第11話 システムへの反逆
世界が、悲鳴を上げていた。
ギギギギギギ……ッ!!
耳障りな金属音のようなノイズが、講堂の空間を引き裂いていく。
舞台の上空に現れたのは、巨大な「黒い亀裂」だった。
それは、本を無理やり閉じるかのように、舞台、客席、そしてこの学園祭という物語そのものを、物理的に圧し潰そうと降下してくる。
『警告。異常データ検出。強制削除を開始します』
『警告。強制削除を開始します』
無機質なアナウンスが、壊れたレコードのようにリフレインする。
もはや「リセット」ではない。
この世界を構成するデータを、根こそぎ初期化しようとする「黒い栞」の発動だ。
「きゃあああ! 空が! 空が割れてるわ!」
アイリスが悲鳴を上げ、エレオノーラが身構える。
だが。
この絶望的な光景を前にしても、観客席の反応は違っていた。
「うおおおおお! すげええええ!」
「なんだあの演出!? 4Dプロジェクションマッピングか!?」
「空が落ちてくる! マジで怖え! 演劇部、予算かけすぎだろ!」
熱狂。
興奮。
観客である全校生徒たちは、この世界の崩壊すらも「カイドウたちが用意した究極のサプライズ演出」だと信じ込んでいた。彼らの目は輝き、ペンライトを振り回し、割れんばかりの歓声を上げている。
「……ははっ。なるほどな」
舞台袖で、俺――執事セバスチャン(仮)は、インカムを押さえながら笑った。
普通なら、ここでパニックになって終わりだ。
だが、今の彼らは「カオス」に酔っている。常識外れの展開を見せられすぎて、感覚が麻痺しているのだ。
「ルナ! 状況は!」
『最悪です! 観察者が「もう知らん! 全部消す!」ってキレてます! あの黒い板、触れたものからデータが消滅しますよ!』
「なら、触れさせなければいい」
俺は燕尾服の袖をまくり、舞台上のキャストたちへ怒号を飛ばした。
「総員、聞け! あれは演出じゃない、マジの『ラスボス』だ!」
『ラスボス……!?』
「ああ! あの『黒い板』が降りてきたら、劇は中止、学園祭も中止、お前らの努力も全部パーだ! ……どうする!?」
俺の問いかけに、真っ先に反応したのは、あの大男だった。
「笑止!!」
ドォォォォン!!
舞台が揺れた。
大道具係のガストンだ。彼は角材を片手に、落下してくる「黒い天井(処理落ち領域)」の真下へと飛び込んだ。
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「うおおおおおっ! 気合だぁぁぁぁッ!!」
ガストンが、崩落してくる舞台セットの柱を、自らの背中で受け止めた。
メリメリと音がする。
だが、彼は倒れない。
「俺が作ったセットだ……! 釘一本、ベニヤ一枚、俺の魂だ! 誰にも壊させねえぞオラァッ!」
彼の筋肉が隆起し、物理演算を無視した剛力を発揮する。
しかし、相手は世界の修正力だ。ガストンの膝が震え、徐々に沈んでいく。
「ガストン! 一人でいいカッコすんな!」
そこに、黄金の影が滑り込んだ。
アレン王子だ。
彼はガストンの隣に立ち、あろうことか「ダブル・バイセップス(両腕のマッスルポーズ)」で、落ちてくる天井を支えた。
「アレン先輩!?」
「フン……俺の大胸筋は、この程度では潰れん! 筋肉とは、世界を支える柱のことだからな!」
ガストンとアレン。
体育会系の二人が、文字通り「物理」でシステムの強制終了に抗う。
『警・告。物理・法則・エ・ラー』
観察者のログがバグり始める。
「いいぞ! 耐えろ筋肉ども! ……だが、物理攻撃だけじゃないぞ!」
俺が叫んだ直後、黒い亀裂の隙間から、無数の「黒い手」が溢れ出した。
ノイズで構成された、不定形の怪物たち。
それらは舞台上の「異物」――つまり、アドリブを続けるアイリスたちを排除しようと殺到する。
「ひっ……な、なにこれ!?」
「気持ち悪いですわね!」
アイリスとエレオノーラが背中合わせになる。
「させるかァァァッ!!」
シュパパパパッ!!
黒い手が一瞬で細切れになり、ノイズとなって霧散した。
その中心に立っていたのは、メイドのマリアだ。
彼女のモップは高速回転し、もはやプロペラのような残像を生み出している。
「お嬢様の晴れ舞台に、ゴミを撒き散らすとは……いい度胸ですわね」
マリアの目が据わっている。
彼女にとって、システムの修正プログラムなど、廊下の隅のホコリ以下だ。
「ここからは一歩も通しませんわ。……消毒、開始!」
マリアが舞う。
ノイズが弾ける。
しかし、敵の数は無限だ。黒い手は次々と湧き出し、舞台を埋め尽くそうとする。
その不気味な光景に、さすがの観客もざわつき始めた。
「おい、あれ演出か?」
「なんかヤバくねえか?」
マズイ。
恐怖がエンタメを上回れば、観客の熱気が冷める。そうなれば、俺たちの勝機は消える。
「カイドウ! 隠せ! そのホラー映像を、極上のファンタジーに変えるんだ!」
『ククク……言うてくれる! だが、我に不可能はない!』
カイドウがマントを翻し、両手を広げた。
「見よ、愚民ども! これぞ魔界の深淵……『常闇の軍勢』だ!」
ドカァァァン! ヒュルルル……ドンッ!!
彼が隠し持っていた発煙筒と花火が、一斉に点火された。
紫、緑、赤。
極彩色の煙が、黒いノイズを覆い隠す。
不気味な黒い手は、煙と照明の効果で「召喚された魔獣」のようなシルエットに早変わりした。
「すげえええ! CGみたいだ!」
「やっぱ演出かよ! ビビらせやがって!」
客席から再び歓声が上がる。
恐怖が興奮へ。バグがエフェクトへ。
カイドウの中二病演出(と火薬)が、世界の綻びを「エンターテインメント」として縫い合わせたのだ。
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戦線は拮抗している。
ガストンとアレンが天井を支え、マリアがノイズを斬り、カイドウが煙で誤魔化す。
コレットも負けていない。
「スタミナ回復ですぅ!」と言って、謎の色のドリンクをガストンたちの口に放り込んでいる(彼らの目が血走ったので、たぶんドーピング剤だ)。
だが、状況はジリ貧だ。
黒い亀裂の圧力は増すばかり。
このままでは、いずれ押し潰される。
「……セバスチャンさん」
舞台中央。
アイリスが、インカム越しに俺を呼んだ。
彼女は震えていた。
目の前で世界が壊れていく光景に、足がすくんでいる。
隣のエレオノーラも、強気な表情を崩してはいないが、額には脂汗が滲んでいる。
「どうすればいいの……? もう、お芝居どころじゃ……」
「いいえ、お嬢様。お芝居ですよ」
俺は優しく、けれど力強く告げた。
「見てください。観客はまだ、誰も席を立っていない」
アイリスが顔を上げる。
スポットライトの向こう。
暗闇の中に浮かぶ、無数の顔、顔、顔。
彼らは固唾を飲んで見守っている。この「世界の終わり」という最大のピンチを、ヒロインたちがどう切り抜けるのかを期待して。
「彼らは信じているんです。貴方たちが、この絶望をひっくり返してくれることを。……なら、応えるのが座長の仕事でしょう?」
アイリスが息を呑む。
隣で、エレオノーラがフッと笑った。
「……そうですわね。観客を待たせるなんて、一流の女優のすることではありませんわ」
「エレオノーラさん……」
「行きますわよ、アイリス! あんな黒い板切れ一枚、わたくしたちの輝きで吹き飛ばしてやりましょう!」
エレオノーラがアイリスの手を掴む。
その熱が、震えを止める。
「……うん!」
アイリスが前を向く。
翠の瞳に、不屈の炎が宿る。
「ハカセ! 照明、最大出力! もう機材が壊れてもいい!」
『イエス・マム! リミッター解除! ファイナル・フラッシュ、起動!』
ギュイイイイイイン……!
照明機材が悲鳴を上げる。
全電力投下。
舞台上のすべてのライトが、一点――アイリスとエレオノーラに集中する。
「ええい、リセットだ! 削除だ! 黙れぇぇぇ!」
観察者の焦り声が、ノイズ混じりに響く。
黒い亀裂が、最後の一撃を加えようと加速する。
だが、遅い。
「みんな! 私に力を!」
アイリスが叫ぶ。
それは台本のセリフではない。魂からの叫びだ。
「マッスル!」「闇よ!」「掃除完了!」「ご飯ですぅ!」
キャスト全員の咆哮が重なる。
そして、観客席からも。
「いっけええええええ!!」
「負けるなあああああ!!」
全校生徒の応援。
それが巨大なエネルギーの塊となって、舞台へ押し寄せる。
「物語」を愛する心。
「続き」を見たいという欲望。
それこそが、効率と完璧さしか知らない観察者にとっての、最大の計算外。
「喰らいなさい! これが私たちの……!」
「最高のアドリブですわ!!」
二人が手を掲げる。
光が弾ける。
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
光の洪水。
ハカセのレーザー、カイドウの火薬、アレンのオーラ、そして二人のヒロインの輝き。
すべてが混ざり合った「カオスの極光」が、天から降りてきた黒い亀裂に直撃した。
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『エラー。エラー。計測不能。熱量、限界突破』
『システム維持……不可能』
『強制終了プログラム……破損』
光の中で、観察者の悲鳴のようなログが流れていく。
ガガガガッ!
黒い亀裂にヒビが入る。
絶対的な「禁止事項」だったはずの黒い栞が、高校生たちの馬鹿騒ぎによって、粉々に砕かれていく。
「……へっ。ざまあみろ」
舞台袖で、俺はインカムを外した。
勝負ありだ。
100点の予定調和は、1200%の熱狂に敗北した。
パァァァァン……!
砕け散った黒い亀裂は、無数の光の粒子となって降り注いだ。
それはまるで、ダイヤモンドダストのように美しく、舞台を祝福するように舞い落ちる。
静寂。
そして。
「…………」
「…………すげえ」
「やった……のか?」
ワァァァァァァァァァァァッ!!!!!
爆発的な歓声。
拍手の嵐。
講堂が揺れるほどのスタンディングオベーションが、キャストたちを包み込んだ。
舞台中央。
アイリスとエレオノーラは、肩で息をしながら、互いに顔を見合わせた。
衣装はボロボロ。髪はぐしゃぐしゃ。
だが、その顔には、今までのどのループよりも見られなかった、最高の笑顔が咲いていた。
俺は懐中時計を見た。
針は、正午を指している。
ループの境界線を超えた。
時間は、未来へと進み始めている。
「……お見事です、座長」
俺は誰も見ていない舞台袖で、彼女たちに向かって深く、静かに一礼した。
システムへの反逆は成った。
あとは、この狂乱の宴を締めくくる、最後のご挨拶だけだ。




