第7話 30点の脚本と、100点の情熱
310回目の夜。
屋上でアイリスが「主役を続ける」と決意してから、数分後。
俺とアイリスは、講堂の重い扉の前に立っていた。
「……行けますか、お嬢様」
「はい。……ちょっとだけ、足が震えてますけど」
アイリスは深呼吸をし、パンと両手で自分の頬を叩いた。
その顔には、もう迷いはない。泣き腫らした目は少し赤いが、そこに宿る光は、今まで見たどんな時よりも強かった。
「開けます」
ギギギ……
扉が開く。
講堂の中は、奇妙なほど静まり返っていた。
舞台上では、エレオノーラが腕を組んで仁王立ちしており、その周囲でアレンやカイドウたちが気まずそうに視線を彷徨わせていた。
アイリスが逃げ出してから、リハーサルは中断していたらしい。
「あら。やっとお戻りになりまして?」
エレオノーラが、刺すような視線を向けてくる。
彼女はまだ、あの「主役の座」を示すスポットライトの中に立っていた。
「泣きべそかいて逃げ出したと思いましたが……まだ何か用がおありでして?」
「はい。……ごめんなさい、エレオノーラさん。リハーサルを止めてしまって」
アイリスは舞台の下まで歩み寄り、深く頭を下げた。
そして、顔を上げる。
「でも、その場所……返していただきに来ました」
「は?」
「そこは、私の場所です。私が、この『星の乙女』の主役ですから」
凛とした声。
これまでの自信なさげな態度は消え失せていた。
エレオノーラが目を丸くし、それからフンと鼻を鳴らす。
「何を根拠に? システムはわたくしを選びましたのよ? 貴女よりわたくしの方が、美しく、完璧に演じられますわ」
「ええ、知っています。エレオノーラさんはすごいです。演技も上手だし、スタイルもいいし……私なんて、足元にも及びません」
アイリスは素直に認めた。
そして、舞台の袖にいるアレンたち――10人の暴走キャストたちを見渡した。
「でも……この劇は、完璧じゃダメなんです」
「どういうことですの?」
「みんなが暴れて、壊して、めちゃくちゃにする……そんな『最高に楽しい劇』の真ん中に立てるのは、完璧な貴女じゃありません」
アイリスはニカっと笑った。
それは、どこか吹っ切れたような、悪戯っ子のような笑顔だった。
「みんなと一緒に泥だらけになって笑えるのは、ポンコツな私だけですから!」
その言葉に、アレンが「むっ」と反応し、カイドウが「ククッ」と口元を歪めた。
完璧な演技よりも、泥臭い共感を。
それは、彼らの「エゴ」の琴線に触れる宣言だった。
「……ハッ! よく言いましたわ!」
エレオノーラは扇子を閉じ、舞台から降りてきた。
悔しそうに、けれどどこか清々しそうに、アイリスの前で立ち止まる。
「いいでしょう。そこまで仰るなら、見せていただきましょうか。その『最高に楽しい劇』とやらを。……もし少しでも退屈だったら、その時は力ずくで引きずり下ろしますわよ!」
「はい! 望むところです!」
アイリスが舞台に駆け上がる。
スポットライトが、彼女を包み込む。
システムが推奨した配役ではない。彼女自身の意志が、光を呼び戻したのだ。
「――さて」
俺――執事セバスチャン(仮)は、パンパンと手を叩いて注目を集めた。
「感動の再起劇はここまでです。皆様、集合してください。ここからは『作戦会議』の時間です」
俺は教卓代わりの台に、分厚い書類の束をドサリと置いた。
それは先ほどまで使っていた台本ではない。
屋上からここへ来るまでの短い時間で、ルナに並列演算させて出力した、まだインクの匂いがする「新しい設計図」だ。
「執事、それは?」
カイドウが怪訝な顔をする。
「新しい台本……いいえ、『指令書』です」
俺は眼鏡を光らせ、ニヤリと笑った。
「これより、演目『星の乙女と薔薇の騎士』の全面改稿を行います。テーマは――『カオスの完全肯定』です」
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「肯定……だと?」
アレン王子が眉をひそめる。「俺の筋肉を禁止するのではないのか?」
「ええ、禁止しません。むしろ推奨します」
俺はホワイトボードに、マジックで大きく書き殴った。
【ルール1:我慢するな】
「私は気づきました。貴方たちの個性を抑え込むことは、火山の噴火口に蓋をするようなものだと。そんなことをすれば、ストレスが爆発して世界ごと吹き飛びます」
「む……まあ、否定はせんが」
「ですので、方針を180度転換します。――出してください。全部」
俺はアレンを指差した。
「アレン様。貴方の筋肉、採用します。ただし、『騎士の鎧』としてではなく、『呪われたベルセルクの肉体』という設定に変更します」
「なっ……!?」
「セリフの語尾に『マッスル』をつけるのも許可します。それは『筋肉の神への祈り』ということにします」
「おおおっ! 分かっているではないか執事! そうだ、俺の筋肉は神聖なものなのだ!」
アレンが感涙にむせびながらポーズをとる。
次はカイドウだ。
「カイドウ様。貴方の黒魔術と爆破エフェクト、採用します。物語のクライマックス、魔王城の崩壊シーンで、手持ちの火薬を全て起爆してください」
「ククク……全て、か? 学園が消し飛ぶぞ?」
「構いません。どうせリセットされれば直ります。派手にやってください」
「ハッハッハ! 気に入った! 貴様、やはり同志であったか!」
さらに、コレット。
「コレット様。惚れ薬入りスープ、採用です。劇中、敵兵に振る舞う『毒入りスープ』として使ってください。飲んだ敵役がラリって踊り出す演出を追加します」
「きゃあ! 素敵ですぅ! やっぱり料理はケミカルですよねぇ!」
そして、マリア。
「マリア様。貴方には『裏切り者のメイド』ではなく、『最強の用心棒』として、お嬢様に近づく敵をモップで薙ぎ払うアクションシーンを用意しました」
「……お嬢様をお守りできるのなら、配役など些細な問題です。承知いたしました」
会場がどよめく。
無理もなかろう。今まで「やめろ」「静かにしろ」と言われ続けてきた彼らにとって、これは天地がひっくり返るような提案だ。
「ですが、条件が一つだけあります」
俺は人差し指を立て、声を低くした。
「【ルール2:主役を殺すな】」
全員の視線が俺に集まる。
「どれだけ暴れても構いません。筋肉を見せつけようが、爆発させようが自由です。……ただし、その全ての行動は、最終的に『アイリス様を輝かせるため』に使ってください」
「……ほう?」
「アレン様、貴方の筋肉で壁を壊すなら、それは『囚われた姫を助けるため』に壊してください。カイドウ様、爆発させるなら、『姫の退路を作るため』に爆発させてください」
俺はアイリスの肩に手を置いた。
「この劇の座長は、彼女です。彼女がゴールテープを切れるなら、道中はどれだけ蛇行しても、コースアウトしても構いません。……全員で、このポンコツな主役を、カオスの彼方まで担ぎ上げてください」
静寂が落ちる。
彼らは互いに顔を見合わせ、それから――ニヤリと笑った。
「フン……世話の焼ける姫だ」
アレンが腕を組む。
「だが、悪くない。最強の筋肉が守るに値する弱さだ」
「ククク……深淵の闇を従えるには、それなりの光が必要だからな」
カイドウが眼帯を直す。
「お嬢様を輝かせる。……それこそがメイドの本懐ですわ」
マリアがモップを構える。
空気が変わった。
バラバラだった10個のベクトルが、強引に、しかし確実に、「一つの方向」へと向き始めた瞬間だった。
「では、配ります。これが今夜中に叩き込む『アドリブ進行表』です!」
俺は全員に書類を配った。
そこには、セリフはほとんど書かれていない。
書かれているのは、『ここで爆発』『ここで筋肉』『ここで暴走』という、ト書き(アクション指示)だけだ。
「セリフは? 覚えてません!」
「動きは? 適当です!」
「ゴールは? 感動のフィナーレ!」
俺は叫んだ。
「さあ、練習時間は残り12時間! 300回の失敗を糧にして、最高に無茶苦茶な本番を迎えましょう!」
「「「おうッ!!」」」
野太い歓声が講堂を揺らした。
その熱量は、今までのどのループよりも高く、そして熱かった。
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そこからは、まさに「地獄の合宿」だった。
リハーサルではない。即興劇の千本ノックだ。
「アレン、筋肉が足りません! もっとポーズをキレさせろ! ただしアイリス様のセリフには被せるな!」
「ヌオオオ! 了解だ! サイドチェストで待機する!」
「カイドウ、爆破タイミングが早いです! アイリス様が『愛しています』と言った瞬間に起爆しろ!」
「注文が細かいな執事! だが、そのタイミング……美しい!」
「ハカセ、照明をレーザーにするな! いや、待て……クライマックスならアリか? よし、許可する! アイリス様の後光として使え!」
「イエス・マスター! 出力最大!」
俺は舞台袖でインカムを飛ばし続け、指示を出し続けた。
アイリスも必死だった。
彼女はアドリブの嵐の中で、もみくちゃにされながらも食らいついていた。
「きゃあ!? また爆発!?」
「姫! 俺の大胸筋に掴まるのだ!」
「ううっ、ありがとうアレン先輩! ……あ、服が破けましたよ!?」
「些事だ! マッスル!」
失敗の連続だ。
だが、不思議と「停滞」感はなかった。
失敗するたびに、彼らはゲラゲラと笑い、アイリスも「もう、なんなのこれー!」と笑っていた。
悲壮感がない。
あの重苦しかった「失敗したら終わり」という空気が消え、「失敗しても次がある(どうせアドリブだし)」という開き直りが生まれていた。
(……いける)
俺は確信した。
観察者のログをチェックする。
『警告:シナリオ逸脱率400%』
『警告:キャラクター性格崩壊』
『判定:……予測不能』
いつもの「リセット」が来ない。
システムが戸惑っているのだ。あまりに型破りすぎて、これが「失敗」なのか「新しい芸術」なのか判断できずにいる。
その隙を突く。
判断を保留させたまま、最後まで突っ走る。
「三城さん、コーヒーです」
深夜2時。休憩中、ルナが缶コーヒーを差し出してきた。
彼女も照明係として走り回っていたため、髪がボサボサだ。
「ありがとう。……状況は?」
「すごいです。みんなのテンションがおかしいことになってます。いわゆる『文化祭マジック』ですね。ランナーズハイ状態で、疲れを感じてません」
「明日(というか今日)の本番が終わったら、全員気絶するだろうな」
「ですね。……でも、楽しそうです」
ルナが舞台を見る。
そこでは、アレンとカイドウが「どっちの演出が目立つか」で喧嘩し、それをアイリスが苦笑しながら仲裁していた。
マリアがエレオノーラの衣装(例の特注品)を修繕し、コレットが夜食のおにぎり(具は普通)を配っている。
バラバラだったピースが、歪な形のまま、奇跡的に噛み合おうとしている。
「……30点、か」
俺はコーヒーを啜った。
100点の完成度には程遠い。技術も構成もガタガタだ。
だが、熱量だけなら1000点を超えている。
「これなら、あの潔癖症の神様も、火傷するかもしれんな」
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そして、朝が来た。
311回目の朝日。
いや、ループを抜けるための「最初で最後の当日」の朝だ。
講堂の窓から差し込む光が、雑魚寝しているキャストたちを照らす。
床には衣装の端切れや、書き直された台本が散乱している。
祭りのあとのような、あるいは祭りの前の静けさ。
「……んぅ……」
アイリスがむくりと起き上がった。
彼女は俺の上着を毛布代わりにしていたらしい。
寝癖がついている。目の下にはクマがある。
決して「美しいヒロイン」の寝起きではない。
「おはようございます、座長」
俺は声をかけた。
「あ……セバスチャンさん。おはようございます」
彼女は目をこすり、周囲を見渡した。
泥のように眠る仲間たちを見て、ふにゃりと笑う。
「……夢じゃ、なかったんですね」
「ええ。現実です。そして、あと3時間で幕が開きます」
「3時間……」
アイリスは立ち上がり、大きく伸びをした。
「怖い?」
「怖いです。……でも、楽しみです」
彼女は拳を握りしめた。
「私、昨日の練習で分かった気がします。私がやるべきことは、上手に演じることじゃなくて……このカオスな波に乗って、みんなと一緒にゴールまで転がっていくことなんだって」
「その通りです。サーフィンのようなものですよ。波に逆らえば溺れますが、乗ってしまえば、どこまでも行けます」
俺は懐中時計を取り出し、蓋を開けた。
針は刻一刻と進んでいる。
もう、リセットは許されない。
ここから先は、一発勝負のノンストップだ。
「起きろオオオオッ!!」
俺はありったけの声量で怒号を上げた。
ビクッとして全員が飛び起きる。
「本番だ! 顔を洗え! 衣装を着ろ! 筋肉をパンプさせろ! 火薬を詰めろ!」
「ぬおっ!? 朝か!?」
「我が魔力が……充実している!」
ドタバタと動き出すキャストたち。
その顔に、昨日のような悲壮感はない。
あるのは、これから始まる「祭り」への飢えた獣のような興奮だけだ。
「行くぞ、野郎ども!」
アレンが叫ぶ。
「我らの狂気を、世界に見せつける時だ!」
「「「オオオオオッ!!」」」
開演のチャイムが鳴る。
観客(全校生徒)が入場してくる足音が聞こえる。
観察者の視線が、冷ややかに舞台を見下ろしている気配がする。
(見てろよ、システム)
俺は舞台袖で、インカムを装着した。
指揮者のタクトを振るように、俺は指を掲げる。
「演目『星の乙女と薔薇の騎士』……改め、『暴走乙女と筋肉騎士の爆裂魔法祭』、開演です!」
幕が上がる。
10人の暴走キャストによる、最初で最後の舞台が始まった。




