第11話 名寄せ戦――“こはる”を消させない
胸元カメラの赤い点滅が、やけに目につく。
見られている、というより――採点されている感じがする。
【BAN:68%(警告:2/5)】
【閉門まで:11時間42分】
【順位:12位(維持:30位/到達:10位)】
【Top8関門:発動まで 2時間08分】
数字が並ぶだけで心臓が速くなる。
怪我で死ぬんじゃない。評価で消される。
俺――伊織(本名:三城晶也)は、迷宮都市カルディアの通路にいた。
目の前は「安全待機所」の入口。鉄格子の向こうは清潔で静かで、照明まで優しい。病院の待合室みたいだ。
……檻に見えない檻。
だから質が悪い。
「伊織、顔が怖い。配信に乗る」
盾役の黒原ナツメが低い声で釘を刺す。
「大丈夫。元からこういう顔」
「それ、開き直りだろ」
雨宮レンが胸元カメラの角度を指で直す。
空中のコメント欄が流れる。速い、軽い、容赦がない。
『え、待機所入るの?』
『怪しいw』
『BAN近くね?』
『隊長さん、説明して』
“説明して”。
この単語が増えた瞬間、運営は動く。刺客は喜ぶ。
刺客――監査官ユール=グレイは、通路の端で端末をいじっていた。
笑顔は礼儀。目は査定。
「皆さま。良い判断です。“安全待機”は公平ですから」
公平。便利すぎる言葉。だいたい刃物。
もう一人、裏方のミルタが配信機材ケースの陰にいる。
スタッフなのに、視線が“面白い角度”を探している。あれは編集者の目だ。人の人生を短尺に切る目。
耳元で、ミニルナのHUDが小さくノイズる。
「三城さん。今ここで、こはるさん本人が喋ると、字幕が“役割タグ”に置き換わります。成功率、低いです」
だろうな。前にこはるが喋った時、画面はこうだった。
【話者:Support】
【字幕:回復担当です】
【名前:—】
名前が空欄。
現場では必要不可欠なのに、画面だけが「誰でもいい」にする。
こはるは鉄格子の向こう――待機所の中。
小さな鍋を抱えて座っている。回復スープの匂いが届きそうで、余計に腹が立つ。
あれは“生きる判断”を出せる人だ。
だから消したい。運営はそこを分かっている。
「じゃあ、本人に喋らせない」
俺が言うと、レンが目を細めた。
「……喋らせないで、どうやって本人宣言を成立させる?」
「こはる一人に背負わせない形にする。分散させる」
ナツメが腕を組む。
「言い方が嫌だな。“背負う”って」
「嫌だよ。だから壊す。――“みんなの言葉”にする」
レンが小さく笑った。
「なるほど。本人宣言を分散して、切り抜きで崩れない“文脈の塊”にする」
「そう。コメント欄まで含めてな」
俺は胸元カメラのレンズに指を向けた。視聴者じゃない。アルゴリズムの腹に向けて。
「透真に合図する」
◇
神代透真は鉄格子の前に立っていた。
隊長。カメラ前の顔。数字を作る役。勝ち方を知ってる男。
ただ、背中が今日は重い。
透真の配信画角には、待機所の中のこはるも映っている。
なのに字幕は“Support”のまま。名前の欄に空白が居座っている。
「監査官さん」
透真がユールに向けて言った。声は穏やか。でも芯は硬い。
「今、うちの配信は“説明”を求められてますよね」
「ええ。公平に。視聴者の皆さまへ」
「なら、説明します」
透真は一歩下がって、画面に全員が入る位置を作った。
――上手い。こういう“絵の作り方”が分かっている。
「俺たちRivueは、撤退判断を優先します。見せ場のために無理はしない」
『え、珍しい』
『安全運転か』
『面白いの?それ』
反応が割れる。
割れた時に刺客は“正義”を刺してくる。だからここからが勝負。
透真が鉄格子の向こうのこはるを手で示した。
「撤退判断ができるのは、回復があるから。回復があるのは――」
一瞬、言葉が詰まった。
こはるの名前が、隊長の口から出にくい。薄化の壁だ。
俺は自然に割り込む。
「スープがなきゃ、昨日の毒霧でナツメが倒れてた」
ナツメが即座に頷く。ぶっきらぼうに、でもはっきり。
「俺が言う。春日こはるの回復スープで助かった」
空気がピシッと固まる。
『今、名前出た?』
『こはる?』
『回復スープの人?』
『Supportって誰だよw』
レンが続ける。
「俺も。春日こはるの判断で撤退が早かった。だから全員、生きてる」
ミナトが落ち着いた声で添えた。
「映像ログも残ってます。毒霧の前に、こはるが“先に引く”って言った。あの一言で隊列が変わった」
――名前だけじゃない。理由も一緒に置く。
切り抜きされても崩れない“塊”にする。
透真が息を吸い直して、言い切った。
「……春日こはる。うちの回復担当だ」
字幕が遅れて追いつく。
【話者:隊長】
【字幕:春日こはる。うちの回復担当だ】
【名寄せ:KOHARU(暫定)】
よし。
“隊長の字幕ログ”に、こはるの名前が乗った。
ミニルナのHUDが淡く跳ねる。
【証言ログ:複数話者で成立】
【文脈欠損率:低下】
【名寄せ固定:候補に上昇】
まだ暫定。でも暫定でも足場はできた。
◇
そこへ別の声が割って入る。
「……その回復、見せてくれ」
ライバルチームAsterionの隊長、紫堂レオンだ。
隣に回復補助の朝倉ユイもいる。同職の証言は重い。
ユイがこはるの鍋を見て目を細めた。
「香りが強い。魔力の通りがいい配合。……昨日の霧、見てた。Rivue、撤退が綺麗だった」
レオンが頷く。
「回復が回っていたからだろ。映像が匿名扱いしてるのは変だな」
コメント欄が目に見えて変わる。
『外部証人きた』
『ライバルが言うの強い』
『こはるのスープ何味?』
『Supportじゃなくて名前出せ』
ミニルナが囁く。
「三城さん、“こはる”がコメント欄で定着し始めてます。外部証人ログ、増えてます」
【外部証人ログ:増加】
【ワード定着:KOHARU(ローマ字変換含む)】
【BAN:68% → 67%(微減)】
たった1%。でも“下がる”が存在するだけで世界のルールにヒビが入る。
ユールが微笑みのまま言った。
「良い流れですね。ただし注意が必要です。“医療行為の誤解を招く表現”は規約違反となり得ます」
来た。善意を罪にする口実。
俺は即座に短く返す。
「医療じゃない。迷宮内の回復行為。規約の定義、読んでます?」
ユールの眉がほんの少し動く。
「……あなた、詳しいですね。伊織さん」
「配信は事故ったら終わりなんで。予防線は張ります」
レンが小さく笑う。
「伊織、珍しく正論で殴ってる」
「俺だってたまには正論する」
「“たまに”って言うな」
空気を落とさない。テンポで握る。
◇
その時、ミルタが配信卓の陰で指を止めた。
止めた瞬間が分かるほど、動きがきれいだった。
イヤモニを押さえ、誰かと通話しながら笑う。編集者の笑顔。
HUDがざらつく。
【切り抜き投稿:検出】
【誘導タグ:#依存 #違法回復 #出しゃばりサポ】
【BAN上昇予測:+4%(短尺拡散)】
最悪。ここで刺してくる。
こはるが鉄格子の向こうでこちらを見た。不安そうに、でも逃げない目で。
「……伊織さん。私、また――」
言いかけた瞬間、字幕が揺れる。
“Support”が喉元までせり上がる。
俺は首を振った。
「今はいい。もう、みんなが言った。みんなが残した」
こはるがゆっくりうなずく。
透真がカメラに向けて言った。
「俺たちは、誰か一人の善意を踏み台にしない。……コメント見えてる。名前を呼んでくれて、ありがとう」
『こはる!』
『#こはるを消すな』
『切り抜きに負けるな』
『外部証人もっとくれ』
よし。
“本人宣言”は、本人だけのものじゃなくなった。視聴者も外部証人になった。
――なのに、HUDが冷たく光る。
【BAN:67% → 69%(警告:3/5)】
【原因:外部拡散タグの急増(監査トリガー)】
【次の審査配信まで:2時間16分】
ミルタの切り抜きが回り始めた。
ユールが優しい声で言う。
「残念ですが……“炎上”は数字です。公平に、処理されます」
俺は笑った。爽快に。顔だけ。
「なら数字で返す。――処理するのは、こっちも得意なんで」
ミニルナがぼそっと言う。
「三城さん。次は“名義”を取りに行きましょう。画面に、返す番です」
閉門まで11時間42分。
審査配信まで2時間16分。
短い。だけど――コメント欄は確かに“こはる”を覚えた。
世界が消すなら、世界の外側で増やす。
まずは今夜。この炎上を“証拠”に変える。
俺は鉄格子を見上げて、軽く言った。
「こはる。次は“あなたが頑張る”じゃない。――私たちが証明する」
こはるが小さく笑った。
鍋の湯気が、その笑顔だけは消せないみたいに揺れた。




