第4話 ライバル令嬢のサイズ違い
302回目の作戦会議――もとい、学級崩壊寸前のホームルームが解散した後。
俺とアイリスは、放課後の講堂に残っていた。
「……はあ。すみません、セバスチャンさん。みんな、言うことを聞いてくれなくて」
舞台の縁に座り込み、アイリスがしょんぼりと肩を落とす。
その手には、先ほどアレンの筋肉によって引き裂かれた台本の残骸が握りしめられている。
「謝る必要はありません、お嬢様。彼らの自我が強すぎるだけです。……正直、想定の範囲内ですよ」
俺――執事セバスチャン(仮)は、箒で床に散らばった紙吹雪を掃きながら答えた。
強がりではない。
アレンの筋肉も、カイドウの黒炎も、マリアの殺意も、ある程度は計算できる「変数」だ。
彼らは暴走するが、そのベクトルは常に一定だ。アレンなら筋肉、コレットならスープ。その単純さは、扱いようによっては武器になる。
だが。
このループには、まだ俺が制御しきれていない「最大の不確定要素」が存在する。
「お嬢様。そろそろ時間です」
「え? 時間って……」
「来ますよ。嵐が」
俺が懐中時計を確認した、その瞬間だった。
バァァァァン!!
講堂の扉が、物理法則を無視した勢いで両開きになった。
西日が差し込み、逆光の中に一つのシルエットが浮かび上がる。
同時に、どこから手配したのか、真紅の薔薇の花びらが舞い散り、ファンファーレのような高笑いが響き渡った。
「オーッホッホッホ! 見つけましたわよ、泥遊びをしている皆様!」
コツ、コツ、コツ。
ヒールの音を高らかに鳴らして入場してきたのは、縦巻きロールの金髪を揺らす、派手な令嬢だった。
深紅のドレスを纏い、扇子で口元を隠すその姿。
学園の理事長の娘にして、演劇部の元エース。
そして、アイリスの永遠のライバル(自称)。
エレオノーラ・ローズベルト。
この物語における「完璧な悪役令嬢」の登場である。
「エ、エレオノーラさん!?」
アイリスが怯えたように身を縮める。
「あらあら、相変わらず辛気臭い顔ですこと。そんな顔で舞台に立つなんて、観客への冒涜ですわよ?」
エレオノーラは舞台の下まで歩み寄ると、見下ろすような視線(物理的には舞台上のアイリスの方が高いのだが、精神的マウントによって見下ろしているように見える)を向けた。
「聞きましてよ? リハーサルが全く上手くいっていないとか。スライムまみれになったり、筋肉博覧会になったり……アストライア学園の恥さらしもいいところですわ」
「うっ……そ、それは……」
「だから! わたくしが救済に来て差し上げましたの!」
彼女はバッと扇子を閉じて、ビシッとアイリスを指差した。
「単刀直入に言いますわ。――主役を代わりなさい、アイリス」
「えっ?」
「貴女には荷が重すぎますのよ。わたくしが代役として、この劇を『完璧な芸術』に昇華させてあげますわ!」
出た。
俺は眼鏡の位置を直しながら、ため息を殺した。
彼女の行動原理は、悪意ではない。「私がやった方が上手くいくのだから、私がやるべきだ」という、純度100%の善意と自信だ。
そして厄介なことに、彼女には実際にその実力がある。
「で、でも……この劇は、私が脚本を書いたもので……」
「脚本? あんなご都合主義の駄文、わたくしが即興で書き直しますわ。貴女は裏方で照明でも当てていらっしゃい。それが一番輝ける場所ですわよ?」
エレオノーラの言葉は辛辣だ。
だが、その背後には「観察者」の意思が見え隠れする。
システムは、ポンコツなアイリスを見限り、完璧なエレオノーラを主役に据えたがっている。この交代劇を受け入れれば、おそらくループは終わるだろう。
「100点の予定調和」として。
(だが、それは俺たちの勝利条件じゃない)
俺が一歩前に出ようとした時だった。
「……嫌です」
蚊の鳴くような、しかし芯のある声が聞こえた。
アイリスだ。
彼女は震える手でスカートを握りしめ、エレオノーラを真っ直ぐに見返していた。
「嫌……? 今、なんと仰いましたの?」
「嫌です! 主役は……私がやります! だって、みんなと約束したもの! 下手くそでも、最後までやり切るって!」
アイリスの叫び。
それは、109回の失敗を経て、なお折れなかった彼女の魂の叫びだった。
「……生意気ですわね」
エレオノーラのこめかみに青筋が浮かぶ。
彼女は扇子を放り投げ、舞台へと駆け上がった。
「口で言っても分かりませんのね! いいでしょう、ならば実力行使ですわ! その衣装をよこしなさい!」
「えっ、きゃあ!? な、何するんですか!?」
エレオノーラがアイリスに掴みかかる。
物理的な「主役強奪」の始まりだった。
「ちょっと、脱ぎなさいよ! その『星の乙女』の衣装は、わたくしの方が似合いますの!」
「や、やめてください! 破れちゃいますぅ!」
舞台上で繰り広げられるキャットファイト。
いや、一方的な剥ぎ取りだ。
俺は止めに入るべきか迷ったが、エレオノーラの背後に強烈な「イベント発生フラグ」が立っているのを見て、足を止めた。
この展開……使えるかもしれない。
「離してぇ……!」
「ええい、往生際が悪いですわね! ……取れましたわ!」
スポーン!
エレオノーラが力任せに引っ張った拍子に、アイリスの上着とスカートの一部が剥ぎ取られた。
アイリスは「ああん!」と声を上げてうずくまり、インナー姿で隠れる。
「フフン! 見なさい、これが主役の証!」
奪い取った純白の衣装を掲げ、エレオノーラは勝ち誇った。
「さあ、今すぐ着替えて証明して差し上げますわ。どちらが真の『星の乙女』に相応しいかを!」
彼女は舞台袖の簡易更衣室(衝立)の裏へと飛び込んだ。
ガサゴソと衣擦れの音が響く。
「あ、あの……エレオノーラさん、待ってください!」
インナー姿のまま、アイリスが慌てて声を上げる。
「その衣装、私のサイズに合わせて作った特注なんです! だから……」
「お黙りなさい! 貴女ごときに入って、このわたくしに入らないはずがありませんわ! ……んぐっ、くっ!?」
衝立の向こうから、不穏なうめき声が漏れ始めた。
「……あら? おかしいですわね。袖が……通りませんわ……」
「だ、だから言ったのに……」
「いいえ! 入りますわ! わたくしは完璧ですもの、どんな衣装でも着こなして……んぐぐっ! ふぬぅっ!」
ギリギリギリ……
布が悲鳴を上げている。
繊維の一本一本が限界まで引き伸ばされ、断末魔を上げている音だ。
「エレオノーラ様、無理はいけません」
俺は冷静に忠告した。
「物理法則は、貴女のプライドよりも頑固ですよ」
「黙りなさい執事! これは……試練ですわ! 衣装がわたくしを試しているのです! ……入った! ファスナー、上がりなさいッ!」
ブチブチブチッ!!
不吉な音と共に、エレオノーラが衝立を蹴り飛ばして飛び出してきた。
「ジャジャーン! 見なさい、この完璧な姿を!」
全員の時が止まった。
そこにいたのは、確かに『星の乙女』の衣装を着たエレオノーラだった。
だが、その姿は「完璧」とは程遠く――ある意味で、破壊的だった。
「……っぷ」
どこかから、吹き出すような音が聞こえた。
まず、胸元だ。
アイリスは慎ましい体型だが、エレオノーラは発育が良い。学園でも指折りのプロポーションを誇る彼女が、アイリスサイズの衣装を着た結果。
胸元の布地は限界まで引っ張られ、双丘の形をくっきりと浮き彫りにしていた。
ボタンは今にも弾け飛びそうで、悲痛な音を立てて震えている。谷間が、布の隙間から強烈に主張していた。
そして、もっと深刻なのは下半身だ。
身長差があるため、スカート丈が致命的に足りていない。
本来なら膝下まであるはずの優雅なドレスが、エレオノーラが着ると「超ミニスカート」に変貌していた。
いや、ミニというレベルではない。
後ろから見れば、スカートの裾がヒップラインに引っかかり、完全にめくれ上がっている。いわゆる「ワカメちゃん状態」だ。
「ど、どうですの! 似合っていて言葉も出ませんのね!」
エレオノーラは顔を真っ赤にしながら(たぶん酸欠と血流阻害のせいだ)、ビシッとポーズを決めた。
「エレオノーラさん……あの、スカートが……」
アイリスが指の隙間から見て指摘する。
「な、なんですの! これは……最新のモードですわ! 脚線美を見せつけるための大胆なアレンジ……!」
言いかけた時だった。
ヒュンッ!
パァァァン!!
乾いた音が響いた。
限界を迎えた胸元の第2ボタンが、音速を超えて射出されたのだ。
弾丸と化したボタンは、舞台袖から覗いていたアレン王子の額に直撃した。
「ぬおっ!? ……見事な……飛び道具だ……」
アレンが白目を剥いて倒れる。筋肉でも防げない貫通力。
さらに、ボタンが飛んだことで拘束を解かれた布地が、バッと左右に弾けた。
露わになる、豊満な谷間と、高貴なレースのキャミソール。
「ひゃうっ!?」
エレオノーラが悲鳴を上げて胸を隠そうとする。
だが、その動作で前屈みになったせいで、今度は背中側のスカートがさらに釣り上がる。
純白。
そこに現れたのは、アイリスの清純な白とはまた違う、大人の色気を漂わせたシルクのランジェリー(白に薔薇の刺繍入り)だった。
「おおっ……! こ、これは……禁断の果実……!」
カイドウが眼帯を押さえて鼻血を出し、その場に崩れ落ちる。
「刺激が強すぎますぅ……私の惚れ薬より効きますぅ……」
コレットが鍋をひっくり返す。
完全なる自爆。
完璧令嬢のプライドが、物理的なサイズ違いによって粉々に砕け散った瞬間だった。
「み、みみ、見ないでぇぇぇっ!!」
エレオノーラは顔を林檎のように赤く染め、その場にしゃがみ込んだ。
だが、しゃがんだことでスカートの布面積不足はさらに深刻化し、もはや隠す気があるのか疑わしい状態になる。
「エレオノーラ様。上着をどうぞ」
俺は素早く燕尾服を脱ぎ、彼女の肩にかけてやった。
同時に、彼女の視界を遮るように立つ。
「……執事」
「サイズが合わないのは、貴女の発育が良すぎるからです。アイリス様の衣装には、貴女の美を受け止める器量がなかったようですね」
「う……うぅ……」
彼女の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
恥ずかしさと、悔しさと、情けなさ。
それらが混ざり合って、彼女の身体から猛烈な熱量が放出される。
「わたくしは……わたくしはただ、完璧な劇にしたかっただけですのにぃぃぃ!」
ドカァァァン!!
感情の爆発が、物理的な衝撃波となって広がる。
魔力暴走だ。
彼女の羞恥心が臨界点を超え、周囲の舞台セットを吹き飛ばした。
「きゃあああ! セットが!」
「わあ、花火みたいで綺麗ですぅ」
崩れ落ちる書き割り。
舞い散るボタン。
半裸のライバル令嬢と、インナー姿のヒロイン。
カオス極まる舞台の中、俺は空を見上げた。
(さあ、どうだ観察者。これが貴様の望んだ「完璧な代役」の末路だ)
100点の予定調和?
無理だと言っただろう。
この世界にまともな奴なんて一人もいないんだ。
キィィィィン……
予想通りの音が響く。
時間が凍りつく音。
視界の端に、冷徹なログウィンドウがポップアップする。
【リセット判定:確定】
【理由:重要人物(ライバル役)のキャラ崩壊、及び過度な露出(品位欠如)】
【評価:コメディとしては60点だが、悲劇性が欠落している】
【処理:12時間前にロールバックを実行します】
「……コメディ扱いかよ」
俺は苦笑した。
だが、収穫はあった。
あの一本気で融通の利かないエレオノーラもまた、完璧ではない。
彼女の「完璧でありたい」という強迫観念は、アイリスの「失敗したくない」という恐怖と表裏一体だ。
なら――攻略の糸口はある。
「次は、そのサイズ(器)に見合った役を用意して差し上げますよ」
俺がそう呟いた瞬間、視界が白く染まった。
302回目のループ終了。
世界はまた、何食わぬ顔で前日の朝へと巻き戻る。
「――おい、貴様ら! 本番まであと18時間しかない!」
303回目の朝。
いつものようにカイドウが叫び、アレンがポーズをとる。
記憶はリセットされている。エレオノーラの恥辱も、ボタンの弾丸も、なかったことになっている。
だが、俺の手元にはデータが残っていた。
エレオノーラのスリーサイズ……ではなく、彼女の行動パターンと、その「自爆」に至るまでの感情の動きだ。
「セバスチャンさん?」
アイリスが不思議そうに俺を見る。俺がニヤリと笑っていたからだろう。
「いえ、なんでもありません。……ただ、配役のピースが揃ったなと思いまして」
俺は懐から手帳を取り出し、新しいページに書き込んだ。
【エレオノーラ攻略法:共演(巻き込み)】
【キーアイテム:特注サイズの衣装(または、布切れ一枚からの即興ドレス)】
「お嬢様。次のループからは攻めますよ」
「えっ、攻めるって……?」
「個性を殺すのが無理なら、ぶつけ合うしかありません。混ぜるな危険? いいえ、混ぜて爆発させて、そのエネルギーでゴールまで吹き飛ばすんです」
俺は眼鏡を光らせた。
ライバル乱入というイベントは、最大の危機であり、最大のチャンスだ。
あの高飛車なエネルギーを、敵対ではなく「共闘」に向けさせることができれば――
このクソみたいな無限ループに、風穴を開けられるかもしれない。
「さあ、筋肉祭りでもスライム地獄でも、なんでも来い」
執事の反撃は、ここからが本番だ。
俺は手袋を締め直し、次なるトラブルの現場へと歩き出した。




