第5話 筋肉と爆発のシンフォニー
305回目の朝。
俺――執事セバスチャン(仮)は、夜明け前の薄暗い校舎を疾走していた。
「……よし。今のうちに処理するぞ」
足音を殺し、影のように廊下を移動する。
手には「暴走キャスト対応リスト」と、巨大な麻袋。
今回の作戦名は『武装解除』だ。
前回の失敗から学んだことがある。
彼ら――アレン、カイドウ、マリア、コレットといった面々は、説得しても無駄だ。彼らの「個性」は、もはや宗教に近い。口で言って聞く相手ではない。
ならば、物理的に「暴走できない状態」にするしかない。
俺は第一の目的地、家庭科室(料理部の根城)へと忍び込んだ。
「スー……スー……」
部屋の隅で、コレットが鍋を抱いて寝ている。
寸胴鍋からは、相変わらず毒々しい紫色の煙が立ち上っていた。
俺は音もなく鍋に近づき、中身を確認する。
【鑑定:惚れ薬入り激辛スープ(致死量)】
【効果:飲んだ者は理性を失い、全裸で愛を叫びながら走り出す】
「……テロ兵器かよ」
俺は躊躇なく鍋の中身をシンクに廃棄した。
そして、代わりに用意しておいた「市販のコンソメスープ(無添加・安全)」を注ぎ込む。
さらに、棚に並んでいた怪しげな調味料――『トカゲの黒焼き』『マンドラゴラの根』『愛の媚薬(濃縮還元)』――を全て回収し、麻袋へと放り込んだ。
「よし。これでコレットは無害化完了」
次は、科学準備室だ。
ハカセが机に突っ伏して寝ている隙に、彼が改造中だった照明機材をチェックする。
【鑑定:レーザー・ストロボ】
【出力:網膜を焼くレベル】
「没収だ」
俺はドライバーを高速で回転させ、機材の出力リミッターを物理的に溶接して固定した。さらに、彼が隠し持っていた工具類を全て回収する。
続いて、魔術部の部室。
カイドウの「黒魔術セット(火薬)」を全て水に浸し、ただの濡れた紙屑に変える。
体育館裏の大道具倉庫。
ガストンが隠していたハンマーやチェーンソー(なぜ演劇に必要なんだ?)をチェーンでぐるぐる巻きにして封印する。
そして最後に、アレン王子のロッカー。
中には大量のプロテインと、ダンベル、そして「いつでも脱げるように加工された衣装」が入っていた。
俺は衣装の縫い目を全て補強し、ガムテープで裏打ちし、絶対に破れないように加工した。
「……ふぅ」
朝日が差し込む頃、俺の麻袋はパンパンに膨れ上がっていた。
完璧だ。
武器を奪われた兵士は戦えない。
道具を奪われた彼らは、ただの「元気な高校生」に戻るはずだ。
「おはようございます、セバスチャンさん!」
校門の前で、アイリスが元気に手を振っていた。
彼女の記憶はリセットされているが、その表情は明るい。
「おはようございます、お嬢様」
「今日はなんだか、上手くいく気がするんです! 根拠はないんですけど!」
「ええ。その予感、的中させてみせますよ」
俺は微笑み、パンパンの麻袋を茂みに隠した。
さあ、305回目のリハーサル。
今日こそは「平穏無事」な一日をプレゼントしてやる。
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午後。講堂での通しリハーサル。
異変の兆候は、あまりにも静かすぎることだった。
「……あれ?」
舞台袖で、コレットが首を傾げている。
彼女はお玉でスープを味見し、困惑した顔をしていた。
「おかしいですぅ……。刺激が足りないですぅ……。あの喉が焼けるような灼熱の愛が、どこにもない……」
「コレットさん、どうしたの?」
「アイリスさん……私のスープが、ただの『美味しいスープ』になっちゃいましたぁ……」
「えっ、すごいじゃない! やっと成功したんだね!」
アイリスは喜んでいるが、コレットの目は死んでいた。
彼女にとって「普通に美味しい」は「失敗」と同義なのだ。
一方、照明ブース。
ハカセがスイッチを入れるが、期待していた閃光は走らない。
ポウッ……と、優しい明かりがつくだけだ。
「な、なぜだ……! 僕の『ファイナル・フラッシュ』が……こんな豆電球みたいな輝きに……!」
ハカセがガタガタと震えながら、操作盤を叩いている。だが、俺が溶接したリミッターはビクともしない。
舞台上。
カイドウが右手を掲げ、詠唱を始める。
「闇よ! 深淵より来たりて、我に力を……!」
シーン。
何も起きない。スモークも出なければ、黒炎も上がらない。
ただ、少し湿気った空気が流れるだけだ。
「……なぜだ? 我が魔力が枯渇したというのか……?」
カイドウが焦って懐を探るが、仕込んでいた火薬は全て濡れ雑巾になっている。
そして、アレン王子。
彼は舞台中央で、必死に服を脱ごうとしていた。
「ぬんッ! ふんッ! ……ぬおおおっ!?」
だが、脱げない。
俺がガムテープと接着剤で補強した衣装は、鋼鉄の如き強度で彼の上半身をガードしていた。
ビリッ、とも言わない。
「バ、バカな……! 俺の大胸筋が、布ごときに封じ込められるだと……!?」
舞台は、かつてないほど「平和」に進んでいた。
スープは安全。照明は適正。爆発はなし。露出狂も不在。
アイリスは順調にセリフを言っている。
「おお、騎士様。どうか私を助けてください……」
完璧だ。
俺は舞台袖で、勝利のガッツポーズをした。
これなら観察者も文句はないはずだ。100点の予定調和には届かずとも、少なくとも60点の合格ラインは超えている。
だが。
俺は忘れていた。
彼らがなぜ「暴走キャスト」と呼ばれるのかを。
彼らの異常性は、道具に依存しているのではない。彼らの魂そのものが、異常な熱量を帯びているのだということを。
「……うぅ……」
アレンの呻き声が聞こえた。
見れば、彼の全身が小刻みに震えている。
顔は真っ赤に充血し、首の血管が浮き上がっている。
「アレン先輩? 大丈夫ですか?」
アイリスが心配そうに覗き込む。
「……出せない……俺の筋肉が……出せない……!」
「え?」
「筋肉は……叫びたがっているんだ!!」
ブチブチブチィィィッ!!
限界突破。
アレンの筋肉が、ついに衣装の耐久限界を超えた。
いや、破ったのではない。
彼の筋肉が異常なパンプアップ(膨張)を起こし、衣装ごと身体が一回り巨大化したのだ。
「ヌオオオオオッ! 解放ッ!!」
アレンが咆哮する。
その衝撃波で、周囲のセットがガタガタと揺れた。
「ア、アレン先輩!?」
「すまないアイリス! 俺は気づいた! 服が脱げないなら、脱がずに表現すればいい! 筋肉とは、魂の振動なのだから!」
アレンが奇妙な動きを始めた。
高速でポージングを繰り返しながら、舞台を走り回る。
サイドチェスト、モストマスキュラー、アブドミナル・アンド・サイ。
その動きがあまりに速すぎて、摩擦熱で空気が揺らぎ始める。
「見えるか! これが俺の『不可視の筋肉』だ!」
暴走は伝染する。
抑圧されていた他のメンバーにも、火がついた。
「フフ……そうだ、道具など不要! 我自身が闇になればいい!」
カイドウが眼帯を引きちぎる。
彼が全力で中二病マインドを解放した結果、なぜか舞台上の照明が明滅し、ポルターガイストのような現象が起き始めた。魔力ではない。ただの気迫が電気系統に干渉しているのだ。
「私も負けません! 味がないなら、愛(物理)を込めますぅ!」
コレットが寸胴鍋を持ち上げた。
そして、高速で鍋を振り回し、遠心力でスープを霧状に散布し始めた。
「喰らえ! 愛のミストシャワー!」
「うおおおっ! 俺も混ぜろ!」
ガストンが素手で床板を引き剥がし、即席の棍棒にして暴れ回る。
地獄絵図。
いや、前よりも酷い。
前回は「演出過剰」だったが、今回は「集団ヒステリー」だ。
抑圧されたストレスが爆発し、彼らは台本も役柄も忘れて、ただ本能のままに暴れ回っている。
「きゃあああ! な、なんなのこれぇぇ!?」
アイリスが舞台中央で、暴風雨のようなカオスの中心に取り残されていた。
アレンの筋肉旋風、コレットのスープ霧、カイドウの謎の暗黒舞踏。
それらが混ざり合い、舞台上に巨大な「混沌の渦」が発生する。
「……マズイ」
俺は青ざめた。
これはリセットで済む話じゃない。
彼らのエゴが物理法則をねじ曲げ、この空間そのものを崩壊させようとしている。
観察者がボタンを押すよりも早く、世界が「エラー落ち」する!
『三城さん! ログが真っ赤です! 処理落ちしてます!』
ルナの悲鳴。
「アレン! 止まれ! それ以上筋肉を振動させるな!」
「聞こえん! 今の俺は、筋肉と対話している!」
ドガァァァァァン!!
ついに、舞台の床が抜けた。
アレンのステップの衝撃に耐えきれず、講堂の基礎部分が崩壊したのだ。
崩れ落ちる瓦礫。
舞い上がる土煙。
その中で、アイリスが宙に投げ出されるのが見えた。
「――っ! アイリス!」
俺は飛び出した。
執事としての身体能力をフル稼働させ、瓦礫を蹴って空中の彼女へ手を伸ばす。
「セバスチャン、さん……!」
彼女の指先に触れた。
だが、遅かった。
ピシッ。
世界の亀裂。
空から、無慈悲な電子音が降り注ぐ。
『――システムエラー。強制終了』
それは観察者の「カット」ですらなかった。
ワールドコアが、あまりの負荷に耐えきれず、安全装置を作動させた音だった。
視界がノイズに飲まれていく。
崩壊する講堂の中で、アレンたちの馬鹿笑いだけがエコーのように響いていた。
305回目のループ。
結果:全滅。
死因:筋肉と自己主張による、世界の処理落ち。
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――ガバッ!
俺はベッドから跳ね起きた。
全身汗だくだった。
心臓が早鐘を打っている。
窓の外を見る。
小鳥がさえずり、朝日が昇っている。
306回目の朝。
世界は何事もなかったかのように修復され、リセットされていた。
「……はぁ、はぁ……」
俺は顔を覆った。
ダメだ。
各個撃破も、武装解除も、全く意味がなかった。
彼らの暴走は、道具を取り上げたくらいで止まるような生温いものじゃない。
むしろ、抑圧すればするほど、その反動は大きく、破壊的になる。
『三城さん……大丈夫ですか?』
枕元の端末から、ルナの心配そうな声がする。
「……ああ。だが、分かったよ」
俺はふらつく足で立ち上がり、洗面所へ向かった。
鏡を見る。
そこには、疲労困憊の執事の顔があった。
「彼らを『止める』のは不可能だ」
「えっ? じゃあ、どうするんですか? 諦めるんですか?」
「いいや」
俺は冷たい水で顔を洗い、眼鏡をかけ直した。
「止められないなら、走らせるしかない」
「走らせる?」
「ああ。暴走するエネルギーを抑え込むんじゃなく、そのベクトルを『劇の成功』という一点に向ける。……たとえそれが、台本を無視したアドリブだらけの道だとしてもな」
俺は悟った。
このループを抜ける鍵は、「100点の予定調和」を作ることではない。
観察者が求めている「完璧」は、このメンバーでは永遠に作れない。
ならば。
観察者の想定を遥かに超える「30点だけど最高に熱いカオス」を叩きつけて、無理やり納得させるしかない。
だが、それには問題がある。
その「カオスの中心」に立つヒロイン――アイリスの心が、限界を迎えていた。
「……今日あたり、来るな」
俺は予感していた。
何度やっても失敗する現実に、無自覚な記憶の蓄積に、彼女の心がポッキリと折れる瞬間が。
そして、それこそが観察者の本当の狙いなのだ。
アイリスを絶望させ、主役を降板させること。
「行かなくちゃな」
俺は燕尾服に袖を通した。
今日はおそらく、最も辛い一日になる。
だが、ここを乗り越えなければ、フィナーレへの道は開けない。
306回目の前夜祭。
嵐の前の静けさの中、俺は静かに部屋を出た。




