第8話 開幕、ブッツケ本番!
聖アストライア学園、講堂。
創業以来、最大級の観客動員数を記録しているその場所は、異様な熱気に包まれていた。
「おい、聞いたか? 演劇部の演目が変わったらしいぞ」
「『星の乙女と薔薇の騎士』だろ? 王道の恋愛モノじゃないの?」
「いや、さっき貼り出されたポスターには……『暴走乙女と筋肉騎士の爆裂魔法祭』って書いてあった」
「……なんだそれ」
ザワザワとどよめく客席。
無理もない。
一晩でタイトルからジャンルまで変更されたのだ。観客の期待値は「感動のラブロマンス」から「得体の知れないナニカ」へとシフトしていた。
舞台袖。
俺――執事セバスチャン(仮)は、インカムのマイク位置を調整し、鋭い眼光で舞台を見据えていた。
「各員、配置につけ。……いよいよだ」
俺の声に、各所から緊張した応答が返ってくる。
『照明班ハカセ、スタンバイ・オッケー! いつでもレーザー撃てます!』
『音響班ルナ、BGMセット完了! デスメタルから演歌まで網羅してます!』
『特効班カイドウ、火薬の導火線に点火済み。……ふふ、震えるぞ』
そして、舞台中央の幕裏。
ヒロイン・アイリスが、胸に手を当てて深呼吸をしていた。
『……セバスチャンさん。心臓が飛び出そうです』
「大丈夫です、お嬢様。心臓が飛び出しても、アレン様が筋肉でキャッチしてくれます」
『ふふ、それはそれで嫌ですけど……少し落ち着きました』
アイリスが顔を上げる。
その表情に、昨日のような悲壮感はない。あるのは、これから大波に飛び込むサーファーのような、決死の覚悟とワクワク感だ。
「時間だ。……幕を開けろ!」
ブォォォォォン……!
開演のブザーが鳴り響く。
重厚な緞帳が、ゆっくりと上がり始めた。
311回目の朝。
終わらないリハーサルの果てにたどり着いた、最初で最後の本番。
観察者よ、瞬きせずに見ていろ。
これが俺たちの出した「回答」だ。
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物語の導入は、静かに始まった。
……はずだった。
「――あぁ、平和なアストライア王国。今日も風が囁いているわ」
舞台中央。アイリス演じる『星の乙女』が、可憐に佇んでいる。
観客席から「おおっ、可愛い」「マジで天使」という声が漏れる。ここまではいい。掴みは100点だ。
だが、平和は30秒と持たなかった。
「待たせたな、乙女よ! 我が筋肉の鼓動が聞こえるか!」
ドガァァァン!!
上手の書き割りを突き破って、騎士が登場した。
通常ならドアから入るところを、彼は「壁を粉砕してエントリー」というショートカットを選んだのだ。
「ア、アレン先輩!? 早いです! まだ登場シーンじゃ……」
「些事だ! 俺の大胸筋が『今すぐ出ろ』と叫んでいた!」
アレンは舞台中央で、ビシッとサイドチェストのポーズを決めた。
その瞬間、衣装(呪われたベルセルクの鎧)がパージされ、上半身が弾け飛ぶ。
「ヌオオオオッ! ビルドアップ!」
客席が静まり返る。
ドン引きだ。
「王道ファンタジー」を見に来たはずが、開始1分で「ボディビル大会」を見せられているのだから当然だ。
(……観察者のログ、警戒レベル上昇)
(判定:意味不明。リセット準備中……)
俺の視界に、危険信号が灯る。
想定内だ。
ここで止めれば「放送事故」になる。だから、止めるんじゃない。
加速させるんだ。
「ハカセ! 照明プランCだ! アレンの筋肉にピンスポを当てろ! 神々しく見せろ!」
『イエス・マイ・ロード!』
カッ!!
強烈なスポットライトが、アレンのオイル塗れの肉体を直撃した。
陰影が強調され、その筋肉はまるでギリシャ彫刻のような芸術性を帯びて輝き出す。
「ルナ! BGM変更! 荘厳なクワイア(聖歌)だ!」
『了解です〜! ♪ハァ〜〜〜ッ!』
重厚なコーラスが響き渡る。
ただの露出狂が、光と音の演出によって、「降臨した肉体の神」へと昇華される。
「おお……なんだこれ」
「すげえ……神々しい……」
「筋肉って、あんなに光るのか……」
客席の困惑が、徐々に「畏敬」へと変わっていく。
笑っていいのか拝めばいいのか分からない。その混乱こそが、俺たちの狙いだ。
「アイリス様! アドリブです! その筋肉を讃えてください!」
『ええっ!? さ、讃える!?』
「そうです! 『まあ、なんて逞しい騎士様!』です!」
アイリスが一瞬狼狽え、それから意を決して叫んだ。
「ま、まあ! なんて素敵な……上腕二頭筋なの! まるで焼きたてのパンみたい!」
「フッ……分かっているではないか、乙女よ。この筋肉こそが、王国を守る盾なのだ!」
会話が成立した。
いや、内容は狂っているが、物語としての「流れ」は繋がった。
(ログ判定:……保留。コメディとして処理)
よし、首の皮一枚で繋がった。
だが、息つく暇はない。
「出たな、筋肉騎士! この魔王軍の先兵が相手だ!」
下手から、敵役のモブ男子生徒たちがわらわらと現れた。
彼らは演劇部の一般部員だ。急な変更に戸惑いつつも、台本通りに槍を構えている。
「やっつけろー!」
「おー!」
彼らの演技は、あまりに「普通」だった。
まずい。
このカオス空間において、「普通」であることは「異物」でしかない。観客の熱が冷めてしまう。
「マリア様! 出番です! 『掃除』の時間ですよ!」
『承知いたしました。……お待ちしておりましたわ』
シュパァァン!
風切り音と共に、黒い影が舞台に舞い降りた。
メイドのマリアだ。
彼女は両手に改造モップ(先端に刃物が仕込まれている疑惑があるが、あくまで掃除用具と言い張っている)を構え、アイリスの前に立ちはだかった。
「お嬢様の視界に、薄汚い男どもを入れるわけにはいきませんわ。……消毒します」
「えっ? ちょ、マリアちゃん? 台本にないよ!?」
モブたちが狼狽える。
しかし、マリアは止まらない。
「『旋風掃除』!」
彼女がモップを高速回転させる。
それは掃除というより、もはや暴風だ。
モブたちが「うわあああ!」と本当に吹き飛ばされ、舞台袖のマット(ガストンが事前に設置済み)へとダイブしていく。
「す、すげえ!」
「ワイヤーアクションか!?」
「いや、ガチで殴ってないかあれ?」
客席が沸く。
予定調和の殺陣ではない。本気の「排除」だからこそ生まれる迫力。
「アイリス様! マリアを止めてください! 『やりすぎよ!』と叱るんです!」
『は、はい! マリア、ダメ! 彼らは……えっと、お客様よ!』
「お嬢様がそう仰るなら……命拾いしましたわね、ゴミ屑ども」
マリアが優雅に一礼し、スカートを翻して下がる。
完璧だ。
キャラの暴走が、そのまま「最強の用心棒」という設定に上書きされた。
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物語は進む。
しかし、その進行は綱渡りどころか、燃え盛る綱の上を走るようなものだった。
第2幕。毒入りスープのシーン。
「ふふふ……お腹が空いたでしょう? 特製のスープを召し上がれ」
敵の女幹部役、コレットが登場する。
彼女が運んできた寸胴鍋からは、明らかに人体に有害そうな紫色の煙が立ち上っていた。
「……おい、ルナ。あれ、中身すり替えたよな?」
『はい! 普通のコンソメスープです! ……たぶん』
「たぶん!?」
コレットが不敵に笑う。
「さあ、飲み干して! 隠し味は『愛の痺れ薬(マヒマヒの実)』ですぅ!」
彼女がスープを、捕虜役のモブ生徒の口にねじ込む。
モブ生徒が白目を剥いて倒れる……はずだった。
「う、うおおおっ!? なんだこれ、美味い! いや、身体が熱い!?」
モブ生徒が突然起き上がり、奇妙なダンスを踊り始めた。
「愛だ! 愛が見えるぞー!」
「俺も飲む! 俺も混ぜろー!」
次々とスープを飲み、次々とラリって踊り出す敵兵たち。
舞台上が一瞬で「クラブ・アストライア」と化した。
「……コレット様。何を入れました?」
『えへへ。普通のスープじゃつまらないので、栄養ドリンクとタバスコと、あと『笑い茸の粉末』を少々』
「笑い茸ェッ!?」
アウトだ。法的にアウトだ。
だが、観客は大爆笑している。
敵兵たちが笑顔でラインダンスを踊るというシュールな光景が、カオスな世界観に奇跡的にマッチしている。
「カイドウ! 今だ! この狂乱を『儀式』に見せかけろ!」
『ククク……任せろ執事! 闇の宴の始まりだ!』
カイドウが指を鳴らす。
ボンッ! ボボボンッ!
舞台の四隅から、色のついた煙幕が噴き出す。
毒々しい紫と緑の煙が、踊り狂うモブたちを包み込み、なんとも言えない「世紀末感」を演出する。
「うわあああ! カオスだ!」
「意味わかんねえけど面白え!」
「アイリス逃げてー!」
客席のボルテージは最高潮だ。
もはや誰も「筋書き」なんて気にしていない。次になにが起こるか分からないスリルを楽しんでいる。
(ログ判定:予測不能。……だが、観客満足度は上昇中)
(エラー率:80%……ギリギリ耐えてるか)
俺は額の汗を拭った。
インカムを握る手が滑る。
胃が痛い。
だが、心地よい疲労感でもあった。
自分の書いた台本通りに進む劇なんて、退屈なだけだ。
俺が欲しかったのは、この「制御不能な熱狂」だったのかもしれない。
「……だが、まだ終わらんぞ」
俺は次のシーン表を見た。
ここまでは序盤。
次はいよいよ、あのアドリブ下手のアイリスが、一人で場を繋がなければならない「着替え(早変わり)シーン」だ。
そして、俺の予感通り。
トラブルの女神は、最高のタイミングで意地悪をしてきた。
『……せ、セバスチャンさん! 大変です!』
インカムから、アイリスの悲鳴に近い声が響いた。
「どうしました?」
『衣装が……次のシーンのドレスが、ないんです!』
「何?」
『さっきの爆発で吹き飛んだのか、どこを探しても見当たらなくて……! 出番まであと30秒しかないのに!』
衣装紛失。
舞台役者にとって、死刑宣告にも等しいトラブル。
今、舞台上ではアレンとカイドウが時間を稼いでいるが、それも長くは持たない。
アイリスが今の格好(ボロボロの村娘服)のまま出れば、物語の進行上、覚醒シーンが成立しない。
万事休すか。
いや。
「……ありませんね?」
『え?』
「代わりの衣装なんて、どこにもありませんね?」
『はい……どうしよう……』
俺は袖をまくり、眼鏡を外してポケットに入れた。
執事の仮面を、一瞬だけ捨てて。
「ないなら、作るまでです」
『つ、作る!? あと20秒で!?』
「ええ。……3秒あれば十分だ」
俺は舞台袖にあった、予備の「真紅のカーテン」を力任せに引きちぎった。
バリバリッという音が響く。
巨大な赤い布きれ。
それと、安全ピン数本。
「お嬢様。こっちへ」
「ひゃっ!?」
俺はアイリスを舞台袖の暗がりに引き寄せた。
そして、躊躇なく彼女の身体に、その赤い布を巻き付けた。
「じっとしててください。……魔法をかけますから」
これは執事の仕事じゃない。
物語を紡ぐ者としての、最後のアドリブだ。
俺たちの戦いは、まだ終わらない。
このブッツケ本番の舞台裏で、奇跡のドレスアップが始まろうとしていた。




