第6章 プロローグ 終わらない学園祭と、完璧主義の観客
第6章 終わらない学園祭と、10人の暴走キャスト
物語というのは、終わるからこそ美しい、と誰かが言った。
ハッピーエンドであれ、バッドエンドであれ、結末という名のピリオドが打たれるからこそ、そこに至るまでの過程が意味を持つ。
永遠に終わらない物語なんて、それはもはや物語ではない。ただの徒労だ。
――なんてことを、俺は冷めたコーヒーを啜りながら考えていた。
場所は、ここ「輪廻庁」。
現世で死を迎えた魂たちが集まり、次の転生先へと振り分けられる、魂の市役所だ。
その片隅にある「物語管理局・ストーリー課」の執務室は、今日も相変わらず、電子機器の駆動音と空調の音だけが響く、無機質な空間だった。
「……はあ」
俺――三城晶也は、デスクの上で頬杖をつき、目の前のホログラム・ディスプレイに表示された原稿をスクロールした。
画面には、転生希望者が提出した「僕の考えた最強の異世界ライフ」のプロットが映し出されている。
【タイトル:異世界転生したらレベル99999の赤ちゃんだった件〜産声でドラゴンを倒したので、オムツを替えてくれる聖女さまを募集します〜】
「……なんだこれ」
思わず、乾いた声が出た。
レベル99999。インフレもここまで来ると、もはや清々しい。産声で倒されるドラゴン側の気持ちを少しは考えてやってほしいものだ。それに、最強の存在がオムツ交換を要求するという図図しさは、ある意味で大物かもしれないが。
「ボツだ、ボツ」
俺は手元の電子スタンプを空中に叩きつける。
バァン!!
小気味よい音と共に、企画書の上に真っ赤な【却下】の文字が刻印され、データが彼方のゴミ箱へと吹き飛んでいった。
「三城。ため息がうるさいわよ」
向かいのデスクから、涼やかな、それでいて絶対零度の響きを含んだ声が飛んでくる。
黒瀬天音。
ストーリー課の一等審査官であり、俺の上司だ。今日も今日とて、隙のないダークスーツに身を包み、長い黒髪をサラリと流している。その手元では、複数のウィンドウが高速で展開され、次々と処理されていくのが見えた。
「ため息くらいつかせてくださいよ、黒瀬さん。見てくださいよ、今の案件。最近の転生者ときたら、努力とか葛藤とかを親の仇みたいに嫌うんですから」
「需要と供給よ。現世で疲れた魂たちが、来世くらいは楽をしたいと願うのは自然なことだわ」
「楽をするのはいいんです。でも、物語として破綻してるのは看過できない。『最強』ってのは、乗り越える壁があって初めて輝くんですよ。壁のない最強なんて、ただの壁紙です」
俺の愚痴に、黒瀬は視線も上げずに答える。
彼女は元々、現世で敏腕編集者だったという噂がある(本人は否定も肯定もしないが)。物語の構造に対する厳しさは、俺以上だ。
「壁紙でも、眺めていて気分がいいなら、それはそれで一つの機能よ。……もっとも、私たちの仕事は、その壁紙が剥がれ落ちて世界ごと崩壊するのを防ぐことだけれど」
「ええ。おかげで俺の指紋は、ボツスタンプを押す形に変形しそうです」
俺は肩をすくめ、背もたれに深く体を預けた。
第5章の案件――「炎上迷宮」の世界を片付けてから、数日が経過していた。
あの時は大変だった。回復役の少女が「いらない子」扱いされ、迷宮の奥底に置き去りにされるという、胸糞の悪い案件だった。俺たちは裏から手を回し、彼女のログを保全し、最終的には彼女を「世界で唯一の名前持ち回復職」として覚醒させることで、世界崩壊の危機(代償テンプレ)を回避した。
その事後処理もようやく落ち着き、ここ数日は平和な事務作業――つまり、有象無象のクソ企画書をひたすらボツにする作業――に戻っていたのだ。
だが、俺は知っている。
このストーリー課において、「平和」という言葉は「次のトラブルまでの準備期間」と同義であることを。
「お疲れ様ですー! 三城さん、黒瀬さん! 糖分補給はいかがですかー!」
静寂を破るように、執務室の自動ドアが勢いよく開いた。
飛び込んできたのは、銀髪ツインテールの少女。
フリルのついたエプロンドレスのような衣装(本人は『女神の正装』と言い張る)を翻し、手には山盛りのドーナツが乗ったトレイを持っている。
このストーリー課の企画担当兼マスコット、ルナだ。
「お、ドーナツか。気が利くな、ルナ」
「えへへ、でしょう? 今日は奮発して『冥界ポンデリング』を買ってきました! 食べると三日間くらい悪夢を見るらしいですけど、味は絶品ですよ!」
「いらねえよそんな呪いのアイテム。普通のを買ってこい、普通のを」
「冗談ですよぅ。ただのチョコ味です。……たぶん」
ルナはトレイを俺のデスクに置くと、そのまま身を乗り出して、俺の顔を覗き込んできた。大きな瞳が、何やら悪巧みをしている時のように輝いている。
「でね、三城さん。おやつを食べたら、ちょっと見てほしい企画があるんです!」
「……嫌な予感しかしないんだが」
「そんなこと言わないでくださいよ〜! 今回は自信作なんです! 全人類、いや全転生者が待ち望んだ、夢のシステムを発明しちゃいました!」
ルナは空中に指を走らせ、一枚のホログラム企画書をババンと展開した。
そこには、やたらとポップで、そして不穏なフォントでタイトルが踊っていた。
【新企画:異世界で失敗したので、直前のセーブポイントからやり直します】
【〜選択肢を間違えてもノーダメージな最強リトライ生活〜】
「…………」
俺は無言でドーナツを口に運び、咀嚼し、飲み込んだ。
そして、静かに言った。
「却下」
「早っ!? まだ中身見てないじゃないですか!」
「タイトルだけでお腹いっぱいだよ。『失敗したのでやり直す』? お前、人生をテレビゲームか何かと勘違いしてないか?」
「でもでも、需要はあるんですよ! 今回のクライアントさんの要望は『絶対に恥をかきたくない』なんです! 『失敗するのが怖い』『取り返しがつかないのが怖い』……そんな現代人の繊細なハートに応えるには、これしかありません!」
ルナが力説する。企画書の詳細ページが開く。
【チート能力:時戻し(リドゥ)】
【効果:任意のタイミングで、時間を指定したポイントまで巻き戻すことができる。記憶は保持される。コストなし。回数制限なし】
【使用例1:会話でスベった時】
主人公「やあ、君の瞳は宝石みたいだね(キリッ)」
ヒロイン「……は? 何言ってんのこいつ(ドン引き)」
主人公(あっ、やべ。好感度下がった! リセット!)
↓
時間を巻き戻して再挑戦
↓
主人公「今日はいい天気だね」
ヒロイン「そうですね!」
主人公(よっしゃ成功!)
「……」
「どうですか!? これなら対人関係のストレスはゼロ! 黒歴史を生成することなく、完璧な人生を歩めるんです!」
ルナがえっへんと胸を張る。
俺は深い、深い溜息をついた。今日一番の深さだったかもしれない。
「いいか、ルナ。よく聞け」
「は、はい?」
俺は椅子から立ち上がり、窓の外――電子の光が流れる情報の海を見据えた。
かつて、俺自身がそうだったように。
何度も何度も原稿を書き直し、それでも届かなかった、あの頃の痛みを思い出すように。
「物語における『失敗』ってのはな、ただのミスじゃない。それは主人公が成長するための『燃料』なんだ」
「燃料……ですか?」
「そうだ。スベった会話? 大いに結構。振られた告白? 最高じゃないか。その恥ずかしさ、悔しさ、惨めさ。そういうドロドロした感情を噛み締めて、それでも前を向くから、読者は主人公を応援したくなるんだ。『ああ、こいつは俺たちと同じだ』ってな」
俺はルナに向き直り、ビシッと指を突きつけた。
「それをなんだ? 『あ、間違えたからリセット』? そんなの、ただの『逃げ』だ。傷つかない人生なんて、消毒された無菌室みたいなもんだ。安全かもしれないが、そこにはドラマも感動もありゃしない。読んでて一番退屈なやつだ」
「うぐっ……」
「それに、考えてもみろ。失敗を帳消しにするってことは、成功の価値も消えるってことだ。『何度でもやり直せる』状況で掴んだ成功に、どれほどの達成感がある? 一回性の人生だからこそ、その一瞬の輝きが尊いんじゃないのか?」
俺の熱弁に、ルナはしゅんとして耳(のような飾り)を垂れた。まるで叱られた子犬だ。
「……三城さんの、いけずぅ……」
「いけずじゃない。愛の鞭だ。それに、システム的にも問題がある」
今度は黒瀬が口を挟んだ。
彼女は冷静に、企画書の隅にある小さな注釈を指差した。
「『コストなし、回数制限なし』……これを実装した場合、ワールドコアにかかる負荷計算はしたの? 一人が時間を巻き戻すたびに、世界全体の因果律を再計算する必要があるのよ。一人の『恥ずかしい』を消すために、世界のサーバーをダウンさせる気?」
「うっ、それは……技術班がなんとかしてくれるかなーって……」
「却下。技術班がストライキを起こすわ。もっとこう、リスクとリターンが見合った構成に練り直してらっしゃい。『死に戻るたびに大切な人の記憶を失う』とか、『巻き戻すたびに寿命が半分になる』とか」
「ひええ……黒瀬さんのほうが鬼畜ですぅ……」
ルナは涙目でホログラムを回収し、すごすごと自分の席へ戻っていこうとした。
やれやれ、これで一件落着か。
俺が再びコーヒーに口をつけようとした、その時だった。
「……ん?」
黒瀬が、ふと眉をひそめた。
彼女の指が、端末の上で止まっている。
室内の空気が、わずかに変わった気がした。温度が一度下がったような、肌に張り付くような違和感。
いつもの「アラート」の前触れだ。
「ルナ、新規案件?」
「あ、はい! 今ちょうど来ました! えーっと、タイミングいいですね。案件No.0006……」
ルナが気を取り直して、慌ててウィンドウを操作する。
俺も条件反射で身構えた。
さあ、次はどんなトンデモ案件だ? 悪役令嬢の次は、勇者パーティ追放か? それともスローライフ詐欺か?
だが。
いつものように鳴り響くはずの、派手な警告音が鳴らない。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
聞こえてきたのは、壊れたレコードの針飛びのような、短く、神経質な電子音の繰り返しだった。
「……おい、なんだこれ」
「変ですね……。アラート信号が、スタックしてます。受信、受信、受信……えっ、これ、止まらない?」
ルナの声から、能天気な響きが消えていく。
「これ、信号が重なってます! 同じ瞬間のアラートが、何十回も、何百回も……同時に届いてるみたいな……!」
「どういうことよ」
黒瀬が鋭く問う。
「わかりません! でも、ワールドコアのログ解析によると、この世界……『時間が進んでません』! 同じ『一日』が、もう100回以上繰り返されてます!」
「100回以上!?」
俺が叫ぶと同時に、メインスクリーンに映像が弾け飛ぶように表示された。
ノイズ混じりの映像。
映し出されたのは、どこにでもあるような学園の風景だった。
西洋風の石造りの校舎。色とりどりの旗。渡り廊下に貼られたポスター。
看板には『聖アストライア学園 星夜祭』の文字。
生徒たちが走り回り、準備に追われている。まさに青春の1ページ、学園祭の前日風景だ。
だが、その映像は明らかに異常だった。
ある男子生徒が、大きな看板を運んでいる。
彼は石畳につまずき、転ぶ。
――ザザッ。
その瞬間、映像がノイズと共に途切れ、また彼が看板を運び始めるところから再生される。
今度は転ばずに数歩進むが、看板が風に煽られて倒れる。
――**ザザッ。**また最初から。
別の場所では、舞台の上で演劇の練習をしている生徒たちがいる。
ヒロインらしき少女が、セリフを言う。「ああ、ロミオ!」
その声が少し裏返る。
――ザザッ。
少女はまた、舞台袖から出てくるところに戻される。「ああ、ロミオ!」
今度はタイミングが少し早い。
――ザザッ。
「……おいおい、嘘だろ」
俺は呆気にとられて呟いた。
「これ、誰かがリセットボタンを連打してるのか?」
「ええ。それも、とんでもなく気が短くて、神経質なプレイヤーね」
黒瀬が高速でキーを叩き、ワールドコアの深層ログ解析を展開する。
そこに表示されたのは、死のカウントダウンでも、世界の崩壊アラートでもなかった。
ただ、無機質な、そして膨大な量の「ダメ出し」のリストだった。
【リセット理由:照明の点灯タイミング、0.1秒遅延】
【リセット理由:ヒロインのスカートの揺れ方、物理演算エラー(美しくない)】
【リセット理由:モブ生徒Cの表情、幸福度不足】
【リセット理由:セリフ噛み、論外】
【リセット理由:背景の雲の形、バランス不良】
ずらりと並ぶ、数百行のリセット理由。
そのどれもが、物語の進行には何の影響もない、些細なことばかりだ。
「……なんだこれ。映画のNG集か?」
「いいえ。この世界の管理権限を持つ『観察者』による、強制リテイクよ」
黒瀬の声が、執務室の温度をさらに下げる。
「この世界の観察者は、この学園祭イベントで『芸術点100点の完璧なハッピーエンド』を見たいらしいわ。だから、少しでもミスをしたり、不格好な動きをしたりすると、満足できずに時間を巻き戻す。……完璧な演技ができるまで、永遠にね」
スクリーンの中では、ヒロインらしき少女が、何度も何度もやり直しさせられている。
彼女の表情は笑顔だ。役を演じているのだから。
だが、その魂のログデータは、真っ赤に摩耗していた。
当たり前だ。100回も「お前じゃダメだ」「やり直せ」と言われ続けているのだから。記憶は消されていても、魂に刻まれた疲労と絶望は消えない。
「……ふざけやがって」
俺の中で、カチリとスイッチが入る音がした。
腹の底から、熱いものが湧き上がってくる。
さっきルナが出した「失敗したくないからやり直す」という企画書。あれはまだ可愛げがあった。逃げたいという人間らしい弱さがあったからだ。
だが、ここにあるのは違う。
ここにあるのは、他人の人生をコンテンツとして消費し、少しでも傷がついたら不良品として突き返す、傲慢な完璧主義だ。
「綺麗な物語が見たいなら、プロの劇団でも見に行けばいい。一生懸命やってる素人の高校生に、何を求めてやがる」
俺はジャケットをひっつかみ、立ち上がる。
ボツ作家だった俺だからこそ、分かることがある。
推敲は大切だ。修正も必要だ。
だが、それは「より良くするため」にするものであって、「完璧じゃないから」といって全否定するためのものじゃない。
100回のNG? ふざけるな。それは100回の努力の証だ。それをゴミ扱いする奴は、俺が絶対に許さない。
「ルナ、転送準備だ」
「は、はいっ! でも、どうするんですか? こんな完璧主義な神様、ちょっとやそっとじゃ満足しませんよ! ちょっとでもミスしたら、私たちごとリセットされちゃいます!」
「満足なんてさせるかよ」
俺はネクタイを締め直し、不敵に笑って見せた。
「向こうが求めてるのは『100点の予定調和』だろ? なら、俺たちが叩きつけるのはその逆だ」
「逆?」
「ああ。アドリブだらけ、トラブルまみれ、ミス連発の……『二度と同じことはできない』最高にカオスな舞台だ」
黒瀬が、珍しく楽しそうに口の端を上げた。
彼女もまた、作り手の端くれとして、こういう「編集者気取りの読者」が一番嫌いなのだろう。
彼女は端末を操作し、俺の転送承認コードを打ち込んだ。
「採用。行ってらっしゃい、三城。……その神経質な観察者に、生の舞台の恐ろしさを教えてあげなさい」
「了解。……今回は『執事』でいくぞ。あの可哀想なヒロインに、最高のスポットライトを当ててやる」
ルナが慌てて操作盤を叩く。
執務室の床が青白く輝き始める。
「転送シーケンス、起動! 接続先、案件No.0006『終わらない学園祭』! 座標設定、109回目のループ開始地点!」
「109回目か。……煩悩の数より一つ多いな」
光が、視界を白く染め上げていく。
終わらない前夜祭。
繰り返すリテイク地獄。
そして、その中心で泣いているであろう、名もなきヒロイン。
待ってろよ。
今から俺たちが、そのクソみたいな脚本を、最高のアドリブ劇に書き換えてやる。
ストーリー課史上、最も騒がしく、最も予測不能な任務が、今幕を開けようとしていた。




