第12話 カーテンコールは終わらない
降り注ぐ光の粒子。
それは、世界を削除しようとした「黒い栞」の残骸であり、同時にこのカオスな舞台を祝福する紙吹雪のようでもあった。
舞台上は、惨憺たる有様だった。
書き割りは倒れ、床は抜け、あちこちで小火が燻っている。
本来の『星の乙女と薔薇の騎士』という美しいタイトルからは程遠い、戦場のような光景。
だが、観客の熱狂は冷めるどころか、加熱の一途を辿っていた。
「アンコール! アンコール!」
「すげえぞ演劇部! これが新しい芸術か!」
「アイリスー! エレオノーラー!」
地鳴りのような歓声。
その中心で、アイリスとエレオノーラは肩で息をしながら、互いに支え合って立っていた。
「……はぁ、はぁ。やりましたわね、アイリス」
エレオノーラが汗で頬に張り付いた髪を払い、不敵に笑う。
「わたくしにかかれば、世界の危機など前座に過ぎませんわ」
「……うん。ありがとう、お姉さま」
アイリスがくしゃっと笑う。その顔は煤で真っ黒だったが、スポットライトよりも輝いていた。
「さあ、締めくくりですわ。観客が待っています」
「はい!」
二人は頷き合い、客席に向き直った。
物語には、結末が必要だ。
これだけ暴れ回ったカオスな劇を、どう着地させるか。
俺――執事セバスチャン(仮)は、舞台袖で固唾を飲んで見守っていた。
台本はない。
ここから先は、彼女たちが選び取る「未来」だ。
アイリスが一歩、前へ出た。
彼女はボロボロのカーテン(ドレス)を広げ、朗々とした声で宣言した。
「戦いは終わりました! 魔王軍も、黒い災厄も去り……残ったのは、傷だらけの私たちと、この壊れた世界だけです!」
彼女は、崩壊したセットを見渡した。
そして、アレン、カイドウ、マリア、コレットたち――暴走し尽くした仲間たちに視線を向ける。
「でも、見てください! 私たちは生きています! 泥だらけで、格好悪くて、完璧じゃないけれど……こんなに熱い血が流れています!」
アレンが力こぶを作り、カイドウがマントを翻す。
彼らは「役」を演じているのではない。ありのままの自分として、そこに立っていた。
「だから、私は願います! ……もう、綺麗なだけの物語はいりません!」
アイリスの叫びが、講堂に響き渡る。
「失敗してもいい。間違えてもいい。明日また、みんなで笑い合えるなら……この混沌こそが、私たちのハッピーエンドです!」
彼女が手を差し伸べる。
エレオノーラがその手を取り、強く握り返した。
「……フン。生意気な妹ですこと。ですが、退屈な天国よりは、賑やかな地上がお似合いかもしれませんわね」
二人が手を掲げる。
それが合図だった。
ジャァァァァァァン!!
ルナが音響卓のスライダーを最大まで押し上げる。
壮大なファンファーレが鳴り響く。
「これにて! 『暴走乙女と筋肉騎士の爆裂魔法祭』、閉幕です!!」
ワァァァァァァァァァァァッ!!!!!
拍手の嵐。
それは、ただの賞賛ではない。
300回のループを、1000回の失敗を、すべて肯定する轟音だった。
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幕が下りる……ことはなかった。
なぜなら、幕を下ろす装置がガストンの暴走で破壊されていたからだ。
だが、それが逆に良かった。
観客と演者の間に隔たりはない。
そのまま、なしくずし的にカーテンコールへと突入する。
「紹介しましょう! 最強の筋肉騎士、アレン先輩!」
「マッスル! ありがとう! 俺の大胸筋も喜んでいる!」
アレンがマッスルポーズを連発し、観客席にプロテインを投げ込む(客が喜んでキャッチする)。
「深淵の演出家、カイドウ君!」
「ククク……闇に飲まれよ(ありがとう)!」
カイドウが残っていた爆竹を鳴らし、ボヤ騒ぎを起こしかけてマリアに消火される。
「最高のシェフ、コレットちゃん!」
「愛を込めましたぁ〜!」
コレットがおたまを振る。
次々と名前を呼ばれ、お辞儀をするキャストたち。
その顔には、一点の曇りもない達成感があった。
自分たちの「個性」を全開にして、受け入れられた喜び。
それは、どんなに完璧な演技よりも尊い輝きを放っていた。
そして。
「そして……私の最高のライバル! エレオノーラさん!」
アイリスが手招きする。
エレオノーラはツンと顔を背けつつも、満更でもない足取りで中央へ進み出た。
「勘違いしないでくださいまし。わたくしは、貴女の不始末を尻拭いしただけですわ」
「ふふ、ありがとうお姉さま!」
「だからお姉さまはやめなさい!」
漫才のような掛け合いに、会場がドッと沸く。
エレオノーラは扇子を開き、優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。
その所作は完璧で、美しく、そして誰よりも「楽しそう」だった。
最後に、アイリスが前に出た。
会場が静まり返る。
スポットライトが彼女一人を照らす。
「あの……私……」
彼女は言葉に詰まった。
感極まって、涙が溢れて止まらないのだ。
300回以上の失敗。
何度も何度も「お前じゃダメだ」と言われ、リセットされ続けた記憶。
それが今、歓声の中で溶けていく。
「私、失敗ばっかりで……ドジで、才能なくて……」
彼女は鼻をすすり、顔をぐしゃぐしゃにして泣き笑った。
「脚本も30点で……みんなに迷惑かけて……でも……!」
彼女は胸に手を当て、ありったけの想いを叫んだ。
「失敗ばかりの私たちだけど……今が、最高に楽しいです!!」
その言葉こそが、このループ世界に対する、最強のカウンターだった。
完璧主義への、不完全からの回答。
拍手が、爆発した。
割れんばかりの喝采が、彼女の涙を拭うように降り注ぐ。
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舞台袖。
俺はインカムを外し、壁に背を預けていた。
「……終わったな」
心地よい疲労感が全身を包んでいる。
ルナが俺の肩に飛び乗ってきた。
「三城さん! 見ました!? ログが! ログが!」
彼女が展開したホログラムウィンドウ。
そこに表示されているのは、この世界の管理者――観察者からの最終判定だ。
ゲージが揺れている。
【芸術点】のバーは、限りなく低い。「30点」。いや、破壊工作やアドリブの減点を考えればマイナスかもしれない。
普通の審査なら、即刻不合格。リセット対象だ。
だが。
その隣にある、もう一つのゲージ。
【熱狂度】。
その数値が、カンストしていた。
グググググッ……バヂンッ!!
メーターが振り切れ、ガラスが割れるようなエフェクトが走る。
数値は計測不能。
「1200%」。
『……判定不能。判定不能』
空から、ノイズ混じりの声が降ってくる。
観察者の声だ。
いつもなら冷徹なシステム音声だが、今はどこか震えているように聞こえる。
『シナリオ整合性、皆無。演出、過剰。演技、未熟。……評価、最低ランク』
講堂の空気が張り詰める。
やはり、ダメなのか。
これだけやっても、完璧主義の神様は微笑まないのか。
しかし。
『……しかし』
『観測された熱量は、過去の全ログを凌駕。……予測された「完璧なハッピーエンド」よりも、観客の満足度は300倍を記録』
システムが、迷っている。
論理と感情の狭間で。
『完璧とは何か。……エラー。定義の再構築が必要』
『この「熱狂」は、完璧な秩序からは生まれない。……カオスより生じる特異点』
長い、長い沈黙。
そして。
ピロリン♪
どこか間の抜けた、しかし温かい承認音が鳴り響いた。
【判定:計算外だが……採用】
文字が、金色に輝く。
ブワァァァァァッ!!
世界を覆っていた薄い膜のようなものが、弾け飛んだ気がした。
時間の凍結が解ける感覚。
ループの楔が、完全に砕け散ったのだ。
「……へっ。分かってるじゃねえか、神様」
俺は眼鏡を押し上げた。
勝った。
俺たちは、30点の脚本で、100点のシステムをねじ伏せたのだ。
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「――これにて、星夜祭の前夜祭を終了します!」
アイリスの宣言と共に、長い長い一日は終わった。
観客たちが興奮冷めやらぬ様子で退場していく。
舞台上では、キャストたちがへたり込んでいた。
「……燃え尽きた。真っ白にな」
アレンが床に大の字になって呟く。筋肉も弛緩しきっている。
「我もだ……魔力がすっからかんだ」
カイドウが眼帯を外して仰ぐ。
「お腹すきましたぁ……」
コレットが空の寸胴鍋を叩く。
全員、ボロボロだ。
だが、誰もが笑っていた。
俺は懐中時計を取り出した。
秒針が動いている。
時刻は12時を回り、午後へと進んでいる。
もう、リセットのチャイムは鳴らない。
「三城さん」
ルナが隣でニシシと笑う。
「やりましたね! ミッション・コンプリートです!」
「ああ。……随分と骨の折れる仕事だったがな」
俺は舞台の中央へ歩み寄った。
アイリスが、へたり込んだまま俺を見上げる。
その瞳から、ようやく「怯え」の色が消えていた。
「セバスチャンさん……!」
「お疲れ様でした、座長。……最高の舞台でしたよ」
俺が手を差し伸べると、彼女はそれを掴み、立ち上がった。
そして、俺の耳元で小さく囁いた。
「……魔法、解けちゃいましたね」
見れば、彼女が纏っていた真紅のカーテンは、留め具が外れてボロボロになり、ただの布切れに戻りつつあった。
シンデレラの時間は終わりだ。
「いいえ」
俺は首を横に振った。
「魔法は解けていません。貴方が手に入れた自信と、仲間との絆……それは、12時を過ぎても消えない本物の魔法です」
アイリスが目を見開く。
それから、太陽のような笑顔を向けた。
「はい! ……私、この劇のこと、一生忘れません!」
彼女の笑顔が、この長いループ物語の最後を飾るエンドロールのようだった。
窓の外から、新しい風が吹き込んでくる。
明日は学園祭の当日だ。
きっと、今日以上に騒がしく、トラブルだらけの一日になるだろう。
だが、もう怖くはない。
彼らなら、どんなトラブルも笑い飛ばして、アドリブで乗り越えていくだろうから。
「……さて」
俺は燕尾服の埃を払った。
そろそろ、お暇の時間だ。
執事セバスチャンの役目は終わった。物語をあるべき軌道に戻した今、俺たちは静かに舞台を降りなければならない。
「行くぞ、ルナ」
「はいっ!」
俺たちは喧騒に包まれる舞台袖を、静かに後にした。
背中で聞こえる、彼らの笑い声を土産にして。
終わらない学園祭と、10人の暴走キャスト。
これにて、終幕。




