第9話 舞台裏の魔術師(執事)
舞台上では、限界ギリギリのアドリブ合戦が続いていた。
「――待て! まだ終わらんぞ魔王!」
アレン王子が、意味もなく上腕二頭筋をピクピクさせながら叫ぶ。
本来なら、ここで『星の乙女』が覚醒し、光の魔法で魔王を浄化するシーンだ。
だが、肝心の乙女が来ない。
「フハハハ! 勇者よ、貴様の筋肉もここまでか!」
魔王役のカイドウが、アドリブで応戦する。
彼はマントを翻し、無駄に長い詠唱を始めた。
「我は深淵の覇者……常闇の支配者……えーっと、あと、混沌のなんちゃら……」
「長いぞ魔王! 俺の筋肉が冷えてしまう!」
「黙れ勇者! 今、尺を稼いでいるのだ!」
客席から笑いが漏れる。
だが、その空気も長くは持たない。観客は気づき始めている。「あれ? ヒロインが出てこなくない?」と。
一方、舞台袖。
そこは、別の種類の熱気に包まれていた。
「せ、セバスチャンさん……! 本当に、これを……?」
薄暗い機材置き場の隅。
アイリスが、顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。
彼女の足元には、先ほど俺が引きちぎった、分厚い真紅のベルベット・カーテンが転がっている。
現在の彼女の服装は、ボロボロの村娘風の衣装だ。
だが、次のシーンは「覚醒した聖女」として登場しなければならない。村娘のままでは、物語が成立しない。
「ええ。これしかありません」
俺――執事セバスチャン(仮)は、安全ピンを口に咥えながら、躊躇なく彼女に歩み寄った。
「脱いでください、お嬢様」
「えっ!?」
「その村娘の服の上からでは、シルエットが膨らんでしまいます。インナーになってください。……今すぐ」
俺の言葉は、命令ではなく、状況確認としての事実だった。
あと30秒。
それ以上遅れれば、アレンとカイドウのアドリブが尽き、舞台は静寂という名の放送事故に包まれる。
「……っ、はい!」
アイリスは覚悟を決めた。
彼女は震える手で、背中のファスナーを下ろした。
するり、と。
粗末な麻布の衣装が床に落ちる。
露わになったのは、彼女の無防備な肢体だった。
薄いキャミソールと、ペチコート。
純白の下着は、彼女の透き通るような肌を隠しきれていない。
鎖骨の窪み、なだらかな肩のライン、そして恥じらいに染まった太腿。
薄暗がりの中でも、その白さが眩しいほどに浮かび上がっていた。
「……み、見ないでください……」
彼女が腕で胸元を隠し、小さく身を縮める。
「見ていません。……素材を確認しているだけです」
俺は嘘をついた。
男として動揺していないと言えば嘘になる。だが、今はそれ以上に「作り手」としての血が騒いでいた。
この素材を、どう料理するか。
どうすれば、この薄汚いカーテンを、最高のドレスに変えられるか。
「失礼します」
俺は彼女の背後に回り込み、重たいカーテンを持ち上げた。
埃っぽい匂いと、古びた布の感触。
それを、彼女の華奢な身体に巻き付ける。
「ひゃうっ!?」
冷たい布地が肌に触れ、アイリスが可愛い声を上げた。
俺は構わずに作業を進める。
布を腰に巻き、きつく絞る。
「く、苦しい……」
「我慢してください。ここを締めないと、ドレスのラインが出ません」
俺の手が、彼女の腰を這う。
カーテンのドレープ(ひだ)を計算し、余った布を巧みに折り畳んでいく。
俺の指先が、布越しに彼女の体温を感じる。
彼女の心臓が、早鐘のように打っているのが伝わってくる。
「セバスチャンさん……顔、近いです……」
「動かないで」
俺は彼女の胸元に顔を寄せ、安全ピンで布を固定した。
吐息がかかる距離。
彼女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
アイリスが息を止め、目をギュッと閉じているのが分かった。
(……観察者め。これなら文句はないだろう)
俺は頭の中で、完成形をイメージしていた。
完璧な縫製などいらない。
必要なのは「見栄え」だ。
照明と動きで誤魔化せる、一瞬の美しさ。
カーテンの重厚な赤は、聖女の覚醒を象徴する「血と情熱の色」になる。
「……よし」
俺は最後の一本を背中で留め、余った布を裂いて肩紐にした。
そして、彼女の髪を留めていたゴムを外し、ふわりと広げさせた。
「目を開けてください、お嬢様」
アイリスがおずおずと目を開ける。
そこにあったのは、機材の金属面に映る、自分の姿だった。
真紅のドレス。
幾重にも重なったドレープが、優雅な陰影を作っている。
裾は切りっぱなしだが、それが逆に「戦う乙女」のような野性味を醸し出していた。
肩と背中は大胆に露出しているが、赤い布との対比で、肌の白さが際立っている。
「これが……私……?」
「ええ。シンデレラの魔法よりは強引ですがね」
俺はジャケットを整え、再び「執事」の顔に戻った。
インカムに指を添える。
「ルナ、聞こえるか?」
『はいはい! 待ってました!』
「あと5秒でヒロインが出る。照明、全部隊、中央へ集めろ。色は赤と白。……彼女の粗を隠し、神々しさだけを抽出するんだ」
『ラジャ! ハカセ、頼んだよ!』
俺はアイリスの背中を押した。
「さあ、行ってください」
「でも……セリフ、どうしよう……」
「要りません。ただ、そこに立つだけでいい」
俺は彼女の耳元で、魔法の言葉を囁いた。
「『お待たせしました、私の騎士様』……それだけで、世界は変わります」
アイリスが頷いた。
深呼吸を一つ。
彼女は、光の中へと駆け出した。
----
舞台上。
アレンとカイドウの会話が、いよいよ限界を迎えていた。
「そ、そういえば魔王よ! 昨日の晩飯はなんだった!」
「な、何を聞く勇者よ! ……カレーだ! 中辛の!」
「奇遇だな! 俺もだ!」
ダメだ。世界観が崩壊している。
客席がざわつき始めた、その時だった。
カッ!!!!
強烈なバックライトが、舞台奥から放たれた。
ハカセ渾身のレーザー照明だ。
視界が白く染まり、観客が目を細める。
その光の中から、一つの影が歩み出た。
「――お待たせしました」
凛とした声が響き渡る。
光が収束し、その姿を露わにする。
燃えるような真紅のドレス。
流れるような亜麻色の髪。
そして、決意に満ちた翠の瞳。
アイリスだ。
だが、さっきまでの「ドジっ子村娘」ではない。
ボロボロのカーテンを纏ったその姿は、まるで戦場に咲く一輪の薔薇のように、圧倒的な存在感を放っていた。
「私の……騎士様!」
彼女はアレンに向かって手を伸ばした。
「おお……!」
アレンが息を呑む。演技ではない。本気で見惚れていた。
「星の乙女よ……! いや、その姿は……戦いの女神か!」
「カイドウ魔王! 覚悟なさい!」
アイリスはカイドウを指差した。
その際、ドレスのスリット(布の隙間)から、白い太腿がチラリと覗く。
客席の男子生徒たちが「うおおおっ!」とどよめく。
「クク……! 素晴らしい!」
カイドウがマントを広げた。
「その赤……我の黒炎にこそ相応しい! さあ、来るがいい!」
舞台の空気が一変した。
停滞していた物語が、爆発的なエネルギーを得て動き出す。
俺は舞台袖の柱に寄りかかり、その光景を眺めていた。
(ログ判定:……適合率120%。衣装データ、更新)
(評価:『独創的』)
観察者のログが、驚きと共に数値を跳ね上げている。
ざまあみろ。
完璧な衣装なんて要らないんだ。
ボロボロの布切れ一枚でも、そこに「魂」が乗れば、それは世界一のドレスになる。
「……ふぅ」
俺は額の汗を拭い、大きく息を吐いた。
手には、まだアイリスの残り香と、肌の感触が残っている気がした。
心臓が少しだけ、うるさい。
やれやれ。
裏方は黒子に徹するべきだが……今回ばかりは、役得だったかもしれない。
「三城さん、ニヤニヤしてますよ」
いつの間にか戻ってきたルナが、ジト目で俺を見ている。
「してない。……作戦確認だ」
俺は表情を引き締めた。
まだ終わらない。
ヒロインは覚醒した。役者は揃った。
だが、この劇にはまだ「最大の爆弾」が残っている。
「来るぞ。……最後の乱入者が」
俺の視線の先。
舞台の反対側の袖で、真紅のドレス(本物)を着ようとして諦め、代わりに黒いライダースーツのような衣装(私服)に着替えた人物が、スタンバイしていた。
エレオノーラだ。
彼女は腕を組み、不敵な笑みを浮かべて出番を待っている。
「さあ、混ぜるぞ。光と闇、赤と黒、ポンコツと完璧超人」
俺はインカムのスイッチを入れた。
「エレオノーラ様。……出番です。思いっきり暴れてください」
『言われなくてもやりますわ。わたくしの美学、見せてあげますわ!』
次なるカオスが、幕を開ける。




