第13話 名前を戻すボタン
画面の端で、警告色がじわじわ濃くなっていく。
【BAN:78%(警告:3/3)】
【閉門まで:6時間12分】
【順位:19位】
【MVP:トウマ(固定)】
【Support:— — —】
数字は動く。ランキングも動く。
なのに、こはるの名前だけが出ない。
――回復して、撤退判断を支えて、隊を生かしてるのに。
画面の上では、最初からいなかったみたいに空欄だ。
「……三城さん、今。スタッフの出入りが止まりました。行けます」
雨宮レンが、壁際の影を指した。
配信用の機材やスタッフが通る裏通路。普段なら人の気配が途切れない場所だ。
「ありがと。……“行ける”って言葉、ここでは怖いな」
「怖いほど当たりです。ここ、編集側の匂いがします」
肩の上でミニルナが小さく跳ねた。
「三城さん、裏側です! “名前が消える仕組み”に近いです!」
「テンション上げるな。切り抜きの燃料になる」
「……静かに喜びます!」
静かに喜ぶって何だよ、と思いながら、俺はレンの示す小部屋の前まで進んだ。
◇
小部屋の中は、迷宮に似合わない光だった。
白い照明、端末の青い画面、配線、三脚、予備バッテリー。
現場なのに“編集室”の匂いがする。
そこにいたのは、配信ディレクターのシェリナ。
寝不足の顔。端末は二台。指は止まっていない。けど目は折れていない。
「……来たね、伊織さん」
この世界では、現場の人間は俺を伊織と呼ぶ。
名前が二つあるとややこしいが、今はそれでいい。
「来たくて来たわけじゃない。でも、ここに来ないと詰む」
「分かってる。だから、手伝う」
次に一歩出たのは神代透真。
隊長で、画面で目立つ役で、でも今日は“守られる側”じゃない。直しに来た顔だった。
「シェリナさん。表示が変なんだ。いや、“変”じゃない。“おかしい”」
透真が端末を指さす。
画面の表示は、俺たちと同じ。
【MVP:トウマ(固定)】
【Support:— — —】
「回復してるのに、名前が出ない。ずっと空欄のまま」
シェリナが唇を噛んだ。
「本当は計算をやり直せる。でも、現場審査員の権限が必要」
「審査員って誰だ」
黒原ナツメが低く言う。
「グリフ。あの人が“再計算”ボタンを押す」
鳴海ツバサが腕を組んだ。ライバルチームAsterionの口が悪い方。
「押させろ。押させないなら、外からでも声で詰める」
「声は燃料にされる」
俺は釘を刺す。怒鳴った瞬間だけ切り抜かれて終わる。
「だから、怒鳴らない。証拠で詰める」
「証拠?」シェリナが聞く。
「“こはるが回復した”って映像と音声がある。
それに、外部の証言もある。Asterionが見てた。こはるの名前を言ってた」
レンが頷く。
「同じタイムコードで残せます。映像、音声、発話者。全部セットで」
ミニルナのHUDが補足を出す。
【必要:本人の名乗り/複数証言/映像タイムコード】
「難しく言うな」
俺は小声で言って、要点だけに切り替えた。
「要するに――
“こはるがやった”を、同じ場面で、複数人が言う。
それを映像と音で残す。
そうすれば、グリフも“押さない理由”がなくなる」
シェリナが短く息を吐いた。
「……分かった。グリフを呼ぶ」
◇
数分後、審査員グリフが入ってきた。
背広。薄い笑顔。目が数字だけを見ている。
「騒がしいな。配信の進行が乱れている」
透真が前に出た。
「乱れてるのは進行じゃない。“表示”だ。
回復した人の名前が消えてる。再計算してくれ」
グリフは肩をすくめた。
「再計算には条件がある。本人が名乗ることだ」
こはるの肩がわずかに跳ねた。
怖いのは名乗ることじゃない。名乗っても消されることだ。
だから――今日は一人に背負わせない。
ミナトが小型マイクをONにする。別録り用だ。
「音も残る。映像の時間も残る」
ナツメが言う。
「俺が言う。何回助かったか、数も言える」
ツバサも言った。
「俺も言う。ライバルだけど見てた。あれは“こはる”だ」
こはるが一歩前に出る。
手にはスープポット。迷宮に不釣り合いなくらい温かい道具。
「……私、春日こはるです」
胸元カメラに向けて、短く、はっきり名乗った。
「回復スープは、体を戻すためだけじゃありません。
みんなが“無理しないで戻る判断”をできるようにするために作ってます。
危ない時は早めに引きます。誰かが倒れたら、そこで終わるから」
コメント欄が一瞬止まり、次の瞬間に弾けた。
『こはる…!』
『撤退判断大事』
『Supportじゃない、名前出た』
『今の良かった』
『やり直せ!』
――その直後、画面が嫌な動きをした。
【字幕:Support】
【名前:—】
こはるが名乗ったのに、表示が役割名に戻る。
まるで「名前はいらない」と言われたみたいに。
「……やっぱり、消す気だな」
俺は歯を噛む。
でも今日は、ここで折れない。“消された瞬間”そのものが証拠になる。
「グリフさん」
俺はシェリナの端末を指さした。
「今見たよな。名乗ったのに“Support”になった。
これが正常なら、説明できるはずだ。
説明できないなら――再計算して、表示を直してくれ。今ここで」
透真も続ける。
「視聴者も気づいてる。コメント欄が証拠だ」
シェリナがコメントのスクショとタイムコードを並べて見せた。
『こはる』が流れている。『やり直せ』が混ざっている。
グリフの目が細くなる。
押したくない。けど押さないと、逆に“隠してる側”に見える。
「……分かった。条件は満たした。表示をやり直す」
グリフの指が端末のボタンに置かれる。
その瞬間――ポケットの中の黒い栞が、かすかに鳴った。
折れ筋が入る感触。世界が“畳む準備”をする時の嫌な気配。
【黒い栞:折れ筋(進行)】
【表示やり直し:開始】
ミニルナが耳元で囁く。
「三城さん……来ました。ここ、決め所です」
「分かってる。最後まで“残す”」
グリフが押した。
画面が一瞬暗転し、再計算バーが走る。
【MVP再計算:0% → 12% → 25%……】
――そのとき、入口の空気が冷えた。
監査官ユール=グレイが、にこやかに立っていた。
優しい顔。冷たい目。
「素晴らしいですね。皆さま、“公平”を大切にしている」
褒め言葉の形をした刃。
ユールが端末をなぞる。HUDが跳ねる。
【BAN:78% → 89%】
【理由:安全手順未遵守の疑い】
【処置:配信者資格停止 準備中】
「……止めに来たな」
再計算はまだ途中。
ここで資格停止されたら、“途中で終わる”。それが相手の狙いだ。
透真が、笑顔を捨てて言った。
「ユールさん。止めるなら、理由を言って。
“今この瞬間に、何が違反なのか”を」
ユールは微笑んだまま答える。
「もちろん。公平に。――では、宣告を」
バーが進む。
【MVP再計算:61% → 72%……】
黒い栞の折れ筋が、少し深くなる。
こはるがスープポットを抱えたまま、俺を見る。
怖い。でも折れてない。
俺は画面を睨んで言った。
「宣告するなら、その前に結果を見ろ。
やり直しの途中で止めるのは、一番不公平だ」
ユールの笑顔が、ほんの一瞬だけ薄くなる。
たぶんここからが、本当の殴り合いだ。
剣じゃない。拳でもない。
――画面の上で、名前を取り返す戦い。




