第13話 祭りのあと、打ち上げの夜
パチパチと、薪が爆ぜる音がした。
オレンジ色の炎が夜空を焦がし、そこから舞い上がる火の粉が、満天の星空へと吸い込まれていく。
聖アストライア学園、グラウンド中央。
そこには巨大なキャンプファイヤーが組まれ、全校生徒がその周りを囲んでいた。
フォークダンスの音楽。
ソース焼きそばの焦げた匂い。
そして、終わることのないような笑い声。
学園祭のフィナーレを飾る「後夜祭」が、今まさに最高潮を迎えていた。
「……ふぅ。終わったな」
喧騒から少し離れた校舎の影で、俺――執事セバスチャン(仮)は、自動販売機で買った缶コーヒーを開けた。
プルタブを開ける指が、微かに震えている。
武者震いではない。300回以上のループ労働による純粋な疲労と、カフェイン切れによる禁断症状だ。
「お疲れ様です、三城さん! かんぱーい!」
目の前に、紙コップが差し出される。中身はオレンジジュースだ。
妖精姿のルナだ。彼女もまた、この数日間――体感時間にして一年近く――を共に戦い抜いた戦友だ。
「ああ、乾杯」
俺は缶をカチンと当て、苦い液体を流し込んだ。
五臓六腑に染み渡るとは、まさにこのことだ。
懐中時計を見る。時刻は午後8時。
リセットのチャイムは鳴らない。空は割れない。スライムも降ってこない。
ただ、穏やかな時間が流れている。
「ログを確認しましたけど、今回の『暴走乙女と筋肉騎士』……この世界のSNSで伝説になったみたいですよ」
ルナがホログラムウィンドウを見ながらニシシと笑う。
「拡散数がすごいです。『謎の即興劇ヤバイ』『ラストの演出が神』『筋肉が光ってた』って」
「……筋肉の評価が高いのが癪だがな」
俺は苦笑し、グラウンドの方へ視線を向けた。
炎の周りでは、あの「暴走キャスト」たちが、最後の力を振り絞って宴を楽しんでいた。
「見よ! キャンプファイヤーの炎が、俺の筋肉を照らしている!」
アレン王子が上半身裸でポーズをとっている。どうやら彼は「服を着たら死ぬ病気」にでも罹っているらしい。
「フン……炎とは、儚いものよ。まるで我の魂のようだ」
カイドウが焼きトウモロコシを齧りながら、黄昏れている。その横で、ハカセが炎の温度を放射温度計で計測し、ガストンが丸太をくべて火力を上げている。
「皆様、お飲み物は足りてまして? 特製フルーツポンチですわ」
コレットが怪しげな光を放つボウルを配り歩いている。
飲んだ生徒が次々とハイテンションになっているのを見る限り、まだ何か(法に触れないギリギリの成分)が入っているようだ。
「……あいつら、本当に元気だな」
「ええ。エネルギッシュで、カオスで、最高に面倒くさい人たちです」
ルナが笑う。
俺もつられて笑った。
地獄のようなループの日々だったが、不思議と悪い気分ではなかった。
彼らの「生きたい」「楽しみたい」という純粋なエゴに触れて、俺の中の冷え切っていた何かが、少しだけ熱くなっているのを感じる。
「さて……」
俺は空になった缶をゴミ箱に投げ入れた。
仕事は終わりだ。
ヒロインは救われ、世界は安定し、物語はハッピーエンドを迎えた。
これ以上、異邦人である俺がここに留まる理由はない。
「そろそろ撤収準備だ。……挨拶回りは済ませたか?」
「はい! ハカセから謎の設計図をもらいました!」
「いらねえよそんなもん。……行くぞ」
俺が踵を返そうとした、その時だった。
「――お待ちになって」
凛とした声が、夜風に乗って届いた。
振り返ると、そこには二人の少女が立っていた。
----
黒いライダースーツ(私服)のエレオノーラと、メイド服のマリアだ。
エレオノーラは腕を組み、不満げに口を尖らせている。
「黙って帰るつもりでしたの? 水臭い執事ですこと」
「エレオノーラ様。……お楽しみのところ、野暮かと思いまして」
「フン。貴方には色々と言いたいことがありますけれど……」
彼女は扇子を閉じ、真っ直ぐに俺を見た。
「……礼だけは言っておきますわ。貴方のおかげで、わたくしは『最高のライバル』という新しい美学を見つけることができましたの」
「それは光栄です。貴女様のツンデレ演技、アカデミー賞モノでしたよ」
「ツ、ツンデレじゃありませんわよ! 勘違いしないでくださいまし!」
顔を赤くする彼女の隣で、マリアが静かに一礼した。
「セバスチャン様。……貴方様の裏方としての働き、メイドとして勉強になりました」
「マリア様。貴女の戦闘力には、私も肝を冷やしましたよ」
「ふふ。もしまたご縁がありましたら……今度は手合わせ願いますわ」
マリアが懐からモップ(先端が鋭利)をちらつかせ、物騒に微笑む。
勘弁してくれ。俺は事務職だ。
「あー! ずるいぞ貴様ら! 抜け駆けか!」
「我も混ぜろ! 闇の契約(打ち上げ)はまだ終わっておらんぞ!」
騒ぎを聞きつけて、アレンやカイドウたちも集まってきた。
ガストンが俺の背中をバシバシと叩く(痛い)。
コレットが怪しいドリンクを勧めてくる(丁重に断った)。
ハカセが俺の眼鏡を改造しようと迫ってくる(全力で逃げた)。
気づけば、俺は10人の暴走キャストたちに囲まれていた。
もみくちゃにされながら、俺は思う。
ああ、本当に。
やかましくて、愛すべき連中だ。
「……おい、主役がいないぞ」
俺はふと気づいて尋ねた。
この輪の中心にいるはずの、あのポンコツ座長の姿が見えない。
「アイリスなら、向こうへ行きましたわよ」
エレオノーラが顎で校舎の方を指し示す。
屋上へ続く階段。
あそこは、彼女が一度心を折られかけ、そして再起を誓った場所だ。
「……行ってあげなさいな。きっと、一番貴方に会いたがっていますわ」
「……」
俺は燕尾服の襟を正した。
「少し、席を外します。……すぐに戻りますから、私の分の焼きそば、残しておいてくださいよ」
「おう! プロテイン入り特盛を用意して待ってるぞ!」
アレンの余計な気遣いを背に受けて、俺は喧騒を離れた。
最後の仕事。
依頼人への、業務完了報告だ。
----
屋上の扉を開けると、そこは静寂に包まれていた。
グラウンドの喧騒が遠く聞こえ、風の音だけが耳に残る。
貯水タンクの手すりに寄りかかり、夜空を見上げている少女がいた。
アイリスだ。
彼女はもうボロボロのカーテンではなく、制服に着替えていた。
だが、その背中からは、以前のような頼りなさは消えていた。
「……お嬢様」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。
月明かりに照らされたその表情は、とても穏やかだった。
「セバスチャンさん。……来てくれると思ってました」
「執事ですから。主人の居場所を把握するのは当然です」
俺は彼女の隣に並び、同じ夜空を見上げた。
311回目の夜空は、どこまでも澄んでいて、星が綺麗だった。
「終わりましたね」
「はい。終わっちゃいました」
アイリスはクスリと笑った。
「なんだか、夢みたいです。あんなに毎日が繰り返していたのに、終わるときはあっという間で」
「楽しい時間は早く過ぎるものです」
沈黙が落ちる。
だが、気まずい沈黙ではない。
言葉がなくても通じ合える、共犯者特有の空気だ。
「あのね、セバスチャンさん」
アイリスが手すりを握りしめる。
「私、気づいてましたよ」
「何をです?」
「貴方が……ただの執事さんじゃないってこと」
俺は眉を動かさずに、彼女を見た。
「初めは、学園が雇った臨時職員さんだと思ってました。でも……貴方は全部知ってた。私が転ぶ場所も、アレン先輩が暴れるタイミングも、私の……弱いところも」
彼女は俺の方に向き直った。
その翠の瞳が、眼鏡の奥にある俺の素顔を覗き込む。
「貴方は、魔法使いみたいでした。失敗ばかりの私に自信をくれて、ボロボロの布切れをドレスに変えてくれて、止まっていた時間を動かしてくれた」
「……買いかぶりですよ。私はただの、お節介な使用人です」
「ううん。私にとっては、最高の魔法使いで……最高の執事さんでした」
アイリスは背中に隠していた手を出し、小さな包みを差し出した。
可愛らしいリボンのかかった、クッキーの袋だ。
少し焦げているし、形も不揃いだ。コレットのようなプロの技はない。
だが、間違いなく彼女が自分の手で焼いたものだ。
「これ……お給料の代わりにはならないと思いますけど。受け取ってください」
「……これは?」
「感謝の気持ちです。それと……」
彼女は一歩、俺に近づいた。
距離が縮まる。
第9話の舞台裏、あの即興ドレスを作った時と同じ距離。
吐息が触れるほどの近さ。
「目を閉じてください」
「……お嬢様?」
「命令です、セバスチャン」
少し悪戯っぽい、けれど真剣な声。
俺は観念して、静かに目を閉じた。
衣擦れの音。
甘い匂いが近づく。
そして。
チュッ。
右の頬に、柔らかくて温かい感触が触れた。
一瞬の出来事。
けれど、その熱は火傷のように肌に残った。
「――っ!?」
俺が目を開けると、アイリスは真っ赤な顔をして、数歩下がっていた。
「こ、これは! ボーナスです! 特別手当です!」
彼女は慌てて早口でまくし立てる。
「西洋では、挨拶みたいなものだって聞きましたし! ふ、深い意味はありませんから!」
「……はは」
俺は呆気にとられ、それから吹き出した。
頬に手を当てる。
熱い。
やられた。
どんな暴走キャストの攻撃よりも、観察者の強制削除よりも、この一撃が一番効いたかもしれない。
「……謹んで、頂戴いたします」
俺は恭しく一礼した。
「このクッキーも、この……ボーナスも。生涯の宝物にさせていただきます」
「も、もう! からかわないでください!」
アイリスが頬を膨らませる。
その顔を見て、俺は確信した。
彼女はもう大丈夫だ。
俺がいなくても、このカオスな学園で、たくましく、楽しく生きていける。
「さて……」
俺は懐中時計を懐にしまった。
別れの時だ。
「そろそろ、私は行かなくてはなりません。……次の仕事が待っていますので」
「……そう、ですよね」
アイリスは寂しそうに微笑んだ。引き止めたりはしない。彼女も分かっているのだ。
「元気で、アイリス様。……貴方の物語は、ここからが本番ですよ」
「はい! 見ていてくださいね、セバスチャンさん。私、もっともっと最高の座長になってみせますから!」
彼女は涙を見せずに、満面の笑みで手を振った。
俺はその笑顔を脳裏に焼き付け、背を向けた。
屋上の扉を開ける。
その向こうには、元の世界(ストーリー課)へのゲートが開いているはずだ。
「さようなら。……私の、可愛いお嬢様」
扉が閉まる。
祭りの喧騒が遠ざかる。
心地よい静寂と共に、俺の意識は光の中へと溶けていった。




