第9話 檻の中で回復、静かに“必要条件”になる
安全待機所――という名前の檻は、まだ閉じたままだった。
壁は明るく、空気は清潔で、だから余計に息が詰まる。きれいな部屋ほど、逃げ道がないと苦しい。
胸元カメラのUIが、元気よく数字を踊らせる。
【閉鎖:安全待機所(内部)】
【退室:申請制】
【審査:監査官ユール 承認待ち】
【BAN:79%(警告:3/5)】
【閉門まで:11時間21分】
【順位:24位(維持:30位)】
「……安全って言葉、ここだと“呪い”だな」
耳元で、ミニルナのHUDが小さく震えた。
【監査回線:介入準備中】
【提出:S-12(施錠禁止)/C-03(同意明示)/加算窓(指示空欄)】
【注意:現場側は“冷静”が最適解】
「冷静が最適解って、現場に向いてない言葉ランキング上位だろ」
「でも三城さん。ここは“怒った瞬間”が切り抜かれる場所です。怒りは燃料、冷静は証拠」
「わかってる。……わかってるのが腹立つ」
隣でナツメが扉を睨みつけている。盾役の視線というより、怒りを殴らずに押し込める目だ。
「伊織。壁叩いたらBAN増えるんだろ」
「増える」
「息したら?」
「増える可能性ある」
「生きにくっ……!」
ミナトが笑いそうになって飲み込み、喉の奥で咳を押さえた。
「この部屋、音が反響しない。吸音材入ってる。
つまり、周りの雑音は消して、配信で拾われる声だけ残す」
「喧嘩の声だけ切り抜くための部屋だな」
レンは壁際の端末に手を当てて、淡々と報告する。
「監視端末、外部から操作されてます。
加算窓は指示が空欄でも“未履行”判定できる。いつでもBANを跳ねられる仕様です」
「やっぱり檻だ」
「檻です」
短い断言が、逆に頼もしい。
透真はUIの一点だけを見ていた。BANでも順位でもない。――MVP欄だ。
【MVP:トウマ(固定)】
【Support:— — —】
透真がぽつりと言った。
「……俺が前に出るのは分かってる。
でも前に出れば出るほど、“誰かの分”が消える」
良心だ。
だから刺客はそこに刃を当てる。
「透真、今日は“前に出る”じゃない」
「……じゃあ何だよ」
「前に出たまま、横を見ろ。横の名前を画面に残せ」
透真の視線が檻の隅へ動く。
春日こはる。
スープバッグを抱えて座っている。顔色は良くない。手も冷たい。
でも目だけは折れてない。“折れたら終わり”を知ってる目だ。
こはるが小さく笑った。
「……大丈夫。スープあります。
この空気だと……判断が鈍るから」
判断。
回復は体だけじゃない。折れないための判断を回復することだ。
――消させるかよ。
その瞬間、天井の通気口みたいな隙間から、冷たい霧が落ちた。
「っ……!」
ミナトが咳き込み、レンが膝をつく。透真の顔色が一段で落ちた。
安全区域のはずの場所で、体調を崩す演出――分かりやすすぎて腹が立つ。
【異常:迷宮瘴気(安全区域例外)】
【効果:判断遅延/視界低下】
【BAN:79% → 83%】
「安全待機所で瘴気って、どんなギャグだよ!」
ナツメが叫びかけて、俺が即座に手で止めた。
「叫ぶな。叫ぶと“煽動”扱いで増える」
「じゃあどうすんだよ!」
「回復する。まず“落ち着ける環境”を作る」
こはるはもう動いていた。
小鍋、固形魔石。カチ、と青い火。
檻の中で鍋。状況は終わってるのに、手つきだけは落ち着いてる。
落ち着きが、こはるの武器だ。
「……飲んで。熱いの、すぐ作る」
湯気が立つ。匂いが立つ。霧で冷えた肺が少しだけ開く。
レンが息を整えながら必死に聞いた。
「その白い粉、何?」
「塩じゃない。撤退用。喉の奥を先に温める配合」
「撤退用……?」
こはるは視線を上げないまま言った。
「迷宮で倒れた人、見たことあるから。
倒れる直前って、喋れなくなる。判断が止まる。……だから先に戻す」
軽い言葉なのに重い。
“見たことある”の裏側に、消えた誰かがいる。
透真が震える手で器を受け取った。
「……助かる」
こはるは頷くだけ。返事を急がない。
返事を急ぐと画面が切る――その経験が動きに染みている。
そのとき、檻の外がざわついた。通路の向こうから別の足音。別チーム。
Asterionだ。
ツバサが檻の前で足を止め、吐き捨てた。
「うわ。なにこの“安全待機所”。最悪のネーミング」
レオンが低く言う。
「ツバサ、余計なこと言うな。巻き込まれる」
「巻き込まれないと、消されるだろ」
ツバサが胸元カメラを指で叩いて、わざと音を入れた。
「いま回復したの、隊長じゃねぇ。こはるだろ。こはる」
――外部証言。
現場の言葉が、画面に殴り込んだ瞬間。
コメント欄が一斉に跳ねる。
《え、いまの回復…》
《Supportの人?》
《外部チームが言ってる》
《名前出た?》
《こはるって誰》
そしてMVP欄じゃない。Support欄が、一瞬だけ揺れた。
【Support:KOHARU】
出た。呼吸一回分。
次の瞬間、ぬるっと戻る。
【Support:— — —】
【MVP:トウマ(固定)】
こはるの名前は消えた。
でも、消え方が雑だった。戻しが間に合ってない。つまり、焦っている。
ミニルナのHUDが鋭く点滅した。
【改ざん検知:確定】
【表示差分:Support欄 名寄せ発生→即時巻き戻し】
【証拠:タイムコード保存(取得済)】
「……撮れたな」
「撮れました。今の“出た瞬間”、裏ログに残ってます」
「嫌な勝ち方が、今はいちばん強い」
ツバサが檻に向かってさらに刺す。
「おい運営。安全待機所で瘴気出しておいて“公平”とか笑わせんな。
公平なら表示も公平にしろ」
レオンが肩を掴む。
「ツバサ、言い過ぎるな」
「言い過ぎないと、消されるだろ」
ユイがツバサの後ろから覗き込んだ。回復役の目で、こはるを見る。
「……回復、早い。撤退前提の配合。経験がいるやつだよ、それ」
こはるが驚いた顔をした。
褒められるのに慣れてないんじゃない。“名前が残る褒め”に慣れてない顔だ。
俺はここを逃がさない。
「ユイ。その言葉、もう一回。カメラに向けて」
ユイは一瞬迷って、頷いた。
「春日こはるの回復は、こはる自身の判断。隊長の指示じゃない。
だから助かった」
コメント欄がさらに揺れる。
《今“春日こはる”って言った》
《名前出た》
《Supportじゃなく本人》
《固定MVPおかしくね?》
視聴者の認識が変わる。
画面が作ってた物語が、崩れ始める。
そのとき、通路の奥から丁寧で乾いた拍手が聞こえた。
「素晴らしい連携ですね。皆さま」
現れたのは監査官ユール=グレイ。
笑顔は柔らかい。目は冷たい。
「外部の口出しは運営妨害に該当する可能性があります。公平のために――」
「公平なら、透明化しろ」
俺はテンポを譲らず被せた。
「さっきSupport欄に“KOHARU”が出た。出たのに消えた。
つまり名寄せが発生して、誰かが巻き戻した。
公平なら“巻き戻した理由”と“操作ログ”を出せ」
ユールの笑顔が、ほんの少し薄くなる。
焦りじゃない。計算の組み直しだ。
ミニルナのHUDの色が変わった。
【監査回線:到達】
【是正命令:送達準備】
【条件:本人宣言ログ+外部証言ログ 成立で固定化可能】
――本人宣言。
ここで、こはるの名前を“本人の声”で残す。
こはるが鍋を置き、胸元カメラへ顔を上げた。
怖い。でも目が逃げない。
ユールがにこやかに言う。
「安全のため、発言は短く。長い発言は“煽動”と見なされる場合があります」
きた。言葉を切って、本人宣言を潰す気だ。
俺はこはるにだけ聞こえる声で言った。
「短くていい。短い言葉ほど残る。……いける」
こはるが頷き、胸元カメラに向けて言う。はっきり短く。
「私は春日こはる。回復は、私の判断でやってる」
コメント欄が爆ぜる。
《春日こはる》
《こはる》
《回復こはる》
《名前出た!!》
Support欄がまた揺れた。今度は戻り切らない。
【Support:KOHARU】
【表示:確定処理中】
【……】
ユールの指が端末の上で止まった。
止まったのは迷いじゃない。
**「このログを消すと監査に刺さる」**と計算が追いついた瞬間だ。
俺は笑った。檻の中で笑うのは、最高にムカつく絵になる。
でも今はそれでいい。
「さあ、公平の時間だ。ユール」
ポケットの中で、黒い栞の欠片が小さく鳴った。
ひびじゃない。折るための“折れ筋”が入った音だ。
檻の中での回復は、もう“優しさ”じゃない。
この世界を続けるための、必要条件だ。
次はその必要条件を、画面の上で“消せない条件”にする。




