あまりに明瞭過ぎる。
では、声の正体は誰か。自宅に居るのだから、当然、美智瑠の両親のいずれかだろう。そして、女声ゆえ自ずと母親が浮上する。
随分と苦しそうな喘ぎ声だ。尋常でないくらい息継ぎの回数が多い。もしかしたら、母が高熱を出して、うなされているのかもしれない。幼少の頃より体の弱かったらしい母のことだ。その可能性は大いにあるだろう。
階段を上がり、二階の廊下に出た美智瑠は、その途端、自分の読みは当たっていたのだと確信した。喘ぎ声は母の部屋から聞こえてくる。美智瑠は小走りで駆け寄った。そして、
「お母ぁっ……!」
さん!
と、叫ぼうとした次の瞬間、美智瑠は咄嗟に喉奥に続きの言葉を押し込んだ。
薄く開いたドアの隙間から見えた。初心な美智瑠でさえ、この光景が何を意味するのか分かってしまう。月明かりに照らされた二人の姿は、まるで野生の獣のように衣服を纏わず、ベッドの上で肉体的な行為を行っている。
父が母の開脚した間の奥にある女性器に顔を埋めていた。いやらしい水音が室内に充ちる中、母が突然体を大きく仰け反らせ、活きの良い魚の如くびくりびくりと二度痙攣を引き起こした。かと思いきや、パタリと息絶えたかのように動かなくなった。
父は素早く身を起こし、数本の節くれだった指を女性器に躊躇いなく飲ませてゆく。母は切なげで物欲しげな嬌声を出した。
「痛くないか?」
父が母を気遣うような言葉を囁く。
「ううん。痛くない……すごく気持ち良いです」
「……聡子! 聡子!……愛してるよ。愛してる。だから、どうか、こんな俺を嫌いにならないでくれ。絶対に見捨てたりしないでくれ。頼むよ。頼む……!」
「絶対、見捨てたりなんかしない……私も愛してます、総司さん」
父は女性器から指を引き抜くと、母の体に折り重なるようにして覆い被さった。
卑猥なキス音が響く。その音は永遠を感じさせるほど長く続いた。
必死な愛の言葉。
絶え間ない性的快楽。
母はああして与えられる父のたまの奉仕活動に愛情を感じることによって、正常な判断を失い依存関係を堅持し続けてしまうのだろう。
父と母の生々しい行為を目撃してしまった美智瑠は、嫌悪感を催した。特に、いつも家族を虐げるばかりの父に母が屈している姿など見たくなかった。
逃げるように自分の部屋へ駆け込む。明かりを点けるのも忘れて、美智瑠は一人、震えていた。歩いて窓辺まで移動してから、何かに導かれるかの如く白いレースのカーテンを横に引いた。隣家の愛美の部屋に明かりが灯っているのが見える。美智瑠は泣きながら口元を綻ばせた。愛美だけが唯一の味方であるような気がしたからだ。




