第6話 清掃ルーチン(刺客)の正体
ザザザザザァァァァッ……!!
崩壊した大教会の地下へと続く、石造りの暗い螺旋階段。
その灰色のポリゴンが剥き出しになった閉鎖空間を、まるで巨大な蟲の群れが壁や天井を這いずり回るような、鼓膜を削る不快な駆動音が埋め尽くしていた。
三城は、色彩を取り戻し始めたシオリの小さな手を強く握り締めながら、ボツになったダンジョンの残骸である地下通路を、文字通り決死の形相で駆け抜けていた。
「ハァッ、ハァッ……! くそっ、キリがねえぞ!」
「三城さん、ごめんなさい、私が遅いせいで……っ!」
「謝るな! 息をすることと、足を前に出すことだけ考えろ!」
背後を振り返る余裕すらない。
視界の端、通路の奥から暗闇を切り裂くように雪崩れ込んでくるのは、数百体にも及ぶ漆黒の怪物たち――ワールドコア中枢が直接放った『清掃ルーチン』の群れだ。
それは、先ほど戦った「ツギハギの魔王」のような、設定の矛盾から生まれた歪なバグエネミーとは根本的に異なっていた。人の形を模してはいるが、表面には一切のテクスチャが貼られておらず、ただの黒いシルエットが三次元に実体化したような無機質な姿をしている。両腕はあらゆるデータを切断するための鋭利なブレードとなっており、顔にあたる部分には、対象をロックオンするための冷酷な赤い単眼だけが、暗闇の中で不気味に発光している。
彼らは「世界を壊す」ために存在しているのではない。「システムの維持に不要なものを完全に消去する」という、中枢システムの冷徹な意志そのものだった。
『ターゲット・確認。完全消去ヲ継続シマス』
無感情な機械音声と共に、最後尾に迫っていた一体の清掃ルーチンが、壁を力強く蹴って三城たちへと跳躍した。
鋭いブレードの腕が、三城の背中めがけて無慈悲に振り下ろされる。
「三城さん!」
シオリの悲鳴。三城は咄嗟に彼女を力強く引き寄せ、横へと大きく身を躱した。
ズガンッ!!
清掃ルーチンの放った漆黒のブレードが、三城が直前までいた石畳に深く突き刺さる。
その瞬間、三城は背筋が凍るような光景を目撃した。
それは物理的な破壊ではない。ブレードが突き刺さった箇所から、石畳を構成していたポリゴンの構造とテクスチャが、「ジジジッ」と耳障りな音を立てて強制的に白紙化され、文字通り虚無へと還元されて消滅したのだ。
「……触れられたら最後、斬られるんじゃなくデータごと『なかったこと』にされるってわけか」
背中に冷や汗をかきながら、三城は再び駆け出した。あんなものに掠りでもすれば、致命傷どころの話ではない。存在そのものが世界の記録から完全に抹消されてしまう。
『ザザッ……三城、聞こえますか!』
耳元のインカムから、激しいノイズに混じって白石の切羽詰まった声が飛んできた。
「ああ、嫌でも聞こえてる! 絶賛、黒い死神の群れと命懸けの鬼ごっこの最中だ! こいつら、俺たちストーリー課を排除するための刺客だって言ったな!? どういうことだ、白石!」
三城の怒声に対し、スピーカー越しの白石は、かつてないほどに重く、怒りを押し殺した声で答えた。
『セラが中枢のプロテクトを掻き潜って、奴らのプログラムコードを解析しました。こいつらは、廃棄領域のゴミを掃除するための単なるデフラグツールなんかじゃありません。対象を『不測の事故』に見せかけて消去するための、中枢直属の暗殺プログラムです』
『三城さん、聞いてください!』
白石の言葉に被せるように、セラの悲痛な声が割り込む。
『奴らの行動ログが、過去の不可解なエラーデータと完全に一致したんです! 詩乃の物語で起きた、あの不自然なダンジョン崩壊事故……! それに、セラの物語で、システムがあなたを危険なエリアへと強制誘導した現象……!』
「……なっ!?」
走りながら、三城の脳内に過去の光景がフラッシュバックした。
絶対に起こるはずのないタイミングでの落盤。あり得ない座標への転送による孤立。あの時は、単なるシステムのバグの多発や、運の悪さだと片付けて、強引に切り抜けてきた。だが。
『あれは偶然発生したエラーじゃありませんでした! 裏で世界の設定に干渉し、あなたを殺そうと密かに操っていたのは……今あなたを追っている、その清掃ルーチンたちだったんです!』
「なんだと……!?」
『ワールドコア中枢は、ずっと前からあなたを、いや、私たちストーリー課そのものを排除しようと計画していたんです』
白石が冷徹な事実を突きつける。
『完璧なテンプレと絶対の効率を至上とする中枢システムにとって、キャラクターの命を救うために設定を書き換え、システムに余計な負荷をかけ続ける我々ストーリー課は、もはや『害悪』でしかなかったということでしょう』
「だったら、なんでクビにしない! 堂々とストーリー課を解体して、俺たちを追い出せばいいだろうが!」
『……それができない理由があったんですよ』
白石の言葉に、深い自嘲の響きが混じる。
『我々ストーリー課が手掛け、設定を修正した世界は……皮肉なことに、他のどのテンプレ世界よりも、読者からの『カタルシス(支持)』を集めてしまっていたんです。キャラクターが血を通わせ、生きて、もがく姿は、安易なテンプレよりも圧倒的な熱狂を生む。もし、中枢が何の理由もなく我々を不当に解体すれば、システム全体の評価が暴落し、世界そのものを維持するための読者からの熱量が失われてしまう』
そこまで聞いて、三城はすべてを理解した。
なぜ、絶対的な権力を持つ中枢が直接手を下さなかったのか。
なぜ、わざわざ「任務中の事故」に見せかけようとしたのか。
「……だから、任務中の悲劇的な『不慮の事故死』っていう、都合のいいシナリオ(テンプレ)にして、俺たちを綺麗に処分するつもりだったってことか!」
三城の口から、激しい嫌悪と怒りが爆発した。
「俺たちが『読者のために殉職した勇敢な審査官』になれば、中枢への反発は起きない。むしろ、お涙頂戴の悲劇として読者に消費させることができる。……ふざけやがって! キャラクターの命だけじゃなく、自分たちの職場の人間まで、三流のテンプレで使い捨てるつもりかよ!」
それは、三城が日々のボツ出し会議で最も憎み、闘い続けてきた「安易な自己犠牲」と「作り手側の傲慢な都合」の極致だった。
彼らは冷徹で公平なシステムなどではない。最もタチの悪い、読者とキャラクターを舐め腐った『悪徳編集長』そのものだ。
「三城さん……私のせいで……」
手を引かれながら必死に走るシオリが、泣きそうな声で呟いた。
「システムは、私があなたを惹きつけるとわかっていたんです。だから、私をこの廃棄領域に落とした。私が囮になれば、あなたが必ず私を助けるためにダイブしてくると知って……ここで、誰にも知られずにあなたを『エラーに巻き込まれた事故』として消すために……!」
「お前は何も悪くない!!」
三城はシオリの自責の念を、怒鳴り声で強引に叩き斬った。
「囮にされた被害者が責任を感じる必要は一ミリもない! 全部、あのクソったれなシステムの胸糞悪いプロットだ。俺がこんな展開、絶対に承認してやるもんか!」
三城は走りながら、内ポケットから愛用のボロボロのノートと黒インクのペンを引き抜いた。
インカムに向かって叫ぶ。
「ルナ! 俺が今から設定を上書きして通路を崩し、奴らを足止めする! その隙に、ここから脱出するためのゲートの座標を割り出せ!」
『り、了解です! 全力で演算します!』
三城は背後へ向かってノートを広げ、迫り来る黒い津波に向けてペンを走らせた。
狙うのは、地下通路の天井を支える脆そうな柱だ。審査官の権限で物理法則を書き換えれば、大規模な落盤を起こすことができる。
『――地下通路の柱が崩壊し、大規模な落盤が発生。追手の清掃ルーチンを完全に分断する!』
書き殴った文字が淡い光を放ち、審査官権限による『強制プロット修正』が発動しようとした、その瞬間だった。
――ビィィィィン!!
ノートに書き込まれた黒いインクの文字が、突如として毒々しい赤色に発光したかと思うと、その上から激しいバツ印が自動で刻み込まれた。
ページの中央に、無機質な警告ウィンドウがホログラムのように浮かび上がる。
【ERROR:アクセス権限がありません。】
【警告:当該審査官のアカウントは、システムへの反逆行為により、現在凍結されています。】
「なっ……!?」
三城は目を見開いた。
書き込んだ設定が、現実の事象に反映されない。それどころか、書いた文字そのものがチリヂリと燃えるように消滅していく。
『三城さん! ダメです!』
ルナの絶望的な悲鳴が響く。
『ワールドコア中枢が、三城さんの審査官権限をリアルタイムで強制剥奪しています! もう、ノートを使った設定の上書きはできません!』
「ふざけるな、こんな時まで権限の取り上げかよ……!」
唯一の武器をもがれた三城は、激しく舌打ちをしてノートを懐にしまい込んだ。
『ターゲットノ無力化ヲ確認。速ヤカニ、処理ヲ実行シマス』
三城が立ち止まった一瞬の隙を突き、清掃ルーチンの群れが一気に距離を詰めてくる。
三城とシオリが駆け込んだ先は、かつて闘技場として作られ、そのままボツにされた広大な地下コロッセオの跡地だった。
すり鉢状になったその空間に逃げ込んだ瞬間、上部の観客席にあたる場所から、黒い雨のように清掃ルーチンたちが次々と降り注ぎ、彼らの退路を完全に包囲した。
ジジッ、ジジジジジッ……。
何百もの赤い単眼が、一斉に三城とシオリをロックオンする。
逃げ場はない。戦うための武器もない。
廃棄領域という、世界のシステムの外側にいる以上、ルナたち外部からのハッキング支援にも限界がある。
「……三城さん」
シオリが、三城に握られていた手を、そっと引き抜いた。
三城が驚いて振り返ると、彼女はプロト勇者・アルスが遺した聖剣の柄を両手で大切そうに抱きしめ、静かに、しかし決意に満ちた瞳で三城を見上げていた。
「もう、いいです」
「シオリ、お前、何を……」
「システムの狙いは、エラーである私と、邪魔なあなたを消すこと。……だったら、私がここで完全に消滅して、システムに『エラーは処理された』と誤認させれば、包囲は解けるはずです」
彼女の身体を、再び激しいノイズが覆い始める。
自らの存在を、内側から自壊させようとしているのだ。
「私のために、これ以上あなたを巻き込めません。……今まで、たくさんの素晴らしい物語を、ありがとうございました」
「バカ野郎、勝手に終わろうとするな!」
三城はシオリの肩を掴もうと手を伸ばすが、激しいノイズの壁に弾き返されてしまう。
「お前が消えて丸く収まるなんて、そんな三流の自己犠牲テンプレ、俺が通すわけないだろうが! 俺はお前の担当編集だと言ったはずだ! 読者一人救えないで、何が審査官だ!」
三城はシオリの前に強引に立ち塞がり、両腕を広げて数百の清掃ルーチンと対峙した。
権限がないなら、身体を張るしかない。
その背中は、かつて崩壊した教会で彼女を庇ってくれたプロトタイプの勇者と、奇しくも全く同じ姿だった。
『対象ノ抵抗ヲ確認。――完全消去。』
最前列にいた十数体の清掃ルーチンが、一斉に鋭いブレードを振りかざし、三城めがけて跳躍した。
死を覚悟した三城が、強く奥歯を噛み締めた、その時。
――ガキィィィィィンッ!!!
暗い地下コロッセオに、甲高い金属音が鳴り響いた。
三城に迫っていた清掃ルーチンたちの刃が、空中で「何か」に弾き飛ばされ、彼らは火花を散らして後方へと吹き飛んだのだ。
「……え?」
三城が目を開けると。
三城とシオリ、そして清掃ルーチンの群れの間に、一つのシルエットが立っていた。
右半身のテクスチャは完全に欠落し、ワイヤーフレームだけの透明な状態になっている。
顔面には『ERROR』の黒いウィンドウが貼り付き、全身から激しいノイズを撒き散らしている、満身創痍の甲冑姿。
先ほどの教会での戦いで、魔王の一撃からシオリを庇い、完全に光の粒子となって消滅したはずの男だった。
「勇者……! お前、生きて……いや、データが残っていたのか!?」
三城の驚愕の声に、その男は振り返らない。
彼は、柄だけになっていたはずの左手の聖剣に、バグとノイズで無理やり形作った「光の刃」を発生させ、力強く構えていた。
「オレは……オレは……ッ!」
顔面の黒いウィンドウが激しく点滅し、割れたスピーカーのような声がコロッセオに響く。
全身のデータが崩壊し、自分が何者であるかも、魔王の名前すらも失ったプロトタイプの勇者。
だが、彼の根源に刻み込まれた、たった一つの初期設定だけは、決して消えることはなかった。
「オレは、勇者だ……! だから……守る……■■を、守るッ!!」
数百の圧倒的な死の群れを前にして。
名前を失った壊れた勇者が、名もなき読者を守るために、再びその命を燃やして立ち塞がった。




